【はまって、はまって】バックナンバー 2019年  江崎リエ(えざき りえ) 

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はまってはまって

江崎リエ(2019.01.06更新)



日々の習慣と思い込み


   毎日習慣にしていて、その心地よさや効用を信じていることがある。たとえば、朝のコーヒー。お湯を沸かしてゆっくりとドリップコーヒーを入れ、その香りをかぐだけで体が目覚めてくつろぐような気がするし、苦味のあるブラックコーヒーを味わうと頭が覚醒する気がする。コーヒーの飲みながら新聞を読むのも若い頃から続いている習慣で、たまの新聞休刊日には何かが欠けたような気分になり、1日の始まりに肩透かしを食らったような気になる。夕食に飲むお酒は食欲を亢進させる気がする。寝る前に飲むお酒は仕事で疲れた頭と体をリラックスさせ、眠りに入りやすくする気がする。

 「気がする」と繰り返し書いたのは、こうしたことをしなくても暮らし方によって同様の効用があったり、心地よさを味わったりできることを知っているからだ。朝のコーヒーは好きだが、息子の家に泊まり行って朝のコーヒーの代わりに日本茶が出てきても、頭は覚醒する。旅先で朝の新聞を読んでも楽しくない。新聞記事の中身が読みたいのではなく、座って新聞を大きく広げる時間が好きなのだと思う。ヨガで断食をするとその後は少しずつ食事を普通に戻すので、断食後3週間はお酒を飲まないのだが、夕食にお酒がなくても食欲はちゃんとあるし、寝酒を飲まなくても適度に体を動かしていればよく眠れる。

 このような経験を通して、「自分の生活にはこれが必要と思っていたけれど、なくても何の問題もない」と気づくことはいくつもある。それでやめる習慣もあれば、それでも続ける習慣もある。それでも続けるということは、その中に自分に合った心地よさがあるということだろう。夫が亡くなり、息子が独立して、私が初めての一人暮らしを始めて丸7年が経った。一人で暮らすようになってからも、それまで家族で暮らしていた時の習慣を続けて、「朝はコーヒーを入れ、新聞を読み、朝食を食べ、昼間は仕事をし、夕食の支度をして飲み始める」ことを繰り返してきたが、どれも続けている理由は「習慣だったから」で、やめても支障のないことばかりだ。今年は惰性でやっている習慣をやめる実験、違うことをやってみる実験をしてみて、今の自分に心地よい習慣をセレクトしたいと思う。

 皆様、今年もよろしくお願いします。

(えざき りえ)











はまってはまって

江崎リエ(2019.02.01更新)



1月26日の朝日新聞の記事



借りてきた「恋愛療法」

偶然か、記憶のなせる技なのか?


   最近はよく海外の小説を読んでいるのだが、なかなか面白い本に当たらない。そこで、いろいろな本の紹介記事を参照して、興味を持ったものを図書館から借りてくる。そんな本の一つがイギリスの小説家デイヴィッド・ロッジの「恋愛療法」だった。作者の名前を初めて知ったのは1月26日の朝日新聞朝刊の記事だった。この記事を読んで、私が読んでみたいと思った本は皆借り出されていて、在庫のある数冊の中で一番早く手元に来たのがこの本だった。

 この本の2ページ目の「慎重に」という言葉の横に「ジンジャリー」というルビが振ってあった。出てきた文章は以下のようなものだった。  
慎重に(ルビ、ジンジャリー)立ち上がった。(「ジンジャリリー」と  書くべきか? いや、今、辞書をひいたら、形容詞も副詞も同じ形だ)。
 カッコ内の説明によって、作者は主人公が言葉にこだわるタイプだということを示したかったのかもしれない。このルビを見た時の私の反応は、「けっこう英語の文章を読んでいるけれど、ジンジャリーなんて、見たことも聞いたこともない」というものだった。しかし、それから数時間後、インターネットで英語の記事を読んでいる時に、gingerlyという単語を目にした。この偶然に私は驚いた。

 しかし、考えてみるとこういうことはよくある。フランス語の授業で新しい単語を聞き、「この言葉は初めて聞いた」と言うと「本当か? これは別に難しい単語ではなくて、会話でも使われるよ」と言われ、「いやー、こんなの聞いたことない」と言い張った矢先、帰りの電車の中で新聞記事を読んでいたら同じ単語が出てきたりする。

