【ぐるぐるくん】バックナンバー 2017年  野中邦子(のなか くにこ)   

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ぐるぐるくん

野中邦子(2017.01.04.更新)










後悔のもと


正月2日の夕焼け


 おみくじを引いたら「第一番 愛」というのが出た。そのわりに大吉ではなく、ただの「吉」なのだった。願望が「思うより早く叶うだろう」というのだが、なにが願望なのか、よくわからない。重版出来か、減量成功か……。

 減量といえば、諸般の事情により、糖質制限をしている。ご飯もパンも粉ものもパスタも大好きなので、糖質を完全にカットすることはしない。ちょっと控えるだけ。この暮れからお正月にかけて、お餅はなし、ご飯は一度も炊かなかった。意外に大丈夫なものですね。ご飯を食べないと、肉や野菜や魚の味が前よりよくわかるような気がする。

 ただし、パンケーキに山盛りの生クリームなんていうものをつい食べてしまって、よくあることなんだけど、あとで、ああ食べなきゃよかった〜と思うわけです。甘すぎて。この4分の1の量だったらいいのにな。頭のなかで思い描くおいしさが妄想的に大きくなって、実際はそんなにおいしくはないのだ。今年こそ、「食べなきゃよかった」という後悔とは縁を切りたい。

 暮れにガラス工房を見学にいって、ついでに吹きガラス体験というのをさせてもらった。作るのはグラス。形を決め、色を指定し、模様は色と数によって値段がちがう。シンプルに透明のガラスの上に3色のドットを入れるだけにした。

 やけどをしないように手袋や腕カバーで厳重に守る。中空の棒の先にガラスを付けて、炉に入れて溶かす……までを職人さんがやってくれる。模様の元になる色ガラスもすでにつけてある。先端に溶けたガラスがついた吹き棒をもたされ、金属製の円筒形の型に先端をつっこみ、そこで息を吹き込むと型いっぱいにガラスがふくれる。

 そして先端に直径2センチほどの穴をあける。もう一度、炉のなかに入れて柔らかくなったら、今度は椅子に坐って、棒を横向きにセットしたままくるくる前後に回転させ、金属製のへらを穴に差し込んで、広げて飲み口にする。縁を広げたければ、へらで加工する。

 これで体験は終わり。棒から取るのも職人さんがやってくれる。この間、およそ5分。お子様でもできるわ! 飲み口はまっすぐにするつもりが、手加減をまちがえて、ちょっと波型になってしまった。しかし、できあがりはなかなかきれいで気に入った。自分で作るとなおさら愛着がわくよね。

 こういう工作は好きなので、もっとやってみたい気もするが、また今年もそんな時間はないんだろうな。

 当ホームページの読者のみなさまには、旧年中のご愛読を感謝し、新しい年のご多幸をお祈りします。

(のなか くにこ)







ぐるぐるくん

野中邦子(2017.02.03.更新)










 朝、セントラルパークでジョギングをし、昼はちょっと歩いてブロードウェイまで。

 というと、まるでマンハッタンで暮らしているかのようだが、そうではない。どちらも頭に「中野」がつく。中野セントラルパーク、中野ブロードウェイである。誰が命名したのでしょうね!

 セントラルパークはキリン本社が入っているビルの名称で、公園そのものは「四季の森」公園という。もとは警察学校があった場所で、その前は犬公方といわれた徳川綱吉の生類憐みの令によって捨て犬を保護する施設があり、囲町(かこいちょう)という地名もそれに由来する。

 警察学校になる前は、スパイ養成施設として悪名高い陸軍中野学校があった。「イヌだけに……」というのがお決まりのジョークである。

 中野区には中央図書館という立派な図書館がある。ところが、この中央図書館が建物の大規模修理で3月末まで休館しているのだ。必要な資料があって、ほかの図書館で借りようとしたら、貸出用のカードが使えない。電話で問い合わせたら、2年間使っていないので失効しているとのこと。2年も図書館で本を借りていなかったのかと驚いた。

 この数年、娯楽としての読書ができなかったせいだろう。ところで、「本が読めない病」でネット検索すると「うつ病」がでてくる。これは思い当たる。やっぱり「うつ」か。まあ、仕事で必要な本は読めるし、意味も理解できるので、それほど深刻ではないのだろう。しかし、介護は「うつ」を誘発するというのは実感できる。

