【はまって、はまって】バックナンバー 2001年  江崎リエ(えざき りえ) 2003年2002年はこちら



年の瀬に、はまったものは? 2001.1

広告と翻訳

 みなさん、こんにちは。私の本職はコピーライターですが、5年前に翻訳のおもしろさに目覚めて、今は両方の仕事をしています。気が多くて、いろいろなことに首を突っ込んで、ちょっと楽しんでは飽きる、という暮らしをしているので、この連載では、私が過去にはまったり、今はまりつつあるコトやモノの話をしたいと思います。

 まずは広告と翻訳。広告のおもしろさは、市場全体を見て、商品を作っている会社を見て、商品の特性を見て、消費者という人間を見て、それら全部にうまくはまることばを見つけること。翻訳のおもしろさは、あることばの意味を過不足なく表現する別の言語体系のことばをみつけること。

それぞれに周辺の楽しみはいろいろあるけれど、一口に言ってしまえばこんなところかな。どちらも、うまくはまった時の快感は、たまりません。この二つには一生はまり続けて行く予感がします。

脚本っておもしろそう

 先週まで、グウィネス・パルトロウとベン・アフレックが共演する映画『永遠の恋人』(3月上映だそう)の脚本を訳していました。「ノベライズのための資料用の訳なので、文章は練らないでいいから2週間で訳して」という注文をやっとのことで終えたのですが、脚本って、頭のなかでカメラワークが想像できて、おもしろいですね。戯曲は好きでよく読みますが、書き方がずいぶん違います。脚本は英語はおろか日本語のものも読んだことがなかったのですが、ちょっとはまりそう。映画の脚本を書いて見たいな、なんて思ってます。こんなふうにちょっと興味を引かれると、自分にもできるかも、と思うところがノーテンキだ、と夫は言うのですが……。

消しゴム版画

 ここ10年以上、毎年暮れになるとやっているのが消しゴム版画作り。5×3cmほどの消しゴムに干支を彫って、年賀状にペタペタ押すのが楽しいのです。15年以上フリーランスで仕事をしてきたので、営業もせねばと、消しゴム版を押した暑中見舞いと年賀状を出し続けて来たのですが、最近仕事関係はEメールでご挨拶することが多くなりました。それでもゴム版を彫り続けているのは、毎年送っている友達が楽しみにしてくれているから。それに、「デザインを考えて、紙に書いて、消しゴムに写して、無心に彫る」というこの過程が楽しいですね。器用ではないので、失敗も多いのですが、消しゴムは裏表2面あるし、それでもだめならカッターで失敗作を薄切りにして取ることもできます。というわけで、世紀末の大晦日の夜、わが家のテーブルには、蛇の絵と消しゴムの削りくずが散乱することになりそうです。


帽子の楽しみ 2001.2

 1月のバーゲンで黒の帽子を買い、その一週間後に紫の帽子を買った。両方ともつばが小さめなので、こんどはつば広の帽子がほしい。深みのあるワインレッドか珊瑚色の帽子もほしい。二つの帽子を買った後は、帽子に対する思いは深まるばかりで、銀座のデパートの前を通ると、必ず帽子売り場をのぞくようになってしまった。おしゃれの道具として、最初に帽子をかぶったのは中2の冬だった。父のところに原稿を取りに来ていた文化出版の若い編集者が、仕事が終わってからも時々遊びに来るようになり、クリスマスのプレゼントに帽子を買ってくれたのだ。彼は新宿のデパートに私を連れていき、いろいろな帽子をかぶらせて、似合う帽子を選んでくれた。買ってもらったのは黒のスエードのベレー帽で、髪からすべり落ちそうだと言うと、年配の女性店員が慣れた手つきで帽子の中側の左右に小さな櫛を付けてくれた。

 当時、大人っぽいおしゃれに憧れていた私は、若い男(当時の彼は25歳くらいの礼儀正しい青年で、母のお気に入りだった)に帽子を見立ててもらうという経験自体が心地よかった。女性店員のプロらしい対応にも感心した。大人っぽく扱われて、「背がお高いから、どんな帽子でもお似合いになりますよ」というお世辞を鵜呑みにした。買ってもらった帽子をかぶって、彼にパフェか何かをごちそうしてもらった私は、その日一日、とてもいい気分だった。私が帽子を好きになったのは、たぶんこの日の"特別な気分"のせいだと思う。

 2番目に手に入れたのはオリーブグリーンの変わり毛糸のベレー帽だ。これは、標準服の学生がほとんどだった高校に黒の私服で通っていた私のトレードマークだった。その頃はアヌーク・エーメに憧れていて、学校がない日は黒のフエルトのつば広帽をかぶって、新宿に遊びに行っていた。ずいぶん背伸びをしていたなあと思うけれど、当時の自分の誇らしげな気持ちは、今もほほえましく思い出すことができる。それからもいろいろな帽子をかぶったけれど、30歳で子供を産んでからは外に行く機会も少なくなり、新しい帽子を買うことはなくなった。

 それなのに、なぜ帽子熱が再燃したのか? それは牧人舎の忘年会のせいなのだ。忘年会を終えて2次会に行く途中、帽子をかぶっていたメンバーが何人かいて、「あ、忘れてたけど、帽子姿ってステキ。私もかぶりたいな」と思ったのがきっかけ。年が明けて、なんとなくデパートのバーゲンをのぞくうちに帽子売り場に吸い寄せられて、気づいてみれば帽子に対する物欲に取りつかれている、というわけ。この楽しみを思い出させてくれた皆さんに感謝すべきかどうか迷うところだけど、でもやっぱり帽子ってステキ、というのが実感だ。

