【コウモリ通信】バックナンバー 2002年  東郷えりか(とうごう えりか) 2003年2001年2000年はこちら





コウモリ通信 2002.1

その26

 先日、バンコクポスト紙でバードウォッチング・ツアーの案内を見つけ、娘とふたりで参加してみた。行き先は、バンコクから車で3時間ほど行ったところにあるカオヤイ国立公園。オーガナイザーの夫婦のほか参加したのは、タイ人女性ふたり、カナダの女性博士、オーストラリアの年配の男性、私たち親子だけで、それにタイ人の若い男性がツアーの一部だけ参加した。

 日本の野鳥観察会にも行ったことがないのに大丈夫だろうか、と娘はかなり心配していたが、いざ鳥を見はじめると、そんな不安はどこへやら。英語もタイ語もろくにしゃべれないのに、いま見た鳥がなんだったのか知りたい一心で、リーダーをはじめ、いろいろな人に自分から質問しだした。子供はうちの娘ひとりだけだったこともあり、望遠鏡はたいがい最初にのぞかせてもらい、チョコレートを分けてもらったり、図鑑を見せてもらったり、とみんなに気遣ってもらい、娘は大満足だった。

ズアカキヌバネドリ リーダーのおじさんは鳥の声がすべて聞きわけられるらしく、声でおよその場所を察知して、すばやく鳥を見つける。なんの変哲もない茶色の小さな鳥でも、ぱっと名前を言い当てるところはまるで手品だ。おじさんが笛を吹くと鳥が現われ、鳴き声をまねると、向こうから鳥が応える。はるか彼方の木にいる不恰好なくちばしのカササギサイチョウやシワコブサイチョウも、望遠鏡で見つけてしまう。鳥の絵も描く人で、よく似た鳥の見分け方をさささっと絵で示してくれたりもする。

 おかげでたった2日のツアーで、70種類くらいの鳥を見ることができた。真っ赤なヒイロサンショウクイや、緑色のキビタイコノハドリ、猫のような声のメジロヒヨドリ、2本の糸のような尾の先にラケットがついたヒメカッコウなど、ふだんバンコクでは絶対に見られない珍しい鳥が、そこいらじゅうにいた。なかでもすばらしかったのはキヌバネドリ。その名のとおり絹のようにつややかな羽根をしていて、薄暗い林のなかで長い尾を垂らし、どんよりした目で虫を探している様子はこの世の生き物には見えない。今回のツアーではズアカキヌバネドリとOrange-breasted Trogonの2種類を見た。

エボシヒヨドリ でも、私がいちばん気に入ったのは、素っ頓狂な顔のエボシヒヨドリ。まさにナーラック(カワイイ)。この鳥は自分でも見つけられるようになったので、それがまたいい。鳥の声を聞いて、姿を見て、自分で名前が当てられるようになると、バードウォッチングはますます楽しくなる。

 家に帰った翌日、娘がぼーっとした顔で言った。「なんだかナルニアのようなおとぎの国から帰ってきたみたい。たった2日間だったんなんて信じられない」。この短期集中講座で、四方八方をすばやく見るのと、耳をすますのと、忍び歩きは確実にうまくなった。娘はいま今回見た大量 の鳥を、あちこちの図鑑や百科辞典やインターネットで調べている。新しい鳥を見るたびに、システム手帳にその鳥用のページをつくり、細かい情報とともに、目撃した記録を書き込むのが趣味なので、これからがたいへんだ。娘にとって、野鳥はポケモンのようなもので、そのページをつくるとゲットできたような気がするらしい。野鳥カードなんていうのがあって、その鳥を見たら目撃場所と日時を野鳥の会などに報告して、そのカードがもらえたら、テレビやコンピューター・ゲームに夢中な子供の関心も、少しは自然界に向くんじゃないだろうか。誰かこのアイデア採用してくれないかなあ!





コウモリ通信 2002.2

その27

 1月上旬に日本から母たちが遊びにきてくれたので、数日間、仕事を離れて、観光ガイドに徹することにした。滞在期間が短かったので、どうしても見せたいところだけに限定し、そのなかでタイのいろいろな顔が楽しめるように旅程を組んだ。

 これは私がつねづね思っていることだが、快適な乗り物に乗せられて観光スポットをあちこち訪問し、ガイドの説明をただ聞くようなツアーだと、しまいにはどこのお寺も、どこの遺跡も、どのショーも頭のなかでいっしょくたになってしまう。私はむしろ外国に行ったら、その国の人びとの生活に触れてみるほうが好きだ。

 だから、できるかぎり公共の乗り物を使うのがいい。今回もバスやBTSスカイトレインはもちろん、運河ボートやチャオプラヤー・エクスプレス、トゥクトゥク(オート3輪)などいろいろな乗り物を試した。空港から家まで乗ったタクシーは、スピードメーターが壊れているのに時速120キロくらいで飛ばしたので、後部座席の姉はさすがに青い顔をしていた。そうそう、象にも乗ってもらった。しかし、なんと言っても極めつけはバイク・タクシーだろう。近所のスーパーまで行くのに、母をこれに乗せたのだ!

