【ぐるぐるくん】バックナンバー 2013年  野中邦子(のなか くにこ)   

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ぐるぐるくん

野中邦子(2013.1.08更新)




『エル・アレフ』




銭湯ってこんな感じ
 いまとりくんでいる翻訳はアルベルト・マングェルさんのエッセイ集。読書や本にまつわるエッセイ、自伝的な回想など、これまでに雑誌や新聞に寄稿した文章を集めたものです。

 そのなかに、アルゼンチンの作家ボルヘスにかんする論があります。ボルヘスが愛した女性たちについて、そして作品論。マングェルさんは高校生のころに、失明しかけていたボルヘスのために朗読係や映画の説明役をつとめただけあって、ボルヘスの本もいろいろな版をもっているのです。

 ボルヘスといえば「エル・アレフ」が有名ですね。奇妙な話です。ボルヘスには一人の女性に恋をしていましたが、彼女には別に恋人がいました。彼女が死んだあと、その男が、彼女の家の地下に「エル・アレフ」があるとボルヘスに教えてくれます。アレフとは、ヘブライ文字のアルファベットの第一文字目のこと。エル・アレフとは宇宙のすべてを包含する空間なのです。エルは英語でいうTheですね。ついでにいえば、翻訳に使っている本は英語で書かれているので、ボルヘスの作品名もすべて英語で表記されています。日本で出ているボルヘスの邦訳書はスペイン語からの翻訳なので原題もスペイン語で表記されています。英語のタイトルからスペイン語のタイトルを見つけるのがなかなか厄介。エル・アレフはThe Aleph。こんなのは簡単だからいいんだけど。

 恋人の家の地下に横たわって階段のほうを眺めると、そこにエル・アレフが出現したのです! 直径2〜3センチの小さな円のなかに全宇宙、そして過去と現在と未来のすべてが含まれている。

 ボルヘスはたしかにエル・アレフを目にしたのですが、その家が取り壊されるにまかせ、記憶は彼の頭のなかだけにとどまり、それもやがて薄れていく。そんな話。

 ところで、iPhone5を買って以来、愛用している毎日です。銭湯なんてものは、最近の若者は経験がないかもしれませんが、銭湯には下足札というのがありました。はいていった靴を脱いで下駄箱にしまい、鍵をかけるんですが、その鍵が木製の札になっていたのです。縦横がおよそ5から7センチ、厚さは5ミリくらいでしょうか。ロッカーのカギなんてもんじゃなくて、どっしりと存在感がありました。

 ふと思うに、iPhone5って下足札より小さいんじゃないでしょうか。そんな下足札よりも小さい道具で世界の情報が一瞬にして手に入る……これってまさに、「エル・アレフ」ではありませんか!

 だれもがポケットにエル・アレフをもっている時代なんですね。
(のなか くにこ)





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野中邦子(2013.2.04更新)




『私が魂を聖地に埋めよ』文庫版




『脳の右側で描け』
 トップページでも紹介しましたが、鈴木主税さんが翻訳した『わが魂を聖地に埋めよ』が草思社文庫に入りました。草思社の藤田さん、お世話になりました。ありがとうございます。

 主税さんが亡くなったあと、元社長の加瀬さんがうちまで弔問に来てくださいました。そして思い出話のついでにこの本のことが出て、「あれはいい本だった。いつか文庫にしたい」といってくれました。それが3年前のことです。

 この本が出た当時、草思社はまだ発足して数年しかたっておらず、海外文芸の翻訳書は『ビートルズ』や『ローリングストーンズ』といった本が出ていただけで、軌道に乗っているとはいいがたかったのです。この本が評判になり、予想以上に売れたことがきっかけで、ディー・ブラウンの著作をつづけて何冊も出し、やがてウィリアム・マンチェスターの『栄光と夢』で出版翻訳文化賞を受けるに至ります。その後も、ポール・ケネディの『大国の興亡』というベストセラーを出しました。一般読者が楽しんで読める良質な海外ノンフィクション作品を翻訳して日本に紹介するという、その後の草思社の路線を決めた本が、この『わが魂を聖地に埋めよ』といってもいいのです。

 当時、まだ30代後半だった主税さんはブラックパンサーなど黒人革命関連の翻訳をしていたことから、「同じ被抑圧者を描いた本」という理由で『わが魂を聖地に埋めよ』の翻訳を依頼されたらしいと本人から聞いていました。黒人とインディアンが同じというのは、ずいぶん大ざっぱで、いい加減だなあと笑ったこともありました。

 主税さんの追悼文集に加瀬さんが思い出を書いてくれましたが、分厚い本なので翻訳には相当時間がかかると思いきや、2,3か月したら原稿の束をもってきて、「はい、できました」と。
 その速さに驚き、また出来のよさにもびっくりした、なにしろ馬力があったということです。
 そんな加瀬さんも亡くなってしまいました。

 そして、今年のお正月。草思社顧問だった歴史家の鳥居民さんから年賀状が届きました。
 「文庫になること嬉しく思います」と書いてくださっていたのに、その鳥居さんが1月4日に心筋梗塞で急逝されたことをあとで知りました。加瀬さんのお別れの会でお会いしたときは、さすがに親友をなくして寂しそうでしたが、お元気そうだったのに。