記事体広告

 さて、この欄は近況報告も兼ねるということなので、少し私の仕事のことを書いてみましょう。コピーライターというと糸井重里氏をイメージし、大きなポスターに「あ、風が変わったみたい」というようなコピーをドーンと書く人を思い浮かべるかもしれませんね。でも私は、コピーライターと言ってもちょっと特殊な仕事をしています。私のいる会社は読売新聞専属の広告製作会社で、ふつうの新聞広告(純広と呼ばれる)ではなく記事体広告(記事広と呼ばれる)を主に作っています。これは、新聞に純広を出してもらうためのサービス広告のようなもので、新聞社広告局の営業から提案することが多く、その企画から作成までが私のいる会社の仕事です。

 具体例があると分かりやすいと思うので、読売新聞を購読している方は1月21日土曜日朝刊・ミサワホームのアパート経営用住宅の広告を見てください。これは最近私がやったものですが、全15段(新聞の本紙紙面の1段を基準にして、片面の全面広告を15段広告と呼ぶ)のうち上8段(アパート経営に詳しい3人の識者に、アパート経営のノウハウを聞いたもの)が私の会社で作った記事体広告、下7段がミサワーホームが独自に作った純広です。この場合、「アパート経営のノウハウを識者に聞いたQ&A集を上に付けて、読者の目を引く工夫をしますので、広告を出してくれませんか?」とお願いに行き、先方が気に入ってくれて広告出稿が決まりました。私の仕事は、どんなものを上に付けると広告主が気に入るかという企画から始まって、取材・原稿書き、校正、入稿までの文字部分の責任を負っています。

 翻訳の場合、訳すテーマごとにその分野の勉強をするので詳しくなりますが、記事広告の場合もそのテーマごとに下調べをするので、その仕事をやっている間は物知りになります。翻訳よりも仕事の変化のテンポが速いのですが、飽きっぽい私には、このテンポの速さが向いているような気がしています。


ご趣味は? 2001.3

 「ご趣味は?」と聞かれると一瞬躊躇する。いちばんの趣味は刺繍なのだが、これはよほど親しくなってからでないと教えない。とくに男にはね。というのも、刺繍をするというだけで「家庭的」という間違ったイメージを抱かれがちだからだ。もうひとつ、料理も趣味と言いたいのだが、これも同じ理由でやめている。こちらは、日常的に作るのではなく、趣味としてたまに凝った料理を作るのが好きということなのだけれど……。でも、今回は刺繍の話。だって、私がはまったもののなかで、いちばん歴史が古いのがコレなのだから。きっかけは小学校5年生の時、学校の図書館で見たフランス刺繍の本。その繊細な線の美しさに魅せられた私は、さっそく道具を揃え、独学で刺繍を始めた。決して器用ではない私の刺繍の出来は、本とは月とスッポン。でも、そこでめげないのが私のいいところ(笑)。「そのうちうまくなるわ」、思ったり、「へたなりにオリジナリティーがあっていいじゃない」と思ったり。そのうえ、エプロンに刺繍をして母の誕生日にあげたりすると、母がおおげさに喜ぶので(母にしたら、出来はどうでもいいのよね)、小学生時代の私は毎日なにかしらに刺繍をしていた。

その後は1年に何回か、思い出したように花などを刺して友達の誕生日プレゼントしてきた。そして、本格的に刺繍を再開したのは子供ができてから。幼稚園の袋物にくまさんを刺繍をしたりしているうちに、刺繍熱がむくむくと頭をもたげてきたのだ。いま楽しんでいるのはクロスステッチとニードルポイント。クロスステッチは×だけで構成される刺繍のなので、フランス刺繍ほど技術がいらない。ニードルポイントも手法は単純。しかし、両方とも複雑な絵柄を描き出すことができて、奥が深く飽きのこない刺繍だ。材料を買いに手芸店に行くのが、また楽しい。奇妙な道具、色とりどりのフェルト布や糸巻きに巻かれた糸。色別に小引出しに入れられた刺繍糸の束の魅惑的なこと。アイスクリームショップで何十種類ものアイスクリームを目の前にした子供のように、心を奪われ、よだれが出てしまう。最近はインターネットを通してアメリカの手芸材料店に直接注文もできるようになり、私の刺繍熱はますます高まっている。


春はガーデニング 2001.4

 桜に限らず、梅、桃、連翹、こぶしなど、枝に満開の花を見ると心がほんわかと柔らかくなります。命の営みの神秘を感じるのかもしれません。そして、近所の満開の花を見て心がほぐれてくると、自分でも土いじりがしたくなります。というわけで、私がいそいそとガーデニングを始めるのは、いつも桜が咲くころです。

 昔は、植物を育てるのは好きではありませんでした。「毎日世話をしなくてはいけないのは子供と猫だけでたくさん」と、ずーっと思っていました。ところが、5〜6年前の園芸ブームで、ガーデニング雑誌に原稿を書いたり本を出したりしているうちに興味がわいてきました。「本を読んでの知識ばかりでなく、実体験も大切」と思って、西日しか当たらないわが家のべランダでささやかな寄せ植えを作るうちに、すっかりガーデニングの楽しさにはまってしまいました。以来、毎年春になると新しい寄せ植えを作って楽しんでいます。

