【はまって、はまって】バックナンバー 2008年  江崎リエ(えざき りえ) 

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はまって、はまって

江崎リエ(2008.1.7更新)

最近買って満足したチーズの盛り合わせ
左上から時計回りに、ブルサンアイユ、シールベイトリプル、フレッシュシェーブル、ブルサンいちじく&ナッツ、ルスティックカマンベール、ペックカチョカバロシラーノ

チーズ好きと言えるかどうか……

 「チーズ好きですか?」と聞かれた時に、どう返事をしたらいいか、けっこう迷う。 「好きです」と自信を持って言いたいところだが、チーズならなんでも食べられるというわけではない。「ロックフォールチーズは好きですか?」と聞かれても、けっこう困る。基本的には好き、でも同じロックフォールでも一口食べただけで受け付けないものもある。これが種類によるのか、熟成度によるのか、値段によるのかもよくわからない。パリのサンドイッチ、ごくふつうのチェダーチーズとハムをフランスパンにはさんだものでも、一口かぶりついて、「あ、このチーズは胃にもたれてダメ」というのがある。何がダメで何がいいのか、食べてみないと自分でもわからないのだ。

 というわけなので、チーズが欲しくてチーズ専門店に行っても、自分の好みが的確に伝えられない。2、3個試食させてもらって、その中から好きなものを選ぶしかないのだが、これだとなかなか新しいものが開拓できない。そこで、少しずつ盛り合わせになっているものを買って来て、トライしてみるが、これはけっこうハズレが多くて悲しい思いをすることになる。そのうえ記憶力が悪いので、好きだったチーズも嫌いだったチーズもすぐに名前を忘れてしまう。

 こんな体験をもう10年くらい続けているのではないだろうか。そこで、今年の決心は、様々なことに分析的になること。チーズに限らず、物事を細部まできちんと覚えず、ふわっとイメージだけ持つというのは、私の悪い癖なのだ。今年は好きなチーズもダメだったチーズも、ちゃんと名前をメモして、そのメモを持ち歩いてお気に入りを探そうと思う。

 そんなことをワインを飲みながら考えているうちに、正月休みを終わりを迎えた。今年はここにも、「分析的になる」という意識を投影したエッセイを書きたいと思っている、と宣言してしまおう。皆様、今年もどうぞよろしく。
(えざき りえ)







はまって、はまって

江崎リエ(2008.2.3更新)


パフ豆ってすごい

豆料理が好きなのです。なんでかなと自分でも思うのだけれど、ことこと煮て、煮上がるのを待つ時間に、心の落ち着きとか些細な幸せを感じるからかもしれません。

豆料理にあこがれたのは、子供の頃に見ていた西部劇「ローハイド」のせいだと思います。牛を追いながら旅をするカウボーイの物語。コックのウィッシュボンが作るのが、豆のシチュー。カウボーイ達は「またかよ」とうんざりした顔を見せるのですが、私にとっては未知の食べ物だったのであこがれました。

私の子供時代の豆料理は祖母が作るお正月の黒豆。グリーンピースを炊き込んだ豆ご飯。大豆と人参、昆布を炊いた煮豆。豆料理じゃなくて、ご飯と箸休めという感じでした。だから、塩味でおかずになる洋風豆料理が新鮮だったわけです。高校生になって、「ウェンディーズ」でチリ・ビーンズを見つけたときに、「ああ、これがウィッシュボンさんの豆シチューだ」と思って感激しました。今でも、このメニューは好きです。

大人になって、様々な豆を料理に使うようになりました。赤インゲン、白インゲン、虎豆、大豆、小豆、黒豆。前日から水を吸わせて、翌日茹でて、それから料理に使います。時間がかかりますが、その時間が料理をおいしくしてくれるような気がしていました。インド料理にはまったときも、ひよこ豆、赤インゲン、ムング豆のカレーが気に入って、豆を探したりしました。

