今月のエッセイ 2019年3月
   

江崎リエ【はまって、はまって】……「母は剣や兜などの武器飾りを嫌っていたので」

東郷えりか【コウモリ通信】……「抱っこ紐やおんぶ紐が人類最古の道具の一つであったかもしれない」

中埜有理【七月便り】……「若い男性の2人連れがうれしそうにパフェを食べていた」

野中邦子【ぐるぐるくん】……「下駄の入力で〓に変換された!」

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はまってはまって

江崎リエ(2019.03.01更新)





ちらし寿司を食べる日


   3月というとひな祭りだ。毎年、玄関にミニひなを飾り、ちらし寿司とハマグリのお吸い物を作る。ハマグリはけっこう高いので、アサリにしたり、普通のすまし汁にしたりすることもあるし、3日に作れずに日にちがずれることもあるが、なんとなく毎年続いている習慣だ。

 子供の頃を思い返してみても、祖母や母がこの日に必ずちらし寿司を作っていた記憶がある。だが、ちゃんとしたおひな様を飾っていた記憶はない。毎年、学校などで紙のひなを作っていたのを飾っていたり、その年その年でお菓子のおまけだったり、飾りだったりしたものを置いていた記憶はあるが、「毎年しまってあるひなを出して並べる」ということはしていなかった。私は長女で下に弟が2人いるので、ひな飾りが家にあっても不思議はないと思うのだが。ゆとりがなくて買えなかったのかもしれないし、「女の子のお祭り」ということに、男女同権に敏感だった戦争経験世代の父母が同調しなかったのかもしれない。思い返せば、ちらし寿司が出るだけで、とくに女の子の日と言われたことはない。子供3人、子供の日には「あんたたちが主役」風の扱いがあり、「男の子の日」という感じもなかったので、こちらも「端午の節句」という意識ではなかったような気がする。母は剣や兜などの武器飾りを嫌っていたので、男の子の日ではなく、「子供の日」を祝いたかったのかもしれない。これが戦争の記憶によるものか、母が生来持っていた好みなのかもわからないが。

 自分に子供ができた後は、日本の年中行事を伝えるくらいの感覚で、折り紙などのひなを飾り、お菓子についてきたおまけの鯉のぼりを飾るようなことを繰り返してきた。家族によってはひな祭りで「女の子」を意識させられ、「早くしまわないとお嫁に行くのが遅くなる」と言われたり、庭に大きな鯉のぼりが立って、「そのうち家を継ぐ存在である」ことを意識したりするのかもしれないが、そういうこともなく、ちらし寿司を食べる日、柏餅を食べる日、と食欲でその日を意識してきた子供時代を「よかった」と思うし、自分の子供にもこうした年中行事が「さらっと」伝わっているといいなと思う。

(えざき りえ)











コウモリ通信

東郷えりか(2019.03.01更新)




わが家の抱っこ紐の歴史



その223

 以前、大英博物館の『100のモノが語る世界の歴史』の仕事をした際に、東アフリカのオルドヴァイ峡谷で見つかった握り斧のつくられた過程と言語の発達を関連づける説があることを知った。道具をつくるのに必要な脳の領域と言語を司る領域が重なることから生まれた説だという。訳した本人が言うのも変かもしれないが、職人などは言葉を介さずとも、師匠のやることを見よう見真似で覚えることも多いはずなので、個人的にはこの説にはあまり納得していなかった。

 ところが、現在翻訳中のフェミニズムと科学の本によると、人間の言語はむしろ母子間で発達した可能性が高いと近年考えられ始めているようなのだ。正確には、この本は道具づくりではなく、「狩猟者の男たちが人類の意思伝達を発達させ、脳のサイズを変えたという人類学者の考え」に疑義を呈している。石器づくりにせよ、狩猟にせよ、総じて男性の活動と関連づけられるものだ。それにたいし、言語は育児のなかで進化したと言われれば、本能的にも、自分の子育ての経験からも、あれこれ説明されるまでもなく、私にはすんなりと受け入れられる。自分の意思を少しだけうまく伝えられる赤ん坊が長い歳月のあいだに、より言語の発達した人間となって生き残ったという仮説には、考えさせられるものがある。乳幼児の虐待はたいがい、何が不快なのか自分でもわからず、うまく伝えられない赤ん坊がひたすら泣きわめくために、心のゆとりのない育児者側が苛立って引き起こされる。不快な状態が長引いて、子供が我慢の限界に達する前に、その原因が空腹なのか、眠いのか、オムツが汚れているのか、ガスが溜まっているのか、不安なのか、寒かったり暑かったりするのか、といったことを大人がうまく察してやり、それを繰り返し問いかける。こうしたやりとりこそが、言語を発達させたに違いないと、私などは思う。

