【はまって、はまって】バックナンバー 2011年  江崎リエ(えざき りえ) 

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はまって、はまって

江崎リエ(2011.01.07更新)

おせち料理は生きていることの証しかも

 前にもおせち料理について書いたことがありますが、おせち料理を食べるのは好きではありません。でも、作るのと食べさせるのは好きです。

二十年前は、私の父と夫の母がお正月は我が家に来ていたので、二人に食べてもらうためにおせちを作っていました。まあ、季節物なので二人とも喜んでくれるし、「おせちを作るくらい心に余裕があって幸せにやっているんだな」と、二人とも我が家族について安心してくれている気がして、作っていました。

 その後、夫の母は掛川の故郷に帰り、私の父は亡くなり、夫や息子はそれほどおせち料理を喜んでいなかったのですが、それでも「お祝い物だし」と作り続けていたのは、祖母の影響があったような気がします。祖母の正月料理はなかなか見事で、その料理を全部私に教えてくれたので、「おせちを作ると祖母が喜ぶ」と思うと、作らないと悪いような気になっていました。

 夫も亡くなり、今年は息子が家にいるのは元旦だけ、二日からは旅行に行くというので迷いましたが、結局今年もおせちを作りました。元旦にいるのならば、やっぱり息子におせちを食べさせようと思ったのと、これを作る気がなくなったら自分自身の生きる気力が萎えたような気がすると思ったのが理由です。まあ、見方を変えれば、それほどおおげさに考える必要もないのですが、「ちょっと見かけのいい行事料理を作りたい」という気持ちが強いのだと思います。「そういう欲が生きていることの証かも」と思い、「来年は日にちを決めて客を家に呼ぼうかな」などと思いながら、今日は一人でおせちを食べています。

 皆様、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
(えざき りえ)







はまって、はまって

江崎リエ(2011.02.11更新)

澱みを捨て、鮮度を保つ

 子どもが小さい頃は親子三人の食事を毎日三食作っていたので、調味料の回転も早かった。だが、夫が亡くなり、息子と私も毎日家で夕食を食べるわけではないという生活をしていると、調味料の鮮度がどんどん落ちていく。たとえば、醤油。前は1000mlのペットボトル入りの醤油を使っていたが、数年前に刺身を食べようと思って醤油を小皿にあけると、どろっと澱んだ液が出て驚いた。少しずつしか使わないでいるうちに醤油の鮮度がすっかり落ちていたのだ。その時は取ってあった小袋入りの醤油を使ったのだが、それ以来、醤油は500mlの小瓶を買うようにしている。スーパーに行くと、特売の1000mlの醤油と半量の500mlの価格が20〜30円しか違わない時もあって、ちょっと悔しい思いもするのだが、500mlでも最後のほうは澱むので、不経済でも小さいほうを選ぶことになる。

 その次に気づいたのがソース。私は中村屋の肉まんが好きで(肉まんによっては中身の味が嫌いな物もあるのだけれど)、これをふかふかに蒸してブルドッグのウスターソースをちょっと付けて食べる。だが、このソースが澱んでいた。ここ数年はめったにフライを作らなくなったので、ソースを使うのは年に数回なのだから、古くなるのも道理だ。そこで、家にあった500mlボトルの残りを捨て、170mlのミニボトルを買ってきた。

 ソースを買い換えたのを機に、食器棚と冷蔵庫の中を点検した。食器棚にあったごま塩やごま粒の小瓶は古くても使えそうに見えたが、味見をすると油臭いので処分。冷蔵庫のなかのそうめんつゆ、そばつゆ、つゆの元も、残り4分の1ほどの液体から古びたにおいがする。これも全部処分した。

 醤油については、数ヶ月前にとてもいいものを見つけた。ヤマサの「鮮度の一滴」。ボトルではなくビニール袋(パウチ容器)入りなので注ぎにくいかと思ったが、慣れれば気にならない。開封後何度注いでも中に空気が入りづらい構造ということで、袋を傾けるたびに澄んだ色の醤油が出て来るので、見るからにおいしそうだ。しかも200ml入りがあるのもうれしい。こうして、料理酒もみりんも米酢も、炒め物に使うオリーブオイルも、買い換えを機に小瓶に変わっていった。

