【はまって、はまって】バックナンバー 2017年  江崎リエ(えざき りえ) 

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はまってはまって

江崎リエ(2017.01.04.更新)



本文とは関係ないけれど、
元旦に見た富士山


10年後のAI(人工知能)の進化



学長インタビューの新聞紙面

 ここ数年は1月3日読売新聞掲載の「大学新春トップメッセージ」の広告記事のために、11月に大学の学長先生をインタビューしている。新聞4ページに32校を掲載する形の広告記事で、昨年私は6校を先生に建学の精神や現在の大学教育の特色、今後の抱負などを聞いた。そうしたインタビューや雑談の中で、複数の先生が口にしたのが「AI(人工知能)に負けない人材育成」「AIにとって代わられない職業人の育成」を考えているということだ。薬剤師を育てる大学なら「薬剤調合はロボットがやるようになるので、患者への思いやりの心を持つ、患者の聞きたいことを引き出すなど、コミュニケーション能力や慮る力を養う教育が必要である」とか、総合大学なら「5年後、10年後にAIにとってかわられる職業は何かを見極め、消えない職業に就かせる技術や競争力を学生に持たせないと、大学の未来はない」など、AIの今後の進化にかなりの危機感があるようだ。

 「人工知能が人間を超える日は、まだまだ先」「いや、そんな日は訪れない」という議論を、数年前に友人としたことがあるが、最近のAIの進歩は目覚ましい。それを一番印象づけるのが、囲碁や将棋の対戦ソフトだ。本日(1月3日)の朝日新聞朝刊に、「棋界VS AI 勝負の年」という記事が載っているが、囲碁ソフトも将棋ソフトもディープラーニングという学習機能で短期間にグッと強くなっているという。囲碁将棋の場合は、たとえAIの対戦ソフトが人間の棋士より強くなっても、感情があり、疲れる、焦る、緊張する、ミスが出るなどの「人間味のある」人間同士の戦いの魅力は薄れないと思うが、それが薬の調剤、商品の仕分けや配送など、感情がなく、疲れない方が「いい仕事」をする分野だったら、AIに移行する仕事はたくさんあるだろう。

 今のところ、ディープラーニングで学習能力がアップしたと喧伝されるAIの進歩は1部の分野だけであり、それも研究途上で、私たちが普通に使うようになるまでにはまだまだ時間がかかりそうな気がするが、「気がする」根拠はないので、1年後、2年後に「おお、ここまで進化しているのか!」と思うものが出てくるかもしれない。どちらにしても、せっかくこの時代に生きているので、AIの進化を追っていきたいと、年の初めに考えた。人の職業を奪うAIではなく、役に立つAI、幸せにするAIが研究されることを願っている。
(えざき りえ)







はまってはまって

江崎リエ(2017.02.03.更新)



二十四節気

二十四節気で自然に敏感に



日めくりアプリ

 正月の10日過ぎにヨガに行って、「旧暦ではまだ12月。まだ寒いし体が新年を迎える準備ができていない。旧暦の年の初めに当たる立春になると、光も明るくなって体もほぐれ、新しいことを始める準備ができる」という話を聞いた。確かに、「大寒」の1月20日からはぐっと冷え込んで、体が固まる感じ。旧暦の方が日本の自然には合っているのかもしれないと思い、少し暦について調べてみた。

 太陰暦は月の満ち欠けを基準にして作った暦。太陽太陰暦は、太陰暦を太陽の動きにも合わせて作った暦。具体的には、太陽の黄道を15度ずつの24分点に分け、約15日ごとに大寒、立春など、その時期を表す名前「二十四節気」を付け、太陰暦の季節のずれを修正したもの。太陽暦は地球の公転運動=1太陽年を基準にしたもので、現在使われているものだ。日本はずっと太陰太陽暦を使っていたが、1873年(明治6年)に太陽歴に移行したため、こちらが新暦と呼ばれている。太陽暦も太陽を基準としているのだから、季節感と合っていそうなものだが、中国、韓国、ベトナムなども太陰太陽暦を長い間使い、「二十四節気」を季節の目安としてきたので、「二十四節気」の日付と名称をなんとなく意識して季節を感じながら暮らすほうが、体には自然なのかもしれない。

