【ぐるぐるくん】バックナンバー 2014年  野中邦子(のなか くにこ)   

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ぐるぐるくん

野中邦子(2014.01.02更新)











12月に見た映画のなかに2本、モノクロ映画があった。

 1本は『二人のアトリエ』。彫刻家マイヨールをモデルにしたフランス映画で、彫刻家を演じるのがルコント映画で人気をかちえたフランスの名優ジャン・ロシュフォール(そういえば、鈴木主税さんはこの俳優が好きだったっけ)。

 もう1本はスペイン映画『ブランカ・ニエベス』。童話の白雪姫と闘牛を結びつけたクラシックな作品でした。

 マイヨールの彫刻は女性のヌードが有名で、丸みを帯びた優雅なラインが特徴だ。ロダン、ブ−ルデルと並んでフランスを代表する彫刻家である。ロダンのドラマ性、ブールデルの壮大さにくらべて、マイヨールはギリシャ・ローマに通じる柔らかさがある。

 物語は第二次大戦中、ドイツ占領下にあったフランスで、生まれ故郷の田舎に戻り、山中のアトリエに隠棲する彫刻家のもとに創作意欲をかきたてる若い女性モデルがあらわれたところから始まる。芸術家やモデルの仕事にまるで無知な若い女性の登場で、社会と切り離された老彫刻家の生活と感情に波風が立つ。彼女はレジスタンス活動家でもあり、同じ抵抗運動にたずさわる若い男をかくまうことになって緊張が高まる。

 ところが、映画を見る前にビールを飲んだこともあって、肝心なところでうとうとしてしまった。淡々としたストーリー展開で、モノクロで、音楽も控えめなので、ほんの一瞬だったんだけど、寝落ちして大事なシーンを見逃してしまった。

 『ブランカ・ニエベス』のほうは、スペイン語の勉強のつもりもあって見に行ったのだが、なんとモノクロのうえにサイレント映画だった! セリフが聞けないなと思いつつ、まあ字幕でも読むかと思ったら、なんと字幕は英語だった! という二重の肩すかしではあったが、物語はなかなか面白く、スペインらしいえぐみと仰々しさに満ち溢れていた。名闘牛士だった父親に死なれた娘が継母にいじめられ、家を追いだされて、旅回りの小人闘牛演芸団に拾われる。父親譲り闘牛士の技をもっていた娘は女闘牛士ブランカ・ニエベスとして人気が出る。それを妬んだ継母の毒りんごで娘は眠りについてしまう。という物語だ。

 闘牛のシーンに迫力があり、スリル満点。声は聞こえないが、口の動きで観客が「オレ!」とか「バモス!」と叫んでいるらしいことがわかった。スペイン語の勉強としてはそれくらいか。ところで、ふつうスペイン語の形容詞は名詞の後ろにつくのだが、私はつい英語風に形容詞を先にしてしまって間違えることが多い。しかし、ブランカ=白い ヌエベス=雪 で形容詞が前に来ている。日本語でも、白雪ということもあれば雪白ということもある。どんな法則にも例外はあるのだった。

 しかし、この『ブランカ・ニエベス』、ハッピーエンドじゃないんだよね。それが不満です。それにセリフが聞こえないと注意力散漫になるせいか、途中で眠気を誘われてしまった。

 『二人のアトリエ』もハッピーとはいえない最後なのだが、彫刻が完成してモデルの仕事がなくなったあと、彫刻家は同じく南仏に暮らしていた画家のマティスに彼女をモデルとして紹介する。のびのびとした豊かな肉体の好みはたしかにマイヨールとマティスに共通する。仲がよかったマイヨールとマティスがモデルを紹介しあったというエピソードもじっさいにある。彫刻家の仕事ぶりが描かれていて、職業としての闘牛を描いた『ブランカ・ニエベス』に共通するところもあった。

 ソフィスティケートされた『二人のアトリエ』と大げさな「けれんみ」あふれる『ブランカ・ニエベス』。同じモノクロ映画とはいえ雰囲気は大違い、どちらも楽しめた。どちらも途中で寝ちゃったんだけどね。   
(のなか くにこ)







ぐるぐるくん

野中邦子(2014.02.03更新)