 そんなわけで、貸出用のカードを作るために東中野図書館へ行ってきた。ずいぶん進歩(?)していて、SUICAで読みとれるようになっていた。

 帰りは線路沿いに、ひと駅歩くことにした、中央線・総武線の線路のはるか向こうに山並みが見える。丹沢らしい。そういえば、四季の森公園ができる前は、うちのベランダから富士山が見えたのだった。いまは大学ができてしまって見えない。

 線路脇の道にはみごとな桜並木がある。これをばっさり切ろうとした区は何を考えているのかと思う。それでなくても緑が少ない区なのに、やたらと木を切ろうとする、困ったものだ。

 四季の森公園に戻って、パン屋さんに付属しているカフェでひと休み。東中野で夕焼けだったのが、すっかり日が落ちてしまった。夜の公園は、木々がライトアップされていて、なかなかきれいだ。

 コーヒーを一杯のむあいだにダニロ・キシュの『死者の百科事典』を読了。なんとか、少しは本が読めるようになってきたようだ。

(のなか くにこ)











ぐるぐるくん

野中邦子(2017.03.03.更新)


デ杯メンバーといっしょ



中華料理を食べて



ニッコーダイバのティールームでケーキ



寝込んでいるうちに春が来ていた



ばたばた人が死にます

パンデミックと言えば、思い出すのは2008年に出版された拙訳書『黒死病 ペストの中世史』(ジョン・ケリー著、中央公論社)。感染や予防の知識がなかった中世の時代、いったんペストが発生すると、人はなんの対抗手段も持たず、ただ無力に死んでいく。暗いエピソードの連続なのに、翻訳しているあいだは人間の限界を思い知らされて、かえってすがすがしい気分になったのを覚えている。

 ところで、この2月はインフルエンザにかかってほぼひと月、使い物にならない状態で日々を過ごした。

 そもそもの発端は2月3日、デ杯の日本・フランス戦を見に、有明コロシアムへ出かけた。久しぶりに会う友達と中華料理を食べたり、ホテルでケーキとお茶のひとときを楽しんだりしていたのだが、その1日後から体調を崩した。熱が出て、関節が痛み、咳が出る。風邪かなと思っていたら、SNSで友達や知りあいが続々とインフルエンザに罹患したという報告が!

 私も診療所に出かけて検査をしてもらったら、ばっちりインフルエンザA型をもらっていることが判明。5日間は安静、熱が下がっても2日は家から出ないこと、といわれた。

 その後、胃腸炎も併発し、ものが食べられず、起きてもすぐにぐったり疲れて、必要最小限の家事をこなすだけで、ひたすらベッドに寝て過ごした。もちろん、仕事もできない。  

 テニスのロッテルダム大会へ行く予定だったのが、直前にナダルが欠場を発表したこともあり、インフルエンザのウイルスを海外にまでまき散らすのは申し訳ないと思って、旅行そのものをキャンセルした。航空券と大会のチケットが(ほぼ)むだになった。悲しい。  

 有明では日本応援団のメンバーも感染し、さらには内山靖崇選手もインスタグラムで一週間寝込んだといっていた。そんなわけで、プチ・パンデミックだなと感じた次第。それ以来、人ごみに出かけるときはマスクがないと不安になるという後遺症まで出ている。  

 左上の写真は、左からダニエル太郎、杉田祐一、西岡良仁、錦織圭ですが、もちろん実物ではない。会場にあったパネル写真を前にしたセルフィー。


(のなか くにこ)







ぐるぐるくん

野中邦子(2017.04.03.更新)


空間の鳥



Sleeping Muse



三美神



My sky hole



彫刻のよさってよくわからないんだけど、ブランクーシの彫刻だけは好き。このあいだ横浜美術館へ篠山紀信の『写真力』を見にいったら、常設展のほうにこの「空間の鳥」が展示してあった。この彫刻は環境アートとしても人気があるのか、お台場のホテルの窓からも見えた。

パリのポンピドゥーセンターのそばにあるブランクーシのアトリエには、鋳金する前のこの作品の石膏型がある。アトリエはこぢんまりして静かで明るくて、とても感じがいいので、ポンピドゥーセンターへ行くことがあったらぜひ立ち寄ってみてほしい。