 こうして一通り新しくなった調味料を眺めてみると、長年かけて作り上げてきた自分の生活習慣にも澱みがあるのだろうなと思う。春までに、こだわっているようでいてどうでもいい習慣や思いを見直して、自分の心の鮮度も保ちたいものだ。

1月に出る予定だった翻訳書の出版は4月に伸びてしまいました。来月のエッセイでは詳細がお知らせできると思います。
(えざき りえ)







はまって、はまって

江崎リエ(2011.03.6更新)

瞑想のようなクロスステッチ

 だいぶ前に、編み物と瞑想は似ていると書いたことがありますが、クロスステッチも瞑想に似ています。クロスステッチというは、ただただバッテンだけを刺繍して絵を描いていくもので、目数を数えながら集中するのは編み物と同じ。単調な作業の繰り返しなので、そこに没頭することで頭がからっぽになり、禅や瞑想と同じように、何にも考えない心地良さがあります。

 クロスステッチは私の長年の趣味の一つですが、最近視力が衰えたので、あまりやらなくなっていました。ところが先日、南極土産のペンギンのクロスステッチキットをもらったので、さっそく刺してみると、これが楽しい。久しぶりに、ただただ刺すという楽しさを思い出しました。

 クロスステッチをやったことがない人にちょっと説明しておくと、クロスステッチ用の布というのがあって、これは布に方眼の小さな穴が開いていて、その穴に刺せばきれいにバッテンが並ぶようになっています。使う刺繍糸は6本どりの25番という刺繍糸で、方眼の大きさに合わせて、1本どりから6本どりまで合わせる糸の本数を変えて太さを調節します。同じ大きさの方眼でも、1本取りにするか2本取りにするかで、濃淡が変えられます。6本どりの刺繍糸には甘いよりがかかっているので、刺繍をするまえに1本ずつ抜いてよりを取るとステッチがきれいに揃います。具体的に言うと、まず刺しやすい長さ(40〜50cm)に刺繍糸を切り、2本取りで刺すならば、1本ずつ糸を抜き、2本を合わせて指でよりを取るようにまっすぐにしてから針に通して刺します。刺していくうちに、また糸がよれてくるので、ときどき針を回してよりをとりながら刺します。バッテンのどっちが上に来てもいいけれど、上に来る糸の向きを揃えるときれいです。糸の入っている穴から入っていない穴のほうへ刺していくのが基本です。図案の中央から刺し始めると、目数の数え間違いがなくていいのですが、私は右端から縦列に左に向かって刺していくのが好きです。

 クロスステッチのもう一つの楽しみは、最初はなんだかわけがわからない模様だったのが、だんだんに絵になっていくところです。三分の一くらい刺して、絵がぼやっと浮かび上がってくるときがいちばん楽しい時だと思います。最後は広い範囲を同じ色で単調に埋める作業になりがちなので、ここがいちばん瞑想に近くて、気持ちは落ち着きます。

 クロスステッチキットというのは、図案、使う糸、針、布がセットになっているので、誰でもかんたんにクロスステッチができます。自分で図案を作るとか、パソコンに絵を入れてそれをソフトで図案化するとか、色の選び方を変えるとかすれば、オリジナル作品が作品が作れますが、図案通りに刺すだけでもなかなか楽しいものです。皆さんもやってみませんか。
(えざき りえ)







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江崎リエ(2011.04.02更新)

緑茶のおいしさを再確認した旅

 3月27日に静岡県掛川市に住む夫の母を訪ねてきた。お母さんのところに行っていつも思うのは、出してくれるお茶がおいしいことだ。「なんのことはない普通のお茶だよ。うちは、熱いお湯を入れてじゃっとだしちゃう」と言うのだが、濃い緑色の深蒸し茶は、とろっとしていて、とても深みのある味だ。