   きみ、これまで知らなかったなにかを見たり、それに触れたりするのは、喜びだ。物事や人びとの相違の一つひとつは、人生を何倍にも増やしてくれる。  

 感謝と喜びにみちて、きみは自分の習慣以外のものを受け入れた……わたしたちすべての中に、人生の豊かさと限りなさを愛する気持ちがあるからだ。  

 そこで聞きたまえ。人生の豊かさが民族をつくるのだ……。  

 世界が千の顔を持ち、どこへ行っても異なるという理由で全世界を愛することのほうが、はるかに喜ばしい。そのあとで叫びたい――諸君、もはやこのように互いに喜んで顔を合わせるなら、国際連盟をつくろうではないか。  

 だが、いまいましくても、諸民族が、それぞれに属するものをそのままに、それぞれが異なる髪と言葉を、それぞれの習慣と文化を、そのままもつようにしておこう……なぜなら相違のそれぞれは、愛する価値があるからで、それは人生を何倍にもゆたかにする。    

『スペイン旅行記』カレル・チャペック著、飯島周編・訳、恒文社
 チェコの作家チャペックのエッセイ、原書は1930年にプラハで出版された本である。日本で邦訳が出たのは1997年。じっさいにスペインを旅した経験を短文にまとめ、挿画も作者自身が描いている。トレド、マドリード、アンダルシア、セビーリャ、カタルーニャをめぐり、話題はベラスケスやエル・グレコの絵、建築や庭園、闘牛、女性の服装、ヤシの木、ペロタ(球技)とさまざまだ。

 5月にスペイン旅行を計画しているので読んでみた。80年も前の記述ではあるが、スペイン的なるものはほとんど変わっていないような気がする。誇り、優雅、残酷、ロマンチックさ。

 ツーリストの目で見慣れない風景や風習をメモし、スケッチするチャペック。そこはかとないユーモアが、とぼけた線描の挿画とともに楽しませてくれる。

 そして、最後の章に出てくるのが、冒頭にあげた文章の一節だ。

 よく海外旅行をして思うのは、家に帰るために旅をするのではないかということだ。旅に出たとたん、目的地は帰途の先にあるわが家となる。エキゾチックな風景に接するたびに、家に帰る日を思い出す。

 人気の高かったNHKの朝ドラ『あまちゃん』にも、「ここ(北三陸)が世界一の場所だということを思い知るために旅に出るのだ」というセリフがあった。

 チャペックもスペインからチェコへの帰途につき、車窓を過ぎ去る風景にはいまや目もとめず、「もう十分だ」と思いつつ故郷へと向かう。それから、世界がとても大きいこと。すべてを見なかったことへの後悔。自分が知っていること以外のさまざまな自然や暮らしがあることを思いかえす。

 多様性こそ、この世界である。チャペックが世界を愛するのは、そこにさまざまな違いがあるからだ。

 チャペックはいう。
「紳士諸君(カバレッロス)、すべての人間が人間であることは真実だ。だが……わたしたちは、スペイン人はスペイン人であることを喜んだ。彼らがスペイン的であればあるほど、それだけ彼らが好きになったし、それだけ彼らを重んじた」

 80年の歳月で、スペイン的なるものは変わったただろうか? たぶん、それほど変わっていないんじゃないかな。5月の旅行が楽しみだ。


 この本の大きな魅力は、作者自身のイラストにある。私もデジカメばかりに頼らないで、こんな単純ながらも表現力に富んだスケッチをしてみたいな。
(のなか くにこ)







ぐるぐるくん

野中邦子(2014.03.03更新)











「リンダラーハの庭」の泉水
(挿画ジョーゼフ・ペネル)
 
 この夏の大気に月光が加わると、世界が魔法にかかったとでも言うほかはない。月光の幻術の下では、アルハンブラは在りし日の栄光をふたたび取り戻したかに見える。時の無残を刻印したあちこちの亀裂や割れ目、腐食、退色、風雨による染みとか変色も、消えてなくなる。黒ずんだ大理石は昔の純白を取り戻し、丈の高い列柱は、月光を浴びて輝き、広間の優美な光輝がふたたび立ち戻る。それは、ちょうど、アラビアの名高い物語に出てくる魔法の宮殿の中を歩いているような、驚異の時である。

『アルハンブラ物語』アーヴィング著、平沼孝之訳、岩波文庫


 グラナダのアルハンブラ宮殿といえば、世界遺産でもあり、スペイン観光の目玉である。前もって予約しておかないと当日売りの入場券を買うのに朝から行列しなければならないほどの人気だ。宮殿に入るには、時間も30分ごとに指定されている。