シンプルな形体、空に向かって突き上げるような動き、なめらかな曲線、そして何よりも魅力的なのは、きらきらと輝く表面だろう。

自分の家に飾りたいと思う彫刻はめったにないが(そもそも置くスペースがない)、この「空間の鳥」は買えるものなら買いたい(ぜったいに無理だが)。

ブランクーシのもう一体の作品も金色に輝く。「Sleeping Muse 眠る美神」 大きな頭がごろんところがる。

ちなみにイサム・ノグチはブランクーシの押し掛け弟子だった。

金色の彫刻が好きになったきっかけは、高校生のときによく通ったブリヂストン美術館にあるザッキンの「三美神」だった。ザッキンは木彫やブロンズ像が多くて、金色のものは少ないと思うのだが、これはひと目見たときから好きになった。高校生のときはギリシア神話もよく読んでいたので、テーマ的にも興味を引かれたのだろう。

じつは、金色じゃなくてもいい。ステンレススチールでできた彫刻も魅力的だ。

この球形の彫刻は上野の都美術館の前庭にある。井上武吉作「My sky hole 85-2 光と影」

周囲のものを映してつやつやと輝く表面がすてき。

街角に設置する彫刻作品は、裸婦像や母子像なんかより、こういうアブストラクトかつコンセプチュアル、そして素材感のある作品にしてもらいたいね。

(のなか くにこ)







ぐるぐるくん

野中邦子(2017.05.08..更新)


マヨルカのミロ美術館入口



版画の道具



「これがジョアン・ミロさんです」



庭から見た池と建物



マヨルカのミロ美術館の庭園カフェ




バルセロナのミロ美術館

 昔、『伝記ガウディ』を翻訳したとき、バルセロナとその周辺地域をめぐってガウディ建築見学ツアーをした。それで、今回のバルセロナ旅行ではガウディ建築はサグラダ・ファミリアだけにし、おなじくカタルーニャ出身の画家ジョアン・ミロに注目。バルセロナのミロ美術館は前回も行っていて、そのときミュージアムショップで木綿の手袋を買ったのだが、薄手で軽く、季節を問わずにつけられるので愛用していたところ、片方をなくしてしまった。同じものが買えないかなという期待もあって、再度モンジュイックの丘にあるミロ美術館を訪ねた。ネットで前もって時間指定(10時)のチケットを購入。ホテルのそばのディアグナル大通りをブラブラ歩き、たまたま止まっていたタクシーをつかまえて行ったら、10分ほど早く着いてしまった。


カフェで

 美術館の隣にある公園をひとめぐりしてから中へ。ミュージアムショップを見てみたが、残念ながら手袋はもう作っていないようだった。ミロの絵は装飾的なのでグッズにぴったり。きれいな色合いのリーディンググラスとスーツケース用のネームタグ(欲しかったのです)を購入。前に来たときに屋上にあったカラフルな彫刻はなくなっていた。美術館のカフェで、定番のカフェコンレチェ。ちょっと休んだあと、美術館前のバス停から市内中心部(セントロ)行きのバスに乗ってカタルーニャ広場まで戻り、ランブラスをぶらついて、その後、ボケリア市場へ行って買い物。

 ミロはマヨルカ島に別荘をもっていて、晩年はずっと島で暮らしていたという。パルマ・デ・マヨルカの郊外の高台にはミロの別荘に隣接して美術館がある。正確な名称はミロの夫人である映画監督、脚本家ピラール・ミロの名前が併記されたFundacio Pilar i Joan Miro (ピラール・イ・ジョアン・ミロ記念財団美術館)である。

 パルマのセントロからやはりタクシーでミロ美術館へ向かう。通りの名前もアベニュー・デ・ミロだった。町はずれの高台に白い建物があり、人はまばら。チケットを買ったときに、簡単なアンケートをと言われてOKといったものの、お姉さんの英語がわかりません(泣)。こまった。「まあ、いいわ」と苦笑されて、申し訳なく。

『農園』ミロ作

 鑑賞者はほんと少数で、ほとんど貸切状態。ゆっくり見ることができました。庭園に出ると明るく、海は見えないのだけど、緑が多くてのんびりした雰囲気。庭のカフェにもミロの壁画が飾られ、彫刻作品も置かれている。まだ具象的だったミロの初期作品はかなり好きです。マティスとピカソが競って欲しがった『農園』などが有名ですね。バルセロナのミロ美術館には初期作品が少しあったけど、マヨルカのほうには彫刻作品やオブジェ、版画が中心だった。建物やインスタレーションそのものも見どころです。