 そのお茶を飲みながら、私は祖母の入れてくれるお茶を思い出していた。祖母は九州・日田の生まれで、福岡県に長く暮らしていたので、東京に来てからもずっと八女(やめ)茶を飲んでいた。たまに三人の孫たちに玉露をじっくり入れてくれるときがあったのだが、それはひとつの儀式だった。和菓子目当ての私と弟二人を火鉢の前に座らせ、玉露用の小さな湯飲みセットを取り出し、お湯をあちこちに移し替えながら適温にする。そのお湯を急須に注ぎ、しばらく待つ。このへんで小学生の孫たちはしびれを切らし(だって、和菓子が食べたい)、「おばあちゃん、まーだ?」と叫ぶのだが、「まだまだ。もう少し待つとおいしくなるから」と言われ、もうしばらく待たなくてはならない。こうしてじっくり抽出されたお茶は、ふだんの五分の一くらいの大きさの湯飲みに注がれて私たちの前に出される。ここでも、がぶっと一口に飲んではいけない。ゆっくりと飲まないと祖母の機嫌が悪くなる。でもそこは大丈夫、私たち三人も玉露のとろっと甘いおいしさは覚えていて、ゆっくりと味わう。今こうして書いていても、舌の上を転がる玉露独特の甘さと、「なんでお茶がこんな味になるのだろう?」と驚いた記憶が甦る。そして、やっと和菓子をほおばることのできた私たちの笑顔と、それを眺める祖母の笑顔。幸せの記憶とは、こういう一瞬の場面の記憶なのかもしれない。

 そんなことを思い出しながら目の前のお母さんの顔を見ると、うれしそうに笑っている。私と息子の顔を見るだけで喜んでくれる人がいると思うと、それだけでうれしくなる。お茶好きの息子は、「さすが茶所、おばあちゃんちのお茶はうまい」と言いながら、何杯もおかわりをしていた。

 その後、息子は大阪に歌いに行き、私は友人と京都で落ち合って京都見物をしてきた。京都は宇治茶で名高いが、歩き疲れて休憩した茶店のお茶と和菓子もとてもおいしかった。

 私は基本的にコーヒー党で、毎日緑茶が飲みたいとは思わなかったのだが、簡易断食をやって少し味覚が変わったこともあって、帰ってからは掛川でお土産にもらったお茶ばかり飲んでいる。今回の旅は、自分の緑茶好きを再確認した旅だったとも言えそうだ。

* お知らせ
発行がのびていた翻訳書が4月に出ます。「白薔薇の女王」(フィリッパ・グレゴリー作 メディアファクトリー)。上・下各590円の文庫です。イングランドの薔薇戦争を舞台にした歴史ロマンなので、歴史好きの方には楽しんでいただけると思います。
(えざき りえ)







はまって、はまって

江崎リエ(2011.05.02更新)

つるぴかベーグル

 「パンが好き」とよくここに書いていますが、私が食べるパンはフランスパンとライ麦の入った黒っぽいパンがほとんど。甘みのあるパンはほとんど食べないし(と言いつつ、ドーナッツの話を書きましたが)、食パンもめったに買いません。でも、最近ちょっとはまっているのがベーグル。ブルーベリーやチョコがはいったものもあるのですが、好きなのはシンプルなプレーン。あのつるぴかの表面と、内部のもちもちした感じが気に入っています。

 東京でベーグルをよく見るようになったのは、十年くらい前からでしょうか。その頃私はアメリカ映画でたまたまベーグルをどんどん鍋に放り込む場面を見て、ベーグルって鍋で茹でて作るのだ、と感心したことがあります。細部は覚えていませんが、その映画はニューヨークのユダヤ人を題材にしたコメディで、ベーグルはユダヤ人の食べ物らしいということも、その時に知りました。

 と、ここまで書いて、ベーグルの作り方をネットで確認しました。茹でるのは三十秒から一分程度で、その後はちゃんとオーブンで焼くそうです。茹でるというより、湯通しする感じですが、これをすることで、あのつるっとした表面ができるのですね。油脂、卵、牛乳を使用しないのも、ベーグルの大きな特徴です。この三つをつかわずに小麦粉だけでおいしくなるのが不思議な気がしますが、小麦粉本来の味が出るのでしょう。

 具体例として、ネットで見つけた材料を一つ紹介しておきましょう。強力粉300g、塩5g、イースト1g、砂糖10g、水150ccで、ベーグル6個分。シンプルなだけに、材料の良さやこね具合が味に大きく影響しそうです。ただし、このパンはあまり自分で作ろうとは思いません。ちょっとストイックなたたずまいを感じるので、私とは肌が合わない気がするのかもしれません。つい最近、ベーグルのおいしい小さなパン屋を見つけたので、食べたい時はもっぱらここで買うことにしています。