 今までは、春分と秋分、夏至と冬至くらいしか意識して来なかったが、もう少し敏感になろうと考えて、携帯に二十四節気が出てくる「日めくり」アプリを入れた。今日から一番近いのは2月4日の立春。次は2月18日の雨水(うすい)。「水ぬるみ、草木の芽が出始める頃」を意味するそうだ。この頃に、そう思いながら外を歩いたら、草木の芽に敏感になるかもしれない。今年はこのアプリで自然を意識しながら東京の街を歩きたいと思う。
(えざき りえ)







はまってはまって

江崎リエ(2017.03.03.更新)


「THE BEATLES SONGBOOK」の案内状

久しぶりのビートルズ



作品の何枚かが絵葉書になっていた

 先日、イラストレーター市村譲の個展を見てきた。タイトルは「THE BEATLES SONGBOOK」。ビートルズの歌にインスパイアされて描かれた絵の下に、曲名、曲の内容や曲が書かれた背景、そこから感じたことなどが短くまとめられた文章が掲載されている。彼はギターの弾き語りをやるミュージシャンでもあるので、ビートルズの曲が膨らんで、彼の中でどういう形になっていったのかを想像するのが楽しかった。

 そして、小さなギャラリーで20枚ほどの絵を見るうちに、少し不思議な気持ちになった。私はビートルズが日本に来た時のニュースをテレビで見ているし、大勢のファンがホテルの前に集まって熱狂する様子も覚えている。イエローサブマリンのアニメ映画を見て気に入り、その後に出た同名のタイトルのレコードとアビーロードのレコードを持っていて、時々家で聞いていた。しかし、ビートルズファンかというと、そうではなかったと思う。当時を思い返してみると、友人の間でもビートルズの音楽ファンは少数派で、大半は大人気のグループだからというノリでレコードを持っていたり、ファッションを真似していたり、という印象だった。私自身若い頃は、音楽というよりも既成の価値を壊す文化としてのビートルズに惹かれていたように思う。

 解散後はジョン・レノン=オノ・ヨーコの関係を面白く思ったし、音楽として聞くようになったのはジョンの曲が多かった。さらに、英語の歌を何となく聞いていて、歌詞の意味もあまり考えていなかった。今回の個展で、「フール・オン・ザ・ヒル」が地動説を唱えて断罪されたガリレオをイメージした歌だと知り、そういうことを考えながら聞きなおしてみるのも面白いだろうなと思った。

 文化現象としてのビートルズ以降にビートルズに出会った人たちは、純粋に歌を聞いてファンになったのだろう。若者が文学の古典に出会って感激し続けるように、初めてビートルズの歌に出会った若者も、自分の発見に感激するのだろう。ビートルズの遺産としてそんな曲がたくさんあることをうれしく思った1日だった。
(えざき りえ)







はまってはまって

江崎リエ(2017.04.03.更新)




自転車、やめるかな。


 自転車に乗れない子供でした。幼稚園が嫌いで途中で行かなくなったので、小学校に入った時には縄跳びが飛べない子供でした。背が高かったのでゴム段は飛べたけど、基本的に運動は苦手で、運動会の徒競走で緊張すると転ぶ子供でした。そんな私が自転車に乗れるようになったのは、子供が生まれてからです。重たい子供を少し遠くに連れていく必要性に迫られて、自転車が乗れるようになりました。それまでずっと、体を動かすことが下手だと思っていたので、自転車に乗れるようになった時はとても嬉しかったのを覚えています。一つ、全く新しいパワーを手に入れた気がしました。

 息子が10歳の時に夫が病気になって収入が激減しました。電車賃も倹約しなくては暮らしていけないような状況だった時に気分を紛らわせる手段は、自転車に乗って吉祥寺に行くことでした。猛スピードで自転車をこいでいる時に、「ここで私が死んだら、夫と子供はどうなるのだろう?」と思ったこともありますが、スピードを出して人の多い吉祥寺をめざし、そこに自転車を置いて街をフラフラすると気分がスカッとして、エネルギーが湧いてきました。  