 また、旅の思い出でいつまでも記憶に残るのは、案外、食べ物じゃないだろうか。暑いなかを歩きまわったあとのパイナップルや、ココナツ・ジュースの味は格別 だ。私と娘は、ふだん歩いていて見たことのないものが売っていると、なんでも試してしまう。私たちお気に入りのタイ風綿菓子ローティーサーイマイは、姪たちにも大ヒットだった。今回は、中華街のレストランで食べたエビと豆腐のとろっとしたスープや、タイ料理屋で食べたグアヴァのソムタムがとってもよかった。

 バンコクの郊外にも1日足を伸ばし、早朝のダヌムン・サドゥアク水上マーケットを見に行った。3年ほど前に行ったときとくらべて、船の数がぐっと少なくなったのがとても気になったが、行き交う船の行商人からランブータンや焼き鳥、バナナの葉にくるんだココナツのお菓子を買ったり、運河の両岸の土産屋をひやかしたりし、それなりに楽しかった。

 こういう土産屋は、こちらを日本人と見るなり、「このゾウ2枚300バーツ、安いねえ、きれいねえ」と、カタコトの日本語で話しかけてくる。置物でも、スパイスでもなんでも、類別 詞が「枚」なのは笑ってしまうが、世界の言語のなかでも難しいとされる日本語を、こうして操っているところはあっぱれだ。ちなみにタイ語には、類別 詞がものすごくたくさんあり、とにかくややこしい。いつも、なんだったっけと悩むが、ここの土産屋のおばちゃんたちを見習って、間違っても気にしないことにしよう。

 今回は船を1時間チャーターしたので、水上マーケットの奥まで行くことができた。市場のにぎわいがなくなったあたりから、鳥の声が聞こえはじめ、バードウォッチャーの娘は早速、双眼鏡をとりだした。私は木のなかに見たことのない黒い鳥を発見。「うーん、あれはオウチュウだ……わかった、ラケットテール・ドロンゴだ!」と娘。さっと飛び立った鳥には、糸のような長〜い尻尾があり、その先にひらひらとイチョウの葉のようなものがついていた。カザリオウチュウだ。また新しい鳥を目撃でき、娘は大満足だった。

 楽しい日々はあっという間に過ぎ、私はまたいつものコンピュータに向かう生活に戻った。そうだ、今度、あのグアヴァ・ソムタムをつくってみようかな……。





コウモリ通信 2002.3

その28

 二月はいつの間に過ぎてしまったのだろうか。この一カ月間は本当に嫌なことが重なった。私の一生を変える重大なできごとから、日常のちょっとした事件まで、うんざりするほど悪いことばかりが続いた。

 小さなことでは、いつも私たちがシロハラクイナを見に行っていた沼が、二週間ほど見なかったあいだに、半分、埋め立てられてしまった。あの鳥はよく飛べないし、ほかに水のあるところと言えば、かなり遠くまで行かなければならない。このまま、わずかになってしまった沼地で、死んでいくのだろうか。

 タイ語の学校の帰りに道路を歩いていて、後ろから来たオートバイに鞄をひったくられるという災難にもあった。なかには現金やキャッシュカードやクレジットカードはもちろん、車の免許証や、アパートの鍵、大事にしてい手帳や本、娘に買ってやったばかりの象の模様の帽子などが入っていた。悩みごとで頭がいっぱいで、いつもよりぼうっとして歩いていたのだろう。よりによってこんなときに。

 ふと気づくと、反対側の手にもっていた牛乳を、残された唯一の宝物のように握り締めていた。昔、娘の友達が登校中に車に撥ねられて、大怪我をしたときのことを思いだした。事故の連絡を受けたお母さんは、すっかり気が動転してバケツをもって家を出たらしい。

 たまたま現場に居合わせた別のオートバイの人が、窮状を見かねて娘と私のふたりを後ろに乗せて、近くの警察まで連れていってくれた。タイの警察は噂に聞くよりは親切で、カードの無効手続きや、盗難にあったことを証明する書類を作成してくれ、最後は家まで警察の車で送ってくれた。娘もその日は学校の宿題が山ほどあったのに、私ひとりを放ってはおけないと付き合ってくれた。

 だが、この嫌な事件も私の苦しみのほんの一部でしかない。じつは、3月末にバンコクを去らなければならなくなった。いつかはこういう日が来ることを予期してはいたが、自分に与えられた時間がこれほど短く、どれだけ努力しても運命を変えることはできないのかと思うと、とても悲しい。

 いまはただ、ものごとの悪い面だけを見ないように努め、日々の生活のなかに楽しみを見つけ、これから先もなんとかなるさ、とあきらめ半分で達観することにしている。例のシロハラクイナも、半分になった沼地の縁で餌をついばんでいるのが確認できた。アパートの横の草むらにも別 のつがいがいることがつい最近わかった。あんな間抜けな鳥だって一所懸命に生きているのだから、私も頑張らなくちゃ。