詳しい作り方はこちら

*お知らせ やっと翻訳書が発行されました。「白薔薇の女王」(文庫版上・下)フィリッパ・グレゴリー著 メディアファクトリー。英国王室最大の謎と言われる「ロンドン塔の悲劇」につながるロマンスストーリーです。 
(えざき りえ)







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江崎リエ(2011.06.03更新)


パリで買ったガネーシャ、
高さ10センチ


木彫りのガネーシャ、高さ5,5センチ
ガネーシャ・ミニコレクション


ダンシングガネーシャ、高さ8センチ。これは木を貼り合わせたもの

 ガネーシャと出会ったのは30歳で行った初の海外旅行先、インドだった。デリーのリキシャの運転席の横にはガネーシャの写真があり、道ばたには大きなガネーシャの像があって、お参りされていた。ガネーシャとは、たくさんいるヒンズー教の神様の一人で、商業の神様だとインド人の運転手に教えてもらった。日本で言えば布袋様のイメージ。象の頭に4本の腕、布袋様と同じようにお腹がぷっくりとふくれた、なかなか魅力的な容姿だ。


高さ5,5センチ。この子はベランダにいます

 一目見て気にいった私が注目していると、このガネーシャはインドのすべての本の中表紙にもいる。理由を聞くと、古代インドの叙事詩「マハーバーラタ」を聞き書きした書記がガネーシャで、そのためガネーシャは、創作活動におけるいかなる障害も排除する学問の神でもあるという。「それなら、ライターの神様でもある」と思った私は、インドでガネーシャのブロマイドや小さな真ちゅうの像を買って来た。それ以降、アジア雑貨店などでガネーシャと出会うと、手軽に買える価格であることも影響して、気に入った物も買うようになっていった。

 ガネーシャを知らないと言う人には、水野敬也さんの自己啓発本『夢をかなえるゾウ』に出て来る神様と言ったら、わかってもらえるかもしれない。なかなかエキゾチックな造形で、ネズミに乗り、4本の手に甘いお菓子、蓮の花、斧、棍棒などを持っています。ヒンズー教の神様はギリシャ神話の神様と同じで人間的でユーモラス。なかでもガネーシャは神様然としていないところが気に入っている。


高さ3センチ。まるっこいガネーシャ

(えざき りえ)





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江崎リエ(2011.07.03更新)


野菜料理を試してみたら

 六月の半ばにヨガの断食講座に参加しました。週の前後二日は流動食、真ん中の二日は酵素飲料などの水分のみで内臓を休めて体をきれいにするという講座なのですが、その後二週間は火の通った野菜食を続け、少しずつ食べる量を増やすように言われていました。そこで、最初はカボチャを煮たり、ニンジンやジャガイモを茹でて塩を付けたりして食べていましたが、だんだんに味のバリエーションが欲しくなります。

 この過程で気づいたのは、私はふだん野菜だけの料理を作ったことはほとんどないということでした。肉を入れる、しらすなどを入れるなど、動物性のものを入れれば味が深まるのはわかるのですが、野菜だけでどうやって味の深みを作るのか見当がつきません。そこで図書館に行って野菜料理の本を数冊借りて、レシピを見てみました。一番単純なのは、良い素材の野菜を生か焼くか蒸すかして、そのまま塩で食べることですが、ちょっと飽きますね。二つ目の味付けのコツは、にんにく、ねぎ、しそ、ミョウガ、セロリなどの香味野菜を使って深みをつけることのようですが、例えばスーパーで買って来たしそ1パックを使い切るのは大変だし、けっこう高くつきます。三つ目はしいたけや昆布のだし、昆布茶、ゆず胡椒、すりごま、豆板醤などの調味料を駆使することのようですが、これはこれで調味料の買い置きが必要です。さらに、キクラゲ、切り干し大根、ひじきなどの乾物を戻して野菜とまぜ、歯ごたえの違いを作るのも手のようです。

