【ぐるぐるくん】バックナンバー 2016年  野中邦子(のなか くにこ)   

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ぐるぐるくん

野中邦子(2016.01.04..更新)






 正月から縁起のよい話ではなくて申し訳ないが、いまとても気分が悪い。腹が立ってしかたがない。アベ政治のあまりのひどさに、むかむかするほど不快である。

 新年早々、防衛装備庁の業務が開始されたというニュースが入ってきた。防衛装備などというが、内実は「武器・兵器をよその国に売る」ことだ。これまでなら「死の商人」と呼ばれてきた卑劣な行為を国が率先してやる。安保法案を「戦争法案」と呼んでくれるなと政府はいったが、まさしく戦争の炎に油を注ぐ行為をしているではないか。

 言葉を扱う仕事をしている身として、さらに不愉快なのは、戦争を「防衛」、兵器を「防衛装備品」と言い、富裕層に有利な税制を「軽減税率」と呼び、戒厳令を「緊急事態条項」とするような「言葉の言い換え」である。きれいな言葉でごまかしても、じっさいにやっていることは汚くて、卑怯で、非道な行為だ。言葉を大事にしない人間に未来はまかせられない。

 「ヒトラーのやり方にならう」という言葉は、まさにその言葉どおりの意味だったのだといまになってわかる。

 安倍首相とは縁がないわけではない。土曜社からプロジェクト・シンジケート叢書『世界は考える』の翻訳を依頼されたとき、引き受けるかどうか、しばらく考えた。内容的に賛同できる主張ばかりではなかったからだ。とくに、パネッタ米国防長官と安倍首相の防衛論には納得がいかなかった。しかし、世界の指導的な立場にある人びとが何を考えているのかを知るため、これらの論文を日本語にすることに意義があると思って翻訳を引き受けた。

 ところが、安倍首相の論文だけ、掲載を拒否された。英語の論文は誰でもアクセスできるウェブサイトにすでに載っている。日本語の本に収録するのを拒否するのはどういうわけなのだろう。そもそも読まれては困るような内容なのか? どうせ英語の論文まで読む日本人はそれほどいるまい、ということなのだろうか? 国民もばかにされたものだ。

 そのように国民を愚弄するアベ政治のひどさたるや! 知性や教育を否定し(大学のカリキュラム見直しを要求し、「役に立たない」人文学を減らせという)、福祉を軽んじ(貧しい子供の救済は寄付でまかなえ、という)、言論を統制し(テレビへの干渉、新聞・雑誌への恫喝)、旧帝国憲法への復帰を推し進める(主権在民を否定する)。先の戦争のときと同じく、あいかわらず沖縄県民の思いを完全に無視し、辺野古の海を力ずくでつぶそうとする。

 そして、原発や兵器をよその国に売りつける。日本人の生命は「すべからく」アベ首相が責任をもつそうだが、責任をもつというのはつまり生殺与奪の権利を首相が握るということなのか。福島原発事故の責任さえとっていないのに。哀れな国民たち。

 しかも「すべからく」を「すべて」のつもりで使っているが、それはよくある簡単なまちがい。

 そんな人間や政党に権力をもたせていいのだろうか。日本人であることが憂鬱になってくる。イタリア政治の腐敗に憤慨し、幻滅したダンテは『神曲』のなかで、実在した大勢の政治家を地獄の炎で焼き尽くした。その『神曲』は700年ものあいだずっと読まれ続けてきた。それこそ文学の力である。そのような文学を否定し、言葉を口先だけで転がす政治家にだまされてはいけない。
(のなか くにこ)







ぐるぐるくん

野中邦子(2016.02.03更新)






 つねづね、好きな作家は村上春樹といっている私だが、このごろ少しばかり妙な気分に襲われる。読んだあとになんとはなしに落ち込むようになったのだ。つい最近も飛行機のフライト中にiphoneに入れていった『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読んだが、やっぱり気分が沈んだ。

 リストのピアノ曲と精神を病む美女、20歳の大学生時代に経験した大きな挫折の謎を解こうとする36歳の会社員になった現在の主人公、多崎つくる。仕事ができる年上のおしゃれな恋人との関係やぷつっと途切れるように終わる幕切れも含めて、デジャブ感がある。ノルウェイの森か? とはいえ、比喩も健在だ。

 「生死を隔てる敷居をまたぐのは、生卵をひとつ呑むより簡単なこと」

 うん、生卵を呑むのはちょっと抵抗あるよね。私だけか。

 青年時代にとても親しかった大切な友人グループから突然絶交を言い渡される、その理由は?……ちょっとミステリーっぽい謎解きに興味を引かれて読んでいけば、その理由はああやっぱり、という感じではある。

 「僕らの間に生まれた特別なケミストリーを大事に護っていくこと。風の中でマッチの火を消さないみたいに」

 こういう話し方をする男が現実にいるのだろうか、と村上春樹の小説を読むといつも思う。まあ、そこも魅力のひとつなんだけど。

 「つくる」は過去のトラウマのせいかどうかわからないが、生活をとてもシンプルにしている。着るものもポロシャツにチノパンにジャケットという感じだ。部屋のなかは散らかっていないし、小食だし、ひまがあればプールへ泳ぎに行く。いまはやりの断捨離を自然にやっているような感じ。

 『1Q84』でも体を鍛えまくる女性が出てきたっけ。

 部屋がぐちゃぐちゃで、よけいな買い物でストレスを発散し、つい過食に走り、何をやっても中途半端で放りだす自分とひきくらべて、自己嫌悪に陥り、どんよりと気分が落ち込むらしい。べつに小説の登場人物とくらべる必要はまったくないとわかっているのだけれど。

 村上春樹つながりというわけではないのだが、つぎにスコット・フィッツジェラルドの『夜はやさし』(谷口陸男訳、角川文庫)を読んでいる。これもkindleだ。精神を病んだ美しい若い娘。しかも、その妄想の中身は、男が言い寄ってくる、性的に脅かされるというもの……ふうん、『多崎つくる』と似ているな。なるほど、これが村上春樹におけるフィッツジェラルドの影響力というものか。

