【はまって、はまって】バックナンバー 2010年  江崎リエ(えざき りえ) 

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はまって、はまって

江崎リエ(2010.1.7更新)

新しい年、新しい生

 毎朝8時前には目が覚めるのですが、お正月の朝は9時すぎまで寝ていました。そして夜は9時くらいに眠くなり、ちょっと休憩と思って横になったらそのまま翌朝。なんと一日の半分しか起きていなかったという、記録的な正月になりました。そのぶん、「久々によく寝たー、生き返ったー」という感覚があります。

 ヨガの言葉の一つに、「夜眠るのと死ぬのはまったく同じこと。たった一つの違いは、翌朝目覚めるかどうかだ」というのがあります。たぶん、死を怖がらせないように考えだされたこと。そして、「だからこそ、今生きている一日をよく生きよ」と言いたいのだと思います。目覚めは誕生と同じ。朝起きたら、また新しい一日が始まることを喜べということでしょう。この伝でいくと、私の今朝の目覚めは、「新年の大誕生」というイメージで、めでたい感じがします。

 私はフリーランスでコピーライターの仕事をしていますが、ここ10年は昔仕事をしていた広告制作会社に嘱託で勤務しています。経営の仕方に志のあるいい会社なのですが、経済情勢の変化に対応できず、現在存続の危機にあります。迷走の一ヶ月を経てやっと、皆で力を合わせて立て直そうという明確な目標を持つところまできました。たくさん寝て、生まれ変わったイメージで会社の仕事に取り組む、生まれ変わったイメージで今後の自分の生活を見直す、そう考えると力が湧いてくるような気がします。

 お正月早々、死について書くのもどうかと思いましたが、私たちの生は、常に死と隣り合わせ。そのことを忘れてはいけないし、大事な生だからこそ、突然その生を奪うもの、戦争、殺人、事故、自殺、死刑などに反対しなくてはいけないのだと思っています。

 ここに書くのも、他のメンバーの原稿を読むのも、私の大きな楽しみでした。その楽しみがまた始まることをうれしく思っています。皆様が笑顔で幸せを感じられるいい一年になりますように。
(えざき りえ)







はまって、はまって

江崎リエ(2010.2.3更新)

がんもどき

 がんもどきに凝っている。凝っているから好きというわけではない。話せば長くなるので、省略して話すと、胃にもたれずにそれなりの味というのが、一番の魅力だ。

 事の発端は、ヨガ教室の断食講座に参加したことだ。断食と言っても、一週間の中二日だけ固形物を食べないというゆるやかな断食なのだが、これを終えて少しずつ普通食に戻す過程で、ほとんどの食物が胃にもたれる、という辛さを経験をした。胃に負担がないのは豆腐系だったので、最初は湯豆腐、焼き豆腐、厚揚げなどを食べていた。私はもともと豆腐が好きではないので、これに飽きて、次に何に行くかと考えた時に、頭角を現したのががんもどきだ。

 がんもどきの定義。ウィキペディアによれば「水気をしぼった豆腐に、すったヤマイモ、ニンジン 、ゴボウ、シイタケ 、コンブ 、ギンナン などを混ぜ合わせて丸く成型し、油で揚げたもの」だ。確かにそのとおりだが、買う場所(デパート、スーパー、専門店)によって、大きさも値段も中身も千差万別。私は之料理は、醤油味のだし汁に入れて煮含めるだけなのだが、中にしっかり豆腐が詰まったものは厚揚げ風、中がすかすかで空気が多いものは油揚風と、見かけも味も歯ごたえも全然違う。それがおもしろくて、出かけるたびにあちこちでがんもどきを買ってくる。

 値段、買った場所、形状、食べた感想を記録しておくといいのだが、ずぼらな性格なので、それはしない。そのせいで、「このがんもはおいしい」と思っても、どこで買ったかを忘れてしまって同じ物にたどりつかないことが多い。一期一会と思えばそれもいいのだろうが、がんもどきに一期一会を持ち出して、ずぼらの言い訳をするのもどうかと思う。

 そもそも、と言う話をすれば、私は子供の頃、がんもどきは全然好きではなかったが、「がんもどき」という名前は好きだった。もどきがマネという意味と知る前から好きだったのだから、ユーモラスな音が気に入っていたのだろう。「がんもどき」が「がんもどき」という名前でなかったら、今もこんなに凝っていないかもしれない。「薔薇が薔薇という名でなくても」と言ったジュリエットとは真逆だと思うと、それはそれでおもしろい。
(えざき りえ)