 かつて草思社の編集部では、加瀬さんを中心に主税さんや鳥居さんが週に一度の編集会議に集まり、編集者も交えてさまざまな話題に花が咲いたものです。こうして少しずついなくなってしまうのは心もとなく、さびしいことです。

 つい最近も、この本が最初に単行本で出た1972年にはたぶんまだ生まれていなかったであろう若い編集者がこの本を読んで、「とても感動した、泣いた」といってくれました。よい本は時代を超えて残るものですね。

 時を超えて、といえば、私の訳した『脳の右側で描け』も昔に出た本の再刊です。といっても、中身はだいぶ増補・改定されていて、ほとんど新しい本になっています。

 ハウツーものはあまり引き受けないのですが、「誰でも、とくに絵が苦手と思い込んでいる人でも、かならず絵が描けるようになる」というメッセージに興味をもって翻訳しました。

 そういえば、鈴木主税さんは手先の器用な人でしたが、絵を描くのだけはまったくだめだと自分で言っていました。それというのも、小学生のころ、絵の先生に「なんてへたなんだ」とか「まるでだめ」と言われたのが原因だそうです。大人や周囲の子供たちの心ない言葉が潜在的な能力を封じてしまうということは、この本にも書かれていました。まったくそのとおりですね。

 高校卒業程度の英語力しかなかった私がなんとか翻訳者としてやっていけるまでになったのは、けっしてけなさず、批判せず、嘲笑もしなかった恩師のおかげであるなといまさらながら感謝です。
(のなか くにこ)







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野中邦子(2013.03.04更新)




パウリノ・アルカンタラ選手




デ杯日本チーム
 パウリノ・アルカンタラというサッカー選手を知っていますか? 私は初めて知りました。  20世紀初頭のバルサの選手で、15年間に357試合に出場、357得点を記録したチーム歴代最多得点者だそうです。メッシが通算300得点なので、メッシさえ上回る。こんな選手がいたんですね。しかも、それがアジア人。スペイン人の父とフィリピン人の母のもと、フィリピンで生まれたそうです。生まれ故郷の島はサッカーが盛んな土地で、自然にサッカーをするようになり、14歳でバルセロナに移住。

 15歳でバルサ1軍デビュー、初戦でハットトリックだそうです。すごいですねー。

 ところが、両親は息子が医者になることを希望し、19歳でフィリピンに戻った後、彼は医大に入学します。その翌年、東京で開催された第3回極東選手権にフィリピン代表として来日。日本にはまだサッカー協会もなく、東京高等師範学校が代表として出場したが、15対2の大差で敗れた。

 アルカンタラ不在のバルセロナは不振に陥り、復帰が望まれた。彼自身も戻りたかったが両親が許さず、マラリアにかかったのを機に、スペインに戻らせてくれなければ薬を飲まないといって、やっとバルサに復帰した。こうして、バルサ最初の黄金時代が到来した。

 マンチェスターユナイテッドの香川真司選手がハットトリック達成と、日本の選手も世界で活躍するようになりました。アジア人だからダメなんていう思い込みは、およそ百年前にプレイしたこのアルカンタラ選手が打ち壊してくれます。体操の内村選手、フィギュアスケートの浅田、高橋、羽生その他の日本チーム、ゴルフの石川遼、野球はもちろん、日本人/チームの躍進はうれしいです。

 もちろん、テニスの錦織圭君は体格では劣るにもかかわらず、そしてあの若さで、現在世界ランキングの16位です。錦織君につづいて、(写真右から)伊藤竜馬、添田豪、(監督をはさんで)杉田祐一、内山靖崇、そして守屋宏紀と、大勢の選手がどんどん世界に進出している。楽しみー!

 ところで、アルカンタラ選手ですが、極東選手権で来日したとき、サッカーのほかに、なんとテニスにも出場したんだって。スポーツ万能だからとはいえ、びっくり!アルカンタラ選手については、東京新聞2013年2月20日付夕刊「サッカーの話をしよう」(大住良之)の記事から。

 ナダルやジョコビッチもサッカーが大好きで、少年のころにテニスかサッカーのどちらを続けるか選ばなければならなかったとか。ナダルは膝の不調で、8か月のも長期間、試合に出られなかったけど、そのあいだゴルフのトーナメントに出場したりしていました。テニスができなくなったら、ゴルフに転身するかも、なんて噂がファンのあいだではささやかれていました。ちなみに、そのナダルは2月に南米クレイシーズンでようやく復帰。2大会で優勝してクレイキング復活を印象付けました(感涙)。
 
(のなか くにこ)







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野中邦子(2013.04.04更新)




20年ものの梅酒




レモンケーキ




左上がブランデーケーキ、手前が切ったもの(梅ジャム添え)、右はレモンカスタード添えのレモンケーキ
 キッチンの大掃除で、賞味期限切れの食品を大量に発掘。しばらくは、その整理に追われそう。整理って、おなかのなかにしまうってことだけどね。(だいじょうぶか?)