 子供が大きくなってからも、しばらくは自転車で遠出をして緑の多い公園に行ったりしていました。2012年に長年住んでいたマンションから引っ越した時には自転車を処分しようと思ったのですが、引越し先で自転車に乗って遠出をするのもいいかもしれないと思い直して持ってきました。このマンションでは、毎年4月に自転車置き場に自転車を置く料金2400円を払わなくてはなりません。最近はほとんど乗っていないのですが、それでも大きな地震があると、「ここから逃げる時には自転車がある方が便利かもしれない」と思い料金を払い続けてきました。

 しかし今日、ずっと放ってあった自転車を久しぶりに見てきたら、ハンドルは錆だらけ。前輪がパンクして哀れな状態です。私自身も年を取り、自転車をこいで遠出をするより自分の足で歩いていく方が快適な状態なので、自転車をベランダに上げ、駐車料金は払わないことにしました。ちょっと寂しい気もしますが、また乗りたくなったら電気自転車のような楽チンなものもあるし、そのうち私が乗れるような一人乗り電気自動車が普及するかもしれません。ベランダに置いたら思いの外大きかった自転車を眺めつつ、自分の今後の気持ちの変化を観察することにします。
(えざき りえ)











はまってはまって

江崎リエ(2017.05.08..更新)


被害を受ける孫と犬


一度に二つのことをやろうとしない


 私はせっかちで、なんでもさっさとやりたがる傾向にある。若い頃は一度に二つ、三つのことを並行してやって、効率的に時間を使ったことに満足していた。しかし、最近はなるべく一度に二つのことをやらないようにしている。例えば、煮物をしながらインターネットで調べ物をすると、調べ物に夢中になって鍋を焦がす。掃除をしながらお湯を沸かすと、やかんから湯気が吹き出ていても気がつかない。この程度なら笑い話だが、火事になったり火傷をしたりしたら大変なので、今は「他のことをやりたい」という気分を抑えて、そばで鍋ややかんを見ているようにしている。気ままな一人暮らしなので、急ぐ理由は何もないのだ。

 しかし、息子夫婦の家に孫の子守に行くと、つい効率的に動きたくなる。孫をバギーに乗せる、抱っこひもで抱くなど、もうすっかり忘れている動作だし、道具も進んでいるので、ちょっとした使い方に迷って、どぎまぎする。せっかちと同様、あわて者でおっちょこちょいなのも私の生来の傾向なのだ。そして、この性格の被害を受けるのが、孫と飼い犬だ。例えば、孫をバギーに乗せ、犬を連れて散歩に行くとする。「あれ、リードがない? どこ? どこ?」と探すと、ちゃんとバギーの横に用意されていたりする。リードをつけ、赤ん坊をバギーに乗せ、玄関を出ようとすると、一緒に出ようとした犬のリードが足に絡まる。リードを引いて犬を後ろに下げようとして犬の足を踏んでしまったりする。その間にバギーがドアにぶつかって孫がベソをかく。効率よく同時にみんなでドアの外に出ようとするとこういう惨事が起こるのだ。

 ここで私も学習する。家にいるときと同じで、一度に二つのことをやろうとしてはいけないということを思い出すのだ。最近は、まず犬にリードをつけて階段の下につないで待たせる。次にバギーを先に外に出し、孫を乗せて外で待たせる。最後にリードを引いて犬を外に出す。皆が揃ったところで、やっと散歩に出発する。ここでも急ぐことはないのだ。散歩だけが目的ではなく、こうした一連の動作で孫と犬の気分が変わればいいのだから。

 今の問題は、一度失敗しないと、なかなかこういう学習をしないことだ。あらかじめ自分の性格から起こる事態を予測して、ゆっくりと動けるようになるといいのだが。孫の成長に合わせて、自分も少しずつ対処の仕方がうまくなることを願っている。
(えざき りえ)











はまってはまって

江崎リエ(2017.06.02.更新)




