【はまって、はまって】バックナンバー 2007年  江崎リエ(えざき りえ) 

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はまって、はまって

江崎リエ(2007.1.9更新)

手作りにはまりそう

 暮れに頭でっかちのお人形ブライスを買った。洋服作りが楽しそうと思ったのだ。そこで久しぶりに東急ハンズに出かけ、最近の洋裁便利グッズというのを眺めて来た。洋服作りは楽しそうだが、手先は不器用だし、リーディング・グラスをかける歳なので、いかにらくに見栄えのいい洋服を作るかを考えての一人作戦会議である。

 まず考えたのがフェルト地だ。これなら裁ちっぱなしでいいし、造花でも作って服に飾れば豪華になる。ここで、フェルト地の色のバリエーションが増えているのに驚く。それから、フェルトで作るコサージュのキットというのが売っていて、これがなかなかセンスのいいのにも驚いた。私は下手の横好きで小学生時代から手作りをいろいろやっていた。フェルトのコサージュ作りには昔々に一時はまったことがあるが、当時のはデザインが野暮ったかった。何が変わったかというとヘップ(おしべやめしべになる部分)がとてもオシャレになっている。これは材質が進歩したせいだろうか、ヘップだけほしいと思わせるものさえあった。そのうちキットと本を買って、コサージュ作りをしたくなった。

 次に驚いたのが、簡単に見栄えのいい刺繍ができるというステッチかぎ針だ。チェーンステッチやビーズを入れた刺繍が、かぎ針を編む容量でどんどんできていくらしい。これなら簡単に早く美しい刺繍ができそうだ。

 次に毛糸売り場をチェックする。布の洋服は手がかかるが、編み物なら早くできるだろうというもくろみである。ここでも毛糸の種類が増えているのに驚く。つやのあるモール糸などを使えば、あっというまによそ行きニットドレスができそうだ。しかし、細い棒針などがいるから、道具は一から必要かもしれない。その前にきれいな太い糸を買って、自分のマフラーが編みたくなった。

 そのほかの道具の発達もすばらしい。すそあげテープ、ほつれ止め液、布地用接着材、伸縮性のある糸など、洋裁が苦手でも手作りが楽しめそうな道具がたくさんあった。

 そうは言っても、いろいろ道具を揃えるとそれなりに物入りだ。若い頃ならお金を惜しんで全部針と糸でやろうと思っただろうが、ありがたいことにこのくらいの散財が楽しめるくらいの余裕は出てきた。というわけで、久しぶりに行った東急ハンズは宝の山だった。こんなに身近に宝の山のあることがうれしい。

 今は久しぶりのノベライズの仕事をしているので、1月末までは手作りの誘惑を封じ込めなくてはならないが、終わった後のバラ色を生活を重い描くと、仕事にも身が入る。今年は久しぶりに手作りの年になりそうだ。
(えざき りえ)







はまって、はまって

江崎リエ(2007.2.6更新)

ブローチで肩こり対策

 最近ブローチに凝っている。高校時代はけっこう好きだったのだが、大人になってからは大ぶりのネックレスばかりで、ほとんどつけたことがなかった。では、なぜ最近はブローチなのか? 実はブローチのほうが肩がこらないのですよ。
 最近は仕事のしすぎか歳のせいか、私の好きなチェーンが長めで大きいネックレスは首に負担に感じる。それにきれいなコサージュが手頃な値段で手に入るので、コサージュ、軽いプラスチックのレトロモダンなブローチ、アンティーク調のブローチなど、軽い、アートっぽい、色がきれい、手頃な値段の四拍子揃ったものをあちこちの店で探すのが楽しみになった。
 そうやって探してみると、今までは見過ごしていたブティックの奥とか、インテリアショップの片隅とか、思いがけないところですてきなブローチを見つけることも多い。銀座を歩いていると、年配の女性はなかなか凝ったブローチをつけているが、若い女性がコサージュ以外のブローチをつけているのはあまり見かけない。肩こりがひどくなるとブローチに目覚めるのかしら、などと思いつつ、すれ違う女性の胸元をチェックしてしまう。若い男の子が帽子に付けてるピンバッジなども良いなあと思ったり……。
 なんでもそうだが、自分の興味が移ると、同じように外を歩いていても、見えて来るものがどんどん変わる。おもしろいなあと思いつつ、今はいろいろな店のブローチが私を呼ぶのを待っている。

近況 1月は久しぶりにノベライズの仕事をしていました。本日仕上げて送って、ほっとしているところです。

(えざき りえ)