 さっそく切干大根を煮て食べた。

ついでに発見したのが、20年ものの梅酒。母が漬けたもので、1994年というメモがついていた。お酒はほとんどなくなっていて、梅も茶色くなっている。そのまま食べると酔っ払いそうだ。なんとか利用できないかな。

そんなときに便利なのが、アマチュアの投稿レシピサイト「クックパッド」。「梅酒の梅」で検索したら、あっというまにレシピがたくさんでてきた。さっとゆでてアルコール分を飛ばしてから、煮崩してジャムにするというメニューを参考に作ってみた。

 なかなかおいしくできました。ただ、パンにジャムをつけて食べるとつい、炭水化物を取りすぎるのが難ですね。そもそも、ケーキやジャム作りに使った砂糖の量ときたら、ふだんの一年分に相当するくらい多かった! マーガリンも500gをほぼ使いきっちゃったし。

 この梅ジャムを入れたパウンドケーキも作成。そしたら、ケーキ作りにはずみがついて、レモンケーキにも挑戦。レモンがたくさんあったので、レモンカスタードも作ってみた。

 さらに調子にのって、ナッツとドライフルーツ入りのブランデーケーキも作ってみた。これがいちばんおいしい! ブランデーと砂糖を水で薄めたあまーいシロップをいやというほど塗りつけてしっとりさせる。いいブランデーが余っていたから、上等なケーキになりました。

 梅酒漬けの梅はまだ大量に残っているので、こんどはイワシと煮るなど、おかずに挑戦してみよう。

 在宅勤務の人はわかると思うけど、仕事がつらいと、ついつい料理や模様替えに逃避しちゃうんだよね。まあ、生産的ではあるからいいか。目や腰に悪いコンピューターゲームにはまるよりずっとまし(経験者は語る)  
(のなか くにこ)







ぐるぐるくん

野中邦子(2013.05.06更新)




日本国憲法
5月3日は憲法記念日だった。

 日本でも改憲の話題がのぼっているが、ツイッターでこんな発言を見かけた。

「自ら血を流して自由と平等を勝ち獲ったわけではない日本国においては、憲法が変わるかも知れない現実的な可能性を保持することが民主主義に緊張感を持たせる」

 これは大阪維新の会代表、橋下徹の発言だ。

 改憲の可能性が現実的になると、民主主義に緊張感が生まれるという論理はさっぱり理解できないが、もう1つ、大きな誤謬がある。

 「自ら血を流して」いないというが、この人は第二次大戦の敗戦を忘れたのだろうか。海外の戦場でも日本国内でも何百万という日本国民が命を落とした。おびただしい血が流された。
 そのあげくの敗戦である。明治憲法にかわる新しい憲法を作れといわれ(確かに、ここは強要された)、日本側が作った松本試案とはどんなものだったか。

「主権は天皇にある」

 というものだ。自ら作ったものがこれでは、国民としては受け入れがたい。GHQがいまの主権在民の日本国憲法の草案を作ってくれて、むしろ幸いだったのではないか。

 改憲支持派が求めるのは自衛隊を軍隊にすることらしいが、軍隊にしてどうしようというのか。また戦争を始めたいのだろうか。そうなったら、またしても血を流すのは政治家ではなく大勢の一般庶民である。

 「お国のために」といって死んでいった大勢の国民が自らの血と引きかえにかちとったのがいまの憲法ではないか。

 ところで、拙訳書『世界は考える』の「訳者あとがき」に私はこんなことを書いた。

 「論文の内容によっては、異論があったり、違和感をもったりするものもあるにはあった」

 この本にはちょっとした事件もあって、本当なら安倍首相の論文も含まれるはずで、翻訳もすでにすんでいたところ、ご本人から掲載はあいならんといわれ、残念ながら割愛せざるをえなかった。英語の論文はプロジェクト・シンジケートのウェブサイトに載っているので、秘密でもなんでもない。内容はアジアの海洋における防衛問題についての提言で、アメリカと足並みをそろえ、インドやオーストラリアと連携してインド洋から日本海、南太平洋の安全を保障しなければいけないというものである。

 「違和感をもった」のは、じつはこの安倍総理の論文と、パネッタ元米国務長官の論文だった。アメリカは冷戦時代からそうだが、どうしてこんなに怯えているのだろうと思う。つねに仮想敵国を作っておかなければ落ち着かないらしい。パネッタ長官は、今後アジアに防衛の拠点を移すという米軍の方針について述べている。冷戦時代は共産主義が敵だった。やがてテロとの戦いではイスラムが敵となった。昨今のアジアでは中国や北朝鮮の存在がアメリカにとって脅威になっている。アメリカにとって、ということは、すなわち日本にとって、ということである(安倍首相の論によれば)。

 しかし、政治とはいかに戦争を回避するか、そのために、いかにして異なる意見をすりあわせるかの技術ではないのか。妥協ではなく、平和的な譲り合いである。外交とはなんのためにあるのか。そんなに防衛に費用と労力を注ぐかわりに、もっと別のやり方があるんじゃないの? がちがちに武装した相手(米)に心を許す国などあるのかしら、というのが違和感の正体である。

 その後、H書房からの注文で、サックス教授の新著を読んでレポートを書くことになった。『ケネディの平和スピーチ』という本だが、サックスさんは前著『世界全体を幸福にする処方箋』にもケネディのスピーチの一部を引用していた。核戦争一歩手前までいったキューバ危機のとき、戦争は最大の不幸だという信念のもと、ケネディはソ連のフルシチョフ首相とホットラインで話し合い、おたがいの理解を深めることによって、なんとか戦争を回避した。