 昔々の妊娠中に、大きなお腹で外を歩いていて、やたらに妊婦が目につくという現象があった。それまでは気にも止めずに歩いていたのが、自分が妊娠してフウフウ言うようになったら、同じ境遇の女性がやたらに目に入り、「世の中にはこんなに妊婦が多かったのか」と驚愕したことを思い出す。ジンジャリーもこれと同じで、意識がこの単語に行っていたから目に入ったのか、それとも単なる偶然の結果なのか確かめたいと思うが、その術がない。同じように「この単語、初めて見る」と思ったものは多数あり、そのことが記憶にあるうちに同じ単語に出会わなければ、そのことはすっかり忘れてしまっているはずなので、意識しているから出会うとは限らないと思うのだが、出会う頻度と出会わない頻度を比べる術もない。こういうことを研究している学者がいるのではないかと思うので少し調べてみようと思うが、とりあえずはgingerlyという単語をしっかりと覚えただけで「よし」としようと思う。

(えざき りえ)











はまってはまって

江崎リエ(2019.03.01更新)





ちらし寿司を食べる日


   3月というとひな祭りだ。毎年、玄関にミニひなを飾り、ちらし寿司とハマグリのお吸い物を作る。ハマグリはけっこう高いので、アサリにしたり、普通のすまし汁にしたりすることもあるし、3日に作れずに日にちがずれることもあるが、なんとなく毎年続いている習慣だ。

 子供の頃を思い返してみても、祖母や母がこの日に必ずちらし寿司を作っていた記憶がある。だが、ちゃんとしたおひな様を飾っていた記憶はない。毎年、学校などで紙のひなを作っていたのを飾っていたり、その年その年でお菓子のおまけだったり、飾りだったりしたものを置いていた記憶はあるが、「毎年しまってあるひなを出して並べる」ということはしていなかった。私は長女で下に弟が2人いるので、ひな飾りが家にあっても不思議はないと思うのだが。ゆとりがなくて買えなかったのかもしれないし、「女の子のお祭り」ということに、男女同権に敏感だった戦争経験世代の父母が同調しなかったのかもしれない。思い返せば、ちらし寿司が出るだけで、とくに女の子の日と言われたことはない。子供3人、子供の日には「あんたたちが主役」風の扱いがあり、「男の子の日」という感じもなかったので、こちらも「端午の節句」という意識ではなかったような気がする。母は剣や兜などの武器飾りを嫌っていたので、男の子の日ではなく、「子供の日」を祝いたかったのかもしれない。これが戦争の記憶によるものか、母が生来持っていた好みなのかもわからないが。

 自分に子供ができた後は、日本の年中行事を伝えるくらいの感覚で、折り紙などのひなを飾り、お菓子についてきたおまけの鯉のぼりを飾るようなことを繰り返してきた。家族によってはひな祭りで「女の子」を意識させられ、「早くしまわないとお嫁に行くのが遅くなる」と言われたり、庭に大きな鯉のぼりが立って、「そのうち家を継ぐ存在である」ことを意識したりするのかもしれないが、そういうこともなく、ちらし寿司を食べる日、柏餅を食べる日、と食欲でその日を意識してきた子供時代を「よかった」と思うし、自分の子供にもこうした年中行事が「さらっと」伝わっているといいなと思う。

(えざき りえ)











はまってはまって

江崎リエ(2019.04.01更新)



るる島のフクロウ(Art Stage SAN制作)



カナダの劇団と共作した「Boxes」の人形



今回のチラシ

新しい人形劇団を発見


   今日は招待券で、韓国の人形劇団と日本の影絵劇団の共作を見てきた。「人形劇と影絵の共演」という宣伝を見て興味を惹かれたのだが、どちらも知らない劇団なので、チケットを買うのは賭けのようなものだ。それで決心がつかないでいたら、朝日新聞のチケットプレゼント欄に募集が載っていたので応募、ラッキーなことに当選したというわけだ。 