知らなかった車移動族の世界


 東京に生まれ育って半世紀以上。移動手段は電車か徒歩。子供が小さい時は自転車も使っていた。そして、たまにバス。バスは路線がよくわからないし、所要時間も読めないし、ガソリン臭くて嫌いだったのだけれど、最近は路線と停留所を教えてくれるアプリがあるので、前よりも使うようになった。車はほとんど皆無。亡くなった夫も私も運転免許を持っていなかったので、どこに行くにも電車を乗り継ぎ、歩いていた。東京は電車と地下鉄の交通網が発達しているし、地方への旅行はあまり好きではないので、車が運転できなくても困ったことはない。

 こんなふうに車と縁遠い人生だったので、たまに車に乗せてもらうと驚くことが多い。数年前に友人と沖縄に旅行に行って、「道の駅」の存在を知った。土地の野菜や果物、お土産があって、ちょっと食べるところもある休憩所。ローカルな感じがなかなかいい。

 最近は、息子夫婦の車に乗って遠出することもあり、そこで知ったのが東名高速沿いのサービスエリア。道の駅の何倍も広くて、設備もきれい。フードコートがあって食べ物の種類も豊富だし、土産物屋も品揃えが多くて、見ていて飽きない。小さい子供を遊ばせる設備もあれば、ドッグランまである。確かに、電車に乗せられないからこそ、犬と一緒に車で移動しようと思う人は多いのだろう。サービスエリアのあちこちで犬連れの人を見て、車に乗らないだけで、こんな知らない世界があったことに驚く。逆に東京に住んでいなければ、東京の人たちがよく歩くことに驚くのだろう。地方に住んでいた夫の弟が「歩いて5分のコンビニにでも車で行くよ」と言っていたのを思い出す。

 一人で、家で仕事をしていると、毎日を同じ流れで過ごすようになり、新しい発見が少ない。しかし、普段やらないことをやってみるだけで、新しい世界が目の前に広がることはよくある。広がった世界を気に入るかどうかはまた別の話だが、気に入らなくてもそういう体験は楽しいものだ。車移動族の生態を見たので、この夏は何か今までやったことのないことをやって、新しい種族の生態を見てみたいと思っている。
(えざき りえ)







はまってはまって

江崎リエ(2017.07.02.更新)


エリック・カール展ポスター



愛読書「はらぺこあおむし」の表紙



ミュージアムショップで買ってきた
「パパ、お月さまとって!」の1ページ


エリック・カール展を見て


世田谷美術館のエリック・カール展看板
 絵とは何か、デザインとは何かという定義も難しいのだけれど、自分が好きな絵本を思い浮かべると、絵画的なものよりもデザイン的なものが多いと言えると思う。その筆頭が、エリック・カールの絵本だ。彼の代表作「はらぺこあおむし」は大好きな本だが、描かれている物の形や色の魅力だけでなく、ページの大きさをまちまちにしたり、絵の中に穴が開いていたりと、ユニークな仕掛けがあちこちにあって、ともかく楽しい。

 エリック・カールは、筆で濃淡をつけたり筆跡を残したりした色紙を切り抜いて貼り付けていくコラージュの手法で動物や人を描く。たとえば、緑色の「あおむし」の体には様々な緑が見てとれ、その色の組み合わせがとても美しい。もともとは、ニューヨークでグラフィックデザイナーとして働いていたそうなので、デザイナーとしての才能が絵本にもよく生かされていると思う。

 このエリック・カールの展覧会が世田谷美術館で開催されていたので、先日行ってきた。会場には色彩の美しい原画かいっぱい。今年88歳になるカール氏はこの展覧会のために来日し、サイン会を行ったという。今後も元気に活躍してほしいものだ。

 この展覧会では、影響を受けた作家としてマティス、クレーが紹介され、絵本作家のレオ・レオニとの親交にも触れられていた。レオ・レオニも私が好きな絵本作家だが、彼もイタリアから亡命後にニューヨークでグラフィックデザイナーとして働き、若かったエリック・カールに目をかけたという。