 ところで、前の日にパルマの街を歩いていたときにスカーフを落としてなくしてしまったので、ショップでミロの絵が模様になったスカーフを買った。ついでに、白地に鮮やかな赤がきれいな小ぶりのトートバッグも購入。ほんのささやかながら,財団の運営に寄与できたなら幸いです。

(のなか くにこ)







ぐるぐるくん

野中邦子(2017.06.02.更新)





求む!――スパダリ

 表現の一ジャンルで、気に入った作家を4、5人もあげられるようになれば、そのジャンルのファンといってもいいのではないだろうか。そんな新しいジャンルを最近発見した。そして、特定のジャンル内でのみ通用する用語というのがある。いわゆるジャーゴンである。翻訳という職業柄、目新しい言葉には興味を引かれやすいのだが、ついこのあいだ気になる表現に遭遇した。

  スパダリ

 はい、ここでご自由に突っこみを入れてください――

 「なにをいまさら」
 「知らないのー?」
 「無知じゃね?」

 または

 「えー、なにそれ、知らない」

 実際はどうなんでしょうね。反応はいかに。

 最初、スパ(温泉)で「だりぃ」(だるい)とかかな、と思ったのですが(ない、ない……)、答えは――

       *
       *
       *
       *
       *
       *
       *

――「スーパーダーリン」略してスパダリ

 恋人を心から愛し、やさしく甘やかし、手の上で転がしつつ喜ばせる余裕と包容力のある超イケメンのダーリン。高身長、高学歴、高収入のスペックを備え、そのうえ「料理上手」が加わるとパーフェクトなスパダリ認定、とのこと。もちろん浮気なんかぜったいにしないし、恋人一筋で、赤面しそうな愛情表現をストレートにぶつけてくる。はたから見たら、それほどたいしたことない恋人でも、彼にとっては世界で一番かわいく、魅力的に思えるらしい。

 そんなスーパーダーリンだったら、誰だって欲しいよね。年齢・性別に関係なく。

 言葉遣いという点でいえば、そしてスーパーつながりで、私が心の中でひそかに使っているのが「スーパーファット」――まあ、超肥満体のことだが、力を抜いて垂らした両腕が体側につかずに斜め45度くらいに、つまり「小」の字のように広がってしまう体型だと「スーパーファット」認定である。体重でいえば、90キロ越えかな。「最近体重の増加がいちじるしいけど、まだスーパーファットには至っていない」というように使っている(泣)

 このスパダリ、さきほど性別を問わず、といったが、用いられるジャンルはBL、すなわちボーイズラブの世界なのだ。このジャンルを愛好する女性は一般に「腐女子」と呼ばれるが、女子というにはおこがましい身ながら、この数か月で好きな作家名を複数あげられるくらいには詳しくなっちゃいました。

 どんなジャンルにもいえることだが、この世界もまさに玉石混交、千差万別、ほんと、ピンからキリまで多種多様な作品がある。ただ、ものすごい才能が存在することも確かで、ビジネス面での収益はもちろん、芸術表現としても、けっしてばかにはできない。とはいえ、こればかりは、安易にはお奨めしません。足を踏み入れるのは自己責任でお願いします。このあいだもカフェで友人とマンガ論をくっちゃべりながら、つい「Komon Seikoにまったく抵抗がなくなっちゃって……」とかいいかけて、ヤバいヤバいヤバい、誤解される。「見るだけだから!」といいわけしたり(それもまずいヨ!)(汗)

(のなか くにこ)







ぐるぐるくん

野中邦子(2017.07.02.更新)



撮影スペースには「タラ夫」




左レオナルド作、右ミケランジェロ作



 雨の金曜日、美術展を3つハシゴした。パリでも、マルモッタン→ロダン→マイヨールと3館を巡りあるいたので、まあ日常茶飯事といえましょう。

 閉幕が迫った「BABEL展」(都美術館)から、同じ上野の西洋美術館の「アルチンボルド展」、そして丸の内の三菱一号館美術館の「レオナルド×ミケランジェロ展」。 お目当ての作品を見にいくことのほかに、意外な発見という喜びもあります。

 「BABEL展」では、ブリューゲルに影響を与えた画家として、イェロニムス・ボスの作品もたくさん展示されていた。『快楽の園』など、奇怪な生物を描くことで有名なボスだが、その名前は本名ではなく、出身地からとった画名だという(本名はイェルーン・ファン・アーケン)。彼の出身地がオランダのスヘルトーヘンボス's-Hertogenboschなのだ。