 「大きな顔をしているカリフラワーみたいな女」――比喩もすてきだ。

 それから、戦時中にはやった歌というので、「今日はバナナはありません」が出てくる。映画『麗しのサブリナ』で、オードリー・ヘプバーンとボギーが舟遊びに出かけ、蓄音機でその歌のレコードをかけるシーンがある。オードリーが「おかしな歌ね」といい、"We have no banana today"と口ずさむ。小説を読む面白さって、こういう細部の発見にもあるよね。

 『夜はやさし』はスイスのチューリッヒから始まって南仏、パリと舞台が変わってゆく。南仏はテニスが興業として成長した土地でもあり、一昨年ニースからコートダジュール一帯を旅したことを思い出して、風景や風俗の描写も興味をひかれる。

 ところで、kindleでは総ページ数のうち読んだページ数がページの下に表示される。いま、3971分の3162である。べつに早く読み終えたいわけではないのだが、ああもうすぐ終わりだな、と思っていたら、ふと気づいた。これはまだ(上)巻なのだった!
(のなか くにこ)







ぐるぐるくん

野中邦子(2016.03.02更新)






 『柳家三三独演会冬』の演目は「夢金」と「らくだ」だった。「らくだ」はよく知られたポピュラーな題目だが、子供のころにテレビかラジオで聴いたときにはなんとも思わなかったのが、いま聴くとやっぱり悪趣味ではある。「らくだ」という男がいやな奴だったから、死んでも誰も悲しまず、誰もがかえって「めでたい」という。それで成立するブラックユーモアだけど、死体をねたにした笑いは、気持ちに余裕がないと楽しめないところも若干ある。

 そういえば、「夢金」という噺も殺伐たるものだ。船頭が娘を人殺しから助けてやって、悪人を懲らしめるという筋書きだけど、その娘も店の金を着服して駆け落ちしようとしているわけだし、中洲に置いてけぼりにした浪人はたぶん溺れ死ぬだろう。

 落語というのはある意味で、陰惨な事件や暗い情念にあふれているものだなと思う。

 三三さんがこの独演会の枕で自分が監修をしている『どうらく息子』というマンガのことを話していたので、さっそく読んでみた。保育士から落語家に転身した若者が、慣れない芸能の世界で前座修行を始め、師匠がたや先輩落語家さんとのつきあいに苦労しつつ、貧乏暮らしや恋愛もからめ、ようやく二つ目昇進が決まったところで、いま単行本は14巻、雑誌「ビッグコミックオリジナル」に連載中。

 私はもともと、符牒を使う世界があまり好きではない。お笑いを見るのは好きだけど、浅草の東洋館へ漫才を見にいったときに感じた、芸人根性というか、一種独特のうらぶれた自虐の笑いが好きになれない。見ようによっては、それが味わいなのかもしれないが。

 落ちこぼれやはぐれ者に共感するところが落語のよさではある。

 そうはいっても、「らくだ」や「夢金」は暗い。しかも「夢金」ときたら、最後は夢オチだし(ネタバレですが、有名な噺なのでご容赦)。

 『どうらく息子』の世界もなんとなく暗い。ちょっと昔風の絵柄のせいかもしれない。しみじみした話がむしろ地味に傾いている。とはいうものの、ちょっとだけ、と思いつつ、けっきょく14巻ぜんぶ読んでしまったのだから、やっぱり面白かったのね。
(のなか くにこ)







ぐるぐるくん

野中邦子(2016.04.07更新)


安倍首相、この服を着てください


島の半分以上が米軍の訓練場だった


米軍が訓練に使った模擬原子爆弾


城山の三角点


第2テント村は辺野古漁港にある


坐りこみ4370日の重み


ゲート前のテント


テントのなか


トイレ・コンビニ送迎無料


ゲート前でメッセージボードを掲げる

 忘れられた傷跡を見に行く

2016年4月4日(月)
タッチュー


朝からどんよりと曇って、いまにも雨が落ちてきそうな沖縄。湿気だけはすごい。一日目の目的地は伊江島。美ら海水族館へ行ったことがある人は多いうと思うが、海洋博公園のまん前に見える、とんがり帽子のような山が印象的な島、それが伊江島だ。その山の名前は城山(ぐすくやま)、「タッチュー」という愛称もある。昔、一度登りかけて挫折したことがある。「また来ればいいや」と(これはどこへ行っても観行に欲張りすぎないようにするときの決まり文句だった)いって引き返したのだった。そのリベンジもひそかに心に秘めて。

 伊江島は沖縄戦の最初の上陸地点であり、激戦地だった。戦後も基地がおかれ、島の大部分を米軍に占拠された。そして、いまも広大な領地に海兵隊の訓練地がおかれている。米軍は基地建設のために、「銃剣とブルドーザー」で住民を追いたて、家屋を破壊していった。それにたいして住民たちは完全な非暴力で抵抗した。そのリーダーとなったのが阿波根昌鴻(あはごんしょうこう 1901-2002)である。どんなに非道な扱いをされても、けっして手を上げることをせず、三線(さんしん)の調べにのせた「陳情口説」とともに沖縄本島各地に実情を訴えてまわったという。それが「島ぐるみ土地闘争」である。1956年のことだった。

平和資料館の入口



 その運動を記録・展示した「ヌチドゥタカラの家 反戦平和資料館」が伊江島にはある。いよいよ本格降りになってきた雨のなか、この資料館を訪ねた。  

 沖縄戦当時のずたずたになった衣服。「武器を必要とし、戦争を作りだす人びとにもこの服を着てもらいたい」

 戦時中にB29が落とした爆弾。米軍演習場になってから島に落とされた原爆模擬爆弾。手書きの展示案内やプラカードが力をもって迫ってくる。

 「ヌチドゥタカラ」とは「命こそ宝」という意味だ。「命あっての物種(ものだね)」「死んで花実が咲くものか」という故事ことわざがあるが、死なずに生きていればいいというだけではなく、激戦にさらされ、死者22万以上といわれる沖縄ならではの、「命がいかに大切なものか」という気持ちがこもった言葉なのだ。「おまえたちは命が助かったんだからいいじゃないか」という権力者の思い上がった態度と同じにしてはいけない。命さえあれば(金さえ与えれば)沖縄人の誇りなど踏みにじってもかまわないという日本政府の傲岸ぶりは昔もいまも変わらない。

 雨のなか、千人洞、この地で戦死したアーニ―・パイルの碑などを見て島を一周し、港の食堂で海鮮丼を食べたあと、満を持していざタッチューへ! 食事中はごろごろピシャンと雷まで鳴って大雨だったのに、登山口に来たら、なんと雨があがりました!