 球根を植えたり、種をまいて育てるというような手間のかかることはしません。ものぐさガーデナーの私は、花の咲いている安い株を買ってきて大きめの鉢に寄せ植えするだけ。あとは毎日眺めて、水をやって、花がらをとるくらい。それでも、新しい花が咲いたり、茎がぐんと伸びたりするだけでうれしいものです。

 昨年の1月から、嘱託として銀座の会社に週5日通うようになり、ベランダを眺める時間がぐっと減りました。そのかわり、月曜ごとに近くのデパート屋上の園芸売り場に行って、会社の机の上に置く小鉢の花を1つ買うことにしています。金曜ごとに持って帰って寄せ植えの仲間にしているので、この1年でわが家のべランダはなかなか賑やかになりました。そのうちにベランダにトレリスでも立てて、もうすこし見栄えのいい空間にしたいなと考えているところです。

背骨矯正

 はまっている、というのとはちょっと違うのですが、いま背骨矯正のために努力中です。ずっと気ままなフリー暮らしだったのですが、思うところあって通勤生活を始めてはや1年。ずっと目の疲れと肩こりに悩まされ、会社近くのマッサージに通っています。私の自覚症状は「肩が凝る」なのですが、マッサージ師いわく「あなたは腰が悪い」。子供のころから猫背で運動嫌いだったせいか、背骨のS字がちゃんとできていないというのです。「胸を張って1日1万歩、正しい姿勢で、早足で歩きましょう」と叱咤されましたが、そんなには歩けません。そこで思いきって「バランスチェア」を買いました。これは北欧のストッケ社のイスで、基本形は背もたれがなく、座面とひざ下のクッション部で体を支える揺りイス。座ると自然に背筋が伸びるので、内蔵が圧迫されず、なかなか座り心地のいいイスです。このイスがわが家に来てから1週間。このエッセイもバランスチェアに座って書いています。今度皆さんに会う時には、背筋がすっと伸びているといいのですけれど。


花遊山・落語の楽しみ 2001.5

花遊山

 今年もまたゴールデンウィークがやってきました。この季節になると、私はしみじみ東京は美しいと思います。「東京には緑がない」という人もいますが、大きな公園はあちこちにあるし、東京のど真ん中は緑豊かな皇居です。もっとも私は「人類みな平等」を主義としているので、皇居にはなるべく近寄らないようにしていますが。

 5月になると、花が見たくて心が騒ぎます。桜の花見にはちょっと冷ややか。桜は「日本人なら愛するのが当たり前」のように言われるので、逆にちょっと距離をおきたい。でも今年は、地下鉄の四谷駅から見える上智大学の土手を、朝の通勤途中にひとりで歩いて、桜吹雪の華やかさに目眩がしそうになりました。

 これからの楽しみは、なんといっても花菖蒲、6月は牡丹、7、8月は蓮と睡蓮。9月は彼岸花、そして10月は紅葉ですね。これは花ではないけれど、一面の木々が紅に染まる楓紅葉は、花よりも何倍も華やかです。

 こんなふうに花を求めて出かけるようになったのは、子供ができてから。毎日小さな子供と二人で家にいると息が詰まるので、子連れであちこち出かけるようになったのがきっかけです。それまではあまり観光名所には興味がなかったのですが、一面の花を目の前にした時の感動は忘れがたく、子供がついて来なくなってからも、毎年ひとりであちこちに花を見に出かけています。

 今年は4月の28日から30日まで、夫の故郷・静岡県の掛川に行ってきますが、ついでに近くにある大きな花菖蒲園を見てくる予定。どんな花景色が見られるか、楽しみにしています。

落語の楽しみ

 落語にはまったのは20年以上前のこと。ある夜、夫や友人と新宿で飲んで、酔っ払った勢いで「末広深夜寄席」なるものに入った。席料200円で、若手落語家5人くらいの話を聞いた。これが、めっぽうおもしろい。「へえ、こんな世界があったんだ」と、いっぺんで彼らの話芸のとりこになった。その後すぐに、真打ちの噺家の話を聞きにいった。そして愕然とした。あんなに笑わせてくれて、話がうまいと思った若手落語家たちが、ほんとうはすごくへただったことがはっきりとわかったからだ。歴然とした芸の差。この奥深さに魅せられて、しばらくは寄席やホール落語に通い、ひいきの落語家も見つけた。そのうちの一人、柳家小三治さんには仕事にかこつけてインタビューもしてしまった。

 私といっしょに落語のとりこになった夫は、友人たちと素人落語会を開催。自分たちで落語を語り始めた。彼が落語会で語る落語(あまり長くない、覚えやすい 素人がやっても聞き映えがする、という条件のそろったもの)を捜すために、私たちは当時出ていた落語の文庫本を買いまくり読みまくって、候補作を捜した。読んだ文庫本は40冊くらいになるだろうか、底本もあれば、語りをそのまま文字にしたものもあったが、そこには私が今まで知らなかったすばらしい文化があった。本で一通り話の知識を身につけてしまうと、今度は「あの話を、あの噺家はどう演じるだろう」という楽しみが出てきた。以来、私はずっと落語を愛し続けている。

