【はまって、はまって】バックナンバー 2005年  江崎リエ(えざき りえ) 

2004年2003年2002年2001年はこちら





はまって、はまって

江崎リエ(2005.1.4更新)

銀杏好き

 茶碗蒸しの底に入っている銀杏(ぎんなん)を、探しながら食べるのが大好きな子供だった。小学校の前の神社に大きなイチョウの木があって、銀杏がたくさんなった。あの実の独特の臭いを嫌う子供も多かったが、私は運動靴の底で外側を擦り落としては真ん中の実を5、6粒拾って帰って祖母に渡していた。しばらくすると、洗って干した銀杏を金づちで割って、火鉢の上にかけた小さな鍋で炒って食べさせてくれた。熱々の銀杏に塩をほんのちょっとつけて食べるのは、とても楽しみだった。

 大人になって、自分で茶碗蒸しを作るようになってからも銀杏を欠かしたことはない。スーパーで買って、金づちで殻を割って剥き、渋皮の付いたまま鍋で炒り、ふたをしてぽんぽんとはじける音を楽しむ。少し焦げ目の付いた渋皮を指先で揉むと皮が剥がれる。炒り加減を見ながら、不透明な黄色が半透明の美しい翡翠色になるのを眺めるのが好きだ。渋皮を取った銀杏を蒸し椀の底に入れ、あとはかまぼこ、しいたけなどを放り込んで卵液を入れて蒸せばいい。

 夫と二人でしばらく暮らしていた四谷にある迎賓館の前にはイチョウ並木があって、そこにもたくさんの銀杏の実が落ちていた。落ちる実があれば拾う人がいて、洗って干した実を袋に入れて売る街頭売りから安く大量の銀杏を買ったり、近くの飲み屋のマスターが集めた銀杏を店でご馳走になったりした。子供が小さい頃に行った新宿御苑にも銀杏の生るイチョウの場所を熟知している人たちがいて、秋に行くと「拾って行きなさいよ」と声をかけられたり、拾った実を分けてもらったりした。

 父が行きつけのバーのママさんは、銀杏を頼むとカウンターの向こうでガシャッと割れ目を入れ、殻のまま炒ったものを塩を敷いたお皿に載せて出してくれた。銀杏割りのガシャッという音を聞くのも、その殻を自分で剥いてゆっくりと食べるのも好きだった。その銀杏割りが欲しくて、数年前に手に入れたのが写真のものだ。手になじんで使いやすいので、大量に割って半分は茶碗蒸しに、半分はそのまま酒のツマミにする贅沢を楽しんでいる。夫と私の銀杏好きを見て育った息子も銀杏入りの茶碗蒸しが好物だ。しばらくは、彼のために銀杏割りが活躍しそうだ。

――――

ここに書かせてもらうことで、忘れかけていたことを再認識したり、深く考えたりする きっかけを得ています。皆さんに感謝しつつ、新しい年もどうぞよろしくお願いいたし ます。

(えざき りえ)





はまって、はまって

江崎リエ(2005.2.2更新)

ときどきミルクティー

 生まれたときからコーヒー党だ。うそ、うそ。コーヒーを飲み始めたのは中学生の頃。父がコーヒー好きで、毎日書斎で豆を挽く作っているのに便乗して、飲ませてもらっていた。このときが、父といろいろな話をする時間だった。

 当時のコーヒーは、私には大人の味だった。高校時代になじんでいた煙草にもジャズにもコーヒーのほうが似合ったし、喫茶店で飲むにしても、コーヒーのほうが手がかかっているぶんお金を払う気がした。

 紅茶を飲むようになったきっかけは、どこからか紫の缶をもらったことだった。それまで我が家では安いティーバッグにお湯を差して飲んでいて、おいしいと思ったことがなかった。ところが、紫の缶の紅茶はおいしかった。ダージリンという種類の高級紅茶で、葉をポットに入れて時間を置き、玉露のようにもったいをつけて飲む。レモンのスライスを用意したり、ミルクを人肌に温めてそばにおいたり、クッキーや焼き菓子などが用意されることが多いのも、おしゃれな感じがして気に入った。だが、母は用意がめんどうだったのだろうか、習慣として飲むようにはならなかった。

 二十歳で夫と暮らし始めたが、夫もコーヒー好きだったので、毎日二人でブラックコーヒーを飲んで暮らしていた。二度目に紅茶を飲むようになったきっかけは、私のインド旅行だった。旅行中、炎天下を歩き回った後に日陰で振る舞われる熱いミルクティーが格別おいしかった。インドでコーヒーを飲むのはたいへんなので、私は毎日毎日砂糖入りのミルクティーを飲んでいた。