 エリック・カール展では、日本で出版されている本が多数売られていて、それらを眺めるのも楽しかった。最近は絵本売り場から足が遠のいていたが、これをきっかけに、また絵本売り場を眺めて、素晴らしい絵本を発見したいと思う。
(えざき りえ)











はまってはまって

江崎リエ(2017.08.03.更新)


青空に映えるテトラマウンド



水の増減と色の変化がすばらしい海の噴水



頂上まで登ったモエレ山とガラスのピラミッド


人生初の北海道上陸


イサム・ノグチデザインの遊具
   今年は早めに夏休みをとって、7月21日から3泊で小樽、札幌を旅行してきた。これが人生初の北海道上陸だ。実を言うと、北海道は国内の旅行先としては優先順位が一番低い場所だった。東京育ちで都会のうねるようなエネルギーが好きな私にとって、北海道の自然やスキーに適した雪の風景には全く魅力を感じない。そんな私に北海道上陸を決意させたのは、「札幌郊外にあるイサム・ノグチ設計の公園を見に行きましょうよ」という友人の言葉だった。イサム・ノグチは私が好きな彫刻家・家具デザイナーであり、香川県高松市にあるイサム・ノグチ庭園美術館と札幌市のモエレ沼公園は、前から一度行ってみたいと思っている場所だった。しかし、北海道も四国も遠い。「こんなふうに友人と行く機会を逃せば、死ぬまで行かないかもしれない」と思ったので、二つ返事で誘いに乗ることにした。

 モエレ沼公園のHPによると、イサム・ノグチはある起業家から、「長年温めていたプレイグラウンドのアイデアを実現できる場所があるかもしれない」と聞き、1988年3月に札幌にやってきた。世界的な彫刻家を迎えた札幌市は、イサム・ノグチの作品を設置したいと幾つかの候補地を見せた。イサム・ノグチはその中で、不燃ゴミを埋め立てて作りかけていた「モエレ沼公園」を気に入り、公園の設計を引き受けたという。その8ヶ月後、モエレ沼公園の2000分の1の模型が披露されたが、その1ヶ月後、イサム・ノグチは急逝してしまう。公園作りはイサム・ノグチ財団に引き継がれ、2005年にようやく完成した。モエレ沼公園はイサム・ノグチの最後の仕事なのだ。

 太陽が照りつける中、実際にモエレ沼公園の中を歩いてみた。イサム・ノグチデザインの遊具のエリア、彼の巨大な彫刻とも言えるモエレ山、プレイマウンテン、テトラマウンド、モエレビーチ、海の噴水と、見所はたくさんあった。市立公園なので、テニスコート、野球場、陸上競技場、屋外ステージなどの施設もある。札幌市が「自然とアートの融合」と謳っているように、広い敷地に様々な作品のある美しい場所だった。ただし、188ヘクタールという敷地は広すぎて、すべてを見て回って味わうにはかなりの健脚が必要だ。標高62メートルというモエレ山には登ってきたが、遠くから眺めただけの場所も多かったので、2回目の北海道上陸の動機付けになりそうだ。
(えざき りえ)











はまってはまって

江崎リエ(2017.09.01.更新)



2週間前のアボカドの鉢



一番大きいのは鉢を変えて
支柱を立てました




一番小さかったのも
ここまで伸びました


アボカドの種を育てる


 アボカドをよく食べる。味や食感が好きというよりも、黒い実に縦の切れ目を入れてぐるっと回すあの感じ、割れた時に出てくる緑の美しさ、真ん中の大きな種のインパクト、そんなものをすべて体験できるから好きなのだと思う。そして毎回、あの丸々と太った茶色の種を捨てるのは惜しいと思っていた。そんな時にネットで見たのが、アボカドの種をはじめ、パイナップルのヘタやレモンの種、大根の葉っぱの部分などを水栽培して育てている映像だった。そこで、ちょっとアボカドの種を育ててみようかと思った。