 落語体験はもうひとつ、私に余録をもたらした。落語を聞いたり落語本を読みあさったことで、物事を見る視点を変えて自分を笑うユーモアを知り、人の心をつかむ語りのリズムを少しでもつかめたような気がする。これは、私の文章の肥やしになっていると実感している。だから若い人が「ライターになりたいんですけど、どうしたらいいんでしょう?」と相談に来ると、「落語を聞きなさい」と勧めることにしている。みなさん、落語を聞いてみてください。ほんとにすてきな世界ですよ。

おまけ:夫が素人落語会でやった落語は「あくび指南」「金明竹」「元犬」「馬屋火事」など。「どうせ苦労して覚えるなら好きな話をやりたい」と考えるとどうしても大きな話になりがちでした。


梅干し 2001.6

 梅干しを漬け始めて今年で4年目。スーパーでちらほら青梅を見かけるようになったので、そろそろ準備をしなくてはと心が騒ぐ。

 梅干しを漬け始めたきっかけは「塩」だった。塩の専売制が廃止になるのを機に、自分のところで作った塩を売り込む本を作りたいという人がいて、ゴーストライターをやった。本づくりのためにその人に取材をするうちに、「電気分解で作る精製塩は体に悪い」とか、「最近売られている梅干しは、昔とはちがう製法で作られている」という話を聞いて、梅干し不信になった。それまでも、塩分控え目の梅干しは邪道だと思い、6粒で千円近くする高級梅干しも、なんか違うと思いながら、スーパーでふつうの梅干しを買っていた。しかし、塩本の著者の話を聞いた後では、スーパーの梅干しを買う気にはなれない。だからといって、貧乏ライターの身で1粒100円にもなるような高い梅干しも買えない。しかし私は梅干しを必要としていた。なぜなら、ご飯が悪くならないおまじないのような気持ちで、息子のお弁当にかならず梅干しを1粒入れていたからだ。そのとき初めて、私は「そうだ、自分で漬けよう」と思ったのだ。

 思えば子供の頃、私は毎年祖母の梅干し作りを手伝っていた。塩漬けの梅干しに紫蘇の葉を入れたとたんに液全体がきれいな紫に染まる。その瞬間の、魔法のような美しさ。自分で漬ければ安上がりだし、あの美しさをまた味わえる。一石二鳥とばかりに私はいそいそと準備を始めた。ホーローの漬け樽に青梅3キロ、塩と重しを買いそろえ、漬け方の説明書を読みながら塩分20%の梅干しを漬け込んだ。土用の丑の日を目安に3日3晩陰干しにし、漬け液に戻せばできあがりだ。1年寝かせるとまろやかでおいしくなると聞いたが、我が家ではその年から少しづつ食べ始めた。これは市販の梅干しに比べて塩気が強く、皆があまり食べないうちに1年が立って、少しまろやかになった。

 2年目は塩分を10%にして、カビよけに焼酎を入れて漬けた。味はまろやかになったが、かすかな焼酎臭が気になった。これも食べながら1年たつうちにおいしくなった。3年目の昨年はちょっと奮発して、南高梅という高い梅を買った。知り合いのおばあさんに「おいしい梅干しを作るこつは、熟した梅を漬けること」と聞いたので、スーパーでなるべく熟して安売りになっている南高梅をさがし、塩分10%、焼酎なしで漬けた。これはとてもおいしくできて、家族の評判もよかったので、今年も同じやりかたで南高梅を漬けようと思っている。

 しかしその前に、スーパーで青梅を見て心が騒ぎ、今年は初めて梅ジュースというのを作ってみた。氷砂糖が半分あまったので、これで梅酒を作り、その後に梅干しを仕込もうと思っている。


美術展通い 2001.7

 絵を描くのが好きな子供だった。母が趣味で油絵を描いていたせいか、家に美術全集があり、それを眺めるのも好きだった。ルオーとゴッホ、ピカソがお気に入りの絵描きだった。 自分でも油絵を描きたいと思い、中学と高校時代の前半は美術部で過ごした。高校では芸術家を気取った仲間たちとのちょっと退廃的な雰囲気も好きで、美術展を見に行っては、高校近くの渋谷の喫茶店で芸術論を戦わせたり、ちょっとおしゃれをして銀座の画廊を巡ったりした。 しかし、残念なことに絵を描くことには、はまらなかった。才能がないのはわかっていたが、ただ好きなだけで続けていることはたくさんあるのに、どうして絵だけは続けなかったのだろう?

 たぶん、絵描きを一番尊敬しているからだ。背中がぞくぞくするような感動を味わい、その圧倒的な力を目の前にして、自分にはとうてい届かない世界と、どこかで見切ったのだと思う。 そして残ったのが鑑賞する楽しみだ。高校、大学時代も貧乏なフリーライター時代も、けっこう高い美術展のチケットを、いろいろな手を使って手にいれては、美術展に通っていた。旅行に行けば必ず地方の美術館や博物館に寄るので、息子が小さい時は嫌がっていたっけ。

 好きなのは油絵。ピカソ、ミロ、デローネ、マティスあたりの抽象的なやつが一番好きだが、昔はおもしろいと思わなかった日本画もけっこういいなと思うようになったし、最近は櫛、ブローチ、ガラス器などの美術工芸品に惹かれる。50歳になったらお祝いにパリに行くと心に決めたので、その時たくさんの美術館に寄るのを今から楽しみにしている。


パソコン通信・ふたたびヨガ 2001.8

パソコン通信

 ニフティサーブでパソコン通信を始めて10年以上になる。たまたま遊び行った夫の友人宅で、その友人が「最近おもしろいものをみつけたんですよ」とマックのコンピュータを使ったパソコン通信の様子を見せてくれた。そのときデスクトップで見た「ゴミ箱」のアイコンが気に入ってマックを手に入れ、友人にニフティにつながるようにしてもらった。