 帰ってきて、あのおいしさをもう一度と思い、紅茶に凝った。オレンジペコ、アールグレイなど、いろいろな種類の紅茶を飲み比べ、味の違いもわかるようになった。だ が、なぜかインドで飲んだときのようにおいしくはなかった。インドの暑さとスパイシーな食事があればこそ、インドのミルクティーの味が生きたのだろう。そんなわけで、いつしか紅茶を飲まなくなった。

 その後も仕事で紅茶の広告をやったのを機会に飲み始め、ミルクの温度は何度がいいか、カップにはミルクが先か紅茶が先かを研究したり、ヨガの先生にインドの紅茶「チャイ」の作り方を教わって飲むようになったり(チャイはミルクに直接紅茶の葉を入れて煮出す)と、何年かに一度私の中にミルクティー・ブームが起こる。

 そして、最近またミルクティーへの嗜好が再燃している。この頃はお昼に一人で食事をすることが多く、そうすると印度料理に行く頻度が多く、食後にチャイを飲む頻度も多い。そうしてなじんでいるうちに、家でもミルクティーを飲もうかなという気になったのだ。夕食後にゆっくりとミルクティーを入れるのは、体にも心にもよさそうだ。
(2005 年1月31日)

(えざき りえ)





はまって、はまって

江崎リエ(2005.3.1更新)

足で踏む

 ヨガの教室で「足圧法」の講座を受けている。これは、山内宥厳さんという人の始めた「楽健法」の流れを汲むもので、股関節や肩の付け根などリンパの流れの滞りがちな所を足で踏んでリンパの流れをよくするもの。二人一組になって行い、お互いを足で踏み合うので「二人ヨーガ」などとも呼ばれている。

 足で踏む、踏まれるということに最初は抵抗感があったのだが、「手より踏む面積が広いので、楽に気持ちよく体を押すことができる」と聞いて、「なるほど合理的」と思った。始めたきっかけは、試しに踏んでもらったときにほんとうに気持ちがよかったからなのだが、「相手を踏むことで自分の足裏も刺激されて元気になる」と聞き、「これも合理的」と思った。合理や一石二鳥には弱いのだ。

 講座は月1回の6回シリーズ。毎回2時間ほどかけて、仰向け、うつ伏せになった体を交代で踏んで行く。踏むのはけっこう疲れるが、踏んでもらうと疲れがとれるし、終わった後には体がすっきりして動きが軽くなる。

 毎回調子の違う生身の体を踏むので、上手に踏むのにはコツがいるのだが、今のところ踏み方が上手とは言えない。下手ながらに踏んだり踏まれても、そこそこ気持ちよくなれるのがありがたいところだ。教室以外で人を踏んで練習する機会がないので、4月からは息子を練習台にしようかと考えている。
(2005 年2月28日)
(えざき りえ)

「足圧法」の紹介はこちら

私が持っている「楽健法」の解説書(右)。イラストがなかなか魅力的





はまって、はまって

江崎リエ(2005.4.2更新)

きれいな記念切手

 時々きれいな記念切手を買うのは、私のささやかな楽しみのひとつだ。郵便局に行くたびにデザインや色の気に入ったものを数種買って、そのうち1枚は切手帳にキープしておく。海外から来た手紙に貼られた切手もはがして切手帳に入れておく。切手収集というほどの規模ではないが、子どもがキャンデーの包み紙を取っておいてときどき眺めるように、たまに切手帳の眺めて楽しんでいる。

 記念切手を買うようになったきっかけは、大学時代にアルバイトをしていた温泉新聞社という業界紙の社長の言だった。彼は取引先に請求書を送る時は必ず、季節感のある美しい記念切手を貼っていた。ある日私がその理由を尋ねると、社長は「請求書はいやなもの。せめて、切手で相手の目を楽しませたいからね」と答えた。

 私はそれに感心して、その後フリーで広告の仕事を始めてからは毎月送る数枚の請求書に記念切手を貼ることにした。

 そんなことをずっと続けていると、たまに記念切手がないときにふつうの切手を買うと、損した気分になる。同じ金額を払うなら、大きくて色もデザインも美しい記念切手のほうが断然楽しい。私はかなりの手紙魔なので、海外の友人へ手紙を出すときには日本的なデザインを集め、日本の友人・知人へは、季節の花を集めた少額の切手を、組み合わせを考えて数枚貼ったりする。話の中身に合わせて色を揃えたり、ちょっとしたなぞかけをしたり、こうなるともう、相手の楽しみより前に自分が楽しんでいる。