 ところが、19世紀初頭のアルハンブラ宮殿は半ば朽ちて廃墟になりかけていた。

 アメリカの作家ワシントン・アーヴィングがアルハンブラ宮殿に滞在したのは1829年の春から夏にかけてだった。その頃のアルハンブラはグラナダ総督さえも市街地から離れたこの不便な宮殿には常駐せず、留守を預かる家族のほかは、不法占拠した密輸商人や宿無したちがいるだけだった。

 総督の許可を得て宮殿内の一室に住まわせてもらったアーヴィングは、アルハンブラにまつわる物語や言い伝えを人びとから聞き取り、コルドバのイスラム図書館に通って歴史史料をあさった。その滞在記と伝承物語を集めたのが『アルハンブラ物語』だ。

 ちなみに、スペイン語ではアルハンブラではなく「アランブラ」という。

 その当時の宮殿は石の壁が崩れおち、クモの巣がはり、コウモリが棲みつき、ろくな家具はなく、がらんとして、人に見捨てられた廃墟のようなものだった。それがいまのような大人気の観光スポットへと変貌したのには、アーヴィングの著作が大きな働きをした。

 虐殺されたムーア人の亡霊が出るという部屋。塔に閉じ込められた美しい姉妹たち。地下に封じ込められ、いまも戦闘準備をしたまま、じっと不動の姿勢で闘いの時を待っているボアブディル王の軍勢。言葉をしゃべる鳥たち。

 まさに夢のようにロマンチックで、血なまぐさく、情熱と悔恨と冒険の詰まったスペインの幻想。スペインらしさがぎっしり詰まった本だった。アランブラへ行くならこの本を読んでいくのは必須といわれる所以にうなずける。この本のおかげでスペインに注目が集まり、一種のアルハンブラ・ブームが起こったのだとか。

 いまや観光客がどっと押し寄せるようになった宮殿を、ほぼ200年前にほぼ独り占めにできたアーヴィングがうらやましい。しかし、こんな物語を書いてくれたのだから、その特権にも十分報いたというものだろう。この本がすごく面白かったので、思わず私もアランブラに泊りたくなり、敷地内にあるパラドールに予約を入れ(高いので一泊だけ)、ガイドツアーの手配もし、おまけに夜の宮殿を見学するチケットまで予約してしまった。夜の宮殿で、リンダラーハの亡霊に出会えたらいいんだけど。
(のなか くにこ)







ぐるぐるくん

野中邦子(2014.0404更新)










いまはやりのセルフィー失敗!
 誰もがボブに憧れた。

 ……というコピー。ボブって誰? と思うかもしれない。写真家ロバート・キャパのことだ。ロバートの愛称が「ボブ」……知っている人には当たり前のことかもしれないが、日本人にはなかなかなじみにくい、英語名の愛称。翻訳者泣かせである。ロバートを訳してロブ、そこからボブ、となるのだろうけど。

 キャパの写真展を見に、恵比須の写真美術館へ行ってきた。というのも、私が前に訳したキャパの伝記『血とシャンパン』から文章の一部を引用させてほしいと申し出があり、了承したら入場券を送ってくれたのだ。ほんとうは内覧会にもご招待されたのだが、日程が合わず、オープン直後の土曜日に行ってきた。確認したところ、本からの引用が数か所、展覧会場と図録にあった。残念ながら、この本はすでに絶版なんだよね、カドカワさん!

 で、このコピーだが、「誰もが」かどうかはわからないが、たしかにキャパという人は魅力的だ。とりわけ、品物も情報もあふれかえっていて、断捨離などというものがはやっている昨今、何も持たなかったキャパがいっそうすてきに見える。

 キャパは生涯家を持たず(ホテル暮らしだった)、家庭を持たず(女性にもてたし、ロマンスはたくさんあったが、結婚はせず)、上司を持たなかった(マグナムに所属はしたが基本フリーランス)。しかも、名前さえ親からもらったものを捨て、ロバート・キャパという名前を自分でつけた。じつに潔い人生で、憧れたくなるのもわかる。

 そのかわり、友人はとても多かった。マグナムの仲間たち、撮影対象となったセレブリティ(ヘミングウェイ、ピカソ、バーグマンなど)まで交友関係は広い。

 しかし、考えようによっては、何も持たなかったからこそ、頼れる友人たちが必要だったのかもしれない。故郷からパリへ出てきたあと、写真のラボの仕事をしていたときはスタジオに泊りこみ、ときには友人のアパートに転がり込んだという。他人に愛されなければ生きていけなかったのだろう。そのために人の心を捉える術を身につけた、といっては言い過ぎかもしれないが。

