【はまって、はまって】バックナンバー 2004年  江崎リエ(えざき りえ) 2003年2002年2001年はこちら





はまって、はまって

江崎リエ(2004.1)

煎餅好き

 正月3日、年賀便で煎餅とかき餅の詰め合わせをいただいた。このコーナーに自分の好きなものを書き連ねてきたが、「そろそろネタ切れ」と思っていたら、煎餅である。そうだ、私は煎餅が好きだ、と膝を打った。

 ヨーロッパに10年住むことなっても、米の飯や漬け物、味噌汁などを恋しいとは思わないだろう。私は子供の頃から米の飯よりパンが好きだった。焼きたてのフランスパン、重厚なドイツパンが毎日味わえるなら、そのほうがうれしい。ただ一つ、食べたいと思う日本のものは、醤油がたっぷりと染みこんだ味の濃い煎餅、歯ごたえのいい塩味のおかきの類だろうという予感がある。

 ここで煎餅とおかきの違いを調べてみた。煎餅とは「小麦粉や米の粉などを練り、薄く伸ばして鉄板などで焼いた菓子」、かき餅とは「餅を薄く切って干したもの」(岩波国語辞典第3版)ということだ。つまり原料は米なわけで、非常に日本的な嗜好品である。

 そういえば子供の頃、祖母が餅を薄く切って火鉢であぶり焼き、醤油を塗って食べさせてくれたのを思い出した。私の煎餅好きの原点はそこかもしれない。こんなふうに、人の嗜好の裏には甘美な体験があるのだろうか。私は自分の子供の嗜好に結びつくどんな体験をさせただろうか、と考えながら私より背丈の大きくなった息子と二人で頂き物の煎餅を食べた。

近況:あけましておめでとうございます。年を取ると、平穏に新しい年を迎えるありがたを感じます。ここに毎月原稿を書き、皆さんの原稿を読むのも大きな楽しみです。今年もどうぞよろしく。

(2003年1月3日)

(えざき りえ)




はまって、はまって

江崎リエ(2004.2)

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ポピーのうねり

この原稿を書いているパソコンの横の花瓶にはポピーの花が活けてある。毎回つぼみだけ20本ほどの束を買ってきて、そのまま花瓶に移しておく。うねうねとくねる茎と丸いつぼみのラインはアブストラクトの彫刻のようで見飽きない。

そのうち、ぽつぽつとつぼみの外側の皮が落ち、くしゃくしゃに畳まれた薄い花びらが現れる。その花びらがしゃんと伸びていく様子を見るのも楽しいし、つぼみが割れて初めて、赤、黄、白の花色がわかるのも新鮮でいいものだ。

何の花が好きかと聞かれれば、1番はポピー、2番目は日本水仙、3番目は白梅と答える。これらの花が好きなのは、みな母の影響だ。とくにポピーは、母のお気に入りの画題だった。母は私が小学校高学年の頃、突然油絵を習いだした。毎日テーブルに花や果物を並べては、鉛筆デッサンを繰り返していた。絵筆を持つのは週に一度、油絵を習いに行っていた画家のアトリエでだけだったので、鉛筆デッサンは課題として出された基礎練習だったのだろう。

母は毎回最初に茎のくねくねした線をさっと描き、つぼみと花びらの質感の違いを鉛筆でていねいに描き込んでいた。私は横でその鉛筆の動きを見るのが好きだった。

母が特別ポピーが好きだったのかどうか、きちんと聞いたことはない。ポピーは当時一束200円くらいで、薔薇などに比べて手頃な値段だし、次々に花が開いて全体の形が変わるので画題として変わり映えがするし、茎やつぼみの毛の生えた部分の質感と紙のように薄い花びらの質感を描きき分けるのがおもしろいという理由で描いていたのかもしれない。

でも私はポピーを一心に描く母を見て、この花が好きになった。私と弟たち二人を育てていた母にとって、このデッサンの時間は全てを忘れられる時間だっただろうし、反抗的な娘だった私もそんな母を見て穏やかな気持ちになったのだろう。そして今、母と同じようにポピーを活けると心がしんと静まるような気がするのは、母の静かな心の波動が甦るからかもしれない。