はまって、はまって

江崎リエ(2007.3.3更新)

ミシンの誘惑

 コンパクトミシンがほしいと思っている。普通の電動ミシンはあるのだが、これはいちいち出すのがめんどうだ。机の横に置きっぱなしにして、テレビをつけた横でちょこちょこと簡単に縫えるようなやつがほしい。なぜかというと、ブライスという人形を手に入れて、着せ替え用の洋服を作りたいと思ったからだ。最初は手縫いのつもりだったのだが、ギャザーを寄せたり裾にレースをつけたりするには、ミシンのほうがきれいで簡単だ。

 そう思って店を見に行ったのだが、最近のミシンの進歩に驚き、そのわりに人気がなさそうな様子にも驚いた。私の母は自分の服や子供3人の服をミシンで作っていた。東京オリンピックの時代の家庭では珍しいことではなかったと思う。子供が数人いれば、服を買うよりミシンで縫うほうがずっと安い。既製服産業もそれほど発達していなかったので、ちょっとすてきな服が欲しいと思えば、布から選んでスタイルブックで好きなデザインを選ぶしかなかった。母はおしゃれでファッション感覚もあったので、私は母が作ってくれるワンピースが大好きだった。そもそも、型紙から服になる過程が魔法のように感じられて心地よかったし、かたかたと鳴る足踏みミシンの音も好きだった。今思うと、自分の服を作ってくれていることに母の愛情を感じていたのだろう。そして、母のほうは3人の子育ての息抜きとして、服作り自体を楽しんでいたような気がする。自分の服をずいぶん作っていたし。

 私が最初にミシンの使い方を覚えたのは小学校の家庭科の授業だ。それから家のミシンを使うようになったが、糸道を通して糸をセットするのもなかなか大変だったし、上糸と下糸の調子がつかめず、よく糸を切った。針を折った回数も数えきれない。夫と暮らし始めてから、電動ミシンを買った。これも電動になっただけで原理は足踏みミシンと同じだった。その後に、コンピュータミシンというのができて、60種類くらいの飾り縫いができたり、セットするだけで刺繍ができるようになった。しかし、そんなにオプションがあっても使い道がない。私も自分の子供の服などを作っていたが、直線がちゃんと縫えれば十分だった。そのうちに子供は大きくなり、手作りよりも安い市販のおしゃれな衣料が出回るようになって、すっかりミシンを使わなくなった。

 そして今、量販店のミシン売り場に行ってみると、スペースはほんの少し。並ぶのは5、6万円台の手頃な価格のミシン。しかし、技術の進歩はすばらしく、糸道は簡単、針孔への糸通しはワンタッチ、デニム6枚の厚縫いもOK、釜は水平釜で、放り込めばOKという、初めてでもすぐに縫えそうなミシンが並んでいる。糸調子の調整は自分でやらなくてはならないだろうが、それもボタンを回すだけで簡単そうだ。今やミシンは、本当に服作りが好きな若者か、保育園・幼稚園の子供用にと張り切る母親か、人形の服作りに目覚めた趣味人くらいしか買おうと思わないのかもしれないが、売り場にあったミシンはとても魅力的だった。2台目コンパクトミシンの予定だった私の心は、1台目スーパーらくちん(そう)ミシン買い替えへと、大きく動いている。

(えざき りえ)





はまって、はまって

江崎リエ(2007.4.3更新)

桜を待つ心

 京都旅行に行って来た。満開の桜のシーズンに重なるかと思ったが、まだちょっと早くて三分から五分咲きくらい。桜の名所の前では、「もうちょっとやなあ」「来週あたりやわ」などと、柔らかな関西弁で桜の開き具合を案じる声がする。

 桜ほど、つぼみがふくらむのを毎日眺められ、まだかまだかと開花が待たれる花はないだろう。花のつぼみは皆そうだが、だいぶ大きく膨らんで、もうすぐ咲きそうと思ってからが、なかなか時間がかかる。じらすつもりはないのだろうが、待っている方には絶妙のじらし具合に感じられる。

 京都のソメイヨシノやヤマザクラが「まだまだ」と固いつぼみでいる横で、妖艶な美しさを見せていたのが枝垂れ桜だ。幹の曲線や枝垂れの枝ぶりは計算されて仕立てられているのだろうが、満開の枝垂れ桜は花が天から降り注ぐようで、思わず見入ってしまう。