はまって、はまって

江崎リエ(2010.3.3更新)

変わり糸で春を編む

 ずいぶん前に、京都の毛糸屋で変わり糸の小巻セットを買ってきた。その糸を使って小さな花を編み、それを組み合わせてブローチを作っていた時期があったのだが、そのうち飽きて放り出してあった。

 先日、ふとしたことでその糸を手に取り、十数分の時間つぶしにと編み始めてみると、これがなかなか楽しい。ピンク系の変わり糸が多かったので、久しぶりの日射しと一緒になって、明るい気分になった。編み方は単純な鎖編みと長編みだけなのだが、それぞれに糸が変わっているので、編み上がった花のイメージが驚くほど変わる。その変化を楽しみ、花の組み合わせを考え、3つの花を集めたものをフェルト地に貼って、ブローチに仕立てた。3月は送別会のシーズンで、別れることになった同僚たちにプレゼントしたいと思い、その顔や好きな色のイメージに合わせて作っていたら、ついつい夢中になってしまった。

 だが、作っているときは楽しいのだが、出来上がった物を見ると、自分の不器用さを思い知らされる。「好きと上手は違うなあ」と思いつつ、「若い頃に、こういうことを仕事にしようと決心していたら、もっとうまくなったかなあ」とも思う。まあ、いくら思っても、目の前の現実は変わらないのだけれど。

 こうしてちょっと編み物を始めて見ると、いろいろな糸が見たくなり、先日新宿のオカダヤをのぞいてきた。そして驚いたのが、変わり糸の種類の多いこと。モールのような糸があり、こんなの引っかかって絶対に編めないと思うようなブークルの出た糸もあり、太さはでこぼこ、色は見事にグラデーションのかかったものがあり、単純な編み方で変わった印象になるように工夫されている。こういう素材の進歩はすばらしいと、あらためて思った。

 やっと3月。明るい日射しが春を告げている。そんな春に合わせて、もう少し残っている糸で自分用に大きな花のブローチを作ろうと思っている。
(えざき りえ)





はまって、はまって

江崎リエ(2010.4.4更新)

ドーナッツ好き?

 四月一日、新井薬師の桜並木を歩いてお花見をして来ました。その途中で友人に教えてもらったのが「はらドーナッツ店」。原豆腐店のおからと豆乳を使った安心おやつのドーナッツというのは雑誌で読んで知っていましたが、見るのは初めて。さっそく買って帰って、翌朝いただきました。しっとりしてもちもちして、なかなか美味しかった。
 そこで、思ったのは、「私は自分ではあまりドーナッツ好きではないと思っていたけれど、けっこうあちこちのドーナッツを食べているし、たまに無性に食べたくなる。もしかしたら、ほんとはドーナッツ好きかも」ということでした。
 思い込んでいる自分と本当の自分って、けっこう違うことは多いので、ちょっとドーナッツについて考えてみました。
 ドーナッツ初体験は何だろうと思うと、これは小さい頃母が油で揚げて作ってくれた自家製ドーナッツです。昔は物もお金もなかったから、たぶんベーキングパウダーを使って手作りしたんでしょうね。生地が爆発すると危ないから油のそばに近づくなと、うるさく言われたのを覚えています。
 次はダンキンドーナッツ。これをよく食べたのは高校生くらいの時でしょうか。とくにおいしいわけでもないけれど、友人とおしゃべりしながら食べました。その次はミスター・ドーナッツ。これは今でもときどき買って食べます。
 たわいもないけれど、食べるとちょっとやさしい気分になるなあ、と思うのが、私のなかのドーナッツです。
 行列ができて評判のドーナッツも、けっこうチェックしてます。行列は嫌いなので、ほとぼりが覚めたころに買いにいく程度ですが、有楽町に「クリスピー・クリーム・ドーナッツ」ができた時は買いに行きました。この時は、「並んでいるとサービスでくれるできたてドーナッツが一番おいしい」という話を聞いて、それが試したくて十分くらい並びました。プランタン銀座地下に「焼きドーナッツ専門店ミエル」ができて行列ができていた時も、すいて時間を狙って買いに行きました。
 人が並んでいるのを見ると、「どんな味なんだろう?」と好奇心がもたげて知りたくなります。その先にあるのが150円とか200円のドーナッツだと、がっかりしても腹は立たないし、そうそうのはずれもないという安心感もありますね。昔なら三つくらいは一度に食べましたが、今は一つで十分。いろいろな味が一度に試せないのは残念ですが、きっとこれからも、「それほど好きでもないんだけど」と言いながら、ドーナツを買い続けるような気がします。どこかおすすめの店があったら教えてください。