(えざき りえ)




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江崎リエ(2004.3)

海の記憶、山の記憶

 人は海好きと山好きに二分される。この分岐点はどこでできるのだろうか。子供の頃の刷り込み、目の前に広がる風景を見たときの感動、水や風の触感。どれをとっても、私は山より海が好きだ。

 子供の頃の楽しい思い出は、家族で行った潮干狩りや海水浴。家族の笑顔、泳ぎ疲れて冷えた体で食べる海辺のラーメン、焼きそば、香ばしい匂いの焼きトウモロコシ。江ノ島で食べたサザエの壺焼き。いっぽう、山の思い出は林間学校。学校で無理矢理山に登らされ、汗をかき、疲れ、視界の開けない空間をただ歩く苦痛。かろうじてキャンプファイヤーの火の美しさと夜の花の香りがいい思い出だが、だからといって自分から山に登ろうとは思わない。家族でキャンプでもしていたら、山への印象もずいぶん違っていたかもしれないが。

 目の前に広がる風景も、山より海の方がずっと安心できる。たぶん私は山がこわいのだと思う。山に登って目の前に開ける緑の重なりとさわやかな風は心地いいが、ちゃんと帰れるだろうかという漠とした不安に捕らわれる。そこへ行くと海は気楽だ。ただただ、目の前に広がる海原を眺めていればいい。海に昇る朝日を眺め、風を感じ、夕日を眺め、月を眺め、海を眺める。時間がゆっくり流れる。最近は水着を着ることはめったにないが、しっかりと服を着て足下を固めて昇る山よりも、裸に近い格好で水に浸かる海の方が心も体も解放される。

 週末に沖縄の海を見てきた。私がこれまで見たなかでいちばん美しい海だった。全てを忘れただただ目の前に広がる海を眺める時間がとてもゆたかに感じられた。エネルギッシュな東京が好きで、海を見るよりも繁華街の人を眺めるほうが好きな私だが、これからはときどき海を見に行こう。そう思わせるほんとうに美しい海だった。

(えざき りえ)



はまって、はまって

江崎リエ(2004.4)



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英語とのつきあい

 英語とのつきあいはかれこれ40年近い。しかし、英語がコミュニケーションの道具だとはっきり理解したのは30歳の時。インドに仕事も兼ねた旅行に行った時だった。それまではずっと、「話せること、理解できること」が目的だったような気がする。「英語を道具として使えば、こんなふうに世界が開ける」という体験をもっと早くしていれば、私はもっと熱心に英語を勉強したと思うのだが。今の大学生は海外旅行や留学の機会が多く、こういう点ではほんとうに恵まれていると思う。

 英語を話せる事へのあこがれは小学校の頃からあった。6年生のときに友人の誘いで近所の子供英語教室に通ったが、覚えているのは授業の後にお菓子をもらってのおしゃべりと、先生にオートバイの後ろに乗せてもらって風を切る心地よさだけ。それでも、英語と楽しい思い出が最初に結びついたのは幸せだったと思う。次は中学の英語の授業。当時ではめずらしく発音を重視、教壇の上の机に腰掛けてギターで「スカボロフェア」を弾いてくれるような先生だった。今考えると、いっしょうけんめい英語の楽しさを伝えようとしていたのだと思うが、そこでも私は英語好きにはならなかった。高校、大学の授業で英文を読むようになり、私がおもしろいと思ったのは考え方の筋道の違い、物事の捉え方の違いだ。比較文化の楽しみはあっても、道具として使うという体験はなかった。

 インドから帰り、道具として使いたいと考えて語学学校に通うようになった。その後英語圏の友人ができ、たくさんの原書を読み、翻訳の仕事をするようになってやっと、「英語を道具にして新しい世界に入る」という体験が実感できるようになった。

 いまはフランス語の語学学校に通っているが、フランス語のほうは「道具として使う」という体験をする機会がほとんどない。英語でこの楽しみを覚えたのだから、今年はフランス語でもそういう機会を増やしたいと考えているのだが。