 ところで、今回、同行者は神奈川在住の編集者Nさん、Nさんのお友達で数年前から浦添に移住して主夫をしている元編集者のNさんが運転手兼ガイド、そして私(ちなみに私も元編集者)の3人。タッチュー登山は女性のNさんを先頭に、足弱の私が二番手、しんがりは男性のNさんが羊を追う牧羊犬のようについてきてくれた。
タッチュー頂上からの展望


 ふもとから頂上まで、ずっと階段がつづき、段差が大きくなるところもあり、雨で濡れているし、鎖の手すりがなければ危ういところだった。

しかし、がんばって登頂しましたよ!(標高172mだけどね)。牧羊犬のNさんいわく「ぜったい(私たちが)途中であきらめると思っていた(笑)」

4月5日(火)

 翌日も雨模様。今日も古島駅前で待ち合わせ、めざすは辺野古。

 Nさんの先導のもと、辺野古のファミマで昼食のお弁当を手に入れたあと、テント村1、2を見てパンフレットなどをもらい、差し入れのお菓子を渡してから、ゲート前のテントへ移動する。東京の東久留米市から共産党系の議員を中心とした25名の団体が来ていてご挨拶中だった。テントが並んでいて、反対派活動家の何人かは泊りこんでいるという。ブルーシートのテントで、下は土だし、近くにお店もなく、トイレもコンビニまで車で送迎しなければならない。たいへんだなぁ。


米軍基地を囲うフェンス。
土地や海は誰のものか


 ゲスト用のテントの下でお弁当を食べていたら、司会者(?)の紹介で、「ハイジさん」なるおじいが登場。昼休憩前の締めとして、一曲うたってくれた。民謡できたえた渋い声で「友よ」を熱唱。私たちも含め、支援や見学に来ている人は団塊の世代が多い。若い人から見たら、こんなメッセージソングは「ダサっ」ということになるのだろう。去年の夏の国会前デモのときも、同行した若者がシュプレヒコールに「ださい」と感想を述べていたものである。しかし、そのとき同様、『あまちゃん』でアキがゆいちゃんにいった「ダサいくらい、がまんしろよ」という言葉を若者たちに送りたい。自分たちの命や生活を守ろうとするときに「かっこ」つけてなんかいられない。もちろん、団塊の世代のノスタルジーで終わらせてはいけないということもわかっているが。


おじいの熱唱「友よ」


 辺野古の基地建設は、たてまえでは普天間基地の代替だが、じつは基地の拡大増強だ。周知のように安倍首相は戦争をしたがっている。辺野古の新基地はいずれ自衛隊と米軍の共同使用になるだろう。まさに、ここから自衛隊が戦場に旅立つことになるのだ。そもそも軍備の増強が戦争抑止力になるというのは根拠のない言説である。軍備まみれのアメリカがいかにテロの標的になっているか、現実を見れば一目瞭然ではないだろうか。そのアメリカでさえ最近は、沖縄の基地を別の場所に移転してもいいといっているのだ。それなら、沖縄に基地を置いておきたいのは日本政府だということになる。日本政府は、阿波根昌鴻さんの「非暴力」精神を見習ったらどうか。

 2014年夏に「島ぐるみ会議」結成大会が開かれた。本土の有力紙はほとんど無視だったが、「日刊ゲンダイ」がこう報じている。
正式には「沖縄『建白書』を実現し未来を拓く島ぐるみ会議」といって、昨年1月に沖縄県議会の自民党を含む全会派の代表、県下の全41市町村の市長・議会議長が署名した「オスプレイ配備撤回、普天間基地閉鎖、辺野古移設断念」を求める安倍晋三首相宛ての建白書の方向を「オール沖縄」の力を結集して実現することを目的としている。
   「沖縄県民のなかには基地に賛成する人もいるじゃないか」という人もいる。だが、原発推進と同じように、ことは地元だけの問題ではない。日本国民として、いやむしろ人間として、「正しいこと」は何かと考え、行動しないといけないんじゃないかな。
"Do The Right Thing !"
(のなか くにこ)







ぐるぐるくん

野中邦子(2016.04.28更新)




国立西洋美術館




『法悦のマグダラのマリア』




東京ステーションギャラリー




上野精養軒でひと休み


 乱暴者と人見知り

 ひと仕事終えたので、『カラヴァッジョ展』を見てきた。この展覧会の目玉は新に発見された『法悦のマグダラのマリア』だ。上野の国立西洋美術館は中学生時代から来ているおなじみの場所。いろいろ変化はあるけど、好きな場所です。

 宗教的テーマを描きながら、少年や女性の妖艶さがあふれている。16世紀の人なのに、モダンな感じがする。ただ美しいだけじゃなくて、人間の本質を捉えているからじゃないかな。

 ミラノに生まれ、その地で画家の修行をする。レオナルドの『最後の晩餐』はミラノの修道院の壁に描かれている。おそらくカラヴァッジョも見ただろう。レオナルドの作品は色や形体をぼかして空気感を出すスフマート技法が有名だが、カラヴァッジョの作品は明暗をくっきりと対比させた黒と白のコントラストが特徴である。『法悦のマグダラのマリア』も、女性の蒼白い肌と左上半分を占める空間の黒の極端なコントラストが印象的だ。画面の下3分の1ほどを占める衣の赤がまたきわだつ。

 この展覧会には警察の記録も展示されていて、カラヴァッジョが刀剣の不法所持で逮捕されたときの調書が見られる。ミラノでは刀剣類を持ち歩くことが禁じられていたのに、カラヴァッジョはどうやら「刀剣おたく」だったらしく、何度か訊問を受け、事情をきかれている。剣は絵のモチーフで、師匠に命じられたとかなんとかいって言い逃れたらしい。記録には、もっていた剣のスケッチなどが添えられている。写真がない時代だから、警官もスケッチするしかなかったのだね。