 見てきたのは韓国の「Art Stage SAN」と日本の「かかし座」の共作「ごめんね、ありがとう!るる島の秘密」(文京シビックホール)というもの。予備知識無しに行ったのだが、影絵と人形の共演は期待以上に面白かった。影絵は紙を造形して映すものと、手の形で動物などを表現するものの2種。人形は、小型、中型、頭だけ大きなマスクをかぶって体は人間が演じるものの3種。主人公の女の子は影絵で出演したり、小型、中型の人形で出たりして、その入れ替わりも面白い。人形の遣い方は独特で、中型の人形は一人が後頭部と背中の突起を持って上半身を担当、もう一人が両足のかかとの突起を持って下半身を担当する。文楽の二人遣いと似ているが、距離のある糸ではなく体に直接ついた突起なので、操り手と人形の距離が近い。小型の人形は頭の突起と腰か足の突起を持って一人で操る。

 これまで、子供向けの人形劇団「プーク」、江戸時代から続く糸あやつり人形の「結城座」、糸あやつりと棒使いを組み合わせた独特の構造を持つ人形を使う「かわせみ座」など、個性のある劇団の人形劇を見てきたが、「Art Stage SAN」の人形遣いも独特で面白かった。人形劇では、演目に合わせて人形のデザインから制作までを劇団内で行うところがほとんどだと思うが、その造形美も演目の魅力に大きく影響する。今回の劇団のコラボレーションでは、人形も影絵の背景も魅力的だった。こうして、新しく楽しみな劇団を見つけたので、次はそれぞれ単独の公演を見に行きたいと思っている。

(えざき りえ)











はまってはまって

江崎リエ(2019.05.03更新)



東京都現代美術館入り口



入り口横の広場に設置された作品



宮島達男の赤の数字が点滅する作品

リニューアル・オープンした東京都現代美術館へ


   10連休中の4月30日、3月末にリニューアル・オープンした東京都現代美術館に行ってきた。「朝から小雨模様だし、現代美術だし、お客は少ないはず」という読みは当たって、昼過ぎの美術館は空いていて、ゆっくりと見られた。

 まずは企画展の「百年の編み手たちー流動する日本の近現代美術」を見る。1910年代から現在に至るまでの日本の美術を、この美術館のコレクションを核に並べ直した展示で、見慣れた作品もあって楽しめた。奥の常設展示室では、「ただいま/はじめまして」と題して、これまでの収蔵品と休館中に新たに収蔵した作品を並べたコレクション展が開かれていた。リキテンスタインの「ヘア・リボンの少女」、ウォホールの「マリリン・モンロー」、宮島達男の1から9までの赤の数字が点滅する作品など、前に見たことのあるものを眺めて懐かしく思ったが、新しい作品も数多く展示されていたように思う。

 「私が最初にこの美術館を訪ねたのはいつだろう、確か開館してすぐだったはず」と思ってインターネットで検索してみると、オープンは1995年3月だそう。もう24年も前だ。当時は地下鉄東西線の木場駅で降りて、木場公園の中を延々と歩いてやっと着くという不便な美術館だった(バスはあったが)。2000年に都営地下鉄大江戸線が開通し、清澄白河駅ができたが、この駅からも現代美術館までは歩いて10分以上かかる。それでも、こちらから行くと下町の小さな商店街という風情の深川資料館通りを通るのが楽しかったので、ここから行くことが多くなった。

 と言っても、そんなに頻繁に通っていたわけではない。年に1、2回、面白そうな企画展があると出かけていたのだが、2016年に大規模改修工事のために3年間の休館が決まった。「いつでも行けるけれど行かない」のと「丸3年間は行けない」のでは、気分が大きく違う。愛着のある美術館だったので、2019年3月のリニューアル・オープンを心待ちにしていた。しかし、「オープン当初は混み合うのではないか」と思っているうちにゴールデンウィークになってしまったので、思い切って出かけたというわけだ。

 エントランスのイメージや大枠は変わらないが、新しいカフェとレストランができ、美術図書室はおしゃれになり、屋外スペースにも出やすくなっていた。全体的に、小さな子供連れでも楽しめる工夫がされているように思った。リニューアルコンセプトの一つが「一日中居られる美術館」だというのを何かで読んだが、天気のいい日に居る気になれば、一日中ここで遊んでいられそうだ。美術館前から東京スカイツリーに行くバスも発見したので、次回はスカイツリー観光も一緒に楽しめそうだ。新しくなった現代美術館がたくさんの人に愛されればいいなと思う。

(えざき りえ)











はまってはまって

江崎リエ(2019.07.13更新)