 最初は水栽培で、楊枝を四方に刺してコップに浮かせておいたのだが、一ヶ月経っても変化がない。その間にも幾つかアボカドを食べたので、それらの種はベランダの大きな鉢の隅に並べておいた。そうしたら、水栽培のものよりも早く芽が出たので、それぞれ小鉢に植え替えた。そこから先は茎がどんどん伸びて、葉が開いてきた。茎がやたらに長く伸びるのはアボカドの性質なのか、日照不足のせいなのかわからない。種が大きいので、球根と同じでここから栄養が補給されるだろうと思い、肥料もやっていないが、今のところすくすくと伸びている。水栽培のほうは室内に置いてあるので、2ヶ月経って小さな芽が出たきり成長しないのでこちらも土に植え替えた。

 面白がってここまで育ててみたものの、これからどうしようかと考えている。葉が出たのはうれしいが、見かけはそれほど美しくもないし、大きくして実を生らすのは難しそうだ。寄せ植えのバックにも合いそうにないし、いっそのこと、大鉢に全部まとめて育てようかと思っている。

 植物を育てて思うのは、成長に時間がかかるということだ。アボカドも芽が出てから小さな葉が出るまで、葉が出てから大きな葉になるまでに予想以上に時間がかかった。「まだなの」とジリジリするのを通り越したくらいでやっと目に見える大きな変化が現れる。多分、人間の成長も同じなのだろうと思い、アボカドのおかげで少し忍耐力が養われた自分がいる。

(えざき りえ)







はまってはまって

江崎リエ(2017.10.01.更新)


歯のメンテナンスに通うはめに


 新しい街に越してきて、歯医者に行く必要ができたので、新しく開業した歯医者に行った。5年くらい前のことだ。治療が終われば縁が切れるはずだったが、1、2年後に「治療からメンテナンスへ」という看板が歯科医院の前に立つようになり、「歯の全体の検査と定期的なメンテナンスを受けてほしい」という話が歯科医院唯一の歯科医である若い院長からあった。ちょうど、歯周病と認知症の関係が取りざたされている時期だったし、「80歳まで20本の歯を残そう」という8020運動を推進している財団法人の仕事をしていた時だったので、メンテナンスに対する興味もあり、歯科医師とも信頼関係ができたところだったのでOKした。

 ところが最初の検査では、歯の並びのレントゲン写真を撮るのに口を大きく開けさせられて大変だったり、歯周ポケットを測る器具がチクチク刺さるようで痛かったりで、OKしたことを後悔した。その後は歯科衛生師による歯の磨き方のレッスンを受け、今は3ヶ月に1回のメンテナンスに通っている。多分、病院で病気の治療をOKしても同じなのだと思うが、一度OKすると、あれよあれよと予想外の物事が進んで行く。そして、「ちょっと待って」と流れを止めるのはなかなか大変だ。

 歯科医からは「最初にお口全体の検査をさせていただきます」と言われてOKしたが、歯のレントゲン写真を何枚も撮って痛い思いをするという説明はなかった。私は思ったことは相手に伝える方なので、この時も「こんなに大変だとは思わなかった。聞いていたら止めていた」と伝えたが、ここまで検査をしたので、「もうやめる」とは言わずに今に至っている。歯科医師の方も「説明が足りなくてすみません」とは言ったが、「一から十まで説明したのではメンテナンスを受ける人は減ってしまう」という思惑があるのかもしれない。

 定期的なメンテナンスのほとんど歯科衛生士の手に任されているが、ここでの相性も問題だ。歯科医は最初に信頼できるかどうか吟味したが、その診療所にいる歯科衛生士があまり気に入らなくても、担当を変えてくれとは言いにくい。さらに、お金の問題がある。虫歯になるリスク回避、歯を失うことで食べる楽しみを失う、噛めなくなることで認知症リスクが高まるなどのリスク回避と考えれば高くはないのだろうが、3ヶ月に1回2千円から3千円を取られると、「自分は幾つまでこういうものを払い続けられるだろうか?」と考える。こういうところでも今後のr高齢者の健康格差は広がっていくのかもしれない。ずっと歯医者が嫌いだったので、なるべく歯科医院には近づかずに生きていきたいのだが、3ヶ月はすぐに経ち、またメンテナンスの日がやってくる。

(えざき りえ)