 刀剣フェチのうえに喧嘩っぱやかったカラヴァッジョは、ついに傷害事件を起こし、ミラノから逃亡せざるをえなくなる。お尋ね者になってしまったのだ。

 ローマに移って画業に精を出し、教会の祭壇画など描いて人気者になる。パトロンも増えた。しかし、もって生まれた性格はなおらなかったらしく、今度は間違って人を殺してしまう。殺人事件となると、有力なパトロンといえども庇うわけにいかなくなり、また逃亡へ。

 ナポリ、マルタ、シチリア、そしてまたナポリへと流浪の旅をつづける。その間にも作品を描きつづけた。初期の才気ばしった絵にくらべて、この時期の作品には深みが増しているように思える。

 彼の作品に心酔するパトロンたちの奔走で、ようやくローマで恩赦が下されることになり、カラヴァッジョは船でナポリからローマへと向かった。その途中、熱病で死去した。一説によると、このときカラヴァッジョは恩赦のお礼として教皇やパトロンに渡す数点の作品を携えていたが、途中イタリアの港町で病気になり、その間に船は絵を積んだまま港を出てしまったという。カラヴァッジョは走って追いかけたが、船はそのまま去ってしまった(船に追いすがる情景は鬼界ケ島に置き去りにされた俊寛を思いださせる)。こうして、失意のうちに彼は異郷で客死したのだった。

 この船に積まれていた作品はその後行方不明になったが、そのなかのひとつが『法悦のマグダラのマリア』だといわれている。堕落した暮らしを悔い改めてキリストに帰依したマグダラのマリアの肖像は、悔悛の情を示すのにうってつけである。

 東京ステーション・ギャラリーでは、『ジョルジュ・モランディ 終わりなき変奏』を見た。モチーフは例によって、壜、壜、壜。壜だけである。ときたま、窓からの景色や花瓶ンの花などの絵もある。しかし、この花束もたいていは造花だったらしい。

 今回の発見は、モランディが壜を描くにあたって、かなりのこだわりをもっていたということ。壜は慎重に選別され、ガラスの上に自分で彩色したものもあったという。気に入った形の壜は何度も描かれる。絵では、じっさいの形を歪ませることもあった。そして、壜に積もった埃はぜったいに払ってはいけなくて、アトリエを掃除すると叱られたと同居していた家族が証言している。家族というのは母親と3人の妹である。彼は生涯独身を通し、一生のほとんどを生まれ故郷のボローニャで過ごし、この地で亡くなった。出身校であるボローニャ美術学校の版画教師となり、ボローニャの家と郊外の別荘を行き来するだけだった。イタリアを出ることも、たまのパリ訪問以外、ほとんどなかったという。

 堆積した埃を描くという点では、コンセプトはまったく違うにせよ、マルセル・デュシャンの大ガラス(埃の培養)にも通じるなと思った。

 カラヴァッジョは16世紀、モランディは20世紀の人だから、時代はだいぶ異なるが両方ともイタリア人である。16世紀に「イタリア」という概念はたぶんなくて、ミラノ人とかローマ人という意識だったのだろが、それにしてもお国柄とか国民性なんてあてにならないもんだなとしみじみ思った2つの展覧会だった。
(のなか くにこ)







ぐるぐるくん

野中邦子(2016.05.25.更新)



ソローリャ美術館

噴水

画架とパレット

食堂
中庭

 マドリード滞在も残り少なくなった日曜日。朝から雨だったのだが、午前中に時間があいたので、ソローリャ美術館へ行ってみた。

 ホアキン・ソローリャは1863年バレンシアで生まれた。2歳のときに両親をコレラで亡くし、それ以後、親戚のもとで育てられた。地元の美術学校で学んだあと、マドリードに出て画家になり、風景画や肖像画で人気を博した。イタリア留学やパリでの修行をへて、やがてマドリードに住居兼アトリエを建ててそこに住んだ。没後、妻が膨大な数の作品とともにマドリード市北部の住宅街にあった邸宅を市に寄付し、現在のソローリャ美術館となっている。

 ソローリャがマドリードに住むようになったのは1911年だが、そのころ18世紀後半に活動した印象派の画家たちは晩年にさしかかっており、一方、ピカソはキュビスムの時代、マティスはシチューキンとの蜜月時代で、壁画『ダンス』を手掛けていたころである。モダニストの作品にくらべると、ソローリャの作品は古典的な具象画であり、印象主義に通じる外光派といった感じだ。じっさい、ソローリャは「光の画家」と呼ばれていたという。

 奇をてらうところのない上品な描写や日常から乖離しないテーマはいかにも一般受けする絵画のように思える。とはいえ、色面の分割や人物像を上から見た構図など、ぴりっとしたモダニズムのテーストも感じられる。
天井の高いアトリエ

 スペイン南部のアンダルシアやバレンシアはパティオ文化で知られる。邸宅にはかならず中庭(パティオ)があり、樹木を植えて日蔭をつくり、タイルや大理石を敷いて暑さよけのひんやりした空間を生み出す。花壇や噴水も欠かせない。パティオの設計にも住む人のセンスが問われるのだ。コルドバではいまもパティオのコンクールがあり、受賞した美しいパティオは一般公開されて、おおぜいの見物人がつめかける。

 ソローリャも故郷のしきたりにならって、マドリードの邸宅に美しいパティオを築いた。

 訪れた日は日曜日で、あいにくの雨。しかし、前日まで埃っぽくて暑いマドリードの気候に少し疲れていたこともあり、雨に濡れた庭の風情にとても心が安らいだ。タイルは濡れてつやつやと光り、木々の緑も色鮮やか。ひんやりした空気のなかでパティオを楽しむことができた。

 アトリエは天井が高く、朱色に塗られた壁一面に作品がかけられ、休憩用の寝椅子やパレット、画架、筆なども生前の雰囲気を伝えるように配置されていた。ちなみに日曜だったので入場は無料だった。

 別棟には陶芸作品があり、スペイン風の絵皿が壁にずらりと並んでいた。ミュージアムショップもその隣にあり、マヨルカ島の海景を描いた絵葉書を買ってきた。風景画のなかでも、とくに海の情景が多いのは、海に近いバレンシア生まれだからだろうか。マドリードには海はない。

 ソローリャの人となりや私生活については何も知らないのだが、もしも縁があるのなら、そのうちきっとどこかで巡りあうだろう。そういう画家が何人もいて、それはそれで楽しい。
(のなか くにこ)