 この場所は、テニス・ファンにとっては馴染みがある。全仏のあとに開催される芝の大会(規模は250)で、ウィンブルドンの前哨戦とされる。そして、テニス大会の中でも難読の大会である。なんといっても、アポストロフィー['s ]から始まるんだものね。それが、なんとボスの生まれ故郷だとは!  これが今回、第1の発見。

 果物や生物の寄せ絵肖像画で知られるアルチンボルドは、ハプスブルク家のお抱え絵師だった。ミラノに生まれ、のちにウィーンへ移って、ハプスブルク家に仕えた。当時、版図を世界に広げていたハプスブルク家は各地の奇妙なもの・風変りなものを集めて、コレクションしていた。ゾウやキリンなどの珍奇な動物、珍しい草花、そして毛むくじゃらの皮膚がひと目を引く多毛症の一家。人間までコレクションしちゃうのですね。拙訳書『奇想の美術館』のカバーには多毛症の少女トニーナ・ゴンサルブス(ゴンサレス)の絵が用いられている。この「アルチンボルド展」では、思いがけず、その弟である 「エンリコ・ゴンザレス」の肖像(ウィーン美術史美術館蔵)を見ることができた。

 実物の作品をこの目で見られるとは思っていなかったので、ちょっと驚いた。今回の3つの展覧会は、翻訳の仕事とは関係なく観にいっただけに、うれしさも倍増。これが2つ目の発見。

 「レオナルド×ミケランジェロ展」も仕事とは関係なく、レオナルド好きの一ファンとして行ったわけです。デッサンが主体で、二人の巨匠を対比させる展示方法が興味深かった。

 レオナルドの「岩窟の聖母の天使のための習作」とミケランジェロの「レダと白鳥のための頭部習作」が「最も美しい」素描といわれるなんてことも初めて知りました。

 とくに意外な発見といえるものはなかったが、レオナルドが「グロテスクな顔貌」を好んでスケッチしていたことに注目。ボスやブリューゲルの描く怪物たち、アルチンボルドの奇妙な野菜人間、そしてレオナルドやミケランジェロのグロテスクな顔の人びと。奇妙なものから目が離せず、そのイメージを定着させようとするのは人間の心理にしみついた根強い願望なのでしょうか。

 2人が描いた人体デッサンを見ていると、現代のマンガにも通じる人体表現の歴史を連想せずにはいられない。ミケランジェロは女性を描くときも、下絵のモデルには男性を用いたそうですし(レダの絵もその一例)、レオナルドも若い男性の美しさをデッサンでも手稿でも賛美しています。2人とも同性愛的な傾向があったといわれていますが(ルネサンス期には同性愛のタブーもそれほどなかったようだけど)、ミケランジェロの恋人の若い男が「女の裸なんて見ないで!」とやきもちをやいたのかもしれないなあ……などと、もう完全に妄想の世界(笑)。

 蛇足ながら、「〇〇×〇〇」という表記はBL用語でいえば先が攻め、あとが受けになります。レオ攻めのミケ受け……ありそうです(格調高く始まったのに、最後でまた低俗に落ちてしまった)。 

(のなか くにこ)







ぐるぐるくん

野中邦子(2017.08.03.更新)
















意匠の楽しみ

札幌・中島公園の豊平館
  人間、生きていくのに必要な最小限のものさえあれば生きていける、というものでもない。人間は群れをなして生きる動物であり、生存のための殺し合いやいじめがある一方で、遊びやユーモアが不可欠だ。

 その最たるものが、意匠の楽しみだろう。「デザイン」とはより総合的で広い概念をさすが、「意匠」はこまごました具体的な装飾を意味する。まあ、必然性のない遊びではあるが、人はどうしてもあれやこれや、飾りたてたり、工夫を凝らしたり、ということをしてしまう生き物らしい。

 たとえば、汚水を流す下水道のマンホールのふたに絵を描く必然性はまったくないが、そこにラッコの親子の絵を描いてしまう。何の役にも立たない。でも、かわいい。人形劇団こぐま座の劇場は、窓が顔の目鼻に見えるよう配置されている。

 札幌の中島公園にある豊平館を見てきた。かつて北海道初の西洋式ホテルとして建てられ、最初の宿泊客は明治天皇だった。豊平館という名前は、北海道開拓庁の長官だった黒田清隆が「豊かさと平和」を祈ってつけた。のちに総理大臣になる黒田清隆は、五稜郭に立てこもった旧幕軍の残党と闘ったり、西南戦争に参戦したりと、日本の内乱期を生き延びた人である。画家の黒田清輝は遠い親類にあたる。実戦を経験しているだけに、豊かさと平和を希求する気持ちは強かったのかもしれない。

