【ぐるぐるくん】バックナンバー 2011年  野中邦子(のなか くにこ)   

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ぐるぐるくん

野中邦子(2011.01.07更新)


原阿佐緒
「美人は損だ。不美人のほうが幸せだ」

 ――といったのは、高校時代の聖書の先生だった。キリスト教を信奉する学校だったので、毎朝礼拝をし、聖書の授業もあったのだ。先生によれば、「そうはいっても、自分が美人だと思っている人は、『損だなんてことないわ』と思って聞く耳をもたないだろうし、不美人は『やっぱり美人のほうが得に決まっている』と思いつつ、やがて幸せだとわかるはずだから、これでいいのだ」。「これでいいのだ」とは、まるでバカボンのパパのようだが……。

 先日、逗子にある理科ハウス(世界一小さな科学館)の館長の森さんとお会いした。森さんは、物理学者で歌人の石原純氏のお孫さんだという。恥ずかしながら、石原純について初めて知った。大正時代に、妻子ある身でありながら、美貌の女流歌人、原阿佐緒との不倫の恋が世間を騒がせたことで有名になった。そのために東北大教授の座も棒にふることになったのだが、当時のメディアは、原阿佐緒のほうを責め、男を誘惑する悪女としてさんざん攻撃したらしい。

 石原純がアララギの歌人だと聞いたので、後日、わが高校時代の恩師であり、現在アララギの選者をしておられる歌人の三宅奈緒子先生にお会いしたとき、石原純と原阿佐緒の恋について聞いてみた。すると、なんという偶然! 三宅先生はいま、女流歌人の伝記を書いているところで、原阿佐緒もその一人であるという。原阿佐緒記念館が出している冊子も見せてもらった。

 それによると、原阿佐緒が男を誘惑したというより、つねに男のほうが彼女に惚れ込んでいたようだ。17歳のとき、英語教師(妻子あり)にむりやり犯されて、19歳で長男を産んでいる。正式な結婚はしていない。その男と別れたあと、実家を継ぐために画家と結婚し、次男を産む。しかし、この夫もすぐに家を出てしまう。離婚し、一人で生きていこうとしていたころ、歌人仲間の石原純が彼女を知って、すぐに夢中になってしまう。すでに妻子もある東北大学の教授である。妻子がいるにもかかわらず、阿佐緒と一緒になれなければ死ぬといって、自殺未遂をはかる。周囲の人びとにむりやり説得されて、阿佐緒は石原を受け入れる。そして、千葉の保田海岸に建てた曖日荘という別荘で、二人は同棲する。

 石原はこの恋が世間に知られたために東北大学を辞めざるをえなくなり、東京に出て岩波書店に勤務。物理学の本を書いたり、来日したアインシュタインと会談したり、ジャーナリストとして活躍した。二つの家庭を維持するためにも金を稼ぐ必要があったようだ。

 阿佐緒のほうには別に好きな人がいたらしいので、迷惑な話ではある。しかも、マスコミがその話を面白おかしく書きたてて、悪女に仕立て上げられてしまうのだから、阿佐緒にしてみれば踏んだり蹴ったり。しかも、石原氏は結局、妻とは別れず(そういう時代だったのだ)、最後は自動車事故にあって体が不自由になり、妻のもとに戻って、早く亡くなってしまう。それ以前に、阿佐緒は石原のもとから出ていってしまったらしいが。

 阿佐緒は2人の子供を抱えて、一時は生活にも困窮したらしい。女優になったり、バーのマダムをしたりしていたが、歌人として活躍することはなかった。彼女が美人でなかったら、(知識と教養を与えてくれるはずの)教師に犯されることもなく、(いざ自活しようとしているときに)「一緒になれなければ死ぬ」と脅されることもなかっただろう。そう思うと、やっぱり美人は損なのかな。学校の教師からちゃんと教えを受け、自活できるようになった私は「ラッキー!」と思いつつ、「たとえ不幸でも、とびきりの美人の気分を一度味わってみたいものだ」という気がしないでもない。

 ちなみに原阿佐緒の次男は「事件記者」などで人気があった俳優の原保美。純の弟の石原謙は宗教学者で、東京女子大の学長をしていた。純と謙の父親は本郷協会の牧師である。三宅先生もキリスト者で、東京女子大の出身。なんだか、偶然のつながりがたくさんある。さらにいえば、純と阿佐緒が住んだ房総の保田海岸というのは、私が子供のころ毎夏、一軒の民家を借りて、一家親類で避暑に行っていた場所でもある。

理科ハウス
原阿佐緒祈念館
新アララギ
(のなか くにこ)







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野中邦子(2011.02.11更新)