ぐるぐるくん

野中邦子(2016.07.03.更新)




文庫版ももっている

 「90歳になっても老後の心配を……いつまで生きるつもりか」という麻生太郎の発言が話題をよんでいるが、発言の全体を読めば「正論」なのだから批判は上げ足とりだという人がいる。「個人資産をため込んでいるために経済が動かない」という要旨なのだが、はたして本当にそうだろうか。この麻生の言葉は、私にいわせればとんでもない言いがかりであり、政治家としての責任を棚上げにした卑怯な言辞としか思えない。

 まず、彼は90歳の人間とその家族の気持ちをまったく理解していない。いくつになろうが、人は自死しないかぎり、いつ死ぬかを自分では決められない。120歳までは生きないにしても、100歳まで生きる人は今の時代大勢いる。残り10年の生活にいくらかかるのか、不安を持つのは当然である。というのも、日本の社会保障がまったくあてにならないからだ。

 議員年金をもらえる人はともかく、ふつうの人が年金だけで生活するのは厳しい。病気になったときにいくらかかるかも心配だ。健康保険の自己負担の割合が増えたのも自民党政権のもとである。老人ホームに入るにもかなりのお金がいる。しかも、自民党政権は自宅で家族が世話することを奨励している。だが、自宅介護は大きな犠牲を払わなければならない。老老介護のつらさから心中したり、老親を手にかけたりする例はあとをたたない。こんごさらに増えるだろう。

 麻生は、「年をとったら子供たちの厄介になればいい」というが、今の日本はそれができる社会だろうか? 90歳の人の子供たちは60代だとして、そろそろ定年、年金暮らしになる年代である。その年金を株に費やして膨大な損失を出し、年金支給額を減らすかもしれないといっているのはどこの政府か。

 そして、その子供たちの世代はどうだろう。保育園には待機児童が列をなしていて、なかなか入れない。小学校中学校の私立校は授業料が高く、たとえ公立校に入ったとしても給食費や教材費は親の負担だ。大学の学費は私立公立ともに高く、貧しい若者が奨学金を得ようとしても、奨学金とは名ばかりで、実体はサラ金のような悪辣な借金である。苦労して大学を出ても正社員になるのは難しく、派遣という名の不安定な雇用に甘んじざるをえない。世界には、子供の教育費や医療費が無料、大学には誰でも入れて授業料も安いという国もあるとぃうのに。健全な労働環境は国民の権利だ。それなのに、若者が仕事につけずに苦しむなんて。

 個人が金をためこんで、と咎める麻生。海外のタックスヘイブンに大金を送りこんで税金逃れをしている大企業や資産家たちについて、彼はどう思っているのだろう。 社会保障の財源がないというが、消費税を上げた分はどこへ消えたのか。それに社会保障の財源は消費税だけだなんて、誰が決めたのだ。米軍基地の維持費や、必要もないオスプレイ購入の費用をなくせば、社会保障など十分にまかなえる。

 という憤懣はさておき、話かわって、私にとっての老後とはいつだろう、と考えてみた。

 20代の終わりころ、草思社に勤めていたときだが、山本周五郎の時代小説にハマったことがある。近所の図書館で周五郎全集(たぶん講談社)を借りてきて読破した。あれは大判の本だった。その後、新潮社のきれいな愛蔵版の全集がでた。当時の私はすごく貧乏で、全集なんてぜいたくだったんだけど、「老後はこれを読んですごそう」と一大決心をして、刊行されるたびに一巻ずつ買っていった。毎月2巻ずつくらい発売され、だんだん増えていくのにわくわくしたものだ。

 老後に読むつもりだったので、少しは読んだけど、あとはただ飾っておくだけだった。しかし、いま思うと、ひとつだけ見込み違いがあった。活字が思ったより小さいのだ。30代の頃ならともかく、老眼の目には少々きつい。それにデジタル本がここまで浸透するとは夢にも思わなかった。場所もとるし、いまならキンドルで読むのに。

 私には、気分が落ち込んだときに読む本というのがあって、赤毛のアン・シリーズだったり、十二国記だったり、京極堂だったり、ジェーン・オースティンだったりするのだが、このところ調子が悪く、それらを全部読んでしまって、さてどうしよう、というときに書棚の最上段に並んでいる周五郎全集が目についた。そうだ、これを読もう。まず「さぶ」から、そして「赤ひげ」「青べか物語」「樅の木は残った」……。

 そう、私の老後はまさに「いま」なのだった。
(のなか くにこ)







ぐるぐるくん

野中邦子(2016.08.03.更新)




編集者と作家


 

 映画『ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ』がようやく完成し、日本では10月公開が決まりました。映画化権が取られたと聞いてから何年たったでしょう。いつのまにか立ち消えという話も多いなか、ちゃんとできあがったのはとてもうれしい。

 前にも紹介しましたが、この映画の原作は『名編集者パーキンズ』(上下、A・スコット・バーグ著、鈴木主税訳、草思社文庫)。今年初め、文庫化するにあたっては故人の訳者にかわり私が全体を読み直し、こまかいところに修正を加え、また「訳者あとがきにかえて」を書かせてもらいました。  

 いま読んでも主税さんならではの格調高い翻訳が典型的な北部人気質(シャイで、頑固で、習慣をかえるのがきらいで、仕事が大好き)だったパーキンズの個性にぴったりです。上下で1000ページ近い大著ですが、一気に読めました。古き良き時代のニューヨークの出版界がいきいきと描きだされています。

 さっそく、試写で見てきました。監督はイギリス演劇界とブロードウェイの演出家として有名なマイケル・グランデージ、主人公のパーキンズにはコリン・ファース、作家のトマス・ウルフにはジュード・ロウ。ウルフの愛人だった年上の女性をニコール・キッドマンが演じています。ヘミングウェイやフィッツジェラルドも出てきますが、映画の中心はパーキンズとウルフの友情にしぼられていました。

 映画は厚さが30センチほどもあるウルフの小説の手書き原稿がスクリブナー社にもちこまれるところから始まります。パーキンズはその原稿を読み始め、会社から家に戻る通勤電車のなか、自宅で、そして翌朝の出勤のための電車のなかでもずっと読みつづけます。そのようすをカメラは密着するように追いかけ、この一連のシーンが映画の核かなとも思わされました。