コウモリ通信 2002.4

その29

 3月になって急に暑さが増し、少しでも動くと汗がどっと吹きでていたバンコクから、花冷えのする日本に戻ってきた。残っていた荷物を全部もってきたので、機内に預けた分だけでもふたりで80キロ以上。さらにコンピューターやミニ・オーディオ、娘の鳥の図鑑類をはじめ、50キロほどの荷物を手荷物と称してもちこんだ。タイ国際航空のカウンターのお姉さんが、寛大にも5キロ分の超過料金しかとらず、2000バーツほどの出費ですんだのは本当にありがたかった。

 カートを使えるところはいいのだが、「手荷物」を文字通り手で運ばなければならない場所では情けない事態になった。幸いこの日、ドンムアン空港には、背中に紐で鞄をくくりつけた新彊からのご一行やら、ベドウィン族のキャラバンと見まごうような人たちもたくさんいたので、私たち母娘も背中にはリュック、首からは左右両方に鞄を下げ、両手に袋、それに傘までもって、目立たないことを願いながらよろよろと歩いた。

 もちろん、私たちだって荷物を送らなかったわけではない。優雅な駐在員であれば、引越しは業者に頼んでなんでもやってもらえるのだろう。ところが、私のように全部で300キロ程度の荷物だと、どこの業者にも相手にしてもらえない。あるいは、思いっきり高い料金を吹っかけられる。仕方なく、日本を出たときと同じように郵便局を利用することにした。

 大きなダンボール3箱をもちこむと、イヤーな顔をされ、外で梱包し直せと言われた。行ってみると、郵便局の前にテーブルがひとつあり、そこでおばちゃんがふたり荷物の梱包をしていた。郵便局と契約している業者だろうか。こんな大きな箱は送ったことがないよ、と言わんばかりだったが、それでも手際よく箱をガムテープで補強し、茶色の紙で包み、ぎゅっと紐をかけ、宛名を書くためのマジックまで貸してくれた。これだけのサービスをしてくれて、ひと箱わずか20バーツの梱包料。きれいになったダンボールを、カウンターにもっていくと、郵便局員のおじさんは「ナック(重い)!」を連発し、へっぴり腰で荷物を秤に載せた。もちろん、送料を倹約するために船便だ。> 2週間後に7箱もちこんだときには、梱包のおばちゃんがさっとタクシーまで駆けつけ、20キロのダンボールも軽々もちあげ、すべてまたきれいに梱包し直してくれた。一方、カウンターにいた郵便局のお兄さんは、なんとしてもその荷物がもちあげられず、動かすたびに恰幅のいい別 の局員を呼びつける始末。その様子を見て娘が笑い転げたせいか、普段は無愛想な郵便局員も、しまいにはあきれ果 てたような笑みを浮かべていた。

 タイにいても、日本にいても、基本的には同じような生活をしているので、あまり違和感はないが、30度の気温差はさすがに身体に堪える。船橋の実家でお雛様よろしくあるだけの服を重ね着してコンピューターに向かっていたら、見知らぬ 男の人から電話がかかってきた。「あのう、付かぬことを伺いますが、戸塚の郵便局の者ですが……」。タイから小包が7つも着いたが、いつどこへ届けたらいいのか、という問い合わせだった。姉の家に送った最初の3箱も、配達の人がふうふう言いながら届けてくれたそうなので、何度も留守宅に行くのはかなわないと思ったのだろうか。いつでもこちらの都合のいいときに、配達します、と信じられないほど親切だった。辛いことや苦労の多い引越しだったが、本当に天は自ら助く者を助くのかもしれない。行く先々で幸運に恵まれた。





コウモリ通信 2002.5

その30

 日本に帰ってきて一カ月。初めのうちこそ違和感があったが、いまでは一年間いなかったことが嘘のように、あっちの店やこっちの家に自転車をこいで行っている。向こうで食べられなかった日本の味も堪能した。タケノコ、サツマイモ、ミョウガ、イチゴ、和菓子など、タイにあっても味が異なっていたり高かったりしたものが店先に並んでいるとうれしくなる。魚も日本のほうが絶対においしい。

 それでも、ときおり鞄のポケットからバンコクの船やバスの切符が出てきたりすると、妙な戸惑いを覚える。ナムプラーやマナオ(ライム)がないと、味が決まらないな、と思っている自分に驚いたりもする。タイ米を炊くあのにおいもときどき無性に嗅ぎたくなる。

 がっかりしたのはプール。児童遊園地という広い緑地のなかにあるし、半額券を使えば200円+ロッカー代50円なので悪くないのだが、いつ行っても混んでいるのだ。しかも、みんながむしゃらに泳ぐので、波は立つわ、前の人にぶつかるわ、後ろから迫ってくるわで、なんだか首都高を走っているみたいだ。先日など、水中エアロビクスの教室と重なってしまったからたまらない。肉付きのいいおばさんたちが、インストラクターの黄色い声に合わせて水中で四股を踏むから、浅いプールは洗濯機のように渦を巻いてしまう。

 帰国後しばらくは、あまりの忙しさに鳥を見に行くどころではなかったが、娘はめでたく日本野鳥の会に入り、暇さえあれば友達と探鳥会に参加したり、近所の公園や川を歩きまわったりしている。このあいだも探鳥会から帰ってくるなりこう言った。「『中3なのに偉いわねえ』って言われたよ。どういう意味だろう?」リスニングの勉強と称して、図書館で借りてきた『日本野鳥大鑑420』の鳥の声のCDを聞いているのだから、どうしようもない。