「フィー子だよ!」



お騒がせのフィー子ペンギン



船のなかの通信室




ナチュラリストのポッツさんと筆者、ブラウン・ブラフにて





『バートン・フィンク』を連想させたアトランタのホテルの廊下
 1月末、南極から無事に帰ってきました。そのあと、旅行の骨休めと称して1週間ほど沖縄へ行っていました。当ホームページの更新を沖縄でやろうと思っていたのですが、ファイルの入ったUSBメモリーを間違えてもっていったため、更新が遅くなりました。どうもすみません。

 さて、今回の南米&南極ツアーでは3つのミッションを設定しました。

1 ブライスの南極上陸。
2 ツイッターで「南極なう」とつぶやく。
3 習いはじめたばかりのスペイン語を少しでもしゃべってくる。

 くわしい報告はいずれ、「フィー子(写真)の南極旅行」と題してまとめる予定です。ミッションその1は無事完遂。おまけに、「ペンギンわしづかみ事件」まで起こしてきました。

 添乗員Sさんの談話。  
「最初の上陸地点でのことです。南極は自然保護の観点からペンギンには5m以内に近づいてはいけないことになっています。南極のペンギンは人間を怖がりませんし、お客様はつい夢中になって近づきすぎてしまうことがあります。それを注意するのも添乗員の仕事です。
 ふと見ると、ペンギンに1mくらいまで近づいて写真を撮ろうとしているお客様がいるではありませんか。離れてくださぁいと声をかけようとしました。するとどうでしょう……なんと、そのお客様がペンギンの頭をもってポーズを変えようとしているじゃありませんか! ぎょっとして、駆け寄ろうとしたとき、こんどはそのお客様がペンギンをわしづかみにして鞄の中にぐいっと入れてしまいました……肝がつぶれるとは、このことです」

 そうです。そのペンギンこそ、ペンギンの着ぐるみを着たフィー子だったのです。添乗員さん、ぎょっとさせてすみませんでした。

 3のスペイン語を話す件は、クルーズ船のスタッフに期待していたのですが、メイドさんやウェイターさんのほとんどがフィリピン人で、会話はほとんど英語でした。
 ブエノスアイレスからウシュアイア行きの飛行機で隣の席に座った男性がスペインから来たというので、なんとか自己紹介してきました。突然、東洋人のおばさんに名前を名乗られて、相手は困惑したかもしれませんが。
 ブエノスアイレスの空港のロビーで隣にいた若いママには「どこから来たの?」と訊いてみましたが、答えがさっぱり聞き取れず。
 レストランでは、かろうじて「カマレロ、ポルファボール!」を使いました。あとはガス入り・ガス抜きの水を注文し、「お勘定、お願いします」「いくらですか?」という完全な旅行者会話に終始し、ちょっと残念な結果に終わりました。

 ところで、2番目のミッションも無事に果たせました。南極から写真付きでツイートできるというのはちょっとした驚きです。ちなみに通信事情を少しメモしておきます。アトランタ空港ではラウンジ内でwifiが使えますが、1時間単位で有料(使ってみました)。
 リオデジャネイロのホテルも有料(これは使わず)。イグアスの滝のブラジル側にある高級ホテルではwifiがフリーで使えました。アルゼンチンのブエノスアイレスのホテルは有料。船の中ではwifiの装置はありましたが、場所によっては電波が来ない場所があります。それにドレイク海峡を越える航海中は、船酔いでまる二日間、完全にダウンしていたのでツイッターどころじゃありませんでした。
 南極海に入って、基地というか、研究所兼お土産ショップがあるポート・ロックロイの近くでは電波がよく通じて写真もアップできました。ほとんどLIVEの南極の写真に、フォロワーさんたちから驚かれ、感心もされました。通信に関しては、ほんとにすごい時代になったものです。

 ブエノスアイレスからの帰国便が遅れて乗り継ぎができず、急遽、予定外に1泊することになったアトランタのホテルは、廊下の様子など映画『バートン・フィンク』に出てくるモーテルか、または『シャイニング』のホテルみたい(そういったら、同行者にいやーな顔をされた)でしたが、wifiフリーでサクサクつながり、「さすがアメリカ」と感心しました。
(のなか くにこ)







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野中邦子(2011.3.6更新)


能楽師の小島英明さん



双子ちゃん



能面




会場で売っていた玉英堂の桜餅
 今年もZEROホールのお能の公演を見てきました。演目は「舎利」。
 京都の泉涌寺にある仏舎利が足疾鬼(そくしっき)に盗まれ、それを韋駄天(いだてん)が取り返すという話です。これでは筋書きが簡単すぎますね。