 さっそく、ニフティのなかのおもしろそうなフォーラムをのぞいては書き込みをし、返事をもらってはまた返事を書くとということを繰り返すうちに、私はすっかりパソコン通信にはまっていった。幸運な出会いだったと思う。当時女性の書き込みは少なく、どのフォーラムに行っても、オフに行っても歓迎された。フリーライターの暮らしの中ではめったに接点のない技術者や大手企業のビジネスマンなどと話ができるのが刺激的だった。何よりも驚き、魅力を感じたのは、どのフォーラムにもとても文章のうまい人がいることだった。それまで文章を書くことを生業にしてきて、編集者や一般の人の文章を読む機会が何度もあったが、自分が感心する文章の書き手に出会うことはめったになかった。それなのに、パソコン通信の世界には味のある文章を書く人が何人もいた。それも、エンジニアだったり銀行員だったりと、文を書くことに縁遠そうな人たちが、それぞれの生活に根ざした魅力的な文章を書いていた。そしてそういう人たちは、オフで会っても魅力的な人物であることが多かった。こうして私は、たくさんの知り合いと信頼できる仲間を得た。インターネットの隆盛でフォーラムの書き込みは減っているが、それでも、そこに行けばいつでも仲間に会える。こんなふうに長年濃いつき合いを続けたパソコン通信は、いまでは私の生活の一部になっている。

再びヨガ

 8月からまた、ヨガを始めることにした。

 私がヨガを始めたのは息子が1歳半のときだ。エネルギーいっぱいの子供の相手に疲れ果て、仕事が再開できないことにいらついていた私は、自分がやりたいことを全部やるだけの体力が欲しくてヨガを始めた。たまたま当時住んでいた飯田橋駅前にヨガ教室があった。スポーツ嫌いで自分の体に筋肉をつける努力をしたことがなかった私は、スポーツジムに行く気にはならなかったが、「ヨガならできそう」と思ったのだ。結果は、体力はつかなかったが自分のいらつく心をコントロールできるようになった。一通り体を動かした後の呼吸法が気持ちよかった。今思うと、毎週1回子供から離れてひとりになる時間をもっただけでも良かったのかもしれない。

 やせもせず、体力もつかなかったが、ヨガに行った後は気分が落ち着くのでずっと続けていた。バブルがはじけて仕事が激減し、経済的な事情でヨガをやめた。やりかたはわかっているのだから、ひとりで家でやればいいと思っていた。しかし、ひとりでやると何かが違うのだ。それが声のパワーだと思い当たったのは、ヨガをやめてだいぶたってからだ。同じ姿勢で体を伸ばすにしても、ヨガ教師の「体が伸びる、伸びる」というささやくような声が聞こえるのと聞こえないのでは、体の伸び方が違うのだ。

 またいつか、ヨガを再開しようとずっと思っていた。5月に、ガンで闘病生活をしていた父が死んだ。父のところに通っていた時間がぽっかりと空いた。そうだ、ヨガをやろう。そんな声が自分のなかで高まって来た。ヨガを再開したら、自分の体の何かが変わるだろうか。ちょっと楽しみだ。


鎌倉・のびのびヨガ 2001.9

鎌倉

 最初にひとりで鎌倉に行ったのは、高校生のころだ。鎌倉近代美術館で見たいものがあって、思いきって遠出をしたのだと思う。電車賃と美術館の入場料を考えると、高校生の私には一大決心だったはずだ。そのとき美術館の窓から見た蓮池の風景が、私の蓮や睡蓮好きの原点かもしれない。美術館にはモネの「睡蓮」の絵も飾られていて、その部屋も私のお気に入りの場所になった。

 その後は、1年に1、2度、折りに触れて鎌倉を歩いている。歩いているといっても、そうあちこち行くわけでもなく、最初か最後に美術館のある鶴岡八幡宮に寄るので、毎回の行動範囲は小さいし、知っている寺を再訪することが多いので、行ったことのない寺がまだたくさんある。いちいちお参りはしないが、禅寺の持つ静かでおちついた雰囲気と、やはり静けさが漂う庭が好きだ。四季折々の花を見るのも楽しい。そして、行く先々で出会う元気な中年女性たちの話を聞くとはなしに聞くのも、それなりにおもしろい。やかましいと嫌われることも多い中年女性の群れだが、たまの外出にうきうきする気持ちが伝わってきて、ほほえましい。これも、鎌倉という土地の雰囲気がそう思わせてくれるのかもしれないが。