 それでも春のうちに一度はバードウォッチングに行こうと思って、昨日、逗子の二子山に行ってきた。逗子駅からバスで5分のところにある里山だが、空にはトビが10羽くらい旋廻してピーヒョロロと鳴いているようなのどかな場所だ。

 日本の鳥はまだ鳴き声も居そうな場所もよくわからないので、なかなか見つけられない。それに、ウグイスがやたらに鳴くので、ほかの鳥の声が聞こえない。新緑のなかを一日中歩きまわり、ようやくエナガやヤマガラ、ホオジロなどを見た。まあ、よかったことにするかと帰りかけたところで、なんと、オオルリを見つけたのだ! 白い胸当てに、深い青色の羽根。間違いない。ウグイスほどの艶はないが、じつに澄んだいい声だ。最後にジジジと付け足してしまうところがおかしい。よく見ると、そばに同じくらいの大きさの茶色の鳥もいる。きっとメスだ。

 オオルリはタイでも一度だけ見たことがある。日本では夏鳥で、南の国から飛んでくるという。今回見たこの鳥が、バンコクのアパートのそばの林で見たあのオオルリである可能性もあるのだ。こんな小さい鳥が本当に海を渡ってくるのだろうか。いや、オオルリだけではない。いまあちこちを飛びまわっているツバメだって、はるばるタイから来たのかもしれない。ジェット機で5、6時間ただ座っていたって疲れるのに、自分の羽根で飛んでくるなんて信じられない。「小鳥なのに偉いわねえ」と言ったら、鳥もきょとんとするだろうか。





コウモリ通信 2002.6

その31

 いつの間にやら月末になり、はて今月、私は何をしていたのだろうと考えてみた。展覧会とコンサートに行ったくらいで、ほかに何も思い浮かばない。どこに行くにも、何をするにもやたらお金がかかるので、このところすっかり出不精になっている。自転車で行かれる範囲が生活圏になっているのはちょっと寂しい。

 そんなわけで、また近くの区営プールのお話を。私はしょっちゅう泳いでいるので水泳が得意だと思われているかもしれないが、じつは泳ぎはまったくの自己流だ。水泳教室に通 ったのは、小学生のころに短期コースに参加した一度きり。それも、当時はまだよく泳げなかったのに飛び込みばかり何十回もやらされ、五日間のコースの途中でくじけた記憶がある。

 自己流だから、泳ぐのはとっても遅い。定められたコースのなかを大勢の人と一緒に泳ぐときは、すごいプレッシャーを感じる。とはいえ、好き勝手に泳げないいまとなっては、まわりの人と同じペースで泳ぐしかない。少しでも速くなろうと、泳ぎのうまい人を水中でこっそり観察することにした。そこで気づいたのがクロールの手のかきの浅さだ。手を水中に入れたとたん肘を曲げて水を手前にくいっとかいているのだ。そう言えば、船を漕ぐときオールは浅く入れればいいと言われたことがある。試しにやってみたら、心なしか速く進めるようになったみたいだ。しかも、あまり疲れない。

 たとえ趣味の水泳でも上達するとうれしい。上機嫌で更衣室で着替えていたら、若い水泳のコーチとその元生徒とおぼしき人の会話が耳に入った。そのコーチによると、最近は水泳の指導方法が変わってきていて、昔のように指を閉じろとか、親指から水に入れろとか言わないらしい。昔はフォーム優先だったけれど、いまは自分が最も楽に泳げる方法を探ることが肝心なので、手を開いているほうが速く泳げる人はそれでいいという。へえーっ、知らなかった。

 何食わぬ顔をしながらさらに耳を傾けていると、とにかく泳ぎこむしかないですね、とそのコーチはこともなげに言った。元生徒はその答えに不満だったのか、そんな暇はないし、自己流でやっているとフォームがめちゃくちゃになるので、最短距離でうまくなれるアドバイスが欲しいと食いさがった。

 でも、たしかにこのコーチの言うとおりだ。水泳は脱力することが肝心だから、フォームをきれいにするあまり腕に余計な力が入るくらいなら、やらないほうがいいのだろう。楽に泳ぐことが、結局は速く泳ぐことにもつながるのだ。そして、そういう根本的なことは、人から教わって簡単にわかるものではなく、とにかく自分でたくさん泳いで体得するしかない。

 うーん、今日は区営プールでずいぶん勉強させてもらった。相変わらずいつも混んでいるが、このプールにもそれなりにいい面 はあるらしい。バンコクのアパートのプールには手本になる泳ぎをする人もいなかったし、だいたい人の会話を盗み聞きしようにも「外人」ばかりでそう簡単にはいかなかったからだ。よし、これからは私もどんどんスピードをつけて、いつかはマグロの魚群に加わってやろう!