 この豊平館はその後、市営の結婚式場となり、2012年まで営業されていた。市営だけに、宗教色は排除され、式は人前式だったという。いいね。

 外装の特徴的なブルーは、染料が進歩していなかった昔、ラピスラズリの粉末が使われた。マイアミ・ビーチのアールデコ建築を思わせるパステルカラーがモダンでおしゃれ。私は結婚式全般が嫌いなんだけど、こういう会場なら式をあげてもいいかも……予定はありませんが。

 客室の大きさや作りはほとんど同じだが、天井の照明と漆喰細工は部屋ごとに異なる。部屋には植物の名前がついていて(梅とかエゾヒナゲシとか女郎花とか)、それにちなんだ草花の模様が漆喰で描かれている。建築当初は、この漆喰に鮮やかな色がついていたらしい。一部、修復・復元されていた。当時、電気はまだなかったので、灯りはロウソクだったそうだ。大広間のシャンデリアも全部ロウソクだというから、メンテが大変だったろうな。復元された赤い絨毯もとてもきれい。大広間にはタブレットが置いてあって、舞踏会の様子がバーチャルで体験できる。ボランティア・ガイドのおじさんが丁寧に解説してくれて面白かったわ。

 こういう意匠に凝るという行動は、もちろんお金と時間に余裕がなければできないことで、見方を変えればゼイタクといわれてしまう。ゼイタクは敵だ、と思うか、ゼイタクは素敵だと思うかの違い。私としては、ステキだのほうに傾きたいが、プロレタリア作家の小林多喜二に思いをはせれば、複雑な思いもある。なぜ多喜二を連想するかというと、小樽文学館で多喜二の顔写真がついたTシャツを見て、一瞬、欲しいと思っちゃったからなのだが、『蟹工船』もちゃんと読んでないのにおこがましいと思って買わなかったという経緯があるのです。ちなみに多喜二は秋田出身ですが、小樽商業学校で学んでいます。

 官憲に殺害されたプロレタリア作家までTシャツの模様にしちゃう人間の「意匠好き」はここにきわまれりという感じです。見るものすべてに「物語」を読むのが人間であると作家のマンゲルさんがいっていますが(『奇想の博物館』)、そこらにあるもの手当たり次第に「意匠」を凝らすのも人間の本能かな、と思いました。

 そんなわけで、人は無機物のテレビ塔さえも擬人化してキャラクターにしてしまうのです。札幌大通公園に立つさっぽろテレビ塔の非公式キャラクター「テレビ父さん」……もちろん、テレビ塔とテレビ「とう」さんをかけているのですが、テレビ母さんもいるとはこれいかに。もはやダジャレにすらなっていない!

(のなか くにこ)







ぐるぐるくん

野中邦子(2017.09.01.更新)

一冊分の原稿と
原書ペーパーバック



人生の苦さ、または仕事における見込みの甘さ

 コンピューター内のフォルダの日付からすると、4年前の2013年からスタートした翻訳の仕事が8月中旬やっと終わった。

 主人公(著者)が恋人との別れを決意する前後のシーンは共感で胸が痛くなった。年の差は大きいとはいえ、心から尊敬し、愛した相手である。結婚はしていない。それでも、どうしても気持ちがすれ違い、自分自身を保つためには別れるしかないと決意する。

 主人公に同情し、共感し、励ましたくなる。そんなときは、ふだんのノルマも忘れて翻訳に没頭できる(これは一種の快感である)。1冊の本を翻訳していると、少なくとも1度はそんな感動に出会う。この仕事の醍醐味といってよい。そういうすぐれた作品を翻訳できる機会を得られたことに感謝しなければいけない。

 大人気だったTVドラマ『カルテット』に「泣きながらごはんを食べたことがある人はだいじょうぶ」というセリフがあった。テレビの前で大勢の視聴者が「うん、うん、あるよ」と心の中でうなずいたにちがいない。私も、です。