 ああ、今年も桜のシーズンを迎えられた。この時を迎えることが一年の区切りでもあり、生きてきたごほうびのようにも感じられる。花は散り、また新しい四季が繰り返されることを思うと、その時の流れに乗って、前に進まなくてはとも思う。

 日曜に戻ってきたら東京の桜は満開だった。今度は、東京の桜を楽しまなくては。

(えざき りえ)







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江崎リエ(2007.5.8更新)

新しい写真の楽しみ

 デジカメのなかった時代の話。「写真、撮れますか?」 フリーで広告書きの仕事をしていると、こう聞かれることがたまにあった。

 依頼先は、カメラマン代を節約したい。そこで、「撮れます」と言うかどうかは悩みどころだ。「撮れます」と言えば私の価値は上がるし、ギャラもそれなりに保証される。しかし、取材の相手先からは軽く見られるし、取材時の私の負担は大きくなる。そこで私は、「撮れますけれど、取材に集中したいのでカメラマンを頼んで下さい」と言っていた。OKになれば、ギャラは抑え目になるが、仕事はらくになる。だが、「撮れるんなら撮ってください」と言われて新聞や雑誌に使う顔写真を撮ったことも数回ある。一眼レフの銀塩カメラ。マニュアルで撮って、まあまあの腕だったと思う。

 今はデジカメが普及し、広告代理店の営業が、「予算がないので、僕が写真を撮ります」という時代。写真のできはよくないが、素人写真全盛の時代には、それでどこからもクレームは来ない。パソコン上で細工も効くので、使えない写真というのも減っている。そのぶん、現場でいい写真を撮る技術は、ないがしろにされている気がするが。

 そういうわけで、私は仕事で写真を撮ることもなくなり、旅行写真はデジカメのオートで十分、工夫して写真を撮る楽しみはなくなったが、それで別に不都合もないという状態で数年を過ごしてきた。ところが最近、デジカメを構えて、「右側からライトを当てたらどうかしら?」「レフ版があるといいかも?」「このてかりを消して、ここの影を明るくしたい」などと考えながら、写真を撮るようになっている。なぜなら、ブライスという人形の服作りを始めて、モデル+洋服をすてきに撮りたいと思うからだ。ブライスの身長は約28センチ。顔写真というよりは、「物(ぶつ)撮り」と言われる技術が必要な範疇の大きさだ。新しく広がる写真の世界。下手さ加減にがっかりすることも多いが、新しい写真の楽しみが目の前に広がっている。

(えざき りえ)







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江崎リエ(2007.6.2更新)

雑穀ごはんと銀しゃり

 有楽町の交通会館の中に、雑穀や各地のお米を売っている店があって.最近そこの「黒米」をひいきにしている。白米の5%くらいの分量を混ぜて焚くと全体が小豆色になり、ちょっともちもちして香りのいいごはんになる。雑穀を炊き合わせたり、炊飯器でそのまま焚ける玄米ごはんにしたり、料理に合わせて米のバリエーションを楽しんでいる。十年前には、こんなふうに気軽に焚ける雑穀は手に入らなかったので、雑穀ブームを痛感するとともに、新しい味の広がりを楽しめるのがうれしい。

 私が小さかった頃、祖母はつやつやに炊きあがった真っ白のご飯を前にすると、「ありがたいねえ、銀しゃりごはんだよ」と言っていた。二つの大戦を経験している祖母は、「戦争中は芋のつるを食べた」とか、「すいとんを作れればいいほうだった」というような話をしながら、私たち孫に、お米のご飯が食べられる平和のありがたさを繰り返し語った。第二次大戦中に女学生だった母は麦飯や雑穀ごはんが戦争の記憶と結びつくらしく、家族に白いごはんをたべさせることを誇りにしていた。というわけで、私は子供の頃に雑穀ごはんを食べた記憶がない。子供ができて、家族の健康や栄養を考えるようになって初めて、白米に麦を混ぜてみたり、ビタミン入りの米やカルシウムを入れてごはんを焚くようになった。

 1980年代後半は健康ブーム。1986年に海外のミネラルウォーターの輸入ができるようになってからは、水を買う時代になり、雑穀に対するイメージも変わってきた。生まれたときから白いお米のごはんを食べてきた若い世代には、麦飯も玄米ごはんも健康ブームの中の新しい味。銀しゃりの代わりの惨めな味ではなく、白米よりしゃれた体にいい味なのだ。