 ところで、漂泊の人といえばスナフキン(唐突だね)。「ムーミンの世界展」というのを見てきた。私は自慢じゃないがトーベ・ヤンソンさんが女性だったことさえ初めて知ったムーミン初心者である。さまざまな物語の紹介があって興味深く見たのだが、ここで気が付いた。ムーミンパパという人も家にじっとしていられない人だったのだ(「人」ではないか?)。若い頃、あてのない航海に出ていろいろな冒険を経験し、ムーミン谷で家庭を持ってからも冒険への夢やみがたく、出かけることが数度。家族はそのたびに振り回される。

 そういうタイプの男っているよね。『大草原の小さな家』のお父さんもそうだった。このお父さんは、なにしろ隣の家が視界に入るだけでもういやになるっていう人だったらしい。いまの東京に住んでいるわれわれはどうなるんだ!

 キャパの被写体になったピカソやヘミングウェイもそのタイプかもしれない。ま、男ってやつは、って感じですね。
(のなか くにこ)







ぐるぐるくん

野中邦子(2014.07.08更新)




マティス夫妻のお墓


サント=ヴィクトワール山


ゴッホが描いたアリスカン


市場で人気のブリ子


この2階がビブリオテカ


絵葉書


パラス・デ・ビアナの図書室
 2か月留守にしました。モンテカルロから南仏コートダジュール一帯、マルセイユからスペインのマドリードへ、そこから南下してアンダルシア、パリ、最後にドイツのハレという旅程でした。

 今回の旅のミッションはつぎのようなもlの。

 ・マティスのお墓参りをする。
 1年がかりで翻訳したマティスの伝記の最後に記されていたお墓をじっさいに見たい!

 ・南仏の画家ゆかりの土地を訪ねる。
 これまで画家の伝記を何冊か翻訳しているが、ゴッホ、ピカソ、マティス、シャガール、ルノワール、セザンヌ、その他、印象派の画家たち、ベルエポックの文士たち、大戦間のセレブたちは南仏に愛着をもっていた。それらの土地や家や美術館を訪れたいというのが昔からの望みだったのだ。

 ・エル・エスコリアルのライブラリーを見る。
 トップページに予告を載せたが、この秋、『世界の図書館』という大型ビジュアル本の翻訳をした。そこに出てくるスペイン、エル・エスコリアルのビブリオテカ(図書館)を見学したい! 

 ・プラド美術館でゴヤの絵を見る。
 以前翻訳したシリ・ハストヴェット『フェルメールの受胎告知』にとりあげられていたゴヤの絵『マドリード、1808年5月3日』の左隅の暗闇に著者の顔が描かれているというのが本当かどうかを自分の目で確認すること。

 じっさいに行ってみると、思っていたのと違うところもあった。

 マティスのお墓は遠くニースの街を見晴らす場所にあるのかとイメージしていたが、生垣に囲まれた窪みのような場所だった。静かな落ち着いた墓所だったが、風が吹きわたるという感じではない。墓石が大きかったのも予想外だったな。ニースの花市場でお墓にそなえる花を買おうと思い、最初はカラーにしようと思ったんだけど、花束にするとごつい感じがしたので、無難に白いバラの花束にした。

 南仏では、ニースのマティス美術館、シャガール美術館、マティスの伝記に出てきたルノワールの「ル・コレット」(カーニュ・シュル・メール)、エクサンプロヴァンスのセザンヌのアトリエ、アンティーブのピカソ美術館、アルルのゴッホ美術館などを訪ね、マティスのロザリオ礼拝堂、サンジャンカプフェラのジャン・コクトーの壁画がある礼拝堂、ピカソの戦争と平和の壁画のある礼拝堂などを見てきた。

 エル・エスコリアルでは、ビブリオテカは見学コースのいちばん最後にある。オーディオガイドにしたがって、だだっ広い修道院を順番に見ていくのだが、地下の霊廟には代々のスペイン王族の亡骸がおさめられた石棺がずらっと並んでいて、あれは……あの中、どうなっているのでしょう。ナダルと仲良しのいまの王妃さまも亡くなったらあそこに葬られるのだろうか。そして、観光客の目にさらされるのだろうか。あの派手な装飾のある修道院の地下で……というような思いを抱きつつ、見学コースを辿っていった。すると、途中でなんとオーディオガイドの電池切れ! 係員にきくと、借り出したところへ戻って取り換えてこいという。来た道を戻るのか、ときくと、さすがに地下の霊廟をまた戻れとはいわず、途中の近道を教えてくれた。なんとか入口まで行って、オーディオガイドを換えてもらったのはいいんだけど、そこからもとの場所へ戻る道がわからない。