 昔は記念切手の発行が少なかったが、最近は毎月数種が出るようで、郵便局に行けば新しい記念切手に当たる。子どもっぽいデザインで欲しくないものもあるが、絵画作品と思えるような美しいものもあって、行くたびの出会いが楽しみだ。

――――――
★近況 やっと春らしくなってきました。今年は藤を見にどこかに行きたいと思っています。ホラー映画のノベライズをやったのですが、出版が延びています。これが出るのが待ち遠しい。







はまって、はまって

江崎リエ(2005.5.1更新)

太陽の塔と愛知万博

 6月に高校時代の友人と「愛・地球博」に行くことになり、35年前に同じメンバーで行った大阪万博のことを思い出している。正確に言えば、思い出そうとしている。というのも、楽しかった、わくわくした、緊張したという感覚は覚えているのだが、具体的に何を見て何をしたかは記憶の彼方なのだ。大阪万博の目玉は1969年に月面着陸に成功したアポロ12号が持ち帰った「月の石」なのだが、見た記憶がない。たぶん長蛇の列を敬遠したのだろう。覚えているのは外国のパビリオンで食べた珍しい食べ物のことばかりだ。

 そんな中で一つだけ印象に残っているのが「太陽の塔」だ。行く前にテレビや雑誌でさんざん見ていたときには、全然感心しないへんなモノという印象だった。ところが、現地で本物の巨大な塔を見たときには、その姿に胸を打たれた。わーっと迫ってきて、なかなかいいのだ。何がいいのかはよくわからないが、大きな力と温かさがあって、私は一目見て気に入った。同時に、「写真だとあんなにヘンだったのに、本物って全然違うんだ」という驚きが大きかった。

 同じ体験を、やはり高校時代にルノワールの絵でしたことがある。ルノワールの少女の絵は喫茶店のマッチで見たり、画集で見たりしていて馴染みがあった。「美しい、かわいい、きれい」とは思うが、質のいい装飾的な肖像画という印象しか持っていなかった。ところが、デパートの企画展で本物の「少女」の小品の前に立ったとき、私は絵の前から動けなくなった。絵から立ち上る柔らかだがパワフルなオーラのようなものに胸を打たれ、「ほぅー」と魅入ってしまったのだ。

 太陽の塔は巨大彫像ゆえにあれほど印象が違ったと思っていた。しかし、ルノワールの小品でさえ、本物の持つパワーは全く違った。  アート作品は本物を見るべき。好き嫌いの判断も本物を見てからしよう。これが私が大阪万博で得た知恵の一つだ。

 さて、だじゃれネーミングの「愛・地球博」では、どんな知恵が得られるだろうか?

太陽の塔の映像はこちら

グリコのおまけシリーズの紹介

マニアのサイト 画像がたくさんあり、楽しめました





はまって、はまって

江崎リエ(2005.6.9更新)


こうならないように………
(アート作品です)
スポーツジムを楽しみたい

 3月からスポーツジムで筋トレを始めた。私の運動嫌いを知っている友人達は「信じられない」という顔をするが、そんな似合わぬことをする気になったのには、幾つかきっかけがあった。まず、ふつうに歩いていてよく躓くようになったこと。平らな道を歩いていて爪先が引っかかるのだ。太股の筋肉が弱って脚が上がらないせいらしい。転んで入院でもしたらすぐに食べていけなくなることを思うと、けっこう危機感があった。

 もう一つは歩道橋の下で私にもたれてきた老人の体を支えられなかったこと。おじいさんは歩道橋を下りきった所で脚ががくがくしたらしく、擦れ違って上ろうとしていた私にふっと体を預けてきた。それを支えてあげようとしたのだが、支えきれずに一緒に倒れてしまったのだ。その日、何だか情けない気持ちで家に帰り、亡くなった夫が使っていたダンベルを見た時に「体に筋肉をつけよう」と思った。

 そこで始めたのが週3回1か月のマンツーマン・トレーニング。運動、食事制限、水を飲む、の三本立てで体を作り直すプログラムで、脚の上げ下げが多少軽くなった。その後、同じことを一人で続けて1か月半。だいぶ体が締まった気がする。