*パソコン通信ニフティーサーブの外国語フォーラムのつながりで、日本フランス語教育学会が編纂した「フランス語で広がる世界-123人の仲間」(駿河台出版社 1429円)という本に3分の1ページほどの原稿を書きました。「大学の1年生に読んでもらって第2外国語にフランス語を勉強しようと思ってほしい」という意図の本だそうで、フランス語を学んでよかったという人たちの思いが綴られています。本屋の語学コーナーででみつけたら、ぱらぱら見てください。

(えざき りえ)





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江崎リエ(2004.5.2更新)

花の盛り

 我が家の小さいベランダは、いま花の真っ盛り。3種のクレマチス、ベルフラワー、シクラメン、白いウツギが一斉に開き、アイビーは元気に枝を伸ばしています。庭を持っている人なら、まさに植物の命の爆発という感じではないでしょうか。2月に夫を失った分、小さなベランダにあふれる命にとまどいを覚えます。

 しかし考えてみれば、この1、2週間の花盛りを味わうために、雑草のような緑の鉢や、葉が枯れて茶色の茎だけになった貧相なクレマチスの鉢を何ヶ月も何ヶ月も見続け、水をやり続けたのです。もっと手のかかる庭持ちのガーデーナーなら、このくらいの楽しみがないと合わないと思うことでしょう。

 でも、辛いときや我慢の時を重ねて年に一度花が開けるというのは、幸せなことです。人間の場合、何年も我慢して努力しても、なかなか花が開けないこともありますものね。そう考えて年に一度の花を楽しみ、私自身も「今は花」と感じられる時を年に一度くらい持ちたいと考え直しました。

 広告の仕事では、うまく行けば年に何回か、気持ちよく作品ができたと実感できることがあります。翻訳の場合は年に1冊でも本が出るとうれしくて、それが言ってみれば「花」なのでしょうが、経験が浅い分、花の形にはなかなか満足できません。コピーライターであり物書きだった夫と、毎日様々なことを語り合うことが私の大きな養分だったので、その養分がなくなった今、自分で養分を補給しなくては、または養分を与えあえる友人を増やさなくてはと思っています。

(えざき りえ)

*写真はイメージです。



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江崎リエ(2004.6.1更新)



玄米食

 ときどき玄米を炊くようになって、何年になるだろうか。玄米食というと、自然食、 菜食主義者、健康おたく、偏狭というようなイメージがあって敬遠していたのだが、最近は普通の米と同じように炊けるものや無洗米などもあって手間いらずになり、ときどき炊いて食べている。

 ヨガの教師は野菜を多く取る食生活を勧め、ご飯は玄米がいいという。話には納得するが、そうした食事を取るためにはかなりのこだわりと努力が必要で、そのために心を固くしている人を見ることも多く、私自身は積極的に食べようとは思わなかった。 ところが、生活習慣病予防やダイエット効果などが注目され、食べやすい玄米が市販されるようになり、ずっと使いやすくなった。流行になり需要が増えればそれにあった使いやすいものができる、という市場の流れはありがたいことだ。

 子供が玄米好きなのも幸運だった。息子は高2の時にオーストラリアの友人宅に1カ月ホームステイしたことがあるが、その時、家で食事をする時には玄米が出ることが多かったという。友人は日本で玄米を食べて気に入ったらしい。日本文化と隔絶したところで初めて玄米を食べた息子は、その味を「こういうもの」と素直に受け入れたのかもしれない。

 食べ物は、いくら体に良くてもおいしくないと続かない。玄米に合う食事もあり、合わない食事もあるので、毎日玄米を炊くわけではないが、現在はその味を楽しんでいる。スーパーに行けば、ひえ、あわなど、昔なら鳥のエサのような穀類も並んでいるが、そうした味を楽しむのも面白い。

 ただし、私は「食にこだわる」という態度はあまり好きではない。水を選ぶ、塩を選 ぶ、無農薬野菜を選ぶ、というのはけっこうなことだと思う。だが、水にこだわる、こ の水しか飲まない、いい水のためならいくらでも払う、水道の水なんかよく飲めるわね、と言い募る、などを見ると、心がどんどん頑なになって、かえって体に悪そう、と思う。心を柔軟にし、なければあるもので充足するという気持ちを忘れずに、自分にとっていいものを選びたいと思う。