 たぶん、雑穀自体も昔に比べておいしくなっているのだろうと思う。臭みではなく、香り高く美味しく焚ける工夫がこらされているのだろう。米の様々なバリエーションを知り、料理との相性を考えながら雑穀のごはんの種類を選ぶ贅沢。「銀しゃりごはん」と言って満面の笑みを浮かべた祖母の顔を思い出すと、「健康のために雑穀」と言える今の境遇のありがたさをしみじみと感じる。

(えざき りえ)





はまって、はまって

江崎リエ(2007.7.2更新)

雨が好き

 梅雨の季節になって雨が続くと、「よく降りますね」とか「また、雨。嫌ですね」と話しかけられることが多くなる。そこでわざわざ、「いえいえ、私は雨が好きです」と は言わないし、からっと晴れた日の明るい光は好きだが、雨は雨でいいものだと思う。空気がしっとりするし、木々の緑も深みを増す。世界全体が少し静かになって、すべての物の匂いが深まる感じがするのが好きだ。

 私の子供の頃は、東京にもまだ舗装されていない道路が多かったので、雨が降ると湿った土の上にミミズが湧いたように出てきたし、家の壁や塀にも大きなカタツムリが張り付くのが見られた。天から水が降ると世界が一変する。昔の東京の郊外は子供にとって、そんな感覚が味わえる場所だった。

 大人になって営業の仕事をするようになると、雨の日はお客さんがゆっくり話を聞いてくれるのがうれしかった。だからといって売れるわけでもないのだが、雨の日は仕事のスピードがゆっくりになるような感覚があった。子供ができてからは、雨はまさに遊び道具。子供を雨に濡らさないようにと気を遣う母親もいるが、雨好きの母を持つと子供も雨好きになるのだろうか。小さい息子は、雨の日に水たまりに飛び込むのが好きだった。

 霧雨ならば濡れるくらいが気持ちいい。そう思っているせいか、出勤前に天気予報を気にすることはあまりない。そうすると思いがけず(ほんとは予報が当たって)帰りに雨に降られることがあり、しかもそれが霧雨でなかったりするので、駅のそばのコンビニで傘を買うことになる。若い頃は土砂降りでびしょ濡れになっても平気だったのだが、最近は「これで風邪を引いて仕事が滞ってはもうしわけない」と思うので、ビニール傘が家にたまることになる。息子は息子で、自転車で短時間外出した時に夕立に会う確率がかなり高い。こちらは元気よくびしょ濡れになって帰ってくるが、雨好きは雨を呼ぶのかもしれない。

 今年の梅雨はあまり雨が降らないが、梅雨らしく雨を降らせて、東京の緑やアスファルトのしっとりと濡らしてほしいと思う。

(えざき りえ)







はまって、はまって

江崎リエ(2007.8.2更新)


サンジェルマン・デ・プレ教会前のザッキンの彫刻
屋外彫刻に心が騒ぐ

 7月上旬に休暇を取ってパリに行ってきた。街を歩いていると、建物の上部に大きな彫像が並んでいたり、小さな広場の中央に現代彫刻が置かれていたりして、彫刻が生活に身近なのを感じる。これらの彫刻を眺めながら歩いていて、あらためて自分が彫刻が好きなのを感じた。

 子供の頃に東京で見ていた彫刻は上野の西郷さんとか野口英世像など偉人と言われる人の銅像だが、銅像はアートとは感じられず、興味を持たなかった。だが、美術の教科書でみた高村光雲の老猿とか、ピカソの足の彫刻などには心を引かれた覚えがある。ジャコメッティの針金のような人物、ボテロのまるまると太った人物像、ニキ・ド・サンファルのおもちゃ箱から出てきたような屋外彫刻なども、東京で見て気に入っていた。

 パリといえば、ありとあらゆる時代のすばらしい絵画があるので、美術館巡りというとまず「絵画」が頭に浮かぶが、実はすばらしい彫刻の宝庫でもある。今回私が訪ねたのは、ロダン、ブランクーシ、ザッキンの作品が並んだ美術館だが、大きな作品も多く、「これらの彫刻は屋外でおいてこそ味が出る」と思うものがたくさんあった。

 石造りの街の特性だろうか、屋外にも彫刻は多く、公園、広場、教会の庭などにも大きな彫刻作品が置かれている。これらの屋外彫刻は歩いていると突然目の前に現れる。それを見てはっと驚き、なんだかわくわくして嬉しくなる。街歩きでは、そんな出会いが何度かあった。なぜ嬉しくなるのかよくわからないが、見事な大木を見ても心が浮き立つから、人間は巨大なものを見ると感動するようにできているのかもしれない。次回は、彫刻の魅力を考えつつ屋外彫刻巡りをテーマに歩いても面白いかなと思っている。