近況:フルタイムで働いていた広告制作会社との契約を解消し、4月1日からは昔のように自宅でフリーのコピーライター、翻訳者として仕事を始めました。始めたばかりで開店休業状態なので、仕事先を探しています。コピーライター、ライターをおさがしの方がいたらご紹介ください。ひさしぶりの自由を楽しみながら、いい仕事をしていきたいと思っています。
(えざき りえ)







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江崎リエ(2010.5.6更新)

iphoneを手に入れて

 iphoneの便利さも面白さもいろいろな人から聞いていましたが、使い始めて一ヶ月ちょっとで、「百聞は一見にしかず」を実感しています。ともかくすてきで、面白い。一番気に入っているのがデザインの良さ。手になじむ感じも、アイコンやフォントのデザインも、画面の映像も美しい。触っているだけでうれしいという感覚は、気に入ったアクセサリーと一緒です。
 文字はキーボードに比べて打ちにくいので、相変わらず携帯メールはほとんどやりませんし、twitterの書き込みもiphoneからはしませんが、アプリは楽しんでいます。面白そうなものを入れていくと、ボードゲームかパズルになり、「私ってこんなにボードゲームが好きだったのね」と再認識したり。今入っているのはオセロ、囲碁、チェス、四目並べ、数独、倉庫番、一筆書き、ハングマン、タイルを消していくゲーム。機械相手にオセロをやって負けてくやしいと思い、負けず嫌いだった自分を思い出したりもしています。こんなふうにアプリを選ぶことで、なんだか忘れていた自分の好みを思い出した気もします。
 パソコンを使うようになったときも思いましたが、iphoneがあれば歳を取っても、一人でこれで遊んでいられそうと思います。それには健康でいないとね。でも、健康だったらiphoneかパソコンを持って外に出かけるんだろうな、きっと。
 というわけで、おもしろそうなアプリがあったら、皆さん教えてください。

近況:薔薇戦争の時代が舞台の小説の翻訳をしています。イングランド歴史にはまったく興味がなかったのですが、翻訳することになって下調べをしてだいぶ覚えました。でも、ふつうの言葉、family, house,peopleなどが当時の政治体制の中ではどんな日本語のニュアンスなのかなど、いろいろと悩んでいます。
(えざき りえ)







はまって、はまって

江崎リエ(2010.6.3更新)

探し求めていたゲーム

 アップルのパソコンを使い始めてから2、3年たったころに、ニフティーサーブのアメリカ人の友人が3色のタイルを重ねて消すアメリカのパソコンゲームをくれた。単純ながらとてもおもしろいゲームで、家族三人で交代でやって数年楽しんだ。だが、ちょっと飽きてやらなくなっているうちにマックが進み、ゲームが入っていたフロッピーディスクも行方不明になり、そのうち、フロッピーディスク自体が使えなくなった。

 数年前、またあのゲームがやりたいと思いネットを検索してみた。ところが、私が覚えていたゲーム名「tassel」で出て来るのはカーテンの飾り房の通販ばかり。mac、game、tasselで検索してもヒットせず、似たような名前に変えて検索を繰り返しても出てこない。パズルゲームで一覧を見始めたが、これは数が多すぎてギブアップ。あんなに面白いゲームだったのだからネットを探せばあるはず、どこかで売られているはずと思うのだが、アメリカのサイトで取ったフリーゲームをもらっただけに、手がかりが追えずに諦めていた。

 先月、iphoneを手に入れてパズルゲームで遊んでいると書いたが、その途中で「そうだ、iphoneにはあのゲームがあるかもしれない」と思いついた。単純なゲームなので、iphoneにはぴったり。アメリカ人の作ったフリーゲームだとすれば、iphone用も作りそうだ。三つ子の魂百までのことわざ通り、二十年前にニフティーにいた友人は今でもネットで遊んでいる。二十年前にあのゲームを作った人は、今でもiphone用にゲームを作っているはず、という読みだ。