コウモリ通信 2002.7

その32

 恥ずかしい話だが、このところ立て続けに二度も料理で失敗した。もともと料理が得意なわけではないから、当たり前といえば当たり前なのだが、原因はどう考えても私の性格にある。

 なにしろ、私はマニュアルを読むのが嫌いで、レシピや説明書もきちんと読まない。料理に時間をかけたくないから、できるかぎり手順は省略する。そのうえ料理に合わせて材料をきちんとそろえるのではなく、手元にあるものでなんとかすませようとする。

 いい加減にやってつくれる料理はもちろんたくさんあるし、ふだんはそれでなんとかなる。ところが、私は好奇心が旺盛で、レストランで食べておいしかった料理や、本のなかで読んだ料理をすぐに試してみたくなる。

 先日も本のなかにグリーン・ジェロー・サラダというのが出てきて、どうしてもつくってみたくなった。早速、インターネットでレシピを検索してみた。ところが、アメリカのレシピだから、近所のスーパーにはライム・ゼリーなんて売っていない。そこで、ゼラチンとライムで代用したのが失敗のもと。待てど暮らせどゼリーにならないのだ。ゼラチンの袋をよく読んでみると、酸がきつすぎたり、パイナップルのようなたんぱく質分解酵素を含む果 実を生で加えると固まりません、とちゃんと書いてあるではないか。結局、その日はチャプチャプの白い液体のなかに、キャベツやパイナップルが浮かぶ不気味なものを食べるはめになった。

 そして、昨日。サークーサイムーという豚肉をタピオカで包んで蒸すタイ料理に兆戦した。6時半ごろになってやおら料理の本を見ると、タピオカを1時間水に浸けろと書いてある。そんな余裕はない。タピオカの袋には15分から20分ゆでるとなっている。そうだ、ゆでれば時間短縮になる。そこでタピオカをゆでてから、ふと別 の料理の本を見てみると、だんごに丸めているタピオカは明らかに不透明だ。いったん火を通 したタピオカはつるんと粒になり、どうやってもまとまらない。片栗粉を混ぜておはぎみたいにサランラップを使って絞り、なんとかだんご状にしたものの、蒸している最中にばらばら事件に。仕方がないので、スプーンですくってレタスに包んで食べることにした。なかのピーナッツと豚肉がタピオカとよく合って、おいしいことにはおいしかったのだが……。

 考えてみれば、最初に新しい料理を考案した人は試行錯誤を繰り返し、その結果 、いちばんうまくできる材料や手順を見いだしたのだろう。その秘訣が書かれているのがレシピだ。ただ、たいがいのレシピには、なぜ下ごしらえをするのかや、なぜその手順なのか、なぜその材料なのかは詳しく書かれていない。それが実際どのくらい重要なのかは、失敗して初めてわかる。もちろん、レシピどおりに忠実につくるに越したことはないのだろうが、実際にはそれができないこともある。ほかの材料で代用したりやり方を変えたりする場合は、何なら可能で、譲れないポイントは何かを見抜かなければならない。それにはやはり、つくる前にレシピや説明書をじっくり読むのがいちばんなのだろう。そのほうが結局は時間もかからないし、妙なものを食べずにすむのだ。これって料理にかぎらずいろんなことにあてはまるんだろうな、と反省することしきり。





コウモリ通信 2002.8

その33

 ここ10年ほど毎年、夏休みは山と決まっている。しかも行くのはいつも八ヶ岳周辺だ。南はほとんど全部行きつくしてしまったので、今年は北に行くことにした。だから、明日は朝5時起きしなければならない。

 それなのにいまごろこの原稿を書いているのは、山から帰った翌日が締切りの仕事がなかなか終わらず、先ほどまで言うことをきかないプリンターと格闘していたからだ。夕食のあとようやく荷造りを始め、明日は久々に運転手をするので早く寝なければと思いつつ、いまコンピューターに向かっている。

 昔はあちこちのガイドブックを調べてコースを検討し、万全の準備をして出かけた。14キロほどのリュックを背負っても心は軽く、今度はあの山を登ってやるぞと意気揚揚としていた。死ぬ ほど怖い思いをしても、大雨に降られても、道に迷って暗い森を歩いても、それなりに楽しんでいた。 いまはどうだろう。山の新鮮な空気は吸いたいけれど、重い荷物のことを考えると憂鬱になる。テントは腰が痛くなるのでやっぱり子供に譲って、私は山小屋に泊まろうかなとも思う。ピタラス横岳ロープウェイに乗れば延々と歩かなくてすむよと言われれば、すぐさまそれに飛びつく。

 じつは、今回どんなコースを行くかもよくわかっていない。いつまでたっても私が腰を上げないのに業を煮やして、娘がいとこたちと計画を立ててくれたからだ。小学生の姪はコンピューターを使ってコースを検討し、さらに不明なところは近くのリブロで立ち読みして調べたらしい。

 初めて登ったころは、途中で負ぶってやらなければならなかったのに、みんな本当にすっかり大きくなったものだ。高所恐怖症で震えていた甥も、ついこのあいだまで泣きべそをかいていた小さい姪も、もう連れていくのになんの心配もない。いや、それどころか、体力的には子供たちのほうがずっと勝っている。もう一緒に来なくていいよ、と言われる日は間近なのかもしれない。