 あの分厚い原稿をひと晩で読み終えたんですね。編集者の仕事はまず原稿を読むこと、というのがよくわかります。

 そんなパーキンズのオフィスへ、ほかの出版社から拒否されつづけ、こんどもだめだろうなと覚悟したウルフがやってきます。断わりの手紙を待ってもよかったんだけど、傑作ばかりを世に送りだした編集者にひとめ会いたかったんだ、といいます。

 オフィスの書棚をながめ、ヘミングウェイ、フィッツジェラルド、その他、パーキンズが送りだしたベストセラーを指でなぞって、「傑作ばかりだ!」といいます。

 「ぜんぶあなたが作ったんですね」と感激したようにいうと、パーキンズが答える。
 「『戦争と平和』以外はね」

 なぜここで『戦争と平和』が出てくるのか、知らない人にはわからないかもしれない。これはパーキンズの愛読書で、作家たちにもこれを読めとさんざん勧めていた本なのですね。

 パーキンズの妻とのちょっとぎくしゃくした関係も、スポットライトに憧れるはつらつたる妻と目立つことがきらいな夫という個性のぶつかりあいよりも、忙しすぎて家庭や家族を顧みない夫というパターンで描かれているようでした。

 大勢の作家たちとのつきあいや、ベストセラー誕生の裏話など、映画に描かれていないエピソードもいっぱいあるので、興味があったら本も読んでみてください。

 とはいえ、林のなかをつれだって歩く二人のスチル写真がすべてを語っているように、たぐいまれな才能をもった人間同士が「すぐれた小説を世に送り出す」という情熱で強く結びついた友情物語として、とてもすぐれた映画になっています。

 コリン・ファースはキャスティングを聞いたときから「ぴったり」と思っていましたが、ジュード・ロウがこんな役を演じられるとはちょっと驚きでした。ウルフ本人は身長2メートルの大男なので、やや線が細い感じはあったけど。

  ウルフが病床からパーキンズ宛てに送った感動的な最後の手紙は映画でも大きくとりあげられ、試写会のプレスリリースにも見開きページいっぱいに紹介されていました。本からの抜粋そのままの文章で、照れくさいようなうれしいような。こういうこともあるから、翻訳の手を抜いちゃいけませんね(手抜きをしているつもりはないが)。

(のなか くにこ)







ぐるぐるくん

野中邦子(2016.09.01.更新)




帝国ホテル


ヒマワリのディスプレイ
ゴジラ


ドラえもんの手形


 

 久しぶりに日比谷へ行った。帝国ホテルのなかに入るのも何年ぶりか。ロビーはアールデコ風のデザインがおしゃれ。夏なのでヒマワリのディスプレイがあった。

 日比谷へ行ったのは、シアター・クリエで井上ひさしの芝居『頭痛、肩凝り、樋口一葉』を見るため。

 樋口一葉は好きな作家で、一時期はまって読み、筑摩書房の『樋口一葉全集』全4巻も買ったのだが、当時、品切れで最後の巻をもっていないんだよね。まあ、作品の数が少ないから小説は最初の第一巻に全部入っていて、最後の巻は短歌だから、なくてもいいんだけど。

 芝居は6人の人物が登場する。樋口一葉と妹の邦子、母、知りあいの女性2人、幽霊の花蛍(はなぼたる)である。この全員女性で、毎年夏の盆の7月16日に樋口家に集まり、それぞれの近況を知らせあう。みんなトラブルを抱えていて、時代に翻弄され、男に裏切られ、零落していくようすは、さながら下降螺旋だ。

 女だてらに戸主になった一葉は貧しい一家を背負い、食べるために筆一本で生きていこうとする。セットは簡素だが、正面に大きな仏壇がでんと据えられていて、家の重さを象徴している。

 女に教育はいらないといって娘を退学させておきながら、樋口家の面目を保てと圧力をかける「わからんちん」の母親も頭痛のたねである。

 樋口家にやってくる2人の女もそれぞれ悩みをもち、社会のしきたりに縛りつけられている。

 幽霊の花蛍は一葉の目にしか見えない。この世にどんな未練があって成仏できないのか、そのわけさえも忘れてしまっている。

 こうした女たちはおしゃべりにふけり、わらべ歌をうたい、くるくると立ち働き、泣いたり笑ったりする。そういえば、昔は盆や正月に、どういう関係だかよくわからないような親戚や知人が家に来たものだ。いまはそんなことがない。そもそも「盆の16日に地獄の釜の蓋があく」なんてことを知っている人は少なくなったかもしれない。死者をのせて運ぶ「きゅうりの馬に茄子の牛」なども作らなくなった。

 死の世界を身近に感じている一葉には幽霊の姿が見える。最後には登場人物6人のうち5人があの世へ行ってしまい、妹の邦子ひとりが残る。ついに借家を引き払うことになり、背丈以上もある大きな仏壇を「よいしょ」と背負って立つ。

 帝国ホテルのレストランでランチをして、きれいな劇場でお芝居を見て、しかも自分の仕事の稼ぎで……という優雅な暮らしができるようにはなったが、それでも「頭痛、肩凝り」のもとになる世間の目や家族の束縛、女性としての生き方の窮屈さ、差別、偏見といったものは完全には消えていない。目には見えなくても、またその姿かたちは変わっても、背中にのしかかる重い仏壇はまだあるのだ。

 おまけ……日比谷にいたゴジラ、意外に小さい。ドラえもんの手形、指がなく丸い。

(のなか くにこ)







ぐるぐるくん

野中邦子(2016.10.01..更新)




『ロジャー・フェデラー伝』




『ノバク・ジョコビッチ伝』




『アンディ・マレーの"開戦"』




『ラファエル・ナダル自伝』




『フェデラー伝』のディスプレイ
池袋ジュンク堂にて





 現在のテニス界にはBIG4と呼ばれる4人の選手がいる。

 テニス史上最強と目される生ける伝説ロジャー・フェデラー、フェデラーの唯一無二のライバルであるラファエル・ナダル、現ナンバーワンのノバク・ジョコビッチ、それを猛追するアンディ・マリーである。  