 読みは当たり、App Storeでtasselの綴りを変えて数回検索するうちに、夢に見たタイルのアイコンが出て来た。パソコンの前で数時間かけ、何回も検索したことを思うと、あまりにかんたんにこのゲームが見つかったことに驚いた。ゲームの名前は「Tesserae」だったが、これは記憶と違うのでiphoneの中でなければ見つけられなかっただろう。説明には「ゲームボーイ、セガ、PCゲームで20年親しまれている」と書いてあったので、名前を正確に覚えていれば簡単に見つかったわけだ。「名前をあいまいに覚えないで、きちんと記憶しよう」とだいぶ前に決心したのだけれど、改めて正しい記憶の大切さを認識した。

 改めてやってみると、やはり単純だがなかなかおもしろい。夫が生きていたら二人で遊んだだろうなと思い、家族三人交代でわいわいいいながらパソコンゲームをやっていたころを思いながら、翻訳の合間に一人でタイルを消している。

*無料版、有料(115円)版があるので、遊んでみてください。はまる人ははまると思います(^_^)。
(えざき りえ)





はまって、はまって

江崎リエ(2010.7.4更新)


ラベルが美しいレーベンブロイ




キングフィッシャー(かわせみ)の
絵がきれい

好きなビールあれこれ
クリーミーな泡が出るブローリー


 ここにエッセイを書くことになった時に、自分がはまったものを紹介して行こうと思ったのですが、もうずいぶんいろいろ書いてきましたね。そこで今回は、はまったというよりは日常になっているビールについて書こうと思います。

 父が飲んでいたビールの銘柄を思い出せないのですが、夫と一緒に暮らし始めた時に飲んでいたのは「アサヒスーパードライ」の大瓶です。どちらからともなくこの銘柄になったので、子供の頃から見ていたビールなのかもしれません。その間に、ちょっと趣向を変えたくなると、エビスビール、ブローリーの黒ビール、レーベンブロイを飲んでいました。コクのあるビールが好きなのですが、さっぱりしたレーベンブロイだけは、瓶が好きで飲んでいました。ポルシェのマークに似たマークも好きですし、明るいブルーのラベルに緑の瓶の美しさがたまりません。私にとってのめんくいビールです。

 始めての海外旅行は、仕事がらみで行ったインドでした。この時ホテルで飲んだインドビール「キングフィッシャー」は絶品でした。それで、ときどき東京のインド料理店でも飲みますが、当時ほど感激しません。あの土地で暑い中を歩き回って、ホテルに戻ってほっとして飲んだビールという条件下だからこそおいしかったのでしょう。

 もう一つ旅先のビールが、オーストラリアの「ビクトリア・ビター」です。これは夫と息子、夫の母の四人で親友のオーストラリア人夫婦の家を訪ねるために旅行し、毎日毎日ホテルの部屋で飲んでいたビールなので、懐かしく、いつでもおいしいビールです。

ヴィ・ビーが愛称のヴィクトリアビター

 三十年ずっと飲んでいた「アサヒスーパードライ」ですが、夫が亡くなってからは思い出が深すぎて飲めなくなりました。食卓にあるといろいろなことを思い出してしまうので一時はビールをやめてワインにしていたのですが、最近は発泡酒にしています。今気に入っているのは黄色の缶の「クリアアサヒ」です。毎日浴びるようにビールを飲むのはやめて、時々コクのある黒ビールやイギリスやベルギーのビールを飲んでみる。最近はそんなビールの楽しみ方をしています。

(えざき りえ)







はまって、はまって

江崎リエ(2010.8.5更新)


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西洋骨董を眺めるのが好き

 自分の中の美意識はどうやって育ってきたのだろう、と時々思う。両親や祖母の好みの影響、子供の時に見た絵や芝居、ダンス、バレエの影響、それぞれの時に見た風景の影響、様々なものが混ざり合って美意識を形成したのだろうが、その一つだとはっきり言えるものが、月刊誌「ミセス」に連載されていた西洋骨董の美しい一品を紹介する1ページだ。上半分に、たとえばアール・ヌーボー時代の花瓶やルネ・ラリックの乙女像、象牙細工の裁縫道具など、日常生活のなかで使われている美しい骨董品の写真が載っていて、下半分には骨董品の来歴や美の特徴、当時どのように使われたかなどの七百字程度の解説があり、私は毎月このページの写真を見るのを楽しみにしていた。