とりあえず、英語の本を処分しよう


   狭いマンションに住んでいるので、持っている本を減らしたいと思っている。好きな本は手元に置いておきたいとも思い、孫ができたので孫に読ませたい本も置いておこうと思い、読んでない本は読んでから処分しようと思っていると、結局捨てる本がなくなる。坂上忍がタンスの肥やしになっている着物を売るように進めるCMに「5年間着なかったら、もう着ないって! ◯◯に電話して売っちゃいなよ」(言葉は正確ではないけれど)というCMがある。このCMを聞いていると、「確かにそうだな、読もうと思っていて5年読まなかった本はバザーに出すか捨てよう」という気分になる。しかし、「読んでみたらすばらしい本かもしれない、お金を出して買ったのに、読まずに手放すのも悔しい」という気分にもなる。物事の決定は早い方だが、本の処分に関しては優柔不断なのだ。  

 そこで最近決めたのが、とりあえず英語の本を処分することだ。私が英語の本を読む時には辞書が不可欠だが、苦労して辞書を引いてもオリジナルの文体を楽しみたいと思って英語の本を多読していた時期があり、当時は面白そうと思った本はとりあえず買って家に置いていた。そんな本が本箱にちらほらとある。本当は読んでから処分したいのだが、今は辞書を引いて英語の本を読む気力はない。そこで、翻訳書を図書館から借りてきて、それを読んだら英語の本を処分することに決めた。  

 その第1冊目がSteven Millhauserの「Martin Dressler」だ。買ったのは2000年前後だろう。なぜこの本を買ったのか、理由は全く覚えていない。表紙にピューリッツァー賞受賞作と書いてあるので、それに引かれたのかもしれない。借りてきたのは「マーティン・ドレスラーの夢」(スティーヴン・ミルハウザー 柴田元幸訳)だ。ストーリーよりも細部の描写が面白く、魅力的な本だったが、この細部の描写を、辞書を引きながら味わうのは大変だった(もしくは途中で放り出した)だろうと思うので、翻訳を読むことにして正解だった。次は何を読んで処分するか、今は本棚を物色中だ。

(えざき りえ)









はまってはまって

江崎リエ(2019.08.10更新)







朝、新聞を読まない暮らしが始まる


   2019年8月1日は、私の人生で特別な日となった。生まれて初めて、この日から新聞の配達されない生活が始まったのだ。

 私は子供の頃から新聞が好きだった。小説家だった父は、「1つの新聞だけ読むとものの見方が偏る」と常々言っていて、朝日、読売、毎日の3紙を購読していた。父は夜に仕事をするのが習慣だったので、昼過ぎに起きてきてゆっくりと新聞を読んでいた。子供の頃の私は祖母と同じ部屋で寝起きをしていたのだが、祖母は「父が起きてくる前に新聞を読むのは気がひける」という理由で自分専用に東京新聞を購読し、巨人ファンだったので野球シーズンには報知新聞もとっていた。普通の家では考えられない5つの新聞が配達される家で育ったので、それが新聞への関心をかきたてたのかもしれない。私が新聞を読む(子供だったので、見るといった方が正しいだろうが)のは学校から帰ってからで、祖母の部屋にある東京新聞が主だったが、その他の新聞もパラパラとめくっていた。大人になって、新聞の記事広告を書くコピーライターとして仕事をするようになったが、小学生の頃から新聞広告のページも好きだった。

 自分の家庭を持つようになってからは、家では朝日新聞を読み、職場で読売と日経を見るという生活だった。80年代、90年代はどの家庭でも新聞を取るのが当たり前だったと思うが、その後は新聞の危機が叫ばれるようになった。ちょっとネットで調べてみたところ、新聞発行部数のピークは1997年で、2000年以降は毎年減少。2008年以降は減少率が大きくなっているという。インターネットやスマートフォンの普及で、「紙の新聞はジリ貧」と言われるようになり、この時期から大手新聞社も「電子新聞」の制作に力を入れるようになった。それでも私はずっと新聞を購読し続け、毎朝コーヒーを飲みながら大きな紙の新聞を広げて読むのを楽しんでいた。

 しかし、発行部数の減った新聞のページ数はどんどん減り、最近は新聞メディアがメディアとして機能しなくなっていて、記事内容も感心しないものが多いので、思い切ってやめることにした。今年1月の牧人舎のエッセイで「習慣と思い込み」について書き、「惰性でやっている習慣をやめる実験をしてみよう」と決めたので、その第一弾というわけだ。代わりに幾つかの新聞アプリをアイフォンに入れて、ニュース情報を取ることにした。一番残念なのは新聞広告を見る機会がなくなることなので、これは通っている図書館でまめに閲覧しようと思っている。