 お目当てはビブリオテカだから、ま、いいかと途中をスキップして出口に向かった。この写真の2階がビブリオテカ。下に見える出口を出ると、もう修道院の外である。図書館の内部はとても豪華だったが、よく見ると、壁画は薄っぺらだし、壁も壊れかけているところがあり、本はなんだか古ぼけていて(当然ではあるが)、写真で見るほうがずっとすてきかも。もちろん、収蔵書籍を見せるように並べた図書館という画期的なコンセプトはすばらしい。
 コルドバのパラス・デ・ビアナを見学したとき、思いがけず個人の図書室が見られたのもラッキーだった。

 プラド美術館は夕方(無料になる)ちょっとだけ立ち寄って、ゴヤのその絵だけ見た。結果は……見えた……気がした。男の顔らしきものが暗闇の中に。でも、ハストヴェットさんに言われなければぜったいに気がつかないと思う。

 2か月という長期の休暇での南仏・スペイン旅行、とても楽しかった。帰国する直前は、しばらく家で仕事に専念しようと決心したものの、帰ってきてしばらくするとまた行きたいなーという思いが……。仕事をして、また新たなミッションができたら旅に出ることにしましょう。
(のなか くにこ)







ぐるぐるくん

野中邦子(2014.08.04.更新)




カーテンコールに登場したジョーイのパペット(カーテンコールから撮影可)
 渋谷ヒカリエのシアター・オーブで『ウォー・ホース〜戦火の馬〜』を見た。第一次世界大戦に徴用された馬ジョーイと愛馬を探すために兵隊になった飼い主の少年アルバートが帰還するまでの物語である。特筆すべきは、馬を巨大なパペット(人形)で表現し、文楽の出遣いと同じく、3人の遣い手が舞台上に姿をあらわして馬を操作するところ。馬のいななき屋鼻息もこの遣い手が演じる。耳をぴんと立てたり、頸をぶるぶるっと震わせたり、みごとな演技を見せてくれた。

 最初は仔馬の姿で登場したジョーイはやがて成長し、堂々たる体躯となり、デヴォンの広々とした野原を疾走する。狭い舞台なのに、イギリスの田舎をのびのびと走る馬の姿が目の前に浮かびあがるのがすごい。パペット遣いの技がすばらしかった。

 動物と人間の心の結びつきを描いた物語はいかにもイギリス風で、貧しい農民の暮らしや、かならずしもうまくいかない家族や親戚との人間関係が身にしみる。

 第一次大戦がいかに悲惨な経験だったかを描くこともこの作品の大事なメッセージのひとつである。情報にうとい農民たちは、こんどの戦争もすぐに終わって、馬も人間もさほど長い時間をかけずに家に戻れると信じこんでいた。だから、「勇敢さを示す」ために息子を戦場に送り込む親たちもいた。しかし、第一次大戦はそれまでの戦い方とは大きく異なった歴史上初の近代戦となり、機関銃や戦車や飛行機、塹壕戦や毒ガスが登場して想像もつかないほどの惨状を示した。銃撃の音やスモークでその闘いが再現される。

 軍馬のあり方もそれまでとは様相が一変しており、敵軍に向かって突進した馬は鉄条網に足を取られて転び、そこに機関銃の一斉掃射を受けて片端から犠牲になるのだった。戦場の花形だった馬は用済みになり、やがて戦傷者を運ぶ荷車を引かされる。農耕馬としてしつけられたジョーイはその荷車を引くことができ、おかげで戦争を生き延びた。

 アルバートの吹く口笛に応えるジョーイがなんといじらしく、かわいいことか。

 家族の諍いや親戚同士の反目もすべて呑みこんでしまう戦争の恐ろしさ。ジョーイの友達(!)だったサラブレッドが戦場で倒れ、命を落とすしかない残酷さ。声高に反戦を叫ぶのではなく、音楽とパペットの魅力を通して戦争の愚かさを訴えていた。

 ところで、原題のWar Horseウォー・ホースは「軍馬、軍用馬」の意味だが、映画化のさいの邦題は『戦火の馬』となっている。「軍馬」というそっけないタイトルは、内容を知ったうえで見るとなかなか味があるものだが、映画となると一般受けするタイトルを考えなければならず、担当者は苦労しただろうな。「戦火の馬」というタイトルも、じつは意味があいまいなんだけどね。
(のなか くにこ)







ぐるぐるくん

野中邦子(2014.09.03.更新)