 トレーニングの折々、トレーナーが筋肉ができるしくみや心臓の働きなどを説明してくれる。その説明を家に帰って息子に話すと、彼はたいていのことを当然という顔をして聞き、周辺情報なども提供してくれる。食材と栄養の知識などはあまりないと思っていたので、筋肉と体のメカニズムを思いのほか知っていることに驚いた。ゆっくり動かすとなぜ筋肉に効くのか、どうすると疲れが取れるのかなどなど、若いトレーナーに質問すると彼らなりのレトリックで説明してくれるのも面白い。

 先日アクセサリー・デザイナーの女性を取材したときに印象に残った言葉がある。「知らないことは知っている人に聞けばいい。どうしたらいいか、そのノウハウを教えてもらえると同時に楽しさも教えてもらえるから」

 筋トレでもやっと、少し楽しさを教えてもらえそうなところまで来ている。

(えざき りえ)



はまって、はまって

江崎リエ(2005.7.1更新)


パワフル愛知万博

 6月中旬の月曜に、高校時代の友人と4人で「愛・地球博」に行ってきた。そもそものきっかけは2年前の愛知万博告知ポスター。「人生一度は万博だ」のキャッチコピーが私の心を打ったのだ。なぜなら、愛知万博に行けば私は人生で二度万博に行くことになるから。もっとも、このコピーは「ああいうもんは一生に一度行けば十分」とも取れるが。

 高校時代の友人たちとは一緒に大阪万博に行った仲。同じメンツで遊びにいくのはな かなか面白いし、混む、並ぶ、高いという風評が事実でも、4人でいれば楽しいだろうということで、「愛・地球博」行きが決定した。

 温泉でゆっくりした翌日、午前中は団体客で混むという噂を聞き、昼過ぎから夜9時までのんびり見学。がまんのきかない4人なので、並んだのは最長20分。それでも、入り口近くにあった郵便局で4人の顔写真入り「愛知万博プリクラ郵便切手」を作り、ショートコースでマンモスを眺め、ロシア館でもマンモスのレプリカを見、ゴンドラに乗って会場を見回し、東南アジアのパビリオン、ヨーロッパのパビリオンをまわり、おしゃべりをしながら会場をうろうろして来た。

 そこで圧倒されたのが、会場の人々が行列するパワー。炎天下に日傘を差しながら2 時間待ちの企業館の列に並ぶ女性グループ、家族の集団、中年夫婦、若いカップルなどなど。この他に事前予約や整理券を持っている沢山の人たちがいるわけで、この好奇心と忍耐力こそ日本人の潜在能力かも知れないと思った。

 もうひとつ目を引いたのが、老人を筆頭にした10人以上の家族集団が多いこと。杖をついた老人は傍目には動くのも大変そうに見えるのだが、子供たち夫婦、孫たちに囲まれ、長蛇の列に元気に並んで行く。世界規模の大きな祭りが近くであるんだから行かな くちゃ、と思わせる万博の力なのか、日本の大家族主義は地方で連綿と生きているとい うことなのか。

 そもそも2時間待ちの行列に並ぶのが日本独特のことなのかどうかもわからないが、私の物見遊山パワーとは別の形のパワーを持つ観客がたくさんいたことは確かだ。結局どこに行っても、眺めていちばんおもしろいのは人間なのだ。

 やはり2時間待ちで入らなかったドイツ館の上にあるビア・レストランで「おいしいビールとソーセージの幸せ」を味わった4人は、人を眺め、4人で語り合う喜びを感じて脱力したのだった。
(えざき りえ)





はまって、はまって

江崎リエ(2005.8.1更新)


パリの書店にて
共通語としての英語

七月の始めに二度目のフランス旅行をしてきた。好きなフランス語なので、旅行中はフランス語を使うと心に決めて行ったのだけれど、英語圏の旅行者も多く、観光に携わるフランス人は英語で話しかけてくることが多かった。通貨がユーロになったことをきっかけに、フランスでの英語熱も高まっているという。こうした経験をしてみて、共通語としての英語の便利さを再認識した。

そのことを一番感じたのは、帰りの空港に向かうマイクロバスの中だった。いくつかのホテルを回って空港に向かうバスの中は日本人の私、香港人の父子、アメリカ人の中年女性、イギリス人の老夫婦の6人。そして、黒人の年配の運転手。独特の発音だがわかりやすくお喋りな香港のお父さんの英語、陽気な婦人の米語、礼儀正しく端正に話すイギリス紳士の英語、そして私の適当にごまかしながらの英語。それでも、話題はパリの素晴らしさで始まったので、話は和やかに進んだ。他にどこを見たのか、これからどこに帰るのか、どんな家族が待っているのか、そんな話をしながら空港に着き、「いい旅を!」と言い合って別れる。こういう心の通い合いできるのは、共通語としての英語の効用だろう。