昔は手にはいらなかったこうした豆も、最近は健康ブーム、野菜ブームでかんたんに手に入るようになりました。そして、最近知った画期的な発明がパフ豆です。これは、事前に豆に特別な処理がしてあって、そのままお米と一緒に炊き込んだり、鍋に放り込んで料理に使えるのです。

豆料理のよさは、作ると決めてからけっこう時間がかかること。半日前に準備して、段取りを決めてつくるぶん、用意周到。楽しみも長いわけですが、用意周到の余裕がないと作れません。ところがパフ豆なら、会社から帰って料理をする気まぐれをおこしてもすぐに使えるのです。

準備して待つ楽しみと面倒はないけれど、日常の豆料理はぐっと便利になりました。というわけで、最近の私は、豆料理がちょっとしたブームです。
(えざき りえ)







はまって、はまって

江崎リエ(2008.3.3更新)


ひな祭りと散らし寿司

私が育った家には、ひな祭り用のおひな様も端午の節句用の鯉のぼりもなかった。だが、その時期になると幼稚園、小学校などでひな人形や鯉のぼりを作るので、代々伝わる飾りはなくても、なんとなくその時にあった手作りのものを飾っていた。そして料理好きの祖母は、行事に合った料理を作って私たちにふるまっていた。同居はしていたが食事は別にしていたので、祖母が料理をふるまう日は、家族にとって特別な日だった。ひな祭りは決まって、散らし寿司に潮汁。しいたけ、人参、油揚を甘辛く煮て汁を切る。蓮根は甘酢で白く煮る。これらを酢飯に混ぜて上に錦糸卵を散らす。その上には好みの魚介類。酢飯の中に、茹でエビや銀杏が入っていることもあった。そして、大きな蛤がお椀の底に一つ入った潮汁。たぶん他のおかずもあったのだろうが、それは覚えていない。

祖母は自分が昔、女の子だったからか、子供の日よりもひな祭りの料理に熱心だった気がする。そして私も、毎年3月3日のメニューは固定。散らし寿司と潮汁だ。上に乗る具は、私の好きなイクラやスモークサーモンだったり、子供の好きなマグロだったりといろいろだが、ここ数年は刻み穴子が定番だ。今日も潮汁用の蛤を買って来た。今では二人家族、蛤も二つでいいのに、六つも七つも入った高いパックしかなかったが、まあしょうがない。明日の下ごしらえに野菜を刻み、煮込んでおこうかと思っているところ。こうして毎年作ってみると、食べるよりも作る方が楽しい。たぶん祖母もそうだったのではないかと思う。私はずっと、祖母は私達が孫がぱくぱく食べるのを喜んでいたと思っていたのだが、きっと作る事自体が楽しかったんだろうと思う。ちゃんと食べさせる人間がいなくても、料理をしようと思う私のように。
(えざき りえ)







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江崎リエ(2008.4.3更新)


赤坂サカスで花見 

「桜がきれいらしい」という噂を聞いて、赤坂サカスに行ってきました。ここは東京都港区赤坂5丁目のTBSの跡地とその周りを再開発してできたエリア。オフィスと商業棟が一つになった赤坂Bizタワーを中心に、赤坂BLITZや赤坂ACTシアターもリニューアルして、ずいぶん様子が変わっていました。赤坂Bizタワーの低層スペースにはレストランもたくさん入り、賑わっていましたが、全体のスペースがそれほど広くないので、「新しい街」というよりは新ビルというイメージでした。TBSは三井不動産と組んだそうで、インテリアのテイストなどは六本木ミッドタウンと似ています。ミッドタウンとサカスの間を往復するシャトルバスも運行されていました。