 というわけで、本を参考にして以下のようなものを作ってみました。ラタトゥイユ:ナス、ズッキーニ、タマネギ、レンコンをトマトソースで煮込みました。おいしかったけれど、ベーコンの細切れが入れたらもっと美味だったでしょう。レンコン団子:レンコンのすりおろし、おから、片栗粉、ひじきのもどしたものを入れて団子を作り、醤油ベースのあんにからめました。おからを入れすぎてちょっとぱさぱさでした。これも、挽肉をちょっと入れたい。サモサ:ジャガイモ、グリーンピースのカレー粉煮込みにおからを混ぜて小麦粉の皮で包みます。本当は揚げるのですが、油はまだ胃が受け付けない気がしたのでオーブンで焼きました。なす、豆腐、エリンギのにんにくゆず胡椒炒め:ゆず胡椒が効いて刺激が強すぎでしたが、ふつうのおかずなら美味。ひじきの白和え:豆腐に白ごまペーストを混ぜてひじきの煮物を和えました。冷製ポテトスープ:ジャガイモを茹でて裏ごしし、豆乳と植物性生クリーム少々を加えて冷やしました。これはちょっとずるをして、ブイヨンを入れて味つけしたので美味でした。

 こうして試しに作ってみた野菜料理は、ちょっと味が物足りない気がしましたが、いつもと違ったバリエーションができておもしろいなとも思いました。ちょうど息子が旅行に行っていた時期で、彼はこれらの味見をしていないので、これから肉なしの野菜料理を出したらどんな反応をするか、ちょっと楽しみです。
(えざき りえ)







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江崎リエ(2011.08.03更新)


久しぶりに焼いた丸パン

これは2回目の丸パン、松の実入り。大きさを揃えました


豆乳で練ったブレッチェン
久しぶりにパンを焼く

 子供が小さいときは良くパンを焼いていました。手作りが好きとか、優雅な趣味というのではなく、お金が無かったので自分で作った方がずっと安いという経済的な理由です。ただ、こうした理由で作っている過程で、一次発酵した生地はとてもやわらかくて気持ちがいいとか、焼き上がったパンの香りは心を癒すとか、オーブンから出した焼きたてのパンに歓声をあげる夫や息子の輝く顔を見るのはとてもうれしいとか、そういう余録は感じていました。なんだか腹が立って、自分のフラストレーションがうまく整理できないときに、パン生地をバンバンまな板に叩きつけてストレス解消をしたこともあります。

 そんな時期から十五、六年が経った今、再びパン作りに燃えています。震災その他の影響で広告の仕事が減って倹約する必要もあり、ヨガの断食をやって油や卵を使わないシンプルなパンが食べたいと思ったこともあって、ベーグルや丸パン、ブレッチェン(スイスの白パン)などを焼いています。最近は運動不足なので、がしがし腰を入れてパンを捏ねるのも良い運動です。今はドライイーストを使っていますが、そのうち天然酵母を使ったパンを作りたいと思っています。

 しばらくパンを焼かなかった理由の一つは、喜んで食べてくれる人がいなくなったこと。夫は亡くなり、息子はあまり家にいないので、タイミング良く焼きたてパンを食べさせることができません。そんな話を飲み仲間にしたら、「ぼくらが喜んで食べますよ」「持って来てくださいよ」と言われたので、ちょっとやる気が出ました(笑)。少し練習して上手になったら、むりやり味見をしてもらおうと思っています。結局、食べ物を作る楽しみって、食べてくれる人の顔を思い浮かべることなのだなと思います。食べてくれる家族や友人がいるということは幸せですね。

(えざき りえ)







はまって、はまって

江崎リエ(2011.09.03更新)


愛用のカメリア強力粉1kg袋。昔は紙袋でしたが、最近はビニール袋でチャック付


イーグル小麦粉のロゴマーク


十勝麦王国500g。中力粉なのでまぜるとふくらみは悪くなります
食欲の秋にもパンを焼く

 パン焼きは続いています。ただいま粉を研究中。最初は近くのスーパーにあり、祖母の代から使っている「カメリア」の強力粉で作っていましたが、途中で「十勝麦王国」という中力粉胚芽ふすま入りを追加。これを混ぜてふくらみ具合を見ていました。