(えざき りえ)



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江崎リエ(2004.7.1更新)



薫りをまとう楽しみ

 女の子にとって、香水は大人の入り口ではないだろうか。少なくとも、私にとってはそうだった。ストッキングと香水。これで、立派なレディになった気がして心が浮き立ったものだ。

 香水にいちばん凝っていたのは高校時代。小さなボトルで量り売りをする店に通って、さまざまな香りを楽しんでは、おしゃれでかわいいボトルを買うのが楽しみだった。

 香水が女の子を引きつけるのは、香り以上にあのボトルが魅力的だからかもしれない。当時は母がサンプルにもらった香水を譲り受けて飾戸棚に並べていたし、母が使っていたマダム向きの香りを嗅ぎわけて、けっこう香水通のつもりだった。この時に私がいちばん気に入っていた香りは、母からもらったエイボンの「カリスマ」。甘い香りで、今にして思うと高校生向きではなかったかもしれないが。

 20代は、化粧はほとんどしないが、出かけるときは香水かオードトワレは付けるという生活をしていた。「カリスマ」も使い続けていたが、普段は資生堂のバラの香りのオードトワレを付けていた。自分の香りが欲しいと思いながら、その時その時で気に入った香りを見つけては乗り換えていたような気がする。

 30代は子供が小さかったので、あまり香水はつけなかった。夫が柑橘系の香りが好きではなかったのと、フリーで仕事をしている自分のイメージに合わせて、グリーンノートの控えめな香りが多かったように思う。

 そして、最近のお気に入りはジャンポール・ゴルチェの「フラジャイル」。店で試して香りが気に入り、スノードーム型のボトルを見てますます気に入って、すぐに購入した。スノードームというのは、ボール状の容器の中に液体が入っていて、それを振ると、底に沈んだ銀片が舞い上がって雪が降るように見えるというもの。容器の中央にサンタクロースや雪だるまがいるものが多いが、フラジャイル」の容器の中央には黒のイブニングドレスを来た女性が立っている。淡い琥珀色の香水液の中を金色の雪が舞う様子はなかなか優雅。チューベローズの香りが芯のようなのだが、ちょうどその時に読んでいた小説にチューベローズの話があって、それにも縁を感じた。フェミニンな香りなので付けすぎないように気を付け、昼は手首ではなく足首に付けるようにしているが、この香りに包まれると優雅な気分になる。もっとも、香水の香りは好きな男が「いいね」と言ってこそ価値が増す気がするが。

 香水瓶はこちら。人形の顔が見えないのが残念。


★エイボンのカリスマは復刻ボトルが出たという話も聞いたのですが、ネットではみつけられませんでした。ほんとうはあと2つくらいお気に入りの香りが欲しいところですが、「これ」というのに出会えません。
6月はユーロサッカーを楽しんでいました。梅干しを漬けるのは今年はお休み。戸棚に2年分の梅干しが眠っています。

(えざき りえ)



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江崎リエ(2004.8.1更新)



扇形の室内装飾(水戸偕楽園)

夏の扇子

 夏になると扇子が手放せない。私がもう二十年以上使っているのは、囲碁の棋士が文字を書いた囲碁扇子と呼ばれる物だ。使い始めたきっかけは単純で、碁の好きだった父が碁会に出るたびにもらったものが家にあったからだ。しかし、この扇子には一度使うとやめられない長所がいくつもある。まず、骨の長さが25センチと大きいので風がよく来る。骨が17本と少ないのもシンプルでいい。飴色の骨に白い紙、墨文字が5、6字というものが多いので、何色の服に持ってもじゃまにならない。

 思えば、若い頃から扇子を使うのには抵抗がなかった。だぶん、子どものころから扇子が身近にあったせいだろう。謡を習っていた祖母は、家で練習するときは必ず自分の前に閉じた扇を置いていた。時には手に取って拍子を打ったりもしていたが、固くシンプルな仕舞扇は、祖母が背筋を伸ばす姿と一体になっているせいか、身が引き締まるようなイメージがある。祖母は外出時には白檀のいい匂いのする扇子を使っていた。私の扇子好きは、おばあちゃん子だった私の祖母好きが影響しているのかもしれない。