 核兵器に抑止力がないことはいまや証明されている。軍隊をもったからといって敵国への圧力にはならないはずである。そもそも敵対する国をなんとかするのが政治家の役割だろう。別に、国と国が愛し合う必要はない。この地球のうえで、相手(すなわち自分)を滅ぼさないでいられるだけの許容心をもつだけでいいのだ。
(のなか くにこ)







ぐるぐるくん

野中邦子(2013.06.03更新)



テニス全仏オープンのチケットの取り方

 備忘録を兼ねてメモしておきます。でも毎年、少しずつ変わるので、このままとはいかないでしょうが。

 全仏オープンのウェブサイトにアクセスします。当然、フランス語です。残念ながら、私はフランス語ができない。でも大丈夫。ENというボタンで英語に変えられます。まず、アカウントを作らなければチケットは買えません。メールアドレスとパスワードを入力して、アカウントを作りましょう。

 アカウントを使ってメンバー・サイトにアクセスしたら、ticketをクリック。そして、見たいイベントを選びます。予選、キッズデイ、ショーコート、グラウンド・パス、イブニングパスなどがあります。ショーコートはフィリップ・シャトリエ、シュザンヌ・ランランの2つで席は指定。準決勝、決勝はこの2つのコートで行われます。グラウンド・パスはショーコート以外の1〜18コートに入れます。早い者勝ちの自由席。満席になると、並んで待って、誰かが出ると入れ替わりに入れます。トイレに行ったら席はなくなるので、入る前にトイレに行っておかなければ。第一週にはほとんどのコートを使って試合をするので、大勢の選手が見られます。ただし、スター選手を見たければ、ショーコートを買わなければなりません。

 ショーコートをクリックすると、券種を選ぶページが開きます。1日ごとのチケットがIndividual Ticket、そのほかにおまけつきの特別パック席があります。一週間通しのWeek Ticket もありますが、人気なのですぐ売り切れてしまいます。Individual を選んだら、あとは日付とコートを選んで、決定。フィリップ・シャトリエのVIP Ticketは開場前に入って選手の練習を見ることができ、朝食とランチと記念品のお土産付き。シュザンヌ・ランランのPack Logesはコートに近い席で、Barが利用できます。

 チケット発売当日、ウェブサイトは時間になるまでアクセスできません。しばらくお待ちください。という案内が出ます。メンバー・サイトにアクセスしたら、リロードしてはいけません。行列の最後に並びなおすことになってしまいます。ひたすら待つ。

 そして、支払用のクレジットカードを用意しておくこと。カード番号を控えて記憶させておくといいかもしれません。住所や電話番号も必要になります。一人で取れるチケットはショーコートが2枚までなので、友達と協力して2枚ずつ取るのがよい。人数が多ければ多いほどたくさん取れますね。

 順番が来て、券種と日付を選んで、支払手続きに進みます。住所氏名電話番号メールアドレス、そしてカード番号を入力して予約終了。

 入場のときにはチケットの名前とパスポートなどの名前が一致しているかどうかチェックされます。2月の売り出し日に予約すると、4月末にメールが来て、チケットに入れる名前を登録できます。実際に見に行く人の名前に変更できるのです。つまり、購入者と行く人がちがってもOKなわけ。ここで入れた名前の人しか入場できないので注意。パスポートの名前と同じにしないといけません。そしてeチケットをダウンロードし、プリントアウトしたものをもって行きます。プリントしたeチケットには購入者の名前が書いてありますが、バーコードがついていて、入場口でそれを機械に読み取らせ、登録した名前のチケットと交換してもらいます。

 私は最初、何度もリロードしてしまい、順番があとになってしまいました。ウィークパスを買いたかったのですが、すでに売り切れていました。Individualで1日分、準決勝と決勝はindividualもすぐ売り切れてしまったので、なんとVIP Ticketを奮発しました。でも、闇チケットはさらにお高いので、公式サイトで買えたのはラッキーだったかも。

 さらに、VIA GOGOというチケット交換システムもあります。チケットを買ったけれど、都合で行かれなくなった人がチケットを放出し、早い者勝ちで買うことができます。手数料15ユーロ(だったかな?)を払うと、希望の日にち・券種が出たときにメールでお知らせしてくれます。料金はそんなに高くないので、sold outで買えなかった場合はこちらで買うのも手です。

 というわけで、無事、後半週のチケットをGETしたので、パリに行ってきます! ボンボワヤージュ!
(のなか くにこ)







ぐるぐるくん

野中邦子(2013.07.03更新)



実況アナウンサーの鍋島さんとばったり遭遇。一緒に写真を撮らせてもらった。
 パリから帰ってきました。楽しかった! テニスの大会を見に行っていたというと、よく「何試合くらい見たの?」と訊かれます。困ります。「たくさん」というしかない。

 というのも、たとえば全仏オープンではコートが18面くらいあって、お昼前から日没まで(ヨーロッパの夏だから夜の9時でも明るい)およそ10時間、ずっと試合をしているのです。シングルス男女、ダブルス男女、ジュニア男女、レジェンド(引退した名選手)によるダブルス、車椅子男女……とこれだけある。