 この夏、4人の伝記の日本語版(邦訳書)が出そろったので(英語版はすでに何冊も出ている)、全部まとめて読んで比べてみることにした。その前に、伝記ついてひとこと。伝記には大きく分けて3つのタイプがある。

 1)まず、自分の生い立ちについて自分で文章を書いたものが「自伝」または「自叙伝」。これには、文章を書かずに語りおろして(口述して)、誰かにまとめてもらう場合もある。

 2)それから、自分では書かないが、本人がライターに全面的に協力する公認の伝記がある。英語では「オーソライズド」という。資料や写真を提供し、インタビューにも応じる。

 3)本人の協力はなく、周辺の取材のみでライターが独自に書くもの。非公認の伝記、「アンオーソライズド」。

 4人ともトップクラスのスポーツ選手なので、さすがに自分で書く時間も(たぶん)能力もないだろうから、1)はない。ナダルとマリーの伝記が2)で、フェデラーとジョコビッチの伝記は3)にあたる。

 ざっくり結論からいうと、本人が関わっていない伝記は面白くない――とはいえ、それぞれの伝記には特徴がり、長所も短所もあるので、一冊ずつ見ていこう。

 『ロジャー・フェデラー伝』クリス・バウワース著。4冊の伝記のなかでは最後に出た本で、つまり今年の9月に発売されたばかりの最新刊である。ロジャーは引退後に公認の伝記を出すつもりらしく、この本は本人や家族への取材なしで書かれている。著者の意図は「フェデラーの全体像を捉える」ことのようで、生い立ちに加え、戦績やデータが集められているらしい(「らしい」というのは、邦訳書ではその部分が大幅にカットされているからだ)。フェデラーはプライバシーを大事にする人で、テニス史上最高に優美なテニスといわれる選手だけに、上品なイメージを壊さないよう情報操作しているようすがうかがえる。本人は気さくでオープンな性格らしいが、妻のミルカをはじめとするブレーンのガードがもう固くて固くて。

 そんなわけで、この伝記にはファンが知りたいと思うことはほとんど書かれていない。たとえば、ミルカの野次が原因で親友のバブリンカと喧嘩になったとき、2人だけでどんな話をしたのか、なぜミルカとバブリンカは仲が悪いのかとか(知りたいことって、そんなことか!笑)。もちろん、ミルカとのなれそめや、家族のことなどもすでにいろいろなメディアで報じられていることばかり。

 ただ、私が知らなかったせいか、子供時代のエピソードは面白かった。あのロジャーでさえ、10代の初めに家から離れてテニススクールに通った時代はつらかったらしい。それでも、自分でテニスを選んだといういきさつは興味深い。ちなみに、このBIG4は全員、子供のときに将来はプロのテニス選手になると自分で自分の将来の道を決めているのだ。偉業をなすための第一歩は「意志」だということを思い知らされた。

 『ノバク・ジョコビッチ伝』クリス・バウワース著。これも非公認の伝記で、彼もたぶん、いずれ自分で伝記を書くつもりなのだろう。文才もありそうだ。(そして、いま気づいたのだが、この著者はフェデラー伝と同じですね←気づくの遅い!)

 非公認の伝記だが、ジョコビッチの子供時代のコーチ、ゲンチッチに取材できたのが貴重である。ジョコビッチにかんしては、7歳のときに撮られたテレビ映像があって、それがすべてを語っているといってもいい(youtubeで見られる)。そのインタビューで、将来の夢を聞かれたノバク少年は「世界ナンバーワンになる」と断言しているのだ。7歳のジョコビッチがすごく可愛い。この伝記にも子供時代のエピソードがある。ゲンチッチがジョコビッチ家の前のテニスコートでスクールを開いていたとき、ノバクがネットにしがみついてずっと見ていた。ゲンチッチが、一緒にやるかと訊くと、やる、という。翌日、ノバクはラケット、水筒、リストバンド、タオル、バナナ、替えのTシャツ3枚を入れたバッグをもってきた。テレビで見たから、テニスをするときに何が必要なのかは全部知っていたんだ、と。なんて賢い!

 著者は、本人や家族への取材ができないことをふまえて、別の視点からこの本を書くことにした。セルビアという国に注目したのだ。ジョコビッチが背負ったセルビアの負の遺産、セルビアの民族性、セルビアの家族観などに注目した。批判されることの多い父親スルジャン・ジョコビッチの心情にも迫っていて、その部分はとても読み応えがある。ただ、ジョコビッチ本人については、とても可愛くて賢い子供だったことはわかる、という程度の理解しか得られなかった。ま、それで十分かも。

 『アンディ・マレーの"開戦"』マーク・ホジキンソン著。この本はすごく面白い。というか、アンディという人間が面白い。2012年のウィンブルドン決勝でロジャーに惜敗したこと、オリンピックでの金メダル獲得、そして全米オープンでついにグランドスラムの優勝カップを手にするまで、激動の一年をふりかえる。

 この本の特徴は、たくさんの小見出しを立てて、いろいろなエピソードを積み重ねていることだ。雑誌記事のような雰囲気で、一人の人間の生涯をじっくり読み解くという感じではない。

 子供時代の話は簡単にすまされているが、母や兄との関係など、なかなか面白い。小学校での銃撃事件はショッキングだが、自分のテニス界での活躍によってその傷が少しでも癒せたらうれしいというアンディの言葉も胸を打つ。

 アンディの面白いところは、ふだんからものすごく正直で、なんでもさらけだしてしまうから、あらためて「へえーこうだったんだ」という驚きが少ないことだ。フェデラーとは大違いで、自分のイメージを守ろうとするところがない。あのヘアスタイルと同じで、人からどう見られようと関係ないのだろう。失言したり、ジョークが誤解されたりするが、それでも愛さずにいられない魅力がある。 

 それが伝わるだけで伝記としては上出来だが、この本を読んだあとは伝記を堪能したというより、テニス界のゴシップや裏話に通じたという気になる。

 しかし、アンディの全米優勝までの記述で一冊の本になるのだから、フェデラーのテニス人生を本にしたらいったい何冊になることか。それを思うと、引退してからなどといわずに、節目ごとに伝記を出していくのもよい考えだと思うよ。