 私が子供の頃、母がエスペラント語を学んでいたことがある。「覚えやすい世界共通言語」という理想に共鳴したと言っていたが、残念ながら、あまり普及しなかったらしい。英語が共通語になることを、アメリカ主導の世界になるという考え方があることも理解できるが、ヨーロッパの多くの国で自国語とは別の便利な道具として英語を使うようになれば、どこに行っても米語でOKと思っているアメリカとは別の文化の奥行きができるのではないだろうか。

 そして、日本語で自己表現する私としては、日本語にももっと興味を持ってほしいと思う。現在通っているフランス語学校は、フランスから日本に夏期留学するフランス人学生の世話もしているが、フランスの高校・大学生が日本に興味を持つきっかけの大部分が日本のマンガだという。世界に誇る日本のマンガパワーに気をよくしつつ、共通語としての英語を磨くことと、日本語・日本文化を世界に発信することにもっと時間を割きたいという思いが強くなっている。
(えざき りえ)







はまって、はまって

江崎リエ(2005.9.1更新)


キリンのまわりに風が吹く

 子供のころ、動物園で何を眺めるのが好きでしたか? 私はキリンが一番、次がシマウマ。どうも、あの模様に幻惑されたらしい。それなのに虎を愛さなかったのはなぜだろう。虎はたいてい寝そべっていて動かないし、キリンの細さに草食動物の穏やかな知性を感じたのかもしれない。

 というわけで、大人になってもなんとなくキリンに引かれる。子供に買ってやったぬいぐるみ、作ってやった人形にもキリンが入っているし、町を歩いていてもキリンが気になる。といっても、町中でキリンの置物やアクセサリーに出会うことはめったにない。これで、しょっちゅう出会っていたら出費がかさんでいるかも。

 最近一番のお気に入りは、東京駅前の八重洲通りと中央通りの交差点に立つキリン。冠を付けた独特のフォルムが好きで、散歩のついでに時々眺めに行く。先日、目黒駅近くの庭園美術館に行ったら、芝生の庭にキリンの彫刻があって目を楽しませてくれた。

 この原稿を書くにあたって百科事典で調べたら、キリンの鳴き声は牛に似た低く幅広の声だそう。だが、日常生活ではほとんど声を出さないという。鳴き声が聞こえない分、私は模様に見入ってしまうのだろうか。寡黙なキリンはいいが、寡黙なキリンのような男はどうだろうか。そんなことを考えながら改めてキリンの写真を見る。キリンを見ていると、まわりにそよそよと風がふいて自分が内観的になるような気がする。
(えざき りえ)







はまって、はまって

江崎リエ(2005.10.3更新)

万年筆の濡れたインキ

 万年筆と言えば昔は入学祝いの定番だったが、最近はおじさんの趣味のアイテムでしかないのかもしれない。そのおじさんたちと同年代の私が最初に万年筆をもらったのは高校の入学祝いだった。贈ってくれたのは祖母の友人。白髪、痩身の美しい婦人だった。

 赤いボディのその万年筆は、その婦人とイメージが重なるせいもあり、いまだに日記を書くときに使っている。そのほかにも数本、思い出深い万年筆がある。父が買ってくれたもの。父が亡くなったときに形見として持ってきたものなど。

 私は聞いたことをすぐに忘れてしまうので、おもしろいと思った物事や興味を持った人の名前は、なるべくその場でメモすることにしている。そのために、持っている全てのバッグの内ポケットにペンを入れてあるが、これはボールペンか鉛筆で、万年筆を入れておいたことはない。万年筆というのは、ゆとりのある時間に心を込めて文章を書くもの。そんな思いが私の中にはあるので、年上の人に手紙を書くときは万年筆が多い。ペン先から出てくる濡れたインキを眺めながら、次の文章を考える。インキが乾くのを待ちながら、コーヒーをすする。ふと思い出したエピソードから、別のエピソードに思いを馳せる。そんなことを繰り返しながら、ペン先から出てくるインクの、表面張力で少し盛り上がった様子を眺めるのが好きだ。