 ざっと数えてみたら、ちゃんと見たのは9試合でした。途中から見たり、ちょっとだけ覗いたなんてのもある。

 なんといっても準決勝のナダル対ジョコビッチの試合が手に汗握る展開で最高に面白かった。実力伯仲、自他ともに認める同年代のライバルで、ほとんど決勝戦といってもいい試合。これに勝ったので、翌々日の決勝はほぼ「勝てる!」と確信した。

 というわけで、ナダルの全仏8回目の優勝をこの目で見てきました。前代未聞の大記録です。しかも、けがで7カ月という長い休養期間をへての復帰。2月に南米でコートに戻ってきてから何度か優勝をしているものの、厳しいグランドスラムで優勝は難しいかなと案じていましたが、そんな不安を吹き飛ばし、強敵ジョコビッチを倒しての優勝。ほんとにおめでとう。

 ところで、フェレールとの決勝戦は去年のバルセロナ大会でも見ていて、このときも優勝。今回も優勝!(私はもしかしてラファの勝利の女神なのか?)

 それ以外では、4回戦でナダルとバブリンカというお気に入りの選手同士の対戦を見ることができ、すごく盛り上がりました。2人ともお気に入りなので、右の頬にはスイス国旗、左の頬にはスペイン国旗のインスタント・タトゥーを貼り付けて応援、完全に燃え尽きました(笑)。

 写真アルバムを作ったので、興味のあるかたはこちらを見てください。写真が大量なので、ひまなときにどうぞ。

テニス全仏オープン観戦日記アルバム(観光もちょっとあり)

6月3日パリに着いて、さっそくロラン・ギャロスの偵察に。

6月4日第一コートでレジェンドのダブルス

6月5日ナダルvsバブリンカ

6月6日エッフェル塔からシャンゼリゼ、シテ島のナチ犠牲ユダヤ人記念碑

6月7日準決勝ナダルvsジョコヴィッチ

6月8日ヴェルサイユ宮殿とジヴェルニーのモネの庭

6月9日決勝ナダルvsフェレール

6月10日パリをたつ
(のなか くにこ)





ぐるぐるくん

野中邦子(2013.08.03更新)




In the Garden of Beasts:
Love, Terror, and an American Family in Hitler's Berlin
by Eric Larson
 麻生さんの「ナチの手口を見習え」発言が話題になったせいで、こんな本を思いだした。

In the Garden of Beasts: Love, Terror, and an American Family in Hitler's Berlin

 英語のタイトルはドイツ語のティアーガルテンを英訳したもので、動物園を意味すると同時にベルリンの地名でもあり、主人公一家がここに住んでいた。地名としてのティアーガルテンと、「けだものの庭」というもとの語義からナチに蹂躙されたベルリンを二重にあらわしている。

 ヒンデンブルク大統領のもとでヒトラーが首相に就任した1933年から、完全に権力を掌握するきっかけとなったナチス内部の粛清事件(1934年6月の「長いナイフの夜」)まで、ベルリンに暮らした家族(駐ベルリンのアメリカ大使夫妻とその息子と娘)の生活を描いたノンフィクション作品だ。

 同じ著者の『悪魔 と博覧会』は2006年に私が翻訳しているが、これはすごくスリリングで面白い本だった。この本も似たような構成で、複数の人物を軸とした短い章をつらね、複層的な構成になっている。大使一家を始めとして、ナチの高官、ゲシュタポ、ソ連諜報部員など、あまり善良とはいえない、癖のある人びとが登場する。

 大使は優柔不断で、それが現実といえばしかたがないのだが、ヒーローとしてのかっこよさが足りず、カタルシスが感じられない。フィクションならもっと盛り上げられるのだろうが、ノンフィクションにそこまで求めるのは高望みかもしれない。

 大使の娘(これが軽薄そのもの)がゲシュタポと恋仲になったり、ソ連諜報部員が彼女をスパイにしようと画策したり、そもそも二流の政治学者だった父親がひょんなことから駐ベルリン大使に就任するのだが、そのいきさつもちょっと変だったりする。気分が明るくなるような本ではなかった。暗い。そしてナチの行く末がわかっているだけに重い。

 ただ、悪人にはそれなりの悪魔的な魅力があるはずだ。ピカレスク小説というジャンルもあることだし。ところが、この本では悪の魅力が描き切れていない。登場人物がみな、欠点は多いとはいえ、俗っぽいところもある、ごく普通の、悪くいえば卑小な人間たちなのだ。

 『悪魔と博覧会』では、建築家やデザイナー、発明家や興行師など、普通の人でありながら、あるジャンルで才能に恵まれた人たちが苦労しながらなにかを成し遂げる。そこがよかったのだが、この本はやや魅力に欠ける。私が政治家を嫌いってだけなのだろうか。

 そして、最大の悪魔的人物であるヒトラーがほんの一瞬しか登場しない。そのせいでこの本の魅力は半減してしまった。史料に依拠し、すべての記述が事実にもとづくという執筆態度なので、想像力で補うことができなかったのだろう。

 この時代のベルリンの街そのもの、嵐の予兆をはらんだ独特の雰囲気を描くことが著者の意図だったはず。この本を読んで、いつかきっとベルリンに行こうと思ったので、その点は成功している。  

 ところで、麻生さんの発言、講演の記録をネットで読んでみたが、これはひどい。論理が破綻していて何をいいたいのかよくわからないが、それはつまり日本語のスピーチとしても下手ということだ。ブラックジョークだといって擁護する人もいるが、ジョークにすらなっていない。笑えないもん。  