 今回、私が唯一楽しみにしているのは鳥の声を聞くことだ。もちろん、姿を見られればもっといいが、夏山で鳥を見つけるのはけっこう難しい。昼までに頂上に着きたいというような時間の制約があると、なかなか鳥は探せない。だから、せめて声だけも聞きたいと思う。お目当ては、口笛のような声のウソと、不思議な響きのコガラ。それにホトトギスやコマドリの声も聞きたい。CDでばっちり予習したので、その成果 を試してみたい。

 余談だが、最近バードウォッチング検定ができたのをご存じだろうか。さすが日本人という感じだが、娘や鳥仲間の友達は挑戦してみたいらしい。英検よりこっちのほうがいいそうだ。そのうちきっと鳥の声のリスニング・テストなんてものができるだろう。 なんだか山に行く前からくたびれている私だが、新鮮な空気を吸って鳥の声を聞けば、気分もリフレッシュするかもしれない。せっかく行くからには、楽しんでこようと思う。願わくは、ぎっくり腰になったり、膝が笑ったりしませんように。ああ、情けない。





コウモリ通信 2002.9

その34

 夏休みの自由研究で和歌山の小中学生の兄弟が金鉱脈発見、という記事を少し前に新聞で読んだ。2年前に父親と一緒に鉱物採集に出かけて発見した石が、鑑定してもらった結果 、金と手稲石であることがわかり、しかも高品位の金鉱脈の一部だったという。発見した子供たちはさぞかし得意だろう。金の埋蔵量 は少なく事業化は難しいらしいので、これで大金持になれるわけではないが、こうした体験が子供の将来に与える影響は、それ以上に貴重だと思う。

私たちの世代もそうだが、いまの子供はワークやドリルをやり、ひたすら反復練習や暗記するのが勉強だと思いこんでいる。それでは勉強など苦痛以外のなんでもない。でも、本来の勉強は自分で何かに興味をもち、観察したり調べたりして新たな発見をすることではないだろうか。それなら、誰にとっても楽しい。

 もちろん、親のほうにいろいろな知識があればそれに越したことはない。娘の友達にもお父さんが地層の研究に連れていってくれたり、お母さんが古地図の研究を手伝ってくれたり、朝早く一家でカブトムシを見に出かけたりする家庭がある。そういう家庭に育った子供はなぜかみな伸び伸びとしていて、何をやらせてもやる気や自主性があるような気がする。夏祭りに出かけても、そういう子はセミが羽化するところを目ざとく見つけ、じっと観察しているらしい。お祭りはじゃんけんバナナや人形すくいだけではなかったのだ。

 それでも、自分にそういった知識がないからといってあきらめる必要はない。世の中には親切な人も大勢いるものだ。先日、娘がいとこたちと大磯の照ケ崎にアオバトを見に行った。そこの海岸でおもしろいおじさんに会い、一緒にアオバトの羽や化石を拾い、いろんなことを教わり、大喜びで帰ってきた。羽というより、生々しい翼のようなものまで拾ってきたらしく、臭い、気持悪いと言いながらも、分解して洗っていた。(私はこういうものがとっても苦手で、後ろを見ないようにしていたので、詳細は不明。) 私はろくな知識はないが、運転手やシェルパとして協力はしたと思う。先月のコウモリ通 信で書いた北八ヶ岳の旅は大成功だった。私たちがキャンプした双子池周辺は、夏の真っ盛りだというのにほとんど人がいなくて、鳥はたくさんというすばらしい穴場だった。夜はヨタカの声を聞きながら眠り、朝はバードクロックのすべての時間の鳥が一斉に鳴きだしたかと思うほどの大合唱で目がさめる。コマドリ、コガラ、ヒガラ、メボソムシクイ、ホシガラス、ルリビタキ、キクイタダキ、ウグイスなど、キャンプにいながらにして存分にバードウォッチングが楽しめた。

 初めのうち山を歩きながら友達にせっせとメールを送っていた甥も、3日間いるうちに自然のおもしろさに興味をもったようだ。「お山の貸し切りだね」と喜んでいた姪は、それこそ夏休みの自由研究で、自分が見た鳥をまとめている。姪は、旅行の少し前に誕生日祝いにあげた双眼鏡と図鑑をもって大張りきりだった。キャンプ場で姪は、黒に白い斑点のある羽をたくさん見つけた。私は斑点を見て勝手にホシガラスの羽と決め込んだが、帰ってきてから子供たちが本屋で(!)羽の図鑑を調べたら、アカゲラだった。アカゲラの縞々はこの点々が重なってそう見えるらしい。

 子供に必要なのはちょっとしたきっかけなんだと、この旅行で改めて思った。興味さえもてば、あとは子供が自分で伸びていく。学校の勉強も、もう少し自由で楽しいものにならないかなあと思う。





コウモリ通信 2002.10

その35

 夏のあいだ毎日のようにうちの餌台に来ていたキジバトとスズメが、ぷっつり来なくなってしまった。原因は猫。猫が鳥のいるところに惹かれるのは当然だし、もともと猫は嫌いではないので、仕方ないかとしばらく傍観していた。が、9月初めについに二名の犠牲者が出た。一羽は飛んでくるたびにプー、プーと威勢よく鳴いてくるのでぷーぷーと名づけていたキジ君。もう一羽は、群れることなく勇敢に餌台に乗っていたスズメだ。