 見どころは後半のチェイス&バトルシーンです。
 逃げる鬼、追う仏。鬼は宇宙の果てまで逃げ、いったん二人は相手を見失ってうろうろと手探り状態になりますが(この状態をイロエという動きで表現する)、やがてばったり顔をあわせ、そこから激しいバトル。仏が鬼をやっつけて、無事に仏舎利を取り戻します。
 例によって赤毛のかつらをかぶり、金色の珠(仏舎利)を抱えて逃げる鬼。追う仏もドレッドヘアのような三つ編みの長髪で打ち杖を手に、両者とも衣装はきんきらで豪華です。

 公演に先立ってシテ役の小島英明さんが催す「能の手ほどき」にも参加してきました。ここでは、能楽堂で演じられた「舎利」のDVDを鑑賞し、筋書きや時代背景、泉涌寺の来歴などのお話を聞きます。舞台でつけるお面の実物もすぐそばで見せてもらいました。貴重な文化財で、本当なら博物館でしか見られないんだそうです。  
そのうえ、小島さんの能楽教室に通っているという中学一年生の双子ちゃんが「舎利」の一部を仕舞で踊ってみせてくれました。仕舞とは、舞台衣装をつけずに袴姿で能の一部を踊るものです。最後に全員で、「舎利」の謡(うたい)の一部をうたってみました。おなかの底から声を出すのは健康にもよさそうです。  

それにしても、昔から庶民は派手なバトルシーンが好きなんですね。かつらとお面をつけ、かさばる衣装を身につけた演者二人を見て、「なんだかバトルスーツを着て闘っているみたいだね」と同行の友達と話したのでした。ガンダムか!
(のなか くにこ)







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野中邦子(2011.04.02更新)







 『名編集者パーキンズ』という本があります。マクスウェル・パーキンズはニューヨークにあったスクリブナーという出版社に勤め、スコット・フィッツジェラルドやヘミングウェイの作品を世に送りだし、とりわけトマス・ウルフ(美術評論家のトム・ウルフではなく、『天使よ故郷を見よ』などの作家)とは共同作業ともいえる熱心な編集作業を通じて数々の傑作を生み出した文芸編集者です。さまざまな逸話が残っていますが、なかでも私の記憶に残っているのが「この世でいちばん大事なのは本です」という彼の発言です。生きていくのに必要不可欠とは言い切れない本を、この世でいちばん大事だと自信をもって言い切っているところがすごい。どんなときに言ったのか、その背景や根拠など、くわしいことはすっかり忘れてしまいましたが、この言葉だけは強烈に残っています。

 この3月初めに校正刷りが出て、2週間ほどかけて読んだのが『アート・スピリット』という本。これは、20世紀初頭のニューヨークで美術を教えていた画家ロバート・ヘンライの講義集です。エドワード・ホッパーもヘンライの教え子でした。映画監督のデヴィッド・リンチがこの『アート・スピリット』に感銘を受け、人にもぜひ読むようにと勧めていた本でもあります。

 そのヘンライがやはり言っています。「生きていくうえで、いちばん大切なのはアートだ」と。
 ほんとうに、ぶれない人たちです。

 ヘンライがいうには、アーティストとは画家や彫刻家である必要はないそうです。職業にかかわりなく、「芸術の精神=アート・スピリット」を理解し、人生をすばらしい芸術とみなす人すべてがアーティストなのです。そして、人間として生まれてきた以上、アーティストとして生きることほど幸せなことはない。生き方そのものがアートになるべきなのだ、といっています。

 私が翻訳を教わった先生の言葉によれば、「ゲラは焼け火箸だと思え」とのこと。つまり、だらだらやってないで、すばやく戻せ、というのです。2週間以上もかかったのは、少々時間をかけすぎ。翻訳の出来に満足がいかずに赤字が多かったこともあるけど、大きな理由はあの巨大地震でした。余震が続き、原発が一触即発の危機に見舞われ、スーパーの棚が空っぽになっているときに、のんきに芸術論など……とても読んでいられない……と、ついめげそうになるとき、パーキンズの「この世でいちばん大事なのは本です」という言葉、そしてヘンライの「誰もがアーティストとして生きるべきである」という言葉が大きな支えになりました。

 東北地方の製紙工場やインキ製造所が被災して、出版界も紙不足、インキ不足に見舞われ、今後の出版の見通しが立たない会社もあるらしい。
 校正刷りを戻しても、はたして出版できるかどうか、先のことはわからないけど、まず目の前の仕事をきちんとしないとね。
 そして、さらに言えば、仕事だけじゃなく、日々の暮らしも、遊びも、歌も、踊りも、芝居も、スポーツも、もちろんアートも――節電しながら――やりたいことをやりたいものです。

(のなか くにこ)







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野中邦子(2011.05.02更新)

 アムネスティ・インターナショナル・ジャパンの現理事長って誰だか知ってます? このホームページでもおなじみの翻訳家、藤田真利子さんです。お友達なので、ムーミンTシャツのこともすぐに教えてもらいました。ムーミンの作者トーベ・ヤンソンさんがアムネスティ50周年を記念してイラストを描いてくれたんだそうです。私もさっそく着ています。アムネスティのオンラインショップにはほかにもいろいろ楽しそうなものがあるので、ぜひお買い物してください。同業者の藤田さんを応援しよう!