舞台版のポスター


劇場ロビーには紫のバラの花束
 「変わらないのは本を読む楽しみである……ぞくぞくしたり、温かさを感じたり、ただの文字の連なりがなぜそんな感覚を呼び起こすのだろう」  
                    『読書礼讃』「はしがき」より

 この夏、マンガ『ガラスの仮面』全49巻を通読した。新刊が出るたびに最初から読みなおしていたので、通読するのは何度目になるだろうか。第一巻の発行が1976年、49巻が2012年なので、なんと36年にわたって描きつづけられ、いまだに未完である。

 美人でもなく、勉強もできず、おっちょこちょいで、普段はめだたないが、舞台に立つと一変する天性の女優北島マヤと、恵まれた環境に育ち、美しく才能にあふれた新進女優(じつは負けず嫌いの努力家)姫川亜弓の2人が伝説の名舞台『紅天女』の主役の座をめぐって競い合い、切磋琢磨して成長する物語である。

 貧しいマヤには、「あなたのファンより」と正体を隠したまま公演のたびに紫のバラの花束を贈ってくれるパトロンがいる。

 かつて『紅天女』を演じ、上演権の所有者でもある名女優月影千草の指導のもと、マヤはさまざまな舞台を経験し、妨害工作にもめげずにコンクールやオーディションを勝ち抜き、一人前の女優になってゆく。テレビに出て人気者になったときは周囲の嫉妬をかい、スキャンダルをでっちあげられて舞台に立てなくなったりもする。

 月影先生の名セリフ――マヤは「千の仮面をもっている!」  

 そこで、ふと『読書礼讃』の一節を思いだした。

 「時がたつにつれ、それらは仮面のように私たちの肌に食いこみ、骨となり肉となる……私たちがもつ無数の顔も同じである。それらは私たちの目の前で、また他者の目の前で変化し、溶けあう」               「プロテウス頌」より

 伝説上の存在であるプロテウスはたえず変貌し、ひとつの姿でいることがない。ダンテにいわせると、それはひとつの罰だった。自分を見失い、さまよいつづける存在なのだ。  

 そういえば、ノンフィクション翻訳者として、俳優の伝記を読む機会が何度かあったが、舞台の上の名優も、私生活は意外にドラマが少なく、単調になりやすいものだった。役者というのは仮面をかぶることが日常なので、その下は空っぽでもいいのだろう。俳優の伝記はあまり面白くない。   

         ところで、『読書礼讃』には「理想の読者とは」という一章もある。

 「理想の読者は翻訳者である……理想の読者は剥製師ではない」

 原形をとどめないほどにテクストを切り刻むが、再構築してできあがったものは、しっかりと立っていなければいけない、というのだ。

 うわべだけ似ていても、内面にあふれる生命を奪われた剥製になってしまってはだめなのだ。肝に銘じておこう。

 そして、こんな言葉も。

 「(理想の)読者は年齢とともに変化する」  

 今回『ガラスの仮面』を読みなおして、いちばん変化があったのは、「紫のバラの人」への共感がものすごく大きかったということだ。数年前にビビビと来てスペイン人のテニス選手ナダルの大ファンになった身としては、公演のたびに「あなたを見ています」とメッセージを添えて紫のバラを送る真澄さまの気持ちが、わがことのようによくわかる。台風にもめげずに劇場へ行く。匿名のまま、高校進学のための金銭的な援助をする。マヤを見ているときだけが自分をとりもどし、心の休まる時間である。

 わかるわ〜。  

 最新刊では、紫のバラの人の正体がばれて、マヤと真澄が魂で結ばれた2人であるという確信が深まりつつある……が、まだ物語は途中。私が思うに、真澄さまはいつかマヤのために命を落とすのではないでしょうか。「魂で結ばれた」というフレーズが強調されているだけに……。マヤは彼の死を乗り越えて伝説の名女優になる、という結末の予想です。(まったく大外れかもしれない)  

 あまり面白かったので、たまたま公演中だった舞台版『ガラスの仮面』も観にいってしまった。真澄さまがとてもステキでした。

 ところで、話はずれるが、「理想の読者とは」の一項にこんなのもある。

 「理想の読者はブレット・イーストン・エリスが書いたものに興味をもたない」

 エリスの作品は『アメリカン・サイコ』(1991年)が有名だが、じつはアメリカでこの小説が出たとき、邦訳を出すべきかどうかを判断するためにリーディングをしたことがある。読んだところ、好きじゃなかったのでボツにした。あのときゴーサインを出して翻訳を引き受けたりしていたら、『読書礼讃』の著者に顔向けできないところだった。やれやれ。
(のなか くにこ)