 改憲を「静かに」進めたいというのは、要するに「議論なしで」ってことか。自民党の委員会では先輩議員が新人議員の意見に耳を傾けたというが、それは特筆するに値することなのだろうか。ふだん、いかにそれができていないかという証拠ではないか。  

 自民党の改憲案はまったく時代錯誤の劣悪なもので、ナチに比肩したくなるのも当然だと思える内容だ。つまり、結局、自民党はナチの手口を踏襲したいのだな、と思われてもしかたがない。  

 もろもろの失態はあるにせよ、なにをおいても、ナチをめぐってジョークをいうことが世界でどう見られているかを自覚していないとしたら、まず政治家として失格である。このあいだパリへ行ったとき、ナチの犠牲になったユダヤ人のための追悼記念碑を見てきたが、そこでは入口に立った保安係から「敷地内では敬意を払うこと、沈黙を守ること」と注意される。過去の歴史にたいして最低限の敬意を払うことが、なぜできないのだろうか。 
(のなか くにこ)







ぐるぐるくん

野中邦子(2013.09.03更新)




Bossypants
by Tina Fey
 アメリカのテレビドラマ『30ROCK』(サーティ・ロック)をDVDでまとめて視聴。ニューヨークのロックフェラーセンターのなかにあるテレビ局のバラエティ番組のシナリオ・ライター、30代独身女性のリズ・レモンとその同僚、上司がおりなすテレビ業界の舞台裏を描いた笑える諷刺ドラマ。主人公のリズ・レモンを演じているのが脚本家でパフォーマーでもあるティナ・フェイ。

 そのティナ・フェイの自伝『Bossypants』を読んだ。  ティナはシカゴ郊外の出身、学生時代は成績優秀だったが、オタクやゲイっぽい友人と仲良くなり、きわどい話に熱中していたらしい。学生時代からフェミニズムを信奉し、ゲイカルチャーに共感を抱いていた。

 大学生になって初めてのデートがロッククライミングで、しかも相手の男は別の男友達をつれてきたとか……リズと同じように男運はあまりよくなさそうだ。大学を卒業して就活するが全滅で、やむをえずYMCAの受付係になる。スポーツセンターと格安の宿泊所のあるYMCAには奇癖のある変人ばかりが集まってきて、ティナは人間観察に精をだす。演劇好きだったティナはインプロビゼーション(即興演劇)のクラスに通いはじめる。

 ここで教えられたのは、すべてのことに「yes」と答えること。たとえば、「私は宇宙人だ!」と誰かがいったとする。ここで「まさか」とか「ばかばかしい」と答えたら、そこから先には進めない。 まず、相手の設定を受け入れて「イエス」と答えることからすべてが始まる。さらに、「イエス、アンド?(それで?)」と答え、できればなんらかの反応を起こす。そこからインプロヴィゼーションが展開されてゆくのだ。

 なるほどね。うなずきました。まずイエスね。

 サタデー・ナイト・ライブ初の女性専属ライターとして脚光を浴び、SNLを辞めたあと、NBCで企画・脚本・主演の『30ROCK』をヒットさせた。

 主人公のリズ・レモンはほとんどティナ自身がモデルのようだ。ただし、ティナ自身は番組の同僚と結婚して、女の子を産んでいるので、37歳にして独身、赤ちゃんがほしいあまり、われ知らず他人の赤ちゃんを誘拐してしまうリズとはちょっとちがう。

 自伝を読むついでに『30ロック』をまとめ見したわけだが、すごく面白かった。アメリカのゴシップやスキャンダルに通じていないと理解しにくい部分もあり、ジョークのねたが全部わかったわけではないんだけど、出演者のキャラがたっていて、キモくて、バカで、失敗ばかりで、その失敗を糊塗しようとしたり、人をだまそうとしたり、自分だけ得をしようとしたり、暴走ぶりが笑える。リズ自身もインテリなのに妄想癖があって、熱中しやすく、どじな主人公(自分)を徹底的に笑いとばしている。

 家族の絆や友情を描いてほろりとしそうになっても、きまって最後には辛辣な笑いの落ちがついて、爽快きわまりない。頭の回転が速くて、インテリジェントで、差別に敏感で、それでいながら、自分を含めたあらゆる人間にたいして意地悪な目線をもった人なのですね。ただ、上から目線ではなく、「人間(自分)てほんとバカ」という諦めに似た居直りがすかっとする。きれいごとで家族賛美や性善説に傾かないところがよい。

 それだけに、この『30ロック』、差別的表現が満載だ。知的障害、ゲイ、黒人、貧富の差、田舎者、金持ちの俗っぽさ、見栄っ張り、セックス中毒……ぜんぶ笑いの対象になっている。おなじ人気テレビドラマでも『フレンズ』のちょっとぬるい笑いとは大違いだ。ちなみに、『フレンズ』のジェニファー・アニストンもゲスト出演していて、いい年をしてクラブ通いに明け暮れる、腰の軽いセックス中毒の女を演じている。

 豪華なゲスト出演者もこのドラマの見どころのひとつで、私の好きなテニス選手、ジョン・マッケンローが2回も出てきたのがうれしかった。オープラ・ウィンフリー、スティーブ・マーチン、ピーウィーハーマンなども出てくる。