 夫と一緒に落語を聞きにいくようになって、高座扇というものを知った。落語の小道具で、落語家仲間では「かぜ」と呼ぶ。無地の高座扇は色紙代わりで、サインを頼むとひいきの落語家がしゃれた言葉と名前を入れてくれる。

 時にはきれいな色や絵の扇が欲しくなって買い求めたり、友人・知人からもらったりもしたが、大きい扇子に慣れてしまっているので、女物のきゃしゃな扇子では風が物足りない。色物の扇子は、服の色と合わなくて開けなかったりで、気を使う。そしていつの間にかいつもの囲碁扇子に戻ってしまう。そんなことを数年繰り返してからは、もっぱら父のお下がりの扇子で夏を過ごしている。

 一つ不満を言えば、なかなか気に入った字に出会えないことだ。棋士に、味のある墨字を要求するのはお門違いなのだろうが。

囲碁扇子を見たい方はこちら。私は呉清源さんの字が好きです。

(えざき りえ)



はまって、はまって

江崎リエ(2004.10.9更新)



『ヘルボーイ』
イヴォンヌ・ナヴァロ著
藤田真利子・江崎リエ訳
ジャイブ株式会社刊、1400円

来年のカレンダー

 10月はもう、カレンダーの販売時期なのだ。銀座の伊東屋でも八重洲ブックセンターでも、カレンダーの特設売り場ができている。一昔前は、自宅や実家に企業からもらうカレンダーのなかにお気に入りがあって、それを毎年同じ場所に飾っていた。人間は気に入っているものに対しては、変化を好まない。

 だが、不況でカレンダーを配らなくなった企業も多く、好きなカレンダーが手に入らなくなって、カレンダーを買うようになった。どうせ買うのならほんとうに好きなものをみつけたいと思うと、迷いも多い。限られた企業カレンダーの中から一つを選ぶよりも、選択肢の多い中から一つを選ぶ方がずっと難しい。それが、国内外の美しいカレンダーが並ぶ売り場とあっては、なおさらだ。

 毎年買うカレンダーは3つ。そのうち2つはだいたいの目星がつく。まず、会社の机の上に置くのは英語版の日めくりカレンダー。写真が目を楽しませてくれて、適量の英文があるのがいい。クイズとか冗談を集めた日めくりシリーズもあるのだけれど、これは意味がわからないとストレスがたまりそうなので敬遠している。

 次は、日毎の白いマスに予定が書き込める1か月1枚の机上版カレンダー。これもすぐに決まる。

 3つ目が自宅の壁に飾るやつ。これは毎年気分を変えたいし、家族の好みもあるのでなかなか決まらない。夏にパリに行ったときに美術館の土産物売り場にカレンダーがあったのだけれど、まだ8月だったのでカレンダー気分にならなかった。あの時買っておけば、迷いがなくてよかったのにと、ちょっと後悔している。

 もっとも、10月にカレンダー売り場を見つけて「もう?」と驚きながら時の流れの速さを感じ、1カ月迷いながらカレンダーを選ぶことで今年もそろそろ終わりと覚悟を決め、来年を迎えようという心の準備ができるのかもしれない。そういう意味では、迷う時間も大切ということなのだろう。

★近況
 8月27日から約1週間パリに行ってきました。パリは想像以上に素敵な街で、いい旅でした。直前まで翻訳をやり、邦子さんの個展があり、そして旅行だったので、9月のここのエッセイのことはすっかり忘れていました。申し訳ない。翻訳していた『ヘルボーイ』は藤田真利子さんとの共訳で、現在本屋に並んでいます。上映中の映画『ヘルボーイ』のノベライズの翻訳ですが、楽しい仕事でした。

(えざき りえ)



はまって、はまって

江崎リエ(2004.11.3更新)