ぐるぐるくん

野中邦子(2014.10.07.更新)




外のカフェで


日差しが温かい


チューリヒ美術館展
オルセー美術館展
 チケットをもらったので新国立美術館の『オルセー美術館展』に行ってきました。オルセー美術館は何度も行っているし、パリへはまた行くだろうから今回はパスしようかと思っていたんだけど、行ってみればやはりいいですね。とはいえ、前の週にテニスの大会があって一週間ずっと観戦に通ったため、やや疲れ気味。ぼーっとしたまま絵を見てきました。

 オルセー美術館は収蔵作品がものすごく大量なので、展示替えもあり、一回行ったからといって全部見られるわけではないんだけどね。今回の展示はマネの『笛を吹く少年』が目玉。印象派の誕生を中心に、画家別に展示してあった。肖像画がとくに充実していたのではなかろうか。印象派のはんちゅうに入るかどうかは疑問だけど、ホイッスラーの母の肖像はいつ見てもいいな。セザンヌの筆触はモダンで古びない。

 あまりじっくり見ないで、絵のある雰囲気を楽しむというのも美術館のひとつの味わい方ではないかと思います。なにかを勉強したり、「鑑賞」したりするのは疲れるしね……と、かなり軟弱な発言ですが。疲れたのでカフェで休むことにしました。いい気候だったので、戸外のテラスに出て休憩。風か心地よく、日差しが温かく、人も多すぎず、のんびりできました。人が多く、はらはらドキドキ、勝敗に一喜一憂したテニス・トーナメントとはまるでちがう雰囲気に心が安らいだのでした。

 印象派の絵にやや飽きたので、同じ場所で開催していたチューリヒ美術館展もついでに見てきました。印象派から始まり、後期印象派、抽象表現主義、象徴主義、抽象画、「すべてが代表作!」とうたうだけあって、コンパクトにしてすぐれたコレクションでした。近代絵画を概観するのにはとてもよい。モネの大作『睡蓮の池、夕暮れ』はよかったなぁ。ルソー、ピカソ、クレー、ジャコメッティもよかった。

 スイスといえば、フェルディナント・ホドラーの絵もあって、グループに属さないユニークさが目に留まりました。検索してみたら10月7日から来年の1月12日まで西洋美術館でホドラー展が開催されるとか。これもぜひ行かねば。
(のなか くにこ)







ぐるぐるくん

野中邦子(2014.11.04.更新)




アートビン(芸術のゴミ箱)


立体のメビウスの輪


テニスコート
 ヨコハマトリエンナーレを見にいってきた。

 ふだんオーディオガイドはあまり借りないのだけど、今回はアーティスティックディレクター(アート・ディレクターではだめなのか?)の森村泰昌さんがみずから解説しているというので借りてみた。

 最初の写真はアートビンといって、失敗作を豪快に投げ入れるというもの。インスタレーショの一種かな。Iphoneで撮ったけどぼけぼけになってしまった。こういう参加型パーフォーマンスは、やっている当人がいちばん面白いんじゃないかと思う。投げ入れたときに、中身の羽根みたいものがいっせいに飛び散るような工夫をしている人もいた。コンセプトが大事なのか、面白がらせるサービス精神が大事なのか。アートと興業の境界線はどこにある?

 オーディオガイドを聞きながら作品を見ていくと、これがどうも、わかりやすすぎる。言葉でこれこれこういう意図で、といわれるととても納得できる。言葉や論理の力って偉大だなと思わされた。

 でも、芸術というのは言葉や理論で説明しがたいものではないのだろうか。トリエンナーレの作品はいわゆる現代アートなので、たしかになんだかよくわからない者が多い。

 たとえば、壁に描かれた黒い四角の平面は北京での展示のさいに政治的な検閲を受けたことにたいする抗議で、作者自身が黒塗りにしたのだという。そう説明されれば、いちおう「ふうん、そうなのか」と思うが、じっさいに作品と対峙して、アートとしてのインパクトを受けるかというと、そうでもない。抗議行動として共感するかというと、そこまでのコミットメントは起こせない。その両方なのだろうか、と迷ってしまう。