(えざき りえ)











はまってはまって

江崎リエ(2091.09.03更新)











フェルトで作る食べ物


 
 息子が幼稚園くらいの頃、フェルトで動物や食べ物を作ると喜んでそれで遊んでいたので、私もだんだんに凝って、スーパーマリオのキャラクターなどを作るようになって楽しんでいた。そんなこともすっかり忘れるほど長い年月が経ったのだが、孫ができて、また色々と作るようになった。

 そもそもは、まだ話もできない乳児の頃、私のブローチを面白がって引っ張ったのがきっかけだった。何度も引っ張るので、それならフェルトの動物の裏にホックを付け、座布団に止めて、ぶちぶちと取れるようにしたら喜ぶと思って作ってやったら、大当たり。満足げに引っ張るので、それ以来、遊びに行くたびにお土産に2、3個ずつ作って持って行っている。

 にんじん、だいこんなど、野菜の名前もどんどん覚え、3歳になった今では「機関車やワニに食べ物をあげる」というごっこ遊びにも活用されるようになって、作りがいはあるのだが、だんだんに作るもののネタがなくなってきている。動物よりは食べ物の方が圧倒的に好きなので、いろいろと食べ物の構想を練るのだが、簡単に作れて見栄えのいいものを考えつくのがなかなか大変だ。最近、初めて食べた経験があったので、かき氷は見せた途端に「かき氷だ!」と反応したが、最新作の「焼き鳥」と「たこやき」には首をかしげて、「何、これ?」と言われた。つくねは好きで食べていたので、説明したら納得したけれど(笑)。

 作り始めた頃はこんなにたくさん作るとは思わなかったのだが、孫に期待されているのを感じながら、何を作ろうかと考えるのはなかなか楽しい。あと2、3年、喜ぶうちは気に入りそうなものを作ってやりたいと思っている。

(えざき りえ)









はまってはまって

江崎リエ(2091.10.10更新)





牧人舎エッセイの書き納め


   毎月書いていた牧人舎のエッセイも今回(2019年10月)の更新で最後になります。長い間書かせてもらって、感謝しています。読んでくれた皆さんもありがとうございました。書き上げてアップされると、私のホームページやSNSで更新の告知をしてきましたが、どなたが読んでくれているのか、どのくらいの人数の方が読んでくれているのかは知る術がありませんでした。それでも、滅多に会わない友人と会った時や、年賀状の返信などで、「いつも読んでいます」という言葉をもらったりして、書いていたよかったと思うことが多々ありました。

 私にとって一番良かったのは、毎月月末という締め切りがあったことです。私は自分のホームページにもコラムをアップしているのですが、こちらは私が気ままに書いている(つまり締め切りがない)ので、なかなか形になりません。物書き稼業は締め切りには強迫観念があるので、締め切りが設定されると頑張って書きます(笑)。

 「もう10年くらいは書いているかなぁ」と思ってバックナンバーを見てみたら、書き始めたのはなんと2001年の1月でした。19年も書いているとは、自分でもちょっとびっくりです。何をテーマに書こうかと考えあぐねて、とりあえず自分が好きなもの、はまったものについて書こうと考え、「はまって、はまって」というタイトルにしたのですが、もうだいぶ前から、その趣旨から外れたエッセイも多くなりました。

 今回、パラパラと読み返してみると、書いた当時のことをけっこうリアルに思い出しますし、好きなことやはまっていることも、それほど変わっていない気がします。立派な大人になってからの約20年、それほど嗜好が変わらないのは進歩がないのか、好みが確立されたということなのか、ちょっと考えているところです。一方、「好きでずっとやってきたけれど、このことについては書いたことがなかったな」と思うテーマ(例えば、読書の好みやフランス語の面白さ、スポーツの魅力など)も幾つかあり、それは今後、自分のホームページに書きたいと思いました。こうして、20年近くをネット上で振り返ることができるのも、ホームページの良さですね。

 毎月締め切りに追われながら書くことを楽しませていただきました。終わってしまうのは寂しいですが、「一つの終わりは新しい始まり」と考えて、今感じている寂しさを、自分が次に新しいことを始める原動力にしたいと思っています。長い間読んでいただき、ありがとうございました。

(えざき りえ)