 中島みゆきの歌には「道に倒れてだれかの名を呼びつづけたことがありますか」という詞がある。ま、こっちは、あまりいないかもしれない。

 つらい恋は、ほんとツラい。でも、それが人生を味わうってことかもしれない。甘さを本当に味わうには苦味も必要なのだろうか。 

で、その部分を引用します(拙訳)。
その瞬間、二人の関係がどうなっているのかを思い知った。不幸に見舞われたら、いちばん愛している人に慰めを求めるのが自然ではないだろうか。だが、私にはわかっていた。慰めてもらえるどころか、厳しい叱責にさらされるだけだ、と。いまは自分と関係のない、どこでもない場所のほうが落ち着けるはずだとわかっていたので……近くのカフェに入り……彼との過去、そして将来について、じっくり考えてみることにした。疲れはて、重い心で坐っていたとき、自分が完全にひとりきりだと感じた。子供たちがいることを思えば、ひとりでいるよりもっと悪かった。この先どうなる、と私は自問した……このままつづけるとすれば、義務感からの行為でしかなくなるだろう。

 会社の終業時間だった。混みあったテーブルの合間を人びとが行き来し、カフェは満席だった。他人の生活が私の人生と交差し、自分の周囲で流れていくことに一種の慰めを感じた。それがパブロの――不在のときでさえ感じられた――冷淡さを拭い去っていくようだった……人びとをじっと見つめていると、その身ぶりや表情から、とどのつまり、彼らのほとんどが私と同じような、あるいはもっと重い苦しみを負っているということが伝わってきた。人はみな、そのやり方はちがっていても、同じ務めを果たし、同じ方向に進んでいる。私はもはや孤独ではなかった――彼らと同じくらい孤独かもしれないが、それ以上ではない。私の重荷の一部が消えた。人はだれしも孤独であり、相互依存のなかで生きているという鮮明な感覚が得られた。
 この2人とは、画家のパブロ・ピカソとフランソワーズ・ジロー。40歳ほども年齢差がある2人は約10年間、ともに暮らし、クロードとパロマという2人の子をなすが、最後はフランソワーズから別れを切りだして関係を解消する。

   ほかの恋人たちは別れたあともピカソの呪縛から逃れられず、みずから命を絶ったり、精神に異常をきたしたり、不幸な人生を送る人が多かった。そのなかで唯一、ピカソと別れたあとも自分の人生をきちんと生き、幸せをつかんだのがフランソワーズだった。そのためSurviving Picasso(ピカソを生き延びる)と称され、同名の映画まで作られた。

 「彼らのほとんどが私と同じような、あるいはもっと重い苦しみを負っているということが伝わってきた」

 これは本当に腑に落ちる。仏教の逸話にも、こんなのがある。子供を亡くした母親が仏陀に「どうか生き返らせてほしい」とすがったところ、「死人を出したことがない家から芥子の種をもらってきなさい」といわれる。母親はあちこち訪ね歩くが、当然のことながら、死人を1人も出したことがない家などない。

 不幸なのは自分1人ではない、ということですね。私自身、この十年間、おりにふれて、「死人を出したことのない家はない」という言葉を内心でつぶやくことが数度。

 だからあきらめろというのではなく、共感と思いやりが大事なんです――ということを、わが国の首相にいってやりたい酷暑とゲリラ豪雨の夏。

 刊行はたぶん来年春以降になる予定。じつはこの本、かつて瀬木慎一さんの訳で新潮社から出ていた本『ピカソとの生活』の改訳です。改訳というのを一度やってみたかったので、貴重な経験になりました。「わからないところは前の訳を見ればいいな、ラッキー!」とズルいことを考えていたんだけど、その思惑は外れ、わからないところはさらにわからず、わかるところも前の訳文とちがっていたらかえって疑心暗鬼になるなど、見込みの甘さに反省しきり。

(のなか くにこ)







ぐるぐるくん

野中邦子(2017.10.01.更新)


2階に図書室がある


ホテルの一階の書店


世界のベストセラーが並ぶ


ヴァーツラフ広場のもう1軒の書店


そのウィンドー


古書店かな?