 というわけで、会社の夏休み中に鎌倉に行って来た。いつもは北鎌倉を中心に歩くのだが、今回は「竹の庭」が見たくて、まず報国寺へ。小さな禅寺で、裏手の竹の庭も小じんまりとしているが、孟宗竹が林立している様子は圧巻。猛々しくも静けさが漂う、という独特の空間で、見ごたえがあった。なかに抹茶を飲める庵があり、そこで一服。ゆっくりとお茶を飲んでいると、せせらぎの音も聞こえ、下草のヤブミョウガのつややかな葉にも気づいて、時間の流れの違いが感じられた。次に近くの「浄明寺」へ。ここはお寺よりも境内にあるレストラン「石窯ガーデンテラス」からの眺めがよかった。高台にあるので、店まで上るのがちょっとたいへんだったけれど、ウッドデッキのテラス席からは山並みが望め、晩夏の涼しい風が吹いて心地よい。もう、ずっとここにいてもいいなと思わせる気持ちよさだった。ここで食事をしてゆっくりした後は、鶴岡八幡宮の源平池へ。今年はまだ蓮の花を見ていなかったので楽しみにしていたのだが、花はもう終わり。それでも、大輪の白い花がちらほらするのを見て満足。その後は若宮大路をそぞろ歩き、江ノ電に乗って海を眺め、藤沢に出て帰って来た。「やっぱり鎌倉はいい、また行こう」と思ったけれど、休日の人出を考えるとちょっと足が遠のく。といって、会社勤めの身ではなかなか平日は休めないし、つらいとこだ。これからの鎌倉はステキなので、みなさんもぜひ、どうぞ。

のびのび、ヨガ

 先月ここに書いた通り、5年ぶりにヨガを再開しました。週1回、1回2時間近く。体を伸ばし呼吸を整え、しばし瞑想。ゆったりとした静かな時間が流れます。

 10年以上前にヨガを始めた時、「ヨガは3日目、3か月目、3年目に体が変化する」と言われました。その時は、3日目に体が伸びたのを感じ、3か月目にはやたらに眠くなりました。3年目には体がぐっと柔らかくなると言われたのですが、もともと運動が嫌いで力を抜くのが苦手、「力を抜いて楽に」と言われると緊張してよけいに力が入るタイプの私は、3年目にはいっても体の固さはそれほど変わらず、それでも多少は違うかな、という程度の進歩で満足していました。

 さて今回は、ヨガを初めて3回目でやたらに眠いのです。ちょうど会社の夏休みと重なって家にいたので、よく寝ました。体の固さはそれほど変わりませんが、体の芯が伸びた感じで、心地よく疲れ、横になるとすぐに寝てしまいます。

 ヨガは呼吸法が大切といわれ、吸ったり吐いたりをなるべくゆっくりできるように練習するのですが、この練習がまた気持ちがよく、呼吸法と瞑想を終えた後は、頭の中が澄んだ感じになります。これで体重が落ちると大満足なのですが、私は運動がへたなせいか、前にやっていた時もダイエット効果はほとんどなかったので、今回もこれは期待薄です。でも、ほんとに気持ちがいいのですよ。

お知らせ:牧人舎のHPを更新してくれている垣本さんにお願いして、私のHPをニフティ上に移行、リニューアルしてもらいました。新アドレスはhttp://homepage2.nifty.com/RieEzaki/です。今後は月1回のペースで更新の予定ですので、ときどきのぞきにきてくださるとうれしいです。


石神井公園・デパートめぐり 2001.10

石神井公園

 家から自転車で10分くらいのところに、石神井公園がある。すぐ横に市民プール、ちょっと手前に区立図書館があるので、子供が小さい頃は、よく二人で遊びに行った。池の周りを散歩しながら鯉や亀を眺めたり、どんぐりを拾ったり、帰りに図書館で絵本を読んだりと、息子にとっても楽しかった場所のはずだが、ちょっと大きくなると、彼は公園には見向きもしなくなった。

 私はというと、子供がついてこなくなっても、週に一、二度は散歩に行っていた。図書館の帰りや買い物の途中にぶらっと寄ったり、天気のいい日や睡蓮が咲いた頃は、わざわざ出掛けて行った。三宝寺池の周りの散策コースをぶらぶら歩き、途中のお気に入りのベンチでちょっと休憩。また続きを歩いて800mほどの池を一周。途中には、風景画を描いているおじさん、おばさんや、カメラで水辺の鳥や花を映しているおじさんたち、ざりがにを捕っている親子などがいて、それを眺めるのもなかなか楽しい。

 通りを渡って、メタセコイアの大木を眺めながら、細長い石神井池の周りを歩く。一周2kmくらいだろうか、水面の揺れを眺めながらゆっくりと歩いているうちに、頭のなかのもやもやはどこかにいって、すっきりとした気分になる。

「私が死んでもこの風景は変わらず、明日も水面を鴨がすべるように泳ぐんだろうな」と思うと、自分の悩みが小さく思える。これが自然の効用なのかもしれない。

 勤めに出るようになって、石神井公園にはあまり行かなくなっていたが、今日(9月29日)は久しぶりに歩いてきた。変わらぬ風景、変わらぬ鳥のさえずりのなかで、彼岸花をみつけ、オモダカの黄色い花を楽しみ、日向でまどろむ猫を眺め、夫婦連れや家族連れを眺めてきた。折に触れて訪れるこの公園は、いわゆる日本庭園のような美しさはないけれど、私の心を慰めてくれる大切な場所だ。

デパートめぐり

 女性ならだれでも、デパートめぐりが好きなはず。そう思っていたが、私の友人の一人は、「疲れるし、頭が痛くなるからいや」と言う。それでは、私のデパート好きは、祖母や母の影響だろうか。祖母は月に一回、小学五、六年生だった私を連れて新宿のデパートへ行くのを楽しみにしていた。服や食器など、時々に必要な物をさっと買い、その後に地下の食品売り場を回りながらお菓子を選ぶのが祖母の楽しみだった。自分用の生和菓子を選び、孫三人を喜ばせるために日持ちのするお菓子を買い込む。「買う」という行為のわくわくする楽しさを、私はここで祖母と一緒に味わったような気がする。買い物の後は二人でレストランでお昼を食べる。私はエビフライかエビグラタンを頼むのが常で、今でもこれを食べると祖母の笑顔を思い出す。