赤坂サカスは、「咲かす」と「坂s(複数形ね)」をかけているらしい。久しぶりに赤坂に行き、千代田線で上がった出口が裏側だったので、私もさっそく三分坂の急坂を上るはめになりました。確かに坂が多くて、年寄りや足の悪い人には辛いかも。さらに、今日(4月1日)は風が強かったのですよ。これが今日だけで、ビル風じゃないといいのだけれど。桜の木の数は期待したほどではなかったし、植えたばかりの若い木が多かったけれど、それでもなかなかきれいでした。まあ、お花見としては40点くらいの点数です。

わざわざ出かけていく人よりも、この辺で働いている人が食事をするときのバリエーションができてうれしいかもしれませんね。レストランも、六本木ミッドタウンよりお手頃価格な気がしますし。次回はゆっくり、店を眺めてきたいと思っています。
(えざき りえ)







はまって、はまって

江崎リエ(2008.5.5更新)


松尾大社 蓬莱の庭


南禅寺 天授庵の石畳


東福寺 方丈庭園西のサツキの刈込み
重森三玲と格子柄

4月27日から2泊で、京都観光を楽しんで来ました。ゴールデンウィークで混みそうという予想もあって、あまり人が行きそうもない所を選んだのですが、なぜか重森三玲(しげもりみれい)と格子柄に縁のある旅でした。

まず、重森三玲。最初に行った松尾大社の庭を作った人で、昭和50年の作。現代の作庭家です。伝統の庭に対して新しいことをしたかったのはわかるけど対抗するのはたいへん、というお庭でした。心意気は買います。

3日目に行った東福寺方丈庭園。こちらは、なかなかよかったのですが、これも重森三玲作だそう。さらに、三玲の名はフランスの画家ジャン・フランソワ・ミレーにちなんで改名したのだそう。フランス好きとしては、その心意気も買いたいところ。庭と言えば小堀遠州ばかり見てきたような気がするので、なかなかおもしろい体験でした。次は格子。2日目に行った南禅寺の塔頭・天授庵の庭はダイヤ型の石畳がアクセント。3目の東福寺方丈庭園は、サツキの刈り込み、敷石と苔の市松模様がアクセント、さらに開山堂の枯山水の砂の模様も市松でした。

考えてみれば、砂に模様を書くとき、縦縞、格子、同心円は書きやすい柄なので、驚くには当たらないとも思いましたが、それでも、この偶然を楽しんで帰って来ました。
(えざき りえ)







はまって、はまって

江崎リエ(2008.6.5更新)


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「私たちは、1日2時間くらいしか考える時間がないのだから、その時間にちゃんと自分のことを考えましょう」

先日、ある経済評論家のインタビューをした時に心に残った言葉です。睡眠と前後の身繕いに8時間、仕事に8時間、通勤に2時間、料理と食事に2時間と考えていくと、残りは4時間。家事をしてテレビを見たりしていたら、1日2時間外部の刺激をシャットアウトして物を考える時間を取るのは難しいかもしれません。こう考えると、残業なんてやっている場合ではありませんね。

自分のことを考える、というのもなかなかむずかしい。気持ちよく生きるためにどうするかという手段の模索も、若い頃なら大事な気がしますが、私の年齢だともう手段は選んでしまっているわけだし、考えることばかりが良いわけでもありません。ただ、「考えることは行動の端緒になる、考えなければ何も始まらない」と思うと、考えることは大事だなと思います。そして、考えて「こうすべきだ」と結論が出たら、さっさとそれを実行に移すのが一番大事なことなのでしょう。

と、こんなことを思ったのは、たぶん私が今、変化を求めているから。何をどう変えたいのか、毎日2時間を確保して、考えてみようと思います。

*新刊のお知らせ
ハリウッド映画のノベライズの新刊が出ました。
「幸せになるための27のドレス」 メディアファクトリー
映画は5月31日公開です。結婚を夢見る女性の成長記ですが、ユーモアもあり、ほろっとするところもあって楽しめる映画です。
(えざき りえ)





はまって、はまって

江崎リエ(2008.7.7更新)