 あまりにもブラックかつマニアックなので、アメリカでは第7シーズンまで放送されたのだが、日本でのDVD発売は第3シーズンまでで打ち切られたようだ。残念である。

 本のジャケット写真は、にっこりほほえむティナの腕が剛毛の生えた男性のものになっている。
(のなか くにこ)







ぐるぐるくん

野中邦子(2013.10.07更新)




2013年10月楽天オープンにて
 「パンとサーカス」とは古代ローマの詩人ユウェナリスの言葉だ。

 古代ローマでは権力者が無産の市民たちに無料でパンを配布した。そして次に、民衆の求めに応じて、さまざまな娯楽、たとえば戦車競争などの催しを提供した。その結果、民衆はすっかり満足し、深く考えることをやめ、政治への不満も忘れ、知的な怠惰に陥ってしまった。それを批判したのがユウェナリスだった。

 テニスのグランドスラム中継、とくにUSオープンをテレビで見ていると、巨大なすり鉢状のスタジアムに何万人もの観客がすし詰めになり、2人の選手のあいだで死闘がくりひろげられるのを待ち望んでいる。決勝に残った2人の戦士はまさに古代ローマ剣闘士のように自分の体を酷使し、すばらしい試合を見せる。選手自身も剣闘士に共感を抱いているらしく、好きな映画はという質問に『クラディエーター』と答えた選手もいる。

 そんな情景を見るといつも「パンとサーカス」を連想してしまう。

 たしかに、最低限の飢えが回避され、熱中できるスポーツやゲームがあれば、こむずかしいことは考えたくなくなる。

 いやなことや忘れたいことがあったとき、スポーツやお笑いや好きなアイドルを見て、鬱屈を発散させたくなるのは人の自然だろう。そういう楽しみがなければ、人は生きていけないかもしれない。しかし、そうやって小さなガス抜きを重ねていけば、不満はその場かぎりで忘れられ、根本的な解決には至らず、改革を求める運動に向かうはずのエネルギーは分散される。

 そのうえ、現代にはインターネットというものがある。ブログやSNSで日々、自分の思うこと、感想を述べていれば、そのたびに小さなガス抜きができる。ガスが溜まって、ふつふつと発酵して、やがて大爆発……という状況は起こらない。一人鬱々と悩むこともなく、ネットの相談室に投稿したり、FACEBOOKやツイッターで愚痴をこぼしたりすれば、顔も知らない友達(昨今のネットには顔を知らない友人が大勢いる)が慰めたり、励ましたりしてくれる。とはいえ、その一方で、ツイッターがデモの情報を流したりして、行動のきっかけになることもある。なにごとも使い方しだい。

 もちろん、最低限の人間の幸せが保証される社会は望ましいものではある。しかし、最低限……ってなんだろう。飢えを満たすことはもちろんだが、教育を受ける権利、労働する権利、社会的地位や財産にかかわらず病気やけがの治療が受けられること。移動の自由、発言の自由、職業選択の自由。いろいろあって、パンだけじゃだめなんだよね。たとえば、夫婦別姓の問題などは、人によっては「命にかかわることじゃあるまいし、それぐらい我慢したら」という意見もある。でも、ちがうんだな。権利というのは、上から与えられたものをありがたく受け取るものではないと思う。権威を疑うこともときには必要だ。

 グランドスラムやオリンピックに熱狂するのもいいけど、頭のどこかに「パンとサーカス」という言葉をおいといて、これで誰が得をするのかとときどき考えたほうがいい。

 以上、まったくの「自戒の念」をこめて。
(のなか くにこ)







ぐるぐるくん

野中邦子(2013.11.03更新)




アメリカーンな金髪美女






スープは1種類ではない
 1年もだらだらやっていたエッセイ集の翻訳が10月末にようやく終わった。だらだらというのはまずいですね。はたから見たら「だらだら」でも、本人はかなりがんばっていました。なかなか進まなかったのは、原文があまりにもハイブラウかつ難解な文章だったからです。でも、内容はとても刺激的で、考えさせられるところ大だったので、苦労したかいがありました。翻訳について論じたエッセイがとくに興味深かったな。

 ほとんど自宅で缶詰状態だったので、外出する機会は少なかったのですが、それでも、見たい美術展があったので、なんとか時間を見つけて六本木まで行ってきました。金曜日の夜8時までオープンの日を狙って、もうすぐ会期が終わるというころの駆け込みでした。

 アンディ・ウォーホルと親交のあった日本人女性コレクター、キミコ・パワーズと夫のジョンのコレクションです。ウォーホルはキミコの肖像画も作っています。作家とじかに交渉しているのでお安く、しかも気に入った作品が手に入ったようです。いいなぁ。

 ポップアートがこれだけまとまって展示される機会は日本では珍しいかもしれない。ジャスパー・ジョーンズ、クレス・オルデンバーグ、ロイ・リキテンシュタイン、もちろんウォーホル……見慣れた作品もたくさん。自宅にこんなのがごろごろしているって、すごいですね。

 シュルレアリスム展のときにも書きましたが、最初は世間のヒンシュクを買ったものでも、時間がたつうちに、見慣れるからか、社会の常識が変わるからか、いつのまにか違和感がなくなっていきます。毒が薄められて、かえって適度なスパイスになるという感じ。