(えざき りえ)





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江崎リエ(2007.9.3更新)

旅心

 旅に出たいという気分になって、どこに行くかを考えるのは楽しい。日本中、世界中を候補地と考えながらガイドブックを眺め、行こうと思えばどこにでも行けるのだという自由な感覚がたまらない。夢物語から現実的なものまで数カ所に候補地を絞ったところで、実際の日程と予算を考えて場所を決める。この時点で旅のイメージはスケールダウンしているが、具体性が増しているので調べものはより楽しくなる。高級料理にも買い物にもあまり興味がないので、自分の好みにヒットする情報をインターネットで探しては印刷しておく。宿を選び、チケットの手配をする。仕事の都合もあるので、出かける2、3ヶ月前にここまでの準備はしてしまう。

 だが、この2、3ヶ月がけっこう曲者だ。こうして休みを取った時期に限って、大きな仕事が引っかかったりする。プライベートでも予想外の出来事があったりして、うきうき気分に水を差されることが多い。ここで、「やめようか」とめげないためにも、宿とチケットを取っておくのが有効だ。行くと決めたのだから行くのだ、と気分を盛り上げた後に、もう一度気分が萎えることが多い。これは、たいていは出かける直前で、急ぎの仕事が終わらないとか、旅の準備が全然できないとか、冷蔵庫に悪くなりそうなものがいっぱいとか、この人間またはこの事をほって置くのが気にかかるとか、そうした思いが重なって起こる。人間というのは新しいことを始めることに臆病な動物かもしれず、だとしたらこれは一種の防衛本能かもしれない。出発2、3日前からのぐだぐだした気分も、出発前夜になるとあきらめがつき、実際に出発してしまえばすべてを忘れてしまう。いい気分で旅を楽しみ、家に帰ってみると問題は問題のまま残っていたりするのだが、そのときは自分が開放的になっているせいか、前よりもたいした問題ではないように思える。

 こんなことを繰り返して最近思ったのは、「ふらっと旅に出る」と決めて2、3日遠出すれば、このぐだぐだを味わわずにすむのではないかということだ。だがその分、旅に出る前にあれこれ考える喜びも薄まる気がするが。猛暑も過ぎて、風に秋を感じると、ふらっとどこかに行きたくなる。自分の日常のなかで、突然の旅が何をもたらすか実験してみてもいいかもしれない。

(えざき りえ)







はまって、はまって

江崎リエ(2007.10.3更新)

自分のための弁当

 最近ときどき、会社に弁当を持って行く。息子が高校卒業までは、毎日毎日弁当を作っていたのだが、自分のために作ったことはほとんどなかった。実際に作り始めてみると、これはこれでなかなか楽しい。

 週に2日は会社の帰りに寄るところがあり、そのときはコンビニのおにぎりかドトールなどの安い店で腹ごしらえをしてから行っていたのだが、それにもだんだん飽きてきた。1日2食外食ではお金もかかるので、自分でちゃんとおいしいと思うものを作ろうと考えたのだ。

 といっても、たいしたものを作るわけでもない。ごはんはほんの少し。茹でブロッコリーや蒸しナス、プチトマトなど、作り置きの野菜を半分くらいつめ、残りの半分には肉の炒め物か焼き魚をのせる。自分で作るのだから意外性もないし、毎回似たようなものが入っている。しかし、自分で作るのだから好きなものばかりが入っていて、なかなかおいしい。

 最近の夕食は一人が多いのだが、家で夕食を作りながら翌日の弁当用のおかずも作るし、冷凍の作り置きもするようになったので、家族の夕食を作っていたときの華やぎが少し戻ってきたような気もする。もう一歩進んで、今まで作ったことのない弁当用のレパートリーを増やしたり、カロリーの低い健康弁当を作ったり、新しい試みをするともっと面白くなりそうな気がしているのだが……。

(えざき りえ)







はまって、はまって

江崎リエ(2007.11.5更新)

下鴨神社の鳥居


金福寺のお庭



光悦寺の入り口

秋の京都

 京都に行き始めてまだ数回、まだまだ見ていないところがたくさんあって、その興味はつきない。

 今回は2泊3日の旅。初日は友人に、上賀茂神社、下鴨神社を案内してもらった。これまでほとんどお寺ばかり回っていたので、神社のたたずまいが、なかなか新鮮だった。2日目詩仙堂界隈を回ったのだが、名前も知らなかった金福寺(こんぷくじ)がとてもよかった。村山たか女と与謝野蕪村ゆかりの寺だそうで、境内のあちこちに俳句の書かれた札がある。何百年も歴史があって、念仏に清められた寺よりも、ほんわかとゆるい感じが肌に合うのかもしれない。