 昔のアンデパンダン展はとても好きだったので、それと共通する遊び心もあって展覧会そのものは楽しかったんだけど。

 吉村益信の「メビウスの輪」はきれいだった。ステンレスの作品はだいたい好きなのだけど、この作品はステンレス製のメビウスの輪に電球がついていて光がくるくると走る。

 もうひとつはテニスコート。テニスの観戦ファンなので目を引かれたというだけの話だが。まあ、これが作品として好きかどうかというと疑問で、本物のテニスコートを走りまわるナダルのほうがずっとアーティスティックだと思うけどね。そして、いまごろ気づいたんだけど、これは裏側にある法廷(コート)にかけたテニスコートなのね!(気づくの遅すぎ) 

 一階の別室にあった作品がこれ。不気味〜。これこそ意味がわからないけど、日常の中の違和感とでもいいましょうか。言葉にできません。
ジャーマン・アンクスト(ドイツの不安)


 時間がなかったので、横浜美術館だけしか見なかった。くたびれて、カフェでいつものようにストロベリーパフェ。アートにせよスイーツにせよ、焚書や抑圧がまかりとおる世界では心から楽しめないということは心しておきたい。
(のなか くにこ)







ぐるぐるくん

野中邦子(2014.12.03.更新)




今年の訳書2冊


文庫の『インタヴューズ』3冊


文庫版
2014年も最後の月になりました。あっというまですね。

 そこで、今年の仕事について思いかえしてみました。

 今年は2冊、出版されました。5月に出た『読書礼讃』(白水社)と10月に出た『世界の図書館』(河出書房新社、高橋早苗さんと共訳)。両方とも分厚くて、『図書館』のほうは判型も大きい。その分、高価になってしまって読者には申し訳ないことです。  

 『読書礼讃』のほうは、いつも思うのですが、著者の博識と文学的な趣味の高さについていけず、あっぷあっぷしている自分がいます。知らない著者や作品が続々と出てくるし、読んだことがない本からの引用も多く、途方にくれました。まあ、それを承知でやっているんだけど。マングェルさんの本を訳すのはこれで3冊目です。あまりの難解さに、「もう二度とやらない」と思うのですが、新しい本を読むと面白くて、刺激的で、どきどきさせられて、ついまた手がけてしまうという。難解といっても、理解に苦しむことが書いてあるわけではなく、原文を日本語にする工程というか、著者がじっくり考えたすえに達したある思想・随想をなるべく正確に、読みやすく、美しい日本語にする作業がとても苦しいのです。amazon.comの読者の感想にも「文章は比較的平易」と……比較的か!(笑)  

 調べることが多く、自分でもできるだけ調べましたが、白水社編集部の金子さんがすばらしく綿密に吟味してフォローしてくれました。訳業の半分くらいは金子さんの働きだと思います。このことは前から思っていて、あるとき鈴木主税さんに「翻訳者として名前を出すのがおこがましい」と嘆いたら、「名前を出すのは別にえらいわけではなく、責任を負うということだ」と諭されました。  

 4月の校了のときは、南仏に旅行中で、最終的ないくつかのチェックをニースのホテルでやったのも思い出になっています。まったくの偶然ですが、運よく、ちょうど旅行中の休養日にあたり、しかも高級ホテルのネグレスコに滞在していたので、広い部屋にちゃんとしたデスクがあり、wifiもさくっとつながってメールの送受信ができ、ラッキーでした。これがトーナメントの真っ最中だったり、移動日だったりしたら、もっと苦労したはず。  

 『図書館』のほうも調査は大変でしたが、こちらは事実関係を調べるのがおもだったので、頭を悩ませるというよりは足で探すという感じでした。

  いちばん苦労したのは韓国語と中国語。韓国語のほうは、韓国にくわしい友達に助けてもらいました。わかってみると、なーんだということが多い。中国語のほうは、危うく大きな間違いをするところでした。英語でRienという表記の図書館が出てくるのですが、漢字がわからない。Webで検索するとまっさきに「梨園」が出てくるのです。しかもその数が多い。日本では歌舞伎界をさす言葉ですね。しかし、どうも文脈にそぐわない。最初はとりあえずそれで進めていたのですが、あれこれ試行錯誤しているうちに、「まがき」を意味する「籬」(り)という漢字に遭遇。籬苑か……! これで、パズルのピースがぴたりとはまりました。そういう瞬間こそ、翻訳者にとってのささやかな快感です。

  そのほかの仕事は、『インタヴューズT、U、V』(文春)が文庫化、『貧困の終焉』(早川書房)も文庫化およびkindle版として出ました。

 ということで、1年間、牧人舎ホームページの当エッセイ欄、ご愛読ありがとうございました。来年もどうぞよろしく。
(のなか くにこ)