ソフトクリームの日

 子供のころはソフトクリームが大好きだった。うねうねと出てくるあのカタチ、コーンのカリカリした触感……。祖母に連れて行ってもらったデパートのレストランで、専用のソフトクリーム立てに立てられたソフトクリームが目の前に運ばれて来たときのうれしさを思い出す。高校時代は新宿西口の地下広場にあったソフトクリーム屋に通った。西口広場が元気だった頃で、同じく元気な高校生だった私は友人とおしゃべりしながらソフトクリームの列に並んだ。チョコミックスにはじまり、さまざまな種類と大きさのソフトを食べ比べた楽しい日々だった。

 だが、大人になってからはあまり食べる機会がない。会社の近所には北海道の物産を売る店などがあって、おいしそうなソフトクリームが売られているのだが、なかなか一人でソフトクリームを食べようとは思わないし、立って食べるのが嫌いなので敬遠してしまう。そもそもソフトクリームは立ち食いするものらしく、座って食べさせくれるところがほとんどないのだ。

 ソフトクリームはいつ頃から日本にあるのだろうか? 歴史を調べようとネットを検索したら、日本ソフトクリーム協議会という団体があった。日本に初めてソフトクリームが登場したのが昭和26年7月3日だそうで、本日7月3日はソフトクリームの日だそうだ。なんという偶然!

 ついでにネットで「自宅でソフトクリームを作る機械」も発見した。値段は1万円前後。ソフトクリームミックスという材料もけっこう高い。これを使わないと、牛乳、生クリーム、砂糖などを自分で混ぜて準備しなくてはならない。家にあったらうれしいが、すぐに使わなくなりそうだ。

 いろいろ書いているうちにソフトクリームが食べたくなってきた。ソフトクリームについて書こうと思った日が「ソフトクリームの日」だったのを記念して、きょうはどこかで、ちゃんと座ってソフトクリームを食べようと思う。最近は近所のコンビニでも最近はソフトクリームを売っているので、帰りに買って家で食べるのが一番てっとりばやいかもしれないが。
(えざき りえ)





はまって、はまって

江崎リエ(2008.8.4更新)


岡本太郎の庭の彫刻




パリの舗道に置かれた
ザッキンの彫刻

屋外で見る彫刻

先日、表参道の「岡本太郎記念館」に行って来た。小さな庭に彫刻が何点か置かれている。それを見て、私は自分の「屋外彫刻好き」を実感した。建物の中ではなく、青空の下に置かれた大きな彫刻の魅力は独特だ。

何がいいのだろう? 置かれている空間の広さ? 上を見ると空があること? 自然と人工物の取り合わせのおもしろさ? 空気が流れていること? 巨大な作品が多いので、その大きさに力があるのだろうか? 置かれる場所が初めからわかっていて作られる彫刻もあれば、作ってから置く場所が決まる彫刻もあるのだろうが、見るほうは置かれた場所を背景として彫刻を見る。

絵画の額縁にもいろいろと凝った物があるが、置かれた場所の風景は、額縁よりも大きな影響力を作品に与えている。岡本太郎の庭の木、彫刻の森美術館の広大な芝生、アブストラクトな彫刻を囲むパリの風景……。それぞれが、彫刻をより魅力的なものにしている。

ああ、そうだ、もうひとつ。たぶん、見る方も外気を感じながら大きな彫刻の前に立つほうが、心がやわらかくなっている。だから、すなおに作品を感じるのかもしれない。しばらくは意識的に、暑い日差しを浴びながら屋外彫刻を眺めたいと思っている。
(えざき りえ)







はまって、はまって

江崎リエ(2008.9.3更新)