 その後、図書館でパンの本を借り、ネットを検索すると、様々な強力粉が紹介されていてちょっとびっくり。早速新宿三越の地下にある「パンとお菓子食材専門店クオカ」に行ってみました。そこにはたくさんの種類の強力粉が並んでいてちょっと興奮しましたが、白い粉なので眺めていても違いがわかるはずもなく、初心者用で失敗がないと書いてあった「イーグル強力粉」というのを買ってきました。これから一つずつ違う種類の強力粉を試してみたいと思っています。
こんがり焼けた丸パン。ソーセージに巻いてみたけど、ちょっと太すぎ

 粉の違いを知るには同じモノを作る方がいいので、とりあえず小型の丸パンばかり作っています。ときどき飽きて形を変えたりもしていますが。作るのが楽しいので、できたものはなるべく友人たちにもらってもらっていますが、あまりふくらまなかったり、生地が柔らかすぎてだれたりした、できの悪いパンはあげられません。パン焼き実験中とはいえ、やっぱり「おいしい」と言ってもらいたいから。しかし、そうなるとできの悪いパンは冷凍保存され、しかも私自身もあまり食べる気にならないので残りがち。これが当面の問題です。粉のブランドだけでなく、粉の配合を変えても酵母を変えても味が変わりそうなので、しばらくはパン焼きで遊べそうです。

(えざき りえ)







はまって、はまって

江崎リエ(2011.10.04更新)


おなじみのベルマーク
なつかしいベルマーク

 少し前の朝日新聞の片隅に、「ベルマークで被災地援助」という記事が載っていた。「ベルマーク、なつかしい、まだあるのね」と思ったとたんに、これをフランス語の作文のネタにしようと思いついた。

 週1回通っているフランス語教室の先生に、毎週2、3ページの作文を書いてメールで送っている。私の好きな美術や文学よりも、日本人の日常生活や社会学的な分野に興味がある人なので、なるべく先生の興味を引きそうな話を探すのだが、これがなかなかたいへんなのだ。

 ベルマークなら、これを集めるのに奔走した日本の母親は皆知っているし、今は大人になったかつての子供達も、男女を問わず知っているわけだから、ほとんどの日本人が知っているマークまたは運動と言えそうだ。

 だが、実際に書こうとするとさまざまな疑問が起こってくる。子供の頃に必死に切り抜いて学校に持って行ったけれど、あれは東京だけでなく全国規模の運動だったのだろうか。そして、私が子供の頃と同様に今もPTAが呼びかけて集めているのだろうか。つまり、客観的に「日本人ならほとんど知っている」と言えるのだろうか。1点1円になり、学校で好きな物を選んで買えると当時の先生が喜んでいたが、それは正しいのだろうか。対象になる学校は公立だけか、それとも私立もOKなのか。ほとんどの商品にベルマークが付いているような気がしていたけれど、参加企業はどのくらいの数なのだろうか。

 この疑問をクリアしても、その先にもハードルがある。PTAはフランスにもあるのかなど、フランスの事情がわかっているほうがいいし、あんまりしくみが複雑だとうまく作文できないので、挫折してテーマを変えることになる。だが、形にならなくても、こうした調べ物は楽しい。最近はインターネットのおかげでどんなことでも概略はつかめるので、ある程度の満足感が得られるのもありがたい。 

 というわけで、ベルマークについて調べてみた。今回の調査結果:ベルマークの発足は1960年。2009年3月末現在の参加校は28,450校(全体の学校数を調べて、パーセンテージをつかみたいけれど)。県別参加校数の表を見た結果、全国規模の運動であることを確認。参加企業は約60社で約2000品目についている(この数字も多いのか少ないのか判断できないが)。

 一つ新発見。ベルマークは学校経由と思っていたので、子供が中学を卒業してからは全く集めなくなっていたが、個人で集めてベルマーク財団に送ればそのぶんは学校に分配されるという。それなら、また集めようかと思った。なじみがあるぶん、パッケージからマークを切り取るほうが、1円クリック募金より手軽にできる気がする。子供が大きくなってしまった皆さんも、集めてみてはいかが。

(えざき りえ)







はまって、はまって

江崎リエ(2011.11.04更新)


写真の意味

 引っ越しを考えて、家の中の整理をしています。そこで、いちばん場所を取っていて、なおかつ捨てられないのが写真だと気づきました。写真の意味って、何なのだろうと考えました。