 なぜ普通なら縁のない「ミセス」を読んでいたのかというと、小説家の父がこの雑誌に「新宿散歩道」というエッセイを連載していた縁で、毎月版元の文化出版局が自宅に送ってくれていたのだ。

 西洋骨董も私の生活からすれば美術品同様の価格なので、手に入れたいとは思わないが、眺めるのは好きだ。銀座の会社に通っていたころは、「銀座アンティークモール」を定期的に訪ねるのが楽しかったし、ルーブル美術館でも絵画と同じくらいの量の工芸品のコレクションに溜め息をついた。ルーブルに行ったときは絵画も一部しか見る時間がなかったので、次に行ったときにはゆっくりと工芸品の展示を見たいと思っている。

 一年ほど前に、「ミセス」のあの遠い記憶のページをもう一度見てみたいと思い、エッセイを書いていた朝吹登水子さんの名前でアマゾンを検索して「私の巴里・アンティーク」という本を古書で入手した。夫はフランス人の西洋骨董商という朝吹さんの骨董コレクションが写真と共に紹介されているこの本の一部に「ミセス」に一年間連載したものが載っていた。読み返してみたが、当時の記憶は甦らず、これが私が当時読んだものかどうかははっきりとしない。だがそれとは別に、この本を読んでみて、彼女のシンプルで無駄のない文章は、私の文章の書き方に影響を与えたかもしれないと思った。彼女の訳書であるサガンの「悲しみよこんにちは」も繰り返し読んだはずだし。 
(えざき りえ)







はまって、はまって

江崎リエ(2010.9.5更新)




手回しのコーヒーミルの良さを再発見

  毎朝、濃いめのブラックコーヒーを入れて飲む。お湯を沸かし、ドリップ式の紙の中にスプーン一杯のコーヒーの粉を入れ、その容器をカップの上に置いて沸騰したお湯を注ぐ。最初は粉全体を湿らすほど入れて一呼吸置き、コーヒーの香りと粉のふくらみ具合を楽しむ。再びお湯を注ぐと粉はぷくぷくと言いながら一、五倍くらいにふくらむ。そのふくらみがへこむのを見てから再びお湯を注ぐ。これを三回くらい繰り返すと、ちょうどカップ一杯のコーヒーが抽出できる。粉の動く具合を眺め、コーヒーの香りを楽しみながら一杯のコーヒーを入れるのは、一日を始めるための心落ち着く習慣だ。

 最近この儀式のような流れに、新しい工程が加わった。コーヒーの粉のかわりにコーヒー豆を買ったので、コーヒーの粉を作るために手回しのコーヒーミルを回して豆を挽かなくてはならないのだ。この工程が加わったのは私の思い違いが発端だった。

 ある日、コーヒーの粉がなくなったのに気づいた私は、いつもとは違うコーヒー屋に寄った。いつもなら豆を挽いてもらうのだが、その日はレジが混んでいたので、豆のまま求めた。家には電動のコーヒーミルがあるので、家でまとめて粉にすればいいと思ったのだ。ところが家に帰ってみると、あるはずの電動ミルがない。壊れたのか、引っ越しを予定していた時に荷物を減らそうと処分したのか覚えていないのだが、ともかくあるはずの電動ミルは消えていた。

 そこで引っ張り出してきたのが、夫と一緒に暮らし始めた学生時代に使っていた手回しのコーヒーミルだ。子供が出来る前は交代でこのミルで豆を挽いてはコーヒーを入れていたので、二十年以上ぶりの登場だ。おそるおそる使ってみたら、使い心地のよさは昔のまま。豆が挽かれる音も立ち上がってくる香りの良さも昔のまま。くるくるとハンドルを回しながら、ああ、この香りの良さが好きだったんだ、と思い出した。昔と違ってカップ一杯分の豆を挽くのにたいした時間はかからないし、運動不足の昨今、ハンドルを回すためにゆっくりと肩を動かす動作も心地よい気がする。

 というわけで、お湯を火にかけると同時にコーヒー豆をミルで挽くのがコーヒーを入れるための最初の工程になった。ゆっくりとハンドルを回し、最初のコーヒーの香りをかぐ。これはお湯を入れたときに立ち上がる香りとはまた別で、今のところ、毎朝ちょっと得をした気分になっている。このコーヒー豆がなくなったときに、また豆を買うか粉にするかは、まだ決めかねているのだが。