 母とデパートへ行くのは、楽しみであると同時に苦痛だった。一緒に行くのは服を買ってくれる時で、うれしいのだけれど、買いたい服の好みが合わない。たいていは、けんかをしてふくれっ面をして帰ってきたような気がする。それでも「服を買いに行く」というウキウキした感覚は忘れない。一緒に行くと、高い食器や着物を見るのにつきあわされた。美しい物を見るのが好きで、「いい物を見ると目が育つ」と言いながら、買えもしない高い食器を眺めていた母。当時は「買わないのに見たってしょうがないじゃない」と思っていたが、三人の子供を抱え姑と暮していた母にすれば、あれが数少ない気晴らしだったのだろう。「デパートに行ってくる」と言って、ちょっとおしゃれをして出かける母のウキウキした姿も、「デパートってすてきなとこなんだ」という意識を私に植えつけたようだ。

 というわけで私も、買う気もないのにデパートを見て回るのが好きだ。今通っている会社は銀座にあるので、週に一度は銀座のデパートをめぐっている。「コピーライターという仕事がら、流行に敏感でなくては」というのは半分は本音だが、半分は口実。婦人服、紳士売り場をざっと見てまわり、インテリア、アクセサリー、小物などの流行をチェック。地下で売れているお菓子などを眺めているうちに、新企画やいいキャッチフレーズが浮かぶこともあるけれど、何も浮かばなくても、私はこの30分ほどの時間をとても楽しんでいる。

*最近やった大きな仕事は、読売新聞東京版10月12日か13日に入る予定の4Pの別刷りです。フュージョンという新しい電話会社(全国一律3分20円と宣伝しているところ)の記事広告3Pを書きました。購読している方は、見てみてください。


ピザイーター 2001.11

 狂牛病騒ぎのさなか、ビーフを食べてデモンストレーションしたイギリスの政治家がビーフイーターと呼ばれているそうだ。イーターの語感から、ターミネーターとかゴーストバスターを連想して勇ましさ(蛮勇かもしれないが)を感じるのは、私だけだろうか?というわけで、なんとなく「ピザイーター」というタイトルがつけたくて、ピザの話を書くことにした。

 私がピザを最初に食べたのはいつだろうか。子供時代(昭和30年代)に家でピザを食べた記憶はないので、高校生になってから外で食べたのが最初かもしれない。チーズたっぷりのピザは最初に食べたときから、私の好物になった。

 大学に入り、1年後に夫と一緒に暮らすようになって、昼食によくピザを作った。作ったといっても、ピザ用の台を買ってきてピザソースを伸ばし、ピザ用チーズを並べてそのうえにタマネギ、ピーマン、ベーコンの薄切りを乗せるという、きわめて簡単なものだ。それにサラミがプラスされれば豪華版だった。

 それから10年くらいして、子供ができて仕事ができなかった時期にピザ作りに凝ったことがある。パンと同じ要領で強力粉をイーストでふくらませて生地を作り、それを薄くのばしてチーズその他を乗せてオーブンで焼くのだ。生地はなるべく薄くのばして、クリスピータイプにする。2次発酵まで終わった生地というのは艶と伸びがあって、触っているだけでとても気持ちがいいので、それを手で丸く伸ばす作業はとても楽しい。そして、このピザの焼きたては最高においしい。薄く伸ばした台だけを5、6分焼いて冷凍にしておけば、毎回生地から作らなくてパリッとした台のピザが食べられる。

 この時期には、上に乗せるチーズもいろいろ研究した。私は少しくせがあって味の濃いのが好きなので、市販のピザ用チーズを広げた上に、チェダーチーズの薄切りとゴーダチーズの薄切りをちぎって散らすと一番好みの味になる。 それから、チーズの上に具を乗せるか、先に具を乗せてその上にチーズを乗せるかという大問題もある。私はチーズの上に具を乗せるのが好きだが、息子は下に具があるほうが味がいいという(みなさんの家はどっち派でしょう)。

 「午前中にピザ生地をこねて発酵させながら夕食のおかずの仕込みをし、昼に熱々のピザを家族3人で食べながら、私と夫はビールを飲む」というのは、なかなか充実した土曜日の風景だ。たいていは食後にテレビでサッカーの試合などを見て、あとはごくふつうの一日が過ぎていくけれど、それはそれで心地よい。

芝居を見る

 映画より芝居が好きだ。お金と時間をかけ、計算しつくされた映像が展開する映画が監督のものだとすれば、芝居は目の前の演じる俳優のもの。演出家が意を尽くして演出しても、始まってしまえばすべてを生身の演者の任せるしかない。そんな臨場感、目の前で動く人間が虚構を作り出すという空間の手品のに魅力を感じるのかもしれない。「舞台の上で俳優が一声あげるだけで、あたりが異質な空間に変貌する」ということを、よりドラマチックに感じるためには、日常世活の延長のような芝居より不条理劇やナンセンス劇のほうがずっといい。学芸会のような演技の稚拙さを感じないためにも、現実離れした芝居のほうが楽しめる。