 『ラファエル・ナダル自伝』ラファエル・ナダル+ジョン・カーリン共著。伝記として最も読み応えがあるのがこの本。本人が徹底的にかかわっていて、当事者しか知りえないことが書かれている。書かれたのは生涯グランドスラムを達成したあとだが、伝記の核になっているのは2008年のウィンブルドン決勝、テニス史上最高の名試合といわれるフェデラーとの対戦である。この試合の最初から最後まで、時間をおって詳細にプレーをふりかえり、自分の心理を分析し、それと平行して、ナダルの生い立ちが書かれている。試合と生い立ちという二種類の記述が、交互に配置された構成に工夫が見られる。

 共著者のカーリンはマンデラの伝記(『インビクタス』として映画化された)を書いた人で、伝記執筆者としては定評があり、この人選ひとつを見てもナダルチームの有能さがうかがえる。伝記を出すと決めたら、最大限の努力を払い、できるかぎり最高の結果を求める。まさにナダルのテニスにも共通する態度だ。

 ウィンブルドン決勝にあたっての迷いや闘志は本人にしかわからないことであり、選手が大一番を前にどんな心境でいるのか、どんなルーティーンをこなすのか、ロッカールームのようすはどうなのか、じつに興味深い情報が盛り込まれている。

 私生活のほうでも、両親の離婚でものすごいショックを受けたことなどが正直に書かれている。子供時代の話も印象的だ。夏休みに遊んで暮らしたあとの試合で負けたときは悔しさのあまり泣いてしまい、夏休みを犠牲にしても練習すべきだった、試合に勝ちたかったという。そして、二度と同じ後悔はしないぞと決意する。ここにも意志をもった子供がいるのだ。

(のなか くにこ)







ぐるぐるくん

野中邦子(2016.11.02..更新)




ラテンビート映画祭






フラメンコギタリストの沖仁さんと
パコ・デ・ルシアのギター







『ラブ・ゲーム テニスの歴史』
エリザベス・ウィルソン著、白水社刊







カラー口絵もあります






  今年のノーベル賞授賞式は12月7日。はたしてボブ・ディランは式に現れるのか? 一方、日本では何年も前からハルキストが期待をこめて待ち望んでいる。

そんなタイミングで、今年もラテンビート映画祭へ。『名誉市民』El Ciudadano Ilustre (2016)(監督:マリアノ・コーン、ガストン・ドゥプラット/出演:オスカル・マルティネス)を見てきた。

アルゼンチン出身の作家ダニエル・マントバーニは、生まれ故郷の田舎町サラスの町を舞台にした一連の小説でノーベル文学賞を受けた。この設定はガルシア=マルケスを連想させる。大作家となったマントバーニは長らく故郷には近寄らなかった。

 それがあるとき、サラスから名誉市民の称号を授けるという知らせがきて、ふとした気まぐれから、秘書もつれず単身で故郷へ戻る。昔の友人が市長になっていて、市民から大歓迎を受け、パーティが開かれ、文学論の講義をし、美術展の審査員もする。

 だが、典型的な田舎町のサラスは、人間関係が複雑に入り組み、そこらじゅう「しがらみ」だらけで、やることはいい加減なうえに、外の世界への劣等感ややっかみが渦巻いている。

 講義に出席していた美人女子学生がホテルの部屋に押し掛けてきて、色仕掛けで迫られ、まんざらでもない気分でいると、その彼女は昔馴染みの夫婦(しかも妻のほうは作家の元カノ)の娘だった! 美術展の審査では、情実や信仰がらみでインチキを強要される。小説の登場人物が自分の父親だと信じて疑わない若者につきまとわれたりもする。やがて、女子学生の恋人と父親は、彼女をもてあそんだ(と思い込んで)作家に敵意をぶつけてくる。

 ノーベル賞作家への敬愛の念がやがて、漠然とした反感にかわり、やがてどす黒い憎悪へとエスカレートする。ついには、作家にライフル銃が向けられる。脅すだけのつもりが、むっつりと黙りこんでいた若い男の発した銃弾が作家を倒す。

 コスモポリタンな作家と、淀んだような田舎町の対比がユーモラスに、だがリアルに描かれる。「フィクションを事実と思いこむなよ」というのは、作家なら誰でも思いあたることだろう。きっと村上春樹もそう思うことがあるにちがいない。

 マントバーニがたった一人でぶらぶらと歩きまわる町は、人通りも少なく、閑散としている。いまだカトリック信仰が根付いていて、男尊女卑で、暴力的だ。

 最後に悲劇で終わると思いきや、さすがマジックリアリズムの南米。【以下ネタばれあり】

 銃弾は当たったが急所を外していたため、命には別状なく、数年後、この経験をもとにした新作『名誉市民』が刊行され、朗読会が開かれる。やや老けこんだ作家が登壇し、朗読を始めるところで幕。

 冒頭のノーベル賞授賞式の描写、そしてマントバーニの受賞スピーチが、ディランの受賞をめぐる騒ぎのなか、すごく面白かった。ディランは授賞式に来るのだろうか? 来るとしたら、どんなスピーチをするのだろう。受賞式にギターをもってきて歌ったらおもしろいのに。

 ギターといえば、今年のラテンビート映画祭で観たもう一本の映画はギターが主人公だった。『旅するギター パコ・デ・ルシアの面影を探して』。この終演後、フラメンコギタリストの沖仁さんの演奏も聞くことができた。

 ところで、新刊訳書が出ました。テニス観戦好きが高じて、ついに「テニスの歴史」まで翻訳することになった。観戦友達のあいだでは、この本のためにあこち観戦に出かけていたと思われているようだけど、逆です。テニスを観にいくのが先で、翻訳があと。旅行費用を経費に計上していたのは確かだけど、こうして結果が出せたので胸を張れます。

 テニス関連の本を翻訳するなら、ちゃんとした本、と思っていたので、歴史と社会史をきちんと押さえたうえで、個性的な選手たちのエピソードを紹介しているこの本は手ごたえがありました。最近のテニス事情まであって、その部分がいま現在のテニスファンにはたまらない魅力。自分の好きな選手がどう書かれているか気になりますよね。ナダルの捉え方はちょっと不満だけど、著者はフェデラーの熱烈ファンらしいのでやむをえない。

(のなか くにこ)