   近況報告:薔薇戦争が舞台のイギリス小説を訳し終わりました。出版は12月か1月の予定。詳細が決まったらお知らせしますが、初稿を出してちょっとほっとしています。
(えざき りえ)







はまって、はまって

江崎リエ(2010.10.5更新)


父の吸っていたピース缶








最初に吸ったロングピース








一時期はショートホープを愛用








今吸っているのはピースライト

紫煙と思索

 今月は時代に逆行して、煙草の話を。十月から煙草が値上げしたこともあり、これを機に禁煙という方も多いと思いますが、「はまった話」をずっとここに書いていて、煙草について書いていなかったなあと思って、記録しておくことにします。

フランスの両切り煙草が好きだった時期も

 私の煙草初体験は父の缶ピースです。時は一九六〇年代。父は、「当時うまい煙草はこれくらいだった」と言うと思いますが、両切り煙草の香りも、濃い青の缶に金色の鳩が描かれたデザインも好きでした。

 私が煙草を吸うようになったのは心が大人になったとき(笑)。その頃は両切りピースはマイナーだったので、フィルター付きの「ロングピースを最初に吸いました。「まずいけど大人っぽく見せたくて煙草を吸った」と言う男の子が多いなか、私は一服目からおいしかった(笑)。

 大学に入って、初めて夫(になる人)に出会ったときにかけられた言葉が「煙草持ってる?」でした。「ロングピースしかないけど、いい?」と言ったら、それが夫のいつも吸っている煙草だったという縁です。

 一緒に暮らすようになってからは、二人で煙草を吸っていました。私たちの世代は「紫煙があると思索が深まる」「強いウィスキーを飲みながらの一服はうまい」というような幻想があり、それはそれで一種の文化だったような気がします。夫はパイプや葉巻も好きだったので、それらも時々一緒に吸っていましたが、葉巻の魅力はあの香りに尽きると思います。

 私が最初に煙草をやめたのは、妊娠がわかったとき。体調も変化していたせいか、やめるのは全然問題なく、息子を生んで授乳が終わるまで二年くらいは禁煙していました。子供が小さいうちは、二人とも子供の健康を考えて、家で吸う煙草は控えていた気がします。そこからは、量が増えることもあれば、一日一、二本のこともあり、たとえばヨガの断食講座をやるから三週間禁煙、パリ旅行中はホテルの禁煙室を取ったから二週間禁煙と心に決めれば、その間はすっぱりやめられます。十年前に会社勤めに出るようになった頃から、副流煙がどうの、二次被害がどうのとうるさくなったので、自宅でしか吸わなくなりました。

息子の吸うナチュラルアメリカンスピリットは
水色と黄色の箱が好き
 息子には、「煙草を吸っていいことは一つもない」と言い聞かせてきたのですが、子供というのは親の言葉ではなく、行動に影響されるのですね。いつのまにか、家で吸うようになってしまいました。

 私は美しいものが好きですが、煙草が好きな理由の一つにパッケージデザインがあります。毎日その箱を眺めて、その中から一本取り出して火を点ける。深く吸い込んで、そっと煙を出す。その煙を眺めると思索が深まるような気がする。たぶん、そんな時間の流れが好きなのでしょう。値上がりしたといっても喫茶店のコーヒー一杯分の値段です。とくに長生きしたいとも思わない私としては、これを機に煙草をやめるか、そのときの気分にまかせるか思案中です。
(えざき りえ)







はまって、はまって

江崎リエ(2010.11.03更新)

パン屋と、パンを焼くということ

 前にも書いたかもしれませんが、この世界で一番幸せを感じる場所はパン屋です。パンを主食にしている国では、戦時中でもパン屋はあるのかもしれませんが、パンが主食でない日本の場合は、いい匂いのするパン屋は平和と豊かさの象徴のような気がします。30以上もの種類の菓子パン、食パン、フランスパンを焼き、それらを買おうと朝から人がやってくる。国が平和で、国民にそれなりのゆとりがなければ見られない光景だと思います。パン屋さんにはちゃんとパンを作る材料があり、お客さんのことを思って朝から仕込みをする余裕があり、焼き上がり時間を知っている客は焼きたてのパンを買う余裕があるわけですから、パン屋に入ると、日常生活を続けていける幸せを感じます。