 ムーミンとムーミン・パパ&ママ、フローレンが柵の向こうにいて、その銃前に鍵を差し込んで開けようとしているところ。YOU HAVE THE KEY!という文字が入っている。背中には50YEARS AMNESTY INTERNATIONALというロゴが入り、"CHANGE OUR WORLD"と書いてあります。

 問題はこの鍵を開けようとしている人物――これは誰? 私はそれほどムーミン・フリークじゃないので、すぐには名前が出てこない。で、またもやネット検索です。 鍋を帽子がわりにしているところや、首に巻いたマフラー、垂れた犬の耳みたいな髪の毛、だぶっとしたコートに五本指の靴下(靴?)からして、どうやらスニフのお父さんのロッドユールらしい。

 そんなわけで、私も毎年末にはユニセフとアムネスティにささやかな寄付、この3月末には東日本大震災の義捐金を赤十字に振り込み、そして、4月11日には高円寺の原発反対の集会&デモに行ってきました。「浜岡原発止めろ」の署名もしました。一つ一つは小さな鍵でも、ちゃんと持っているんだし、正しく使えば扉は開く(はず)だから、使わなければモッタイナイよね!
(のなか くにこ)







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野中邦子(2011.06.03更新)


試合に勝ったあと、TVカメラに向かってサインをするジョコビッチ


マドリードで優勝し、家族と抱き合う


2011年全仏オープンのナダル・ウェアを着て「!VAMOS!」
 このホームページの更新をしている今日は2011年6月3日なのですが、今夜はテニス全仏オープン男子シングルス準決勝があります。まだ結果はわかりません。世界ランクのトップ4が準決勝に残りました。ものすごい好カードです。これは見逃せない! ナダル(第1位)対マレー(4位)、ジョコビッチ(2位)対フェデラー(3位)という組み合わせです。うわー!

 なんといっても去年から連勝街道を突っ走り、いまだ負けなしのジョコビッチをフェデラーが撃破できるか、が話題です。ナダルによれば「現在の世界でもっとも強い選手と、テニスの歴史上もっともすぐれた選手」との一騎打ちですから。そのナダルもクレイ・キングの座を守れるかどうか、大事な試合です。ファンとしては、朝からわくわくです。

 今日、ジョコビッチが勝てば、連勝記録でジョン・マッケンローの記録を抜き、世界ナンバーワンの座がナダルからジョコビッチへと変わることになります。フェデラーが勝ち、決勝戦でも勝って優勝すれば、グランドスラム16勝の歴代トップ記録をまた1つ更新することになります。ナダルが優勝すれば、グランドスラムの同一大会で6勝、ボルグの記録と並ぶ。マレーが優勝すれば、マレーにとってはグランドスラム初優勝――と、記録ずくめなんです。

 ナダル・フェデラーの2強時代、第三の男として、ずーっと3位に甘んじていたジョコビッチ。悔しいことも、つらいことも多かっただろうな。でも、いまの強さはまちがいなし。ローマとマドリードのクレイコートで2試合連続してナダルを下しています。ナダルはこれまでクレイコートで2試合連続して負けたことがなかったそうで、それもすごいんだけどね。

 ジョコビッチは5月22日が誕生日で、24歳になりました。ナダルの誕生日は6月3日で(今日です! おめでとう、ラファ!)25歳。1歳ちがい、あと10日ちょっとでナダルが一歳になるころに、ジョコビッチが生まれたんですね。でも、おいたちはだいぶ違う。ナダルはスペインの地中海沖にある風光明媚なマヨルカ島で生まれました。お父さんはマヨルカで会社を経営し、妹が一人、叔父さんの一人はプロサッカー選手で、スペイン代表になったこともある。もう一人のおじさんは、小さいころからテニスの才能を発揮したナダルの専任コーチになって、ツアーにも同行するようになった。

 一方のジョコビッチはセルビアのベオグラード生まれ。人は生まれる場所を選べない。

 セルビアはこれまで国の名前が何度も変わるほどの激しい変転をへてきています。第二次大戦中はナチス・ドイツに支配され、戦後も、この一帯ではユーゴスラビア、セルビア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、モンテネグロ、スロべニア、コソボといった国々や地域が、独立や人種問題をめぐる紛争を次々と起こしてきました。そんな国に生まれたジョコビッチも子供時代にベオグラード爆撃を経験しています。ジョコビッチ自身、かつてモンテネグロの選手だったのが、いまはセルビアの選手になっているわけだし。ご両親はレストラン経営、弟が2人。プロテニス選手になるには、子供のころからコーチ代や留学費用など、お金も手間もかかります。テニスラケットだって高いのだから、かんしゃくを起こしてラケットを壊したりするのはもってのほかですよね。