 殺害現場を実際に見たわけではなく、ガタンという猫が襲撃する音と残っていた羽から推測したにすぎない。隣の家に死骸が落ちているのではと心配だが、足がすくんで見に行かれない。結局、娘にお願いした。娘はこわごわと生垣の向こうをのぞいて、何もないのを確認してから、餌台付近に落ちていた羽を拾ってしっかり羽コレクションに加えていた。やわらかいおなかの羽を見ると、わたしはキジ君の最期を想像してぞっとしてしまうのだが、娘はなんともないらしい。

 正直なところ、これで餌台は終わりにしたかったが、生物の世界の厳しい現実を見ることも大切かと思い直し、長い棒を買ってきて、狭い庭の真ん中に餌台をつくり直した。それでも猫はあきらめず、たびたびそばの茂みにひそんでいたので、そのうちハトもスズメもまったく来なくなった。そこで一計を案じて餌台のまわりと塀沿いに栗のいがをまいた。これが功を奏し、地雷を踏んだ猫がすさまじい悲鳴をあげて逃げる声を2度ほど聞いた。 これでとりあえずの猫対策はできたが、肝心の鳥が来ないのではどうしようもない。娘の友達からシジュカラはピーナッツを食べると聞き、半信半疑で餌台に置いてみた。待つこと数日。ある日、ツツピ、ツツピ、チチチチと声がするので餌台を見ると、ベレー帽に太いネクタイのシジュウカラのオスが餌台に乗り、ピーナッツをくわえてさっと飛び立った。間近に見ると、緑黄色とストライプの模様がじつにシック。シジュウカラが来るようになったので、レストランの営業はつづけることにしたが、キジバトやスズメの信頼も回復したいし、もっとほかの鳥も呼びたい。

 ミニ・サンクチュアリに関する本をあれこれ見て、紫式部とピラカンサの小さな鉢を買い、猫の手が届かないようにフェンスにかけたが、いまのところメジロが1度立ち寄っただけ。立派な木が生い茂る庭が両隣にあるので、そこに来るメジロをこんな小さな鉢でおびき寄せようというのがどだい無理か。果 物フィーダーなる新兵器も設置してみたが、いまのところ誰も見向きもしない。

 この原稿を書いているいまも、コツコツと音がする。餌台でシジュウカラがヒマワリの種を割っている音だ。意外にへたくそでなかなか割れないので、しばらく観察できる。そのたびに仕事を中断して、つい餌台を見に行ってしまう。耳が鋭くなったのは確かだ。先日もコゲラの声がすると思い、あたりを見まわすと、案の定、隣のキウイの木に止まってドラミングを始めた。昨日は耳慣れない声がしたので、娘とふたりで目を光らせながらあたりをうかがった。道路のほうから聞こえるのでそちらを見ると、杖をついたおばあさんが歩いてくる。音の正体は杖の先についたプラスチックのキャップだった。

 そろそろツグミやシメなどの冬鳥がやってくる。新規顧客を獲得する名案ないですかね。





コウモリ通信 2002.11

その36

 先日、葛西臨海公園に行った。といっても、クロマグロの群が見られることで有名な水族園ではなく、公園のほうだ。じつはひそかな目当てがあった。

 朝の9時ごろ着いてみると、すでに同じ目的とおぼしき人があちこちでカメラを構えて待っている。その様子ときたら、スターが出てくるのを待つパパラッチか追っかけのよう。そこに現われるのを日暮れまで待つつもりみたいな人もいたが、私は元来せっかちなので、ひとところにじっとしていられない。そのうち少しずつ事情がわかってきて、「メスならいま向こうに出ている」という情報をもとに、その出没現場に行ってみた。すると、いるわいるわ、30人ほどの人だかりができている。カメラや望遠鏡はみな茂みのそばにある苔むした石に向けられている。

「メスですか?」そばの人にきいてみた。「そう。さっきから、何度か顔を出しているよ」。どうやらその石の上に餌を置いて、茂みのなかから出てくる瞬間を狙っているらしい。しばらくすると集まっている人のあいだに緊張が走った。目を凝らすと、茂みの陰に何かいる。双眼鏡でのぞくと、たしかに鳥。それがさっと石の上に飛び乗って餌をついばむと、また引っこんだ。みんな一斉にシャッターを切る。巨大な望遠レンズ付きのカメラだ。私の小さなカメラではとうてい無理とは知りつつ、それでも夢中でシャッターを押した。

 これだけの人が熱中している正体は、ノゴマ。夏のあいだ北海道やシベリアで過ごし、秋になると中国南部や東南アジアに帰っていくツグミ科の鳥だ。関東地方は通 過するだけなので、春秋の渡りのシーズンに数例しか見られない。ノゴマのオスは喉がルビー色でじつにきれいだ。ちなみに、英語名はそのものずばりで、Siberian Rubythroat。メスはなんの変哲もないただの茶色の小鳥だ。その鳥のために、こんなにたくさんの人間が集まって、息を凝らしているところがなんともおかしく、ほほえましかった。