 そして、作品そのもののテクスチュアーがいまや「美しく」見えてきます。ウォーホルのキャンベルスープのきっぱりした赤白。リキテンシュタインのコミックの一画面を拡大したようなドット。初めて見た人びとは「なんじゃこれ」と思ったものが、いまでは「きれいね〜」と思えるものに変貌している。とても不思議です。

 見方を変えれば、いま、私たちが、汚い、かっこわるい、ださい、みっともない、と思っているものが、いずれは美しい芸術として評価される時代が来るのかもしれない。よく「自分の感覚を信じて」なんて軽々しくいうけど、じつは人の感覚なんてとても頼りないものかもしれない。それは自覚していたほういいですね。印象批評なんて、よほど蓄積のある人しかやっちゃいけないことかもね。まあ、私も含めて、素人の大半は自分の印象をただ述べるだけですけど。

 とはいえ、時間を捻出して、さーっと駆け足で見てきたので、あとで反省しました。美術展はもっと楽しんで見るべきだな、と。気持ちにも時間にも余裕がなくて、楽しみが半減というのが正直なところ。ま、でも楽しかったけどね。

 会場内は撮影禁止なんだけど、出口のショップのところに、この展覧会の目玉であるウォーホルの200個のキャンベルスープのボードがあって、写真撮影スペースになっていました。これはおもしろい! 最近、ブログを書いている人が多く、みんな展覧会の報告をブログに載せたがるのでグッドアイデアだと思った。  
(のなか くにこ)







ぐるぐるくん

野中邦子(2013.12.03更新)









 マイケル・ダグラスという俳優は、あくが強くて、これまであまり好きじゃなかったんだけど、この一作で見直してしまった。

 その映画が『恋するリベラーチェ』。リベラーチェというのはアメリカのピアニストで、派手な演出で知られるエンタテイナーである。クラシック音楽を一般向けにアレンジして、派手な衣装のコーラスガールや舞台演出でショーにしたてあげた。みずからも超ド派手な衣装に身を包み、技巧は超絶ながらクラシックとポップスを融合させたなじみやすい音楽、弾き語りがまたおもしろく、大人気を博した。正当的な音楽史やポピュラーミュージックの歴史ではほとんど無視されているが、アメリカでの知名度は高く、テレビや映画で活躍、ラスベガスのショーも有名だった。

 きんきらきんの衣装も早くから取り入れ、ラメやスパンコールや孔雀の羽根をふんだんに使い、演出も宙吊りで登場したり、ピアノの上に巨大なミラーを吊り下げて客席に手元が見えるようにしたり、真っ白なピアノの上にのせたシャンデリアのような枝付き燭台をトレードマークにしたり、さまざまな新機軸をとりいれた。この枝付き燭台がCandelabra。映画の原題は Behind the Candelabra という。ギャンデラブラの裏側――華やかなショービジネスのスターの素顔という意味だろうか。

 保守的な50年代アメリカでは、同性愛であることを隠さなければならず、リベラーチェも表向きは異性愛者のふりをしていたが、じつはゲイで、愛人を付き人や運転手にして、次々と変えていった。この映画はそんな愛人の一人がいやいやショービジネスの世界に引きずりこまれ、やがて捨てられて、裁判を起こしたいきさつが描かれている。出会いから、目がくらむような贅沢と虚飾、ほかの愛人たちへの嫉妬、金をめぐる確執、別れの苦さ、世間に白い目で見られるゲイの哀しさ。

 リベラーチェを演じたのがマイケル・ダグラス。禿げ頭や老いてたるんだ体、男同士のセックスシーン(しかも掘られるほう)、エイズに犯された死の床の姿まで、惜しげもなく肉体をさらす役者根性に感心した。ゲイならではの辛辣な軽口が満載なショーのシーンも見事だった。愛人のスコット役はマーク・ウォルバーグ。リベラーチェの若い頃に似せて整形手術をさせられるなど、特殊メークをフルに使って、こちらも大スターに振り回されるナイーブな若者を哀感いっぱいに演じている。2人とも、よい役者だ。

 リベラーチェは70年代のゲイ・ムーブメントそのまま、抑制なしのセックスにふけり、とっかえひっかえ愛人を作り、莫大な金の力でわがまま放題にふるまうが、その反面、仕事第一の労働倫理をもち、世間の前では自分をとりつくろうところがあり、破天荒であると同時に寂しがり屋、愛人を紙屑のように捨てながらも、慰謝料はケチらない。スコットに恋をして、なんとか口説こうとするリベラーチェは可愛くさえある。

 ノンフィクション翻訳をしていると、いろんな雑学が必要になるものだ。リベラーチェの名前もこれまで何度か出てきた。そんな興味もあって、この映画を見にいったのだが、予想外に見ごたえのある映画で、楽しめた。で、あらためて監督が誰かと思ったら、スティーブン・ソダバーグだった。

 ちなみに、日本ではイタリア風にリベラーチェと表記されているが、彼はアメリカ生まれのアメリカ人だから、正しくはリベラーチだそうだ。映画でも「リベラーチ」といっていた。

 手術のしすぎ、ボトックス注射のやりすぎで表情がこわばった整形外科医役のロブ・ロウの怪演ぶりもみものだった。
(のなか くにこ)