 もとスキー選手だったお父さんを筆頭に、家族親類一丸となってジョコビッチを応援してきた。性格がよくて、明るくて、ファンのみならず同僚のテニス選手からも愛されているジョコビッチが、家族の熱い期待に応えて、いよいよ世界ナンバーワンに昇りつめるか……ドラマですね! 考えただけで、うるうるしてきます。

 そんなわけで、今日は朝から落ち着きません。こういう気分をネット用語でwktk(わくわくして、顔がてかてか?)というらしい。ブライスのブリ子にナダルのユニフォームを着せて、ナダルを応援します。ジョコビッチとフェデラーは……うーん、2人とも大好きだから、どちらを応援すべきかわからない。全力を尽くして、見応えのある試合を見せてください! どちらが勝ってもきっと泣くだろうな(選手もファンも)。さて、結果は?
(のなか くにこ)





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野中邦子(2011.07.03更新)




 今月のトップページに乗せた寄贈本、真っ黒で「ミスじゃないの?」とお思いになったかもしれませんが、ほんとに真っ黒なんです。現代画家マレヴィッチの作品に『ホワイト・オン・ホワイト』というのがありますが、この本はまさに「ブラック・オン・ブラック」。艶消しの黒一色の地の上に、艶のある黒でDHALGRENという原題と邦題と著訳者の名前だけ。『ダールグレン』T、U、サミュエル・L・ディレーニー著、大久保譲訳、国書刊行会。

 装丁だけでなく、中身も変わってます。冒頭の一文――

   、秋の都市を傷つけるために。

 どこが変わっているって、まず点「、」から始まっているところ。破格ですね〜。  分厚い全二巻本なのですが、担当編集者の説明によると、「最後の文章が冒頭の文章につながっている」んだそうです。しかし、この説明を聞いていなければ、上巻477ページ、下巻509ページ、合計986ページを読まないと、それがわからない。

 私がすぐに連想したのは、ジェイムス・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』。この本は最後が「yes, yes, yes,,」で終わっているんですよね。それも何かの翻訳にジョイスの引用が出てきて、その部分を探すために、えんえんと読んでいったあげく、出てきたのは「最後か!」というトホホな思い出。それ以来、引用箇所を探すときは、まず最初と最後を見るようになりました。

 電子書籍が登場したいまの時代、こんなに造本に凝るというのも反抗的というかわが道をゆくというか。なかなか興味をひかれます。

 さて、造本という点である意味、共通してはいるのですが、話は変わって、故鈴木主税の遺稿・追悼文集ができました。
 このホームページに連載していたエッセイ「翻訳雑感」と療養中に口述したものを集め、お友達や担当編集者のみなさんに思い出の記を書いていただきました。巻末には著訳書一覧もついています。あまりたくさんは刷らなかったのですが、まだ余分がありますので、ご希望のかたは牧人舎宛てご連絡ください。webmaster@bokujinsha.com

 主税さんはたぶん、こんな文集を作るのはあまり好きじゃないような気もするのですが、葬儀や年忌をしないかわり、本という形に残したいというのは私の気持ちですね。表紙の用紙は紬(つむぎ)、色は主税さんが好きだったベージュにして、見返しは上質紙の銀鼠色、題字は銀の箔押し、背は角ではなく丸背にしました。丸背にしたため、製本にとても時間がかかってしまったんだけど。

 本を作るのはおもしろいですね。遺稿・追悼文集でなければ、もっと楽しかったでしょうに……。同人誌作りに熱中する気持ちが少しだけわかりました。
(のなか くにこ)





ぐるぐるくん

野中邦子(2011.08.03更新)


「ちょっと、きみたち! どこ見ているの?」

 みなさん、お元気ですか? もう、8月ですね。あっというまですね、あせります。

 大震災のあと、個人も社会全体も気分が落ちこんで、くらーい雰囲気になり、停滞していました。仕事が手につかず、夜も眠れない、あるいは食欲がわかないという人も多かったのでは? 