 多くの家庭がそうでしょうが、私が写真を熱心に取り始めたのは、息子が生まれてからです。なぜでしょう? 生まれた息子がただかわいくて、記録したいと思ったこともあります。家族皆が幸せだったので、その時間を切り取って残しておきたいと思ったのも理由でしょう。この幸せを祖父母や友人に知らせたいと思ったのも理由でしょう。そうした自分たちの気持ちを、大きくなった息子やその家族に見せたいと、心の奥底で思っていたのかもしれません。大人になった私は、自分の家族が子供の自分を取ってくれた写真を見て愛情の深さを感じましたから、同じような気持ちを息子に伝えたいと思ったような気もします。

 そのまま順調に年を重ねた家族ならば、写真を見る楽しみは変わらないのでしょうが、7年前に夫を病気で亡くした私は、突然写真を見るのが辛くなりました。もう戻って来ない幸せな家族の時間を突きつけられるのが辛くて、見ないで封印していました。その後も自分の写真は撮りましたが、それは私を心配してくれる友人たちに元気に生きている姿を見せるためで、それまでの写真を撮る理由とは全然違っていました。

 というわけで、引っ越しのためにアルバムに触るのは気の重い作業でした。それでも今回、「自分の反応はどうだろうか?」と思いながらアルバムの中をこわごわ見る機会があって良かったと思います。今の自分の状況がどうであれ、「アルバムの中に家族の幸せな時間がある」ということは、心の支えになると感じました。もう少し心が強くなったら、20冊近くあるアルバムを整理して、4、5冊にまとめ直したいと思っています。

(えざき りえ)







はまって、はまって

江崎リエ(2011.12.04更新)


ファッションを変えるのもいいかもしれない

 私は服装に関してはリベラルなつもりで、ステキに見えれば年齢に関係なく好きな服を着ればいいと思っていましたが、最近はちょっと意見が変わって来ています。というのも、服だけ見ると10代後半から20代前半の格好なのに、顔を見るとどうみても40代で、そのミスマッチがどうもいただけないという例を外で見ることが多くなってきているからです。ファストカジュアルの流行で、安い服がたくさん出回っていますが、これも多少センスが悪くて安っぽくても、元気に見えたりかわいく見えたりするのは、若さがあるから。40代以降でファストカジュアル着るならそれなりのセンスが必要で、若い子の美意識を養うためにも、適度に経済的にゆとりのある女性は、少し質の良い物を着てほしいなと思います。私は街を歩いている人たちのファッションを眺めるのが好きなので、その楽しみがなくならないように、おしゃれな年配女性がどんどん増えてほしいと願っています。

 芝居を見に行くのも好きですが、目当ての芝居以外のもう一つの楽しみが観客のファッションを見ることです。俳優座や天王洲アイルの銀河劇場などに来る観客はけっこうおしゃれをして来ている人が多いので、少しフォーマルなファッションが楽しめますし、小劇場の前衛芝居には、それに合ったとんがったファッションの若い人が多く、新しい刺激を受けます。自分自身も、芝居に合わせてどんな服を着るか考える楽しみがあります。

 そう言いながら自分の着る服を考えてみると、好きな色やスタイルが固定しがちだし、昔は、寒くても足見せ、たくさん歩いても高いヒールの靴を履いていましたが、最近はそういうがんばりはしなくなりました。自分では、自分に似合う快適なラインを見つけたと思っていましたが、最近はファッションを変えて、その変化の楽しむのもいいかもしれないと思っています。引っ越しを考えているので、住む環境が変わったらそれと一緒にファッションも変えようと考えるのはなかなか刺激的です。ただ、変化を求めるのにはエネルギーがいるので、まずはそのエネルギーを養う必要がありますが、12月のエッセイを「変化」を求める気持ちで締めくくるのはタイムリーな気がします。忘年会、クリスマス、冬休みと、人と出会う機会が多い月なので、皆さんがおしゃれを楽しみ、周りを楽しませる機会も増えますように。

 お知らせ
12月17日公開の映画『私だけのハッピーエンディング』(ケイト・ハドソン主演)のノベライズ本『神様がくれた最後の恋』が12月6日に発売されます。本屋で見かけたら手に取ってみてください。悲しいけれど生きていてよかったと思えるラブストーリーです。

(えざき りえ)