熊谷守一美術館入り口

アリを眺める

私が子供の頃の東京には、舗装されていない道路がけっこうあって、アリの巣をよく見かけた。公園はもちろん土。アリの群れが子供が落としたドロップの周りにたかっていたり、パン屑の残りのような白い小さな粒を運んでいたりすると、私はじっとそれを眺めていた。群れの後について行って巣を突き止めたこともあるし、巣の中に葉っぱを入れて通れなくしたり、水を入れたこともある。そんな悪さをしても、翌日見に行くと巣は元通りになっていて、安心したような、拍子抜けしたような気分になったものだ。息子が小さい時も同じようなことをしていたから、子供は皆こういうことを繰り返し、アリたちはそんなことはものともせずに生きていくのかもしれない。

家族でオーストラリアのメルボルンに行ったときは、友人の庭にいたアリの巨大さに驚いた。体長3センチくらいあるのが、ふつうのアリなのだ。このときも私は、おもしろがってアリを眺めた。

それから10年以上が経ち「ああ、最近はアリを見てないな」と思った。そう思ったきっかけは、熊谷守一だ。熊谷ファンならピンとくると思うが、彼のアリの絵を見る機会があったのだ。

豊島区の「熊谷守一美術館」。金曜日の夕方に訪ねてみると、私を迎えてくれたのは、コンクリートの外壁に描かれた黄色のアリたち。これがとてもいいのだ。この小さな美術館で絵を眺め、外壁のアリを眺めているうちに、せっせと動き回るアリが見たくなった。天気のいい日にアリを探しに出かけよう、と思っている。
(えざき りえ)







はまって、はまって

江崎リエ(2003.10.3更新)


見た目もきれい

和菓子好き

自分を和菓子好きと思ったことはなかった。子供時代は不二家のショートケーキが一番のごちそう。大人になってからも、地味な和菓子よりも生クリームたっぷりの洋菓子のほうがわくわくと心が騒いだ。だが、9月に金沢に行き、あちこちで抹茶と和菓子を食べるうちに、「あ、私ってけっこう和菓子が好きかも」と認識を新たにした。

考えてみると、私はケーキよりはずっとたくさんの和菓子を食べている。二十歳で家を出るまで、私はずっと祖母と部屋を分け合っていた。そして、祖母がお茶と一緒に食べる和菓子を、弟達と一緒にもらっていた。桜餅、草餅、柏餅、おはぎ、うぐいす餅、あん団子栗羊羹などなど、季節ごとの日常的な和菓子は、祖母が近所の和菓子屋から買ってくるか自分で作っていた。これに加えて、折々のいただきものの和菓子がある。謡と俳句を趣味にしていた祖母は友人が多く、定期的に我が家で会を催していたので、そのときに様々なお土産をいただいた。東京の有名な最中や和菓子、祖母の故郷・福岡の和菓子、友人のお茶の先生が持って来る優雅な干菓子や和三盆、友人それぞれの故郷の名物菓子。私は毎日そばにいるぶん、いつでもお相伴にあずかっていたので、いつのまにか和菓子に詳しくなっていた。

父も夫も、お酒も好きだが和菓子も好きというタイプだったので、二人のためにもいろいろな和菓子を買った。夫の母にデパートから和菓子を送るのも楽しみなので、ここでもいろいろな知識が増えていった。そうは言っても夫が亡くなった今、自分のために和菓子を買って一人で食べることはほとんどないのだが、今回和菓子好きに目覚めたのは、それだけ金沢の和菓子がおいしかったからだろう。伝統のパワーなのだろうか、茶道のためのお菓子という位置づけだからなのだろうか、見た目が美しく、味も甘すぎず上品で、街巡りで疲れた体を元気づけてくれた。お茶を立てる、というセレモニーは好きではないのだが、祖母がしゃかしゃかと立ててくれる抹茶を飲むのは好きだったし、昔々祖母が使っていた茶筅が手元にある。うまく立てられるかどうかわからないが、秋の一夜、小さな和菓子を用意して、お茶を立ててみようかと思う。
(えざき りえ)







はまって、はまって

江崎リエ(2008.11.3更新)