 ところが、震災から5か月たって、このごろ少し落ち着いてきたのか、仕事のほうでも新しい企画の話や新規の翻訳の打診がくるようになってきました。

 気分が上向くのはいいことですが、震災後の鬱状態で、仕事が予定通りに進んでいない……それが問題。なかなか新しい仕事にとりかかれません。そんなわけで、もう8月か、とあせっている。

 あせっているにもかかわらず、あいかわらず気晴らしにネットでテニス関連の記事を見たりしているのですが、こんな写真はどうでしょう。

 デビスカップのときの記者会見での写真。左から、コーチのアルベルト・コスタ、ダビド・フェレール、フェルナンド・ベルダスコ、フェリシアーノ・ロペス。女性(の脚とスカート)を見ていないのは、愛妻家で有名なフェレールだけ! ベルダスコもロペスも独身だからなー。スペイン・チームはイケメンぞろいです。右側の二人は、いつも熱烈な女性ファンに囲まれています。

 ところで、いまスペイン語を習いに行っているのですが、このあいだ代行の先生が来ました。スタッフがいうには「闘莉王をごつくした感じで素敵ですよ」と。実際に見たら、「ベルダスコをごつくした感じ」でした。背がすごく高くて、黒いロングヘアーを後ろでポニーテール。色が浅黒くて、目鼻立ちが濃い。かっこいい!

 とはいうものの、クラスメイトたちはテニス・ファンではないので、「ねーベルダスコに似てるよね〜」と盛り上がることができません。家に帰ってから、ツイッターでテニ友相手につぶやいて、うらやましがらせたのでした。

(のなか くにこ)







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野中邦子(2011.09.03更新)


木々のあいだから久高島が見える









 8月4日に沖縄へ出かけるはずだったのが、台風10号に直撃されてしまいました。4日は飛行機が全便欠航。便をずらす人が殺到して、予約の変更も大変です。なんとか5日の午前便をとったものの、台風はまだ接近中で、飛ぶかどうかわからない。5日は羽田まで行ったけれど、直前の便は飛んだのに私の便は欠航が決まりました。念のためにANAの便も予約しておいたので、そちらはどうかと思ったのですが、なんと羽田の第一ターミナル(JAL)から第二ターミナル(ANA)まではとても遠い。地下道をえんえんと歩いてやっとたどり着いたのにやっぱり欠航。すごすごと家に戻りました。まる二日、欠航になったのなんて初めての経験です。

 翌6日の昼ごろの便、また肩すかしかと不安だったのですが、前の便が無事に出発、もしかしたら途中で引き返すかも、といわれていましたが、私の便も一時間遅れで那覇空港に到着しました。そしたら、空港は帰れない人たちでいっぱい。行けないよりも、帰れないほうがいやだなー。台風で街路樹が舗装してある道路の表面をもちあげて倒れていたり、折れた木の枝が散乱していたりで、台風の爪痕がそこここで目につきました。それでも、慣れているんでしょうね。1,2日もしたらすっかり片付いて、きれいになっていました。ウチナンチュー、えらい!

 今回は妹一家が来たので、久しぶりに南部観光に出かけました。斎場御嶽へ行くのは、世界遺産に指定されてからは初めてです。周囲もだいぶ整理されて、入場料もとるようになった! テレビドラマの『テンペスト』でもロケに使われてましたね。大きな岩が二つ重なって小さな隙間ができ、荘厳な雰囲気です。パワースポットといわれるのも納得できる。

   海の向こう、はるかに久高島を望む遥拝所では、案内してくれたタクシーの運転手さんが、「海上に見える久高島に向かうのではなく、反対側の壁に向かって願い事をいうんですよ」と教えてくれた。そばにいた他の観光客がみんなその話に聞き入って、壁に向かってお願いしていたのが面白かった。私はお気に入りのテニス選手がUSオープンで力を十分に発揮できますようにとお願いしてみた(優勝祈願はしない。なんだか図々しいような気がするので)。そもそも、沖縄人の先祖であり女神でもあるアマミキヨはきっとUSオープンがなんなのかまったく知らないでしょう。いわんや、ナダルなんて。 

 斎場御嶽を出たところで、パラモータ―(モーターパラグライダー)を発見。海がとてもきれいで、その上をふわふわと漂うのは気持ちよさそう。キヤノンのEOS望遠300ミリで撮影してみました。

 垣花樋川(かきのはなヒージャー)は地下水がわき出る天然の水場。古い石畳をかなりの距離、下らなければならず、摩耗した丸石の道が、雨のあとでつるつる滑って歩きにくい。情けないことに翌日、筋肉痛が出た。樋から勢いよく流れ出る上のほうの井戸は飲料水、それが流れて下の池にたまると、そっちは洗濯用。子供たちもそこで水遊びをする。雨のあとか、水量も多く、気持ちがよかった。