インド料理の楽しみ

 銀座にはインド料理の専門店が多い。私が通っている範囲で5店。他にも5、6店はあると思う。どこにもインド人の料理人がいて、それぞれに個性的な味を楽しませてくれる。

 私がインド料理を好きになったのはいつのことだろう。たぶん、高校時代。昔は新宿高野の中にインド料理のレストランがあってそこに行くのが楽しみだった。家庭のカレーとは違うインド料理のエキゾチックな味が気に入ったのか、焼きたてのナンに感激したのか、きっかけは覚えていない。

 そのあとによく行ったのが赤坂見附のインド料理店。マトンカレーの臭みのないおいしさに感激した憶えがある。

 息子が3歳の時にたまたま仕事でインドに行く機会があり、10日間の滞在中、毎日毎日カレーを食べていた。カレー好きでも嫌になるという人もいるが、私はホテルの高級インド料理から町中の定食屋、通りに出ている屋台の店まで、様々なグレードの印度料理を食べて、全く飽きずに毎日感激していた。

 子供が小さいときはあまり出かけられなかったので、家で印度料理を作った。ミラ・メータさんの「はじめてのインド料理」(文化出版局)が私のインド料理のバイブルだ。夫と息子はとくにインド料理が好きというわけではなかったが、キーママターという挽肉とグリンピースの汁気のないカレーと、シンプルなミートボールカレー、インド版揚げ餃子とも言えそうなサモサは、お気に入りの料理として我が家のレシピに定着している。

 2000年から通勤生活するようになったので、 一人の時のお昼はインド料理を食べることが多く、取材に出たらその近所を探すようにしているので、けっこうあちこちのインド料理レストランに行っている。ただ、寂しいのは同好の士がいないこと。会社の同僚にも友人にも「インド料理大好き!」という人がいないので、この情熱を分け合うことができない。隠れインド料理ファンがいたら申告してね。今度一緒に行きましょう。

★近況
 アメリカのホラー映画のノベライズが進行中でしたが、映画の公開が夏に延びたので、締め切りが延びてちょっと気がぬけています。景気がよくなって広告がパワーを取り戻すことを願いつつ、本業の広告の企画に燃えたいと思っています。

(えざき りえ)



はまって、はまって

江崎リエ(2004.12.3更新)

ガネーシャ・コレクション

 私のガネーシャ・コレクションの最新の仲間は銀のペンダントヘッドだ。家の飾り棚 の中には木や金属、素焼きのガネーシャ像が数点、タイル絵や絵はがき、指輪も並ん でいる。

 ガネーシャとはヒンズー教の神様の一人。シヴァ神とパールヴァティー女神の息子 で、像の頭を持つユニークな姿をしている。十五年以上前に初めてインドを訪ねたと きに、リキシャ、タクシー、商店の店先にガネーシャの絵が飾られているのを見て興 味を持った。飾っている主たちに聞いてみると、商売繁盛の神様だという。日本の八 百万の神と一緒で、ヒンズー教にも大勢の神様がいる。ガネーシャはその中でも人気 者で、使われ方としては日本の招き猫に近く、親しみやすさを感じた。

 その後、インドの大叙事詩「マハーバーラタ」を読んだ時に、この長い物語を口述筆 記した書記役がガネーシャだと知った。ガネーシャは知恵を司る学問の神であり、文 化や芸術を司る技芸の神でもあるので、インドの本にはどこかに必ずガネーシャ像が 描かれているそうだ。そのうえ、あらゆる障害を取り除いて成功に導く神であり、病苦 から解放してくれる医術の神でもあるという。叙事詩の書記役であり商売繁盛の神様な ら、貧乏ライターの私にも幸運を持ってきてくれそうだ。そう思ってガネーシャ の指 輪を買ったのがコレクションの第一号だ。

 インド料理店のインテリアやインド雑貨店などを眺めるうちに一つまた一つと欲しく なり、好きと言いふらしたおかげでプレゼントにいただく機会もあり、飾り棚に小さな ガネーシャたちが集まるようになった。インドの解説書にも、「祭るだけじゃなくて努 力が必要」と書いてあるので、持ってるだけで文章がうまくなるわけでも裕福になるわ けでもないが、「たくさんのガネーシャに見守られているのだから精進しよう」と殊勝 な気持ちになるのが御利益だと思っている。


(えざき りえ)