 出没現場を離れて鳥類園のなかを歩いていると、向こうから来たお兄さんが声をかけてきた。「出ましたか?」出ましたかって、幽霊でもあるいまいし。でも、鳥を見る人のあいだでは、この表現は一般 的らしい。もうひとつおかしいのは、「入っています」。もちろん、トイレではなくて、望遠鏡でとらえているという意味。そういえば、英語でin the scopeと言っていたような気がするので、その直訳か。バードウォッチングの代わりに、バーディングというれっきとした英語があることもご存じだろうか。鳥を見る人はバーダー。

 いわゆるバーダーと一部の鳥の写 真家のあいだに、若干の違いがあることも、この日、発見したおもしろいことだった。鳥類の保護を目的にする人は、通 常できるかぎり遠くからそっと鳥の生態を観察するが、とびきりの一枚を狙う写 真家のなかには餌をまき、声の録音を流して鳥をここぞという場所におびき寄せ、自分が狙った構図のなかに鳥がとまるのを待つ人もいたのだ。光線の具合や、葉の紅葉や、鳥のポーズがみごとに決まっている写 真には、それなりの仕掛けがあったらしい。

 この日は、ノゴマのほかにジョウビタキのメスを見たほか、セイタカシギやアオアシシギ、タシギ、エリマキシギなど、ちょっと珍しい水鳥もいろいろ見ることができ、充実した一日だった。私が撮ったノゴマの写 真は、残念ながら染みのような点がかろうじて写っているだけだったので、ここでみなさんに披露するわけにはいかない。そこで、代わりに娘に絵を描いてもらった。
 イラスト・東郷なりさ





コウモリ通信 2002.12

その37

 不覚にも風邪をひいてしまった。今年は娘が受験なので、この冬は絶対に風邪をひかせまいと決心した矢先に、もう自分がやられているのだから情けない。

  「平熱が36.4度以下の人は異常だと思ってください! 体温が低いと風邪もひきやすいんですよ!」と、学校の保健の先生もおっしゃっていた。平熱の低い私には耳の痛い話だった。言われてみると、人一倍冷えやすいことも、足腰がだるいことも妙に納得がいく。きっと血の巡りが悪いのだろう。中学のころから貧血気味なのも影響しているかもしれない。それとも、このごろよく言われる「ドロドロ血」なのだろうか。

 いままでは、ときおり体調を崩すことはあっても、自分が不健康だと思ったことはなかった。私の母は食生活にやたら関心が高くて、耳にタコができるほど栄養のバランスやら食品添加物の話を聞かされてきたので、子供のころはもっと好きなものを自由に食べたいとばかり思っていた。高校時代にアメリカで過ごしたときは、トルティヤ・チップスとチーズとビールで夕食をすませたり、夜遅く突然アイスクリームを食べに出かけたり、といった生活が新鮮に思えたほどだ。別 に何を食べても生きていけるじゃない、とそのころは思っていた。

 でも、不摂生や無理を重ねてきた人たちが四十代、五十代になってまわりでバタバタと倒れはじめると、やはり気になる。これまでも世間一般 の人よりはまともな食生活をしてきたつもりだが、その程度ではもって生まれた体質の欠点は治らないかもしれない。そこで、とりあえず実験だと思い、健康にいいと言われる食材を片っ端から試してみた。きのこ類にナッツ類、大豆、ゴマ、ニラ、小松菜、モロヘイヤ、アボガド、キウイ、カボチャ、鰻、牡蠣、レバー、ニンニク、ショウガ、唐辛子、酢など、あげだしたらキリがない。苦手な「背の青い魚」も週に一度は食べるように心がけている。

 さて、その効果は? 気のせいか、手足が温かいことがいくらか多くなったようだ。また、ここ数年、左脚がしびれがあったのだが、最近はまったく感じない。コンピューターによる目の疲れすら、いくらか改善されたようだ。頭の回転のほうにはあまり改善は見られないが。こうなると、ますます健康食品にたいする関心が高まり、納豆がいいと書いてあれば、その日の夕食には納豆が並ぶ、バナナは免疫力を高めると言われれば、おやつに焼きバナナをつくる、といった具合だ。もうこうなったら私も立派な健康オタクだ。

 というわけで、健康に気を遣ってきたつもりなのに、風邪をひくとは。低体温を克服するにはまだ当分かかるのだろうか。身体を冷やさないようにして、夜は早めに寝てもいるので、いまのところ寝込まずにすんでいるが、頭がぼんやりしていて仕事にならない。

 もっと一気に体質改善するには、いま流行のサプリメントでも大量に飲まないといけないだろうか? 薬っぽいものはどうも苦手だ。ビタミン剤や鉄剤はそれでもときどき服用するけれど、あくまで「サプリメント=補助」にとどめておきたい。何十年も飲んだのちに、あれには副作用がありました、なんて言われるような気がするからだ。野菜や肉や魚だって、いまは何が入っているかわからない時代だが。

 結局、なんだかんだ言いながら、子供のころに母にがみがみ言われたことを、いまごろようやく納得して実践しているのかもしれない。