ジョン・レノンの壁


ヴァーツラフ広場


展望塔


カフカの像



ストラホフ修道院のロココ調で装飾された哲学ホール














 チェコのプラハへ行ってきた。第一のミッションはストラホフ修道院の図書室を見ること。残念ながら、図書室の中には入れず、入口から覗いてみるだけ。写真もこの入口から撮るしかない。入場料100コルナに加えて撮影には50コルナの追加料金が必要。50コルナ払うとカメラのマークのついたシールを上着の袖にぺたっと貼ってくれる。

 修道院の2階に上がると、神学ホールと哲学ホールの二部屋がある。河出書房新社で出た拙訳書『世界の図書館』の表紙には神学ホールの写真が使われている。プラハへ行ったら、ぜひ見なくちゃね。中に入って棚をじっくり眺めたかったんだけどな〜。2つの図書室をつなぐ廊下には世界各地の珍品を集めた展示室がある。アルマジロの標本や貝類、工芸品や彩色写本など。

 プラハの街のよいところは、こぢんまりした規模で、メトロやトラムが走っていて、人間の足で歩きまわれるところだ。道が石畳で歩きにくいという難点はあるが、車社会でないところがいい。旧市街は古い町並みが残っていて、建物の装飾がとてもきれいだ。建築スタイルも、バロックからアールデコ、アールヌーボー、キュビスム、モダニスムと変化に富んでいて、目に快い。

 大きな川が流れているのもいいね。空が広々としている。旧市街には美術館や教会が並び、ちょっと郊外へ行くと贅沢な個人住宅にも趣がある。今回は新市街のさらに外れのほうへも行ったが、そのへんになると雰囲気は雑になるが、それでもあまりぎすぎすしていない。

 気が付いたのは、観光客がすごく多いこと。ツーリズムの街なのだなと強く感じた。ツーリストの1人としては、ほかにも大勢見物人がいるというのは、お仲間気分のせいか、なかなか緊張がゆるんで、よいものです。

 街のあちこちに本屋があるのもよい。ちょっと歩くと、明るいモダンな本屋や、クラシックで重厚な古書店が目につく。本屋のある街はいいですね。というのも、この次に翻訳する予定の本が書店にまつわるエッセーなので、よけい書店が目につくというわけです。書店のほうも中に入ってじっくり見る時間がなかったのが残念だけど、これだけでも、プラハ、よい街です。

 最初に泊まったホテルは繁華街のヴァーツラフ広場に面していて、とても便利だったのだが、この広場も「プラハの春」のときにはソ連の戦車が侵攻してきた場所だという。いまはマクドナルドやH&Mの店が並んでいて、西欧化いちじるしいとはいえ、歴史の重みを感じます。

 東欧ならではの独特の雰囲気があって、とくにアルファベット表記が英米とはまるで違い、エキゾチックな「K」の文字がたくさん使われている。自分の名前にKがあるので、なんとなくKの文字が好きなのだけど、スペインやフランスやイギリスではKをあまり見かけないので、ここで見るのが新鮮だった。赤毛のアンシリーズの中で、アンが友達のキャサリンにCatherineよりKatherineのほうがロマンチックですてきだ、というシーンがある。子供のころ「ふうん、そうなんだ〜」と思ったことを覚えている。

 有名なカレル橋を渡ったところにほど近く、ジョン・レノンの壁というのもある。圧政や束縛への抵抗は東欧ならではの歴史を感じさせる。プラハにはモーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』が初演されたエステート劇場というのもあって、映画『アマデウス』はここでロケをしたそうだ。時間があったら、ここも中に入ってみたかったんだけどね。それに人形劇の劇場や国立歌劇場もパスでした。またの機会に期待。 

 ケーブルカーで登った丘の上にある展望台は、パリのエッフェル塔を模したといわれるが、日本人の私たちから見たら、これは通天閣ですよね。上まで登ってみたが、当然、ビリケンさんもテレビとうさんもいなかった。いちおう1階には土産物売り場があったけどね。

   プラハの文学者といえばフランツ・カフカが有名。ユダヤ人街のスペイン・シナゴーグの前にカフカの像があった。さすが『変身』の作家だけあって、ユニークな像ですね。ユダヤ人街といえば、有名なシナゴーグは修復中だったり、儀式の最中だったりして、中に入れなかった。そういえば、やはり見たかったクレメンティウムも修復中で休館していた。ここにはバロック様式の図書の間や、現在のチェコ国立図書館があるので、見学したいと思って前まで行ったんだけど、入口が見当たらないので、門番のおじさんに聞いたら、休館中という張り紙を指さされたのだった。シナゴーグも図書館も見られないとは、まるで近づきたくても近づけないカフカの「城」のようではないですか! 

 高台にあるストラホフ修道院のレストランからはプラハの街が一望できる。有名なチェコビールを飲みながら、しばし赤茶色の屋根のあいまに金色の装飾がきらめく風景に見とれました。

 空気がひんやりしていたプラハから戻ってくると、東京の残暑の湿気にぐったり。

(のなか くにこ)





プラハ市街遠望