お知らせ:トップページでもご案内していますが、新刊『アート・スピリット』(ロバート・ヘンライ著、野中邦子訳、解説滝本誠、国書刊行会)が出ました。真っ赤な装丁がとてもすてきです。この刊行記念にトーク・ショーなるものに出ることになりました。人前に出るのが大キライだし、しゃべるのが苦手なので、困ったなーという気分。滝本さんの付録ということで、お引き受けしましたが、たぶんそこにいるだけ、になると思います。滝本さんは話がうまいし、あの迫力は見るだけでも価値があると思うので、興味のある方、ぜひ。10月2日(日)午後4時から、立川のオリオン書房ノルテ店です。
(のなか くにこ)







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野中邦子(2011.10.04更新)


ヘンライ先生
 『アート・スピリット』は、おかげさまで大変好評です。新聞の書評欄にも載り(朝日、毎日、読売)、週刊誌や雑誌でも絶賛されております。ツイッターでも話題です。

 10月3日には立川のオリオン書房ノルテで、解説を書いた滝本誠さんと私、それに国書刊行会の担当編集者樽本周馬さんの司会で、トーク・イベントが開催されました。

 そのとき、私の経歴など聞かれて、ちょっと昔のことを思いだしました。私は多摩美術大学の絵画科(油彩)に入り、3年のとき、専攻課程として銅版画を専攻したのですが、もはやエッチングプレスもニードル類も手元にありません。プレスはともかく、ニードル類はいったいどこに消えたのか。

 そこで、ふと考えたのですが、版画と翻訳って共通点があるような気がします。

 写真がなかった時代、版画は大量の印刷物を世間に広める手段でした。要するに、マス・メディアです。かつて、版画というマス・メディアが伝えようとしたのは、キリスト教の教えだったり、皇帝の栄誉だったり、ある意味で、版画は権力者の道具、つまりプロパガンダの道具でした。

 一方、それとは別に、きれいな景色や名所などをプリントして、人寄せのために使うこともありました。いまでいえば、ポスターや絵ハガキの役割を果たしていました。こちらはプロパガンダではなく、コマーシャル、またはパブリシティ効果です。

 そこで、版画と翻訳の共通点ですが、まずオリジナルではないこと。もとがあって、それを広く伝播することが目的です。だからこそ、二次芸術みたいな扱いをされ、やや低く見られています。写真が登場したときも、「写真は芸術か」などという議論がありました。そのへんも似ていませんか?

 外国の文学や情報を伝えるという点でも、プロパガンダやコマーシャルに似たところがあります。西欧の情報が権威だったり、とびきり魅力的だったりした時代には翻訳が人びとを扇動したり、魅了したりしていたのではないでしょうか。

 翻訳したいという衝動の基本にあるのは、この本を広く知らしめたいという思いです。そういう意味で、「芸術家であることはすばらしい!」とか「いますぐに、きみは巨匠であれ!」などといって「芸術の魂」の布教に励むロバート・ヘンライ先生の情熱は他人事ではなかった。

 ただし、翻訳を終えてしまえば、その情熱はすでに燃えつきているわけで、今度のようにトーク・イベントで何か話すとなると困ってしまう。そもそも、私は幼稚園に通っていた2年間、必要なこと以外、先生に自分から話しかけたことが一度もなかった、というくらい口の重い子でした。そんな私が、うまくしゃべれるわけはないのだ。
(のなか くにこ)







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野中邦子(2011.11.04更新)


スペインのデ杯チーム「無敵艦隊」
 もう11月ですね。あと2か月で今年も終わるかと思うと、一年を振り返りたくなります。

 今年はなんといっても大震災と原発事故の年でした。なにか楽しいことをしていても、ふと気づくと、いまも原発事故の処理は終わっていないのだと思いだして、気持ちが冷えてしまうことがあります。原発を推進してきた人びと・組織・会社は、福島だけでなく、日本中の人びと、そして地球そのものにとりかえしのつかない傷を負わせたのだということを自覚してほしい。このうえ、原発推進なんて、とんでもない話です。

 個人的な一年をかえりみると、11月でひとめぐりしたことがあります。スペイン語の教室に通いはじめてまる1年が過ぎました。学校を出て以来、語学の勉強を1年以上続けたのはこれが初めてです。しかも、振り替えで別の日に変えたことはあっても、授業は一回も休まず、皆勤でした。やったー!