 振り返って 20年前、私がパンを焼くと夫がおびえました(笑)。子供が小さかったときに私がパンを焼くということは、とてもストレスがたまっている状態だということが、彼にはわかっていたからです。小さい子供を抱えた母親というのは、子供はかわいいけれど、自由を削がれた気がするものなのですよ。パン生地を力を込めてこねるのはストレス発散。まな板にたたきつけるように生地を落とすバンバンという音もストレス発散。そして、力仕事に疲れてできた生地の第一次発酵が終わると、パン生地は、触るだけで気持ちが癒されるなめらかさを獲得します。ここから成形しての第二次発酵は、彫刻を作るような楽しみがあります。これを焼いて、いい匂いが漂う頃には、心も浄化されるような気がしたものです。そして、それを食べる息子と夫の笑顔を見ると、いろいろなことが「まあ、いいか」と思えるのです。このストレス発散効果はよく知られていて、鬱病治療にパン焼きというのもあるそうです。

 今でもたまにパンを焼きたくなります。やはり、現状に満足していないとき。一人でいるのは寂しいけれど、だからと言って、誰とでも一緒にいたいわけではない。本当に一緒にいたいと思う人は、たぶん夫で最後なのだろうなと思いながら、パンをまな板に叩きつけます。これが、焼き上がる頃には、「まあ、一人でいいか」と思います。そして、近くのパン屋に行き、焼きたてのパンの匂いを吸い込みながら、「ああ、ここは本当に幸せを感じる場所だ」と思います。
(えざき りえ)







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江崎リエ(2010.12.03更新)

ぎんなん拾い

 散歩道にある大きな公園には芝生の広場があり、その周りに数本のイチョウの木がある。今は黄葉の盛りで、とてもきれい。そしてその中の二本にはぎんなんの実が成っている。それがわかるのは、あの独特の匂い。くさいと嫌う人もいるけれど、子供のころからぎんなん好きの私には、おいしいものの匂いだ(笑)。そして、木の下を歩いたときの靴の感覚。ぬるっとすべって、足の裏が堅い実に触ると、「あ、ぎんなんだ!」と思う。

 屈んで実を見ると、とても小さい。売り物の小さな粒を二回り小さくしたくらいの小粒。拾い集めるほどの魅力はないが、そのまま捨てるのも惜しいと思い、辺りを見回して六、七粒拾ってみた。靴の裏で果肉を落とし、中の粒を手に取って近くの手洗い場で洗う。子供ころ、「果肉に触るとかぶれる」と祖母に言われたが、大人になった今は大丈夫。ただ、いくらきれいに洗っても匂いは取れない。これを家に持ち帰り、数時間干して殻をむき、鍋で煎って味わった。殻をむいてしまえば匂いもなく、もちもちとおいしいぎんなんの味。ちょっと得をした気分だ。

 私が最初にぎんなんを拾ったのは新宿御苑だ。あそこには大きなイチョウの木があって、大きなぎんなんの実が成り、毎年拾いに来ている人たちがいた。たまたま遊びに行ったときにそんな人たちと出くわして、一緒に拾ったのだと思う。ただ、大人たちは遊びと言うよりも必死で、黙々とぎんなんを集め、果肉を取り、バケツ一杯のぎんなんの実を水でジャージャー洗っていた。今にして思えば、あれを生活の糧にしていた人たちなのかもしれない。

 その次にぎんなんを拾ったのは四谷の迎賓館前。夫と二人で四谷に住んでいた頃に、ぎんなんが落ちていると聞いて拾いに行った。ここのぎんなんは四谷の飲み屋のオーナーや従業員も拾いに来ていて、店で供されることもあったのだが、いつのまにか拾うのが禁止になってしまった。迎賓館前ということで警備の都合という噂もあったが、並木道に落ちている木の実を拾うのを禁止できるのだろうか、と思ったものだ。

 ぎんなんの一番好きな食べ方は、茶碗蒸し。殻をむいて鍋で乾煎りしたぎんなんに塩をつけて、熱々を食べるのもおいしい。食べられるほどに火が通ってくると、もむように触っただけで茶色の皮がむけるようになり、中からちょっと透明感のある美しい緑色の実が現れる。私はきれいな色が大好きなので、ぎんなんがこの色に変わる瞬間を見るのがとても楽しみだ。

 今年公園でぎんなんを拾って、久しぶりにぎんなん拾いの楽しさを思い出した。ぎんなん拾いと言っても、せいぜい二、三十粒あれば満足なので、三十分もかからない遊びだが、来年は新宿御苑に行ってみようかなと思う。
(えざき りえ)