 3日目は光悦寺へ。ここも、本阿弥光悦が工芸職人を集めて芸術村を作った場所があとから寺になったそうで、庭園内にお茶室がいくつかある別荘といった風情。入り口は目が覚めるような美しさだし、有名な光悦垣の前の風景も、30分座って眺めていても飽きない美しさだった。なんとなくのんびりとした雄大な気分になれるのは、すぐ後ろに鷹ケ峯という山が見えるせいかもしれない。私が持っている日本人としての美意識の根っこの一部には本阿弥光悦の作品から培われたものがあるような気がする。そんなことを思いながら、光悦さんのお墓には手を合わせてきた。

 紅葉にはまだ早かったのだが、あちこちにほんのり色づきかけた紅葉の木が目についた。これが深紅に染まると、京都の風景が一変するのだなあと想像すると、それを毎年味わえる京都人がうらやましい気がする。

(えざき りえ)









はまって、はまって

江崎リエ(2007.12.5更新)

『ショコラの愉しみ ジャン=ポール・エヴァンのレシピ』

銀座展界隈のチョコレート専門店

私が通勤している銀座界隈にはチョコレート専門店が多い。自分のために一粒300円もするようなボンボン・ショコラを買うことはめったにないが、会社の同僚の送別の際のプレゼントや友人・知人の土産に買う機会は多い。新しいコンセプトのチョコレート屋ができた場合は、広告屋の好奇心でのぞきに行く。今回縁があってジャン=ポール・エヴァンのショコラレシピの本を翻訳したので、自分がこれまでに買ったことのあるチョコレート専門店を思い返してみた。

一番良く買うのは、会社の近くにある「レオニダス」だ。これはベルギーのブリュッセルに本店があるチョコレート専門店で、チョコはベルギーから空輸されているそうだが、それほど高くないのでプレゼントに利用することが多い。しばらく前に、やはりベルギーが本店の「ノイハウス」が近くにできた。こちらはカフェが併設されているので、コーヒーと一緒に味見した。和光のチョコレートショップも昔からあるので、土産用によく買う店だ。眺めて楽しいのは銀座7丁目にある「リシャール」。ここのチョコレートは、どうやって作るのかわからないがチョコの表面に様々な幾何学模様が印刷されたようになっていて、それがアブストラクトなデザインとしてとても美しい。外から店内がよく見えるので、前を通るたびに外からショコラを眺めてくる。京橋にある「メサージュ・ド・ローズ」も眺めて楽しいチョコレート専門店。ここはバラの形をしたチョコレートがウリで、白、ピンクの精巧なバラ細工と思えるようなチョコレートが並んでいる。

明治製菓の社屋に新しい店ができたときに、すぐに行ったのが「100% ChocolateCafe」。ここはチョコレート自体よりも店舗や包装紙、手提げ袋などのデザインが評判になっていたので、様子を見に行ったのだ。最初は混んでいたが、最近は落ち着いていてゆっくりとお茶が飲める。評判になったのに行けずにいるのが銀座5丁目の「ピエール・マルコリーニ」と丸の内の「ラ・メゾン・デュ・ショコラ」。どちらもカフェが併設されているらしいのだが、雑誌に特集されることが多く、行こうかなと思った時に人が多いのと他に比べて価格が高めなので機会に恵まれずにいる。

銀座には店舗がないが、ジャン=ポール・エヴァンは、パリ、表参道ヒルズ、六本木の3店舗で、ボンボン・ショコラ、チョコレートケーキ、ショコラショーの味見をしてきた。専門店のチョコレートは味が濃いし、おいしさも2段階くらい上。様々な本を見てプロのショコラティエの作り方も知ったので、これだけ手間がかかっているのだから価格が高いのも納得できる、と思うようになった。次のバレンタインの季節までに、もう少し別の専門店の味見をしようと思っている。もっとも、子供のころから食べている100円の板チョコも相変わらず私には魅力的だけれど。

*11月30日に翻訳書「ショコラの愉しみ ジャン=ポール・エヴァンのレシピ」(メディアファクトリー)が出ました。ショコラ色のとてもきれいな本になったので、プレゼントにもお勧めです。
(えざき りえ)