 最初はちょっとお試しの気分でしたが、1年終えてみると、語学というのは奥が深い、と思わざるをえません。内田樹さんが書いていましたが、日本人は語学を学ぶときに、その背景となる国や文化への興味が不可欠だ、ということです。ビジネスに必要だから、というだけの理由では語学に興味がもてない、と。たしかに、そうですね。ものの売り買いや、交渉のやりとりだけでなく、その国の文化や歴史に関心があってこそ、語学を勉強する張り合いがでます。

 そういえば、スペイン語の文学はあまり読んでいないのですが、スペイン美術にはなじみがあります。かなり好きです。ピカソ、ダリ、ガウディは評伝の翻訳をしているし、マングェルさんやシリ・ハストベットの美術評論集にもゴヤ、ベラスケスについての文章が収められていました。現地の美術館やゆかりの土地も訪ねています。フランスよりなじみがあるかも。

 最近、よく見ているテニスの世界でも、スペインはイケメン選手が多く、かつてスペイン王国が世界の覇者だった時代の無敵艦隊になぞらえて、デ杯の選手たちは「アルマダ」とあだ名されています。まあ、正直いって、ナダルのインタビューやウェブの記事を読みたいというのが、そもそもスペイン語を習いはじめたきっかけなんだけどね。

 とはいうものの、1年通って、やっと現在形を終えたところです。たくさんある動詞や名詞はぜんぜん覚えられないし、動詞変化も規則不規則いろいろあって、数字の数え方や時刻の言い方、名詞や形容詞には男性女性形があり、ケコモクァンド、いまのところ、すべてがごっちゃになっています。

 ただ、テニスの試合をスペイン語の中継で見ているとき、キンセ、トレインタ、クァレンタ(15、30、40)だけはよーく聞き取れるようになりました!
(のなか くにこ)







ぐるぐるくん

野中邦子(2011.12.04更新)



seascape by Gerhard Richter



Abstract Painting by Gerhard Richter




 
『岩窟の聖母』右がルーブル版

 11月のロンドンへ行ってきました。
 目的はテート・モダンで『ゲルハルト・リヒター』展、ナショナル・ギャラリーで『ミラノ宮廷のレオナルド』展を見ることです。

 レオナルドは私の「最も好きな画家の一人」……いや、最も何とかの一つという言い方は好きじゃなかったんだっけ。とくに好きな画家の一人です。若いころにレオナルドの伝記の翻訳をしたことがあるので、生涯や作品にもなじみがあります。フェルメールの油彩画をすべて見るというのが流行したことがありますが、私は30歳になる前からレオナルドの大作をすべて見るというのを目標にしています。

 今回は、新たに発見された個人蔵の絵がレオナルドの真筆だということで、それを見るのが大きな目的です。日本から、時間を指定してネット予約ができ、オーディオガイドもサイトであらかじめ予約できるなど、ほんとうに便利になったものです。以前は、電話をかけなくちゃいけなくて、英語をしゃべるのが嫌いな私はなかなか予約ができませんでした。ネットはいいなー。

 今回の展覧会の目玉は、『岩窟の聖母』の2バージョンが同じ部屋に向かい合わせで展示されていて、比較できたこと。この絵は、ある教会がレオナルドに依頼したものですが、革新的な表現に理事から不満が出て、レオナルドは同じバージョンでちょっと違う作品を描きなおしました。もとの作品がパリのルーブルにあり、描きなおしたものがロンドンのナショナル・ギャラリーにあります。ルーブル版の天使の表現はとてもすばらしい。

 それと、聖アンナと聖母子のデッサンが見られたのもうれしかった。前に行ったときは、これが見たかったのに、破損の恐れありということで地下にしまわれて見られなかったのです。大きな木炭デッサンで、構図も奇妙だし、聖アンナの天を指さす手が未完成だし、不思議な絵なんだけど、惹きつけられます。 肝心のキリスト像ですが、正面を向いて、片手で天をさし、片手で水晶の玉をもっているポーズ。レオナルドにしては動きが乏しく、表情もおとなしすぎて、少々物足りない。聖ヨハネや聖アンナのぞくぞくする奇妙さには欠けるなぁというのが率直な感想です。

 もう一つのゲルハルト・リヒター展。こちらもすばらしい。
 シリ・ハストベットの『フェルメールの受胎告知』(白水社刊)を翻訳したとき、リヒターに関する一章がとても難しかった。図版もたくさん入っていたのですが、その図版になった作品の実物を目の前で見てびっくり! リヒターは写真をもとに油彩画を描くことで知られていますが、写真をもとに描いた絵を図版のために写真に撮るというプロセスは奇妙なものです。写真から絵へ、絵から写真へと一巡し、印刷になると、その結果はまさに写真そのものにしか見えません。ところが、実物は絵具の質感がありありと迫ってきて、はっきりと実在します。スケールも大きく、画家のスキルに圧倒されました。思っていた以上にアクティブで、むしろ荒々しいとさえいえる画面であることに驚かされ、テーマの不穏さに拍車をかける技法の確かさに圧倒されました。

 カラフルな抽象画はとても美しく、目にも快い。絵というのは実物を見ないとわからないものだなぁとつくづく思った。ロンドン旅行楽しかった!
(のなか くにこ)