 というわけで、私は日本の芝居よりも洋モノが好きだし、たとえばテネシー・ウィリアムズよりもベケットのような芝居が好きだ。学生時代はよく安い芝居を見に行ったし、仕事を始めてからも年に何本かは必ず見に行っていた。しかしここ5、6年はほとんど皆無。知らない劇団ばかりで、どれが自分の好きな芝居かぴんと来るカンも鈍って来た。ちょっとおもしろそうと思う芝居のチケットは4〜5千円、海外の劇団のチケットなどは1万円近いこともあり、値段を前に躊躇することも多かった。しかし、最近ちょっと考え方が変わった。「あと何年元気で生きるかわからないのだから、今やりたいことはさっさとやろう」という刹那的な考えで、これからはどんどん芝居を見に行こうと思っている。

おまけの近況報告*最近の広告の仕事は「保険」と「投資」が多い。戦争が身近になると、安心とお金に関心が行くのだろうか。美とか文化にこそ関心がいって欲しいのだが。


オートマタ(機械人形)・オリーブとピクルス 2001.12

ここ1か月ほどは「ヴィドック」というフランス映画の脚本を読んでノベライズする仕事をしていた。そのなかでちょっと重要なモチーフとして使われているのがオートマタと呼ばれる機械人形だ。英語ではautomaton(複数形がautomataまたはautomatons)、フランス語だとautomate。オートマタをウェブで検索すると、どうやらこれはコンピュータ用語でもあるらしく、難しいタイトルがいろいろ出てきて閉口したが、その中に「野坂オートマタ美術館」というのを発見。さっそくホームページを見に行った。

 そこで読んだにわか知識によると、オートマタはスイスやフランスの時計職人たちが盛んに作ったゼンマイ仕掛けで動く人形で、その精巧な作りと繊細な人形の動きで、当時の王侯貴族に愛されたという。1796年にオルゴールが発明されてからは、オルゴールを駆動するゼンマイを利用して人形を動かし、音楽に合わせて動くさまざまな人形が作られている。

 仕組みの部分では機械工学と木工の技術が必要であり、人形作りの部分では、彫刻、絵画、服飾などのセンスが、オルゴールを組み合わせることを考えれば音楽的な知識も必要なオートマタは、「総合芸術品」として当時の人々の心をとらえたようだ。オートマタの最盛期は19世紀後半から20世紀初頭だそうで、その頃のオートマタが動くビデオを見たが、まさに「アートと技術の融合」という感じで、すっかり気に入ってしまった。

 考えて見れは私は人形作家の作品を見るのが好きで、高校時代から四谷シモン、ジュサブロー、与勇輝などの人形展にはたいてい行っているし、雛人形やアートぽい招き猫の展示会、ジュモーなどの西洋人形からテディベアの展覧会まで見に行っているので、オートマタが気に入るのも当然といえば当然なのかもしれない。

 オートマタは、「また一つ、楽しいものを見つけた」という発見なので、これからもう少し調べて楽しみたいと思っている。野坂オートマタ美術館のサイト。興味のある方は行ってみてください。

オリーブとピクルス

 ここ半年ばかり、冷蔵庫に必ず入っているビールのつまみが2つある。オリーブとピクルス。

 オリーブは、「ギリシア風塩漬け黒オリーブ」というのを友人にもらったのがきっかけだ。これは、それまで私が知っていたオリーブとは別物で、円筒形の細長い瓶に液体と一緒に入ったものではなく、ちょっとしわの入った大きな粒が水なしでガラスの瓶に入っている。適度な塩気と歯ごたえがあって美味。ビールと一緒に5〜6粒食べると、けっこう満足感がある。

 同じものが欲しいと思い、ふだんはあまり行かない外国の食材の多い店に行ってみて驚いた。オリーブと言ってもいろいろ種類があるのですね。おなじみの円筒形のグリーンと黒、種抜き赤ピメント入り(これって手作業で入れるのだろうか)、種抜きアンチョビ入り、ジャイアントグリーンオリーブはキューイフルーツを小さくしたような楕円形でまるまる太っておいしそう。目当てのギリシャ風もあったが、種類と共に驚いたのが値段。さすが輸入もの、あまり売れないぜいたく品ということなのだろうか、たいていのものが一瓶が500円から1000円近くする。一瓶が500円という価格は、私の生活水準では逡巡する値段だ。で、この時買ったのは300円のごく普通の種抜きグリーンオリーブ。これはこれで、なかなかおいしい。その後安売りの店で同じものを250円でみつけ、ギリシャ風塩漬けオリーブの大瓶(もらったやつの3倍は入っている)を約500円でみつけて、もっぱらこの2種類を食べている。

 ピクルスは、たまたまホテルで頼んだサンドイッチのつけあわせを食べたのがきっかけだ。昔食べた時はおいしいと思わなかったのだが、たまたま体が酸味に飢えていたのだろうか、その時はとてもおいしく感じられて、その後すぐに店に捜しに行った。大きなスーパーで手に入りやすいのはスイートガーキンとディルピクルス。どちらも漬けてあるキュウリの種類名かと思ったが、調べてみるとディルピクルスのほうはディルの葉で風味付けしてあるということらしい。

 私は酸味の強い方が好みなので、ディルピクルスを愛用。たまにハンガリー風(何がハンガリー風なのかわからないが)という浅漬けの大瓶を買ってくる。こちらも銀座の明治屋などに行くと、小指の先ほどの小さくておいしそうなピクルスの瓶詰めがおしゃれな瓶に入って売っているのだが、やはり1000円近くするので買う決心がつかずにいる。クリスマスには、料理の一品として奮発しようかなとも思っているのだが……