 これで達筆だと文字を書くのが楽しくなるのだが、ワープロになじんだ指でたまさか書く文字はバランスが悪く、だんだんに見ているのがいやになる。字の書き間違いが重なって新しい紙に書き直すことも多く、一通の手紙がなかなか書き上がらない。だがそれでも、万年筆を握り、インクが紙の上に出てくるのを見るのには特別な歓びがある。
(えざき りえ)







はまって、はまって

江崎リエ(2005.11.2更新)

百庭園なら、行けるかも

 週一回発行のワンテーマ・マガジン『日本庭園をゆく』を本屋で見かけた。私は昔からよく、日本庭園を眺めに行っていたが、こんな雑誌が出るところを見ると、「和の庭」を見て歩くのを趣味にしている人は多いのかもしれない。

 日本庭園を最初に見たのはいつのことだろうか。たぶん、小学校1年の遠足で行った新宿御苑の庭だろう。池に松、なだらかな起伏、丸く刈り込まれた灌木。しかし、子供の私には、それが日本庭園だという認識はなかったはずだ。その後にたくさんの庭を見たのは、修学旅行先の京都だろう。大きな屋敷の池のある庭、禅寺の松と紅葉の庭、石と砂だけのアブストラクトな庭……。その時は、そういう庭を心地良いと思った。

 大人になってからよく行ったのは、新宿御苑と小石川後楽園だ。とくに、小石川後楽園は当時住んでいた家から近かったので、小さな息子を連れてよく遊びに行った。ドングリを拾い、鯉や亀、鳥を眺め、おにぎりを食べて帰って来た。同じ小さな庭園でも、季節や天気により花が違い、色が違い、雰囲気が違う。度々通うと、そういう変化を見る楽しみもあった。鎌倉では、円覚寺、建長寺、瑞泉寺などの寺の庭を訪ねた。見事な和の庭を持つのは生涯最高の贅沢のような気もするが、自分の庭を持ちたいと思ったことはない。それよりも、作り手の大いなる意図が感じられる様々な庭を訪ねて歩きたいと思う。

 この雑誌は、全三十冊で日本庭園を二百以上紹介するのだという。上り坂が苦手なので百名山には決して登らないが、死ぬまでに百庭園を訪ねるくらいはできそうだ。たぶん、もう二十くらいは行っているし……。
(えざき りえ)





はまって、はまって

江崎リエ(2005.12.2更新)


ホグワーツ行きの列車に乗るには……

……9と3/4番線から
ここまで読んだら、最後まで

 ハリーポッターの6が、私の仕事が一段落するのを待っている。1を英語版で読んだのは何年前だろうかと調べてみたら、1998年。もう、7年前になるのだ。赤ん坊のハリーが運ばれてくる導入部分はすばらしかったし、現代版シンデレラのようなハリーの生活、繰り返し届けられる手紙、様々な魔法の道具、魔法学校の入学風景、変身する先生たちと、子供を引きつける要素満載で、私も夢中で読みふけった。だが、子供の本なのに、ずいぶんと辞書を引いた覚えがある。英語圏の子供なら絵本を読みながら覚えるであろう様々な単語を知らなくて、杖とか大鍋とかフクロウが羽を動かす様子を描写した動詞などを調べまくった。

 2、3はわくわくしながら読んだが、4のthe Goblet of Fireは魔法学校三校の対抗戦で、ちょっと冗長な感じがした。私がハリーの世界に飽きてしまったせいもあるだろう。5は魔法省の役人のごり押しがくどかったし、自分の仕事と状況がだぶって今ひとつ楽しめなかった。4の魔法新聞のゴシップライターや魔法省の役人には、一躍有名人になった作者が出会った人物像が投影されているのかもしれない。シリーズを通して感じられる作者のユーモアと、人物や物の名前の付け方にも独特の魅力が感じられる。前作から少し間が開いたので、6が新鮮に読めそうだと期待している。

 映画は1だけ見たのだが、魔法が主題なだけにCGの持ち味が生きる映像が楽しかった。新作映画は4の炎のゴブレット。読むと冗長だった魔法学校の対抗戦も、映像にすると迫力があっておもしろそうだ。でも映画を見るなら、4の前に2、3も見なくては。

 ネットでずっとフランス語の読書会をやっているが、私の読書会と平行して進んでいるのが「ハリーポッターをフランス語で読む」という会。それ用に、フランス語の1も買ってある。暮れから正月は、ハリーポッターを楽しむ休みになりそうだ。
(えざき りえ)