丸の内仲通りのハロウィーン飾り

カボチャ好き嫌い

ハロウィーンの季節は終わりましたが、食べるカボチャの季節はこれからですね。私の誕生日は12月22日。冬至に当たることが多く、「冬至にはカボチャを食べるもの」と、子供のころから言われて来ましたが、実は私はカボチャがあまり好きではありません。嫌いというほど積極的なわけではありませんが、避けられるならば避けたい。ところが、私の祖母はカボチャ好きで、甘辛に煮たカボチャをよく食べさせられました。

だいぶ前に田辺聖子さんのエッセイを読んでいたら、「いもたこなんきん」が女性が好きな物として載っていました。私は初めて聞く言葉だったのですが、いもはサツマイモ、たこは蛸、なんきんはカボチャです。私はカボチャ同様、サツマイモもタコもそれほど好きではありません(タコ焼きのタコは好き)。この三つ、好きな女性が多いというのは本当でしょうか。

ただ、カボチャの形は好きです。冷たくて堅いあの触感も好き。ですから、カボチャがオブジェとして扱われているハロウィーンの飾りはなかなか楽しめます。そして、草間弥生さんのカボチャも。瀬戸内海の小さな島、直島の桟橋に置かれた草間さんの巨大カボチャを、ぜひ見に行きたいと思っています。

オブジェとしては好きだけど、食物としては嫌い。こんな私は、カボチャ好き、それともカボチャ嫌いなのでしょうか。
(えざき りえ)







はまって、はまって

江崎リエ(2008.12.5更新)




肉まんが好き

 私が子供のころに好きだったものに中村屋の肉まんがある。和菓子屋の店先の蒸籠(せいろ)でホカホカに蒸されている様子がいかにも温かく、おいしそうに見えた。店で買ってもらうのもうれしかったし、家に買って帰って蒸かしてもらうのも楽しみだった。当時は一つ50円くらいではなかっただろうか。その後、ヤマザキ、木村屋、井村屋などの肉まんも食べたが、最初に食べた中村屋の味がすり込まれているせいか、他の肉まんは好きではなかった。

 初めて本場の肉まんを食べたのは高校時代。横浜中華街の肉まんを食べる機会があり、それはそれでおいしかったのだが、それでも中村屋の小さい肉まんのほうに愛着があった。本格中華を味わっても、食べたくなるのはラーメンという感覚だろうか。大人になって神楽坂に住んでいたときに、中華まん専門店「神楽坂五十番」が近所にあるのを見つけた。行列のできる評判店だけに味も良く、種類も多いので一時は様々な種類を味わって楽しんだ。500円以上する高い肉まんよりもシンプルで一番安い360円の肉まんが好きで、よく買っていた。

 肉まんは好きだが、自分がほんとうにおいしいと思う肉まんを探すのはなかなかむずかしい。具の味が多少違っても肉まんならどれもおいしく感じるかというと、そうではない。私は甘味のあるおかずが好きではないので、意外とストライクゾーンが狭いのだ。自分で作ると好きな味に調整できるし安上がりなので、子供が小さい頃は20個くらい一度に作って蒸してから冷凍保存していたが、いまそれをすると、いくら冷凍しておいても、とても食べきれない。

 というわけで、最近はまた中村屋の肉まんに戻っている。昔は大きな肉まんをほっかほかに蒸してかぶりつくのが楽しみだったが、今はそんなに大きなのは食べきれないし……。中村屋の肉まんは現在スーパーで買って1個100円。5個入り1個増量500円というのもある。正月は家にいる予定なので、大きめの焼売サイズの肉まんを作ってみるのも、ままごとみたいで楽しいかなとも思うのだが。おせちの真ん中にちび肉まんというのもおもしろいかもしれない。

* * *

毎月すぐに締切がくるのに驚きつつも楽しく書き続けてきました。皆様、来年もどうぞよろしく。

神楽坂五十番のウェブサイトはこちら 
(えざき りえ)