 そもそも人類が最初につくった道具は石器ではない。ただ何万年もの時代を経て残ったのがこれらの耐久性のある人工物であったという、これまた見落としがちな点も、このフェミニズムと科学の本は教えてくれる。考古学が残された物や遺構だけを調べても、それは過去の一面を見ているに過ぎず、実物としては残らなかった物の存在は、絵や言語、伝承など間接的な手段から推測するしかない。

 人類が石器以前に発明したものの一つは意外なようだが、食べ物を探して歩き回る際に赤ん坊を運ぶためのスリング、つまり抱っこ・おんぶ紐だろうと推測する人類学者がいるという。その形態は場所によってさまざまだっただろう。「100のモノ」に関連して2015年に開かれた大英博物館展では、オーストラリアのアボリジニの編み籠が展示品の一つに選ばれていた。籠そのものは19世紀末から20世紀初頭につくられたものだが、似たような円錐形の籠の紐部分を額に掛けて運ぶ女性の姿が2万年前の岩絵に描かれていた。実際には何万年も前の物ではない近代の後継種を展示することに、当時はやや疑問をもったが、籠や筵、縄のようなものは人類が最初につくった物であり、そのことを忘れないためには必要な措置だったと思う。『大草原の小さな家』には、先住民のオセージ族がカンザスから移動させられた際に、馬の脇腹に吊るされた籠に小さな子供が乗っていた光景が描かれていた。アボリジニの祖先が籠に赤ん坊を入れていた可能性もあるだろう。

 抱っこ紐やおんぶ紐が人類最古の道具の一つであったかもしれないと読んで、思わずワクワクしたのは、一週間に何度かはそれを使って、おばあさん仮説を立証すべく、というよりは応援すべく、役立つばあさんを演じているからだ。うちの近所はあまりにも坂道が多く、ベビーカーがまともに使える道は限られている。娘一家のところまで往復しようものなら、よほど遠回りをするか、ベビーカーをジェットコースターか登山鉄道に変身させなければならない。図書館の本を借りに行ったり、銀行や郵便局に寄ったりといった用事のついでに、小一時間ほど散歩と称して孫を連れだすには抱っこ紐に限る。本人は20分もすれば寝てしまうから、これは赤ん坊のためという以上に、その間、娘が家で仕事に専念できるようにするためだ。昔、うちの「お隣のおばちゃん」が洗濯屋や銀行に行くついでによく幼児の娘を連れだしてくれたのは、子守をしてくれていた母がその間に少しでも用事を済ませられるようにという配慮からだったに違いない。こういう子育て支援についても、この本はじつに考えさえられることが多々書かれていたので、いずれまた取り上げたい。

 ところでこの抱っこ紐、私が子育てをしていたころはカドラーと呼ばれ、胸のところでバッテンにする昔ながらのおんぶ紐に代わる、目新しい育児用品だった。その昔、私自身が赤ん坊だったころも、母は当時流行ったという網タイプの抱っこ紐を使っていたので、抱っこ派は1960年代にはいたことになる。いまもこういうメッシュの抱っこ紐は蒸し暑い日本の夏をやり過ごすのに欠かせない用品として存在するが、その多くはフランスで1970年代に開発され、「トンガ・フィット」の名前でロングセラーになっている商品と思われる。私がカドラーだと思っていた抱っこ紐は、いまはキャリーあるいはベビーキャリアと呼ばれることが多く、それ以上に、日本上陸10周年の「エルゴベビー」が、ゼロックスや宅急便のように、普通名詞化しそうな勢いらしい。娘たちが買ったのもこのエルゴで、最近では父親がこれで赤ん坊を抱いている光景をあちこちで見る。時代は変わった。ハワイ生まれというこの製品はえらく頑丈でごつく、着脱がやや難しいためか、祖父母の世代がこれで子守をしている姿を近所で見かけたことはいまのところない。ねんねこ半纏におんぶ紐の時代には、祖父母が活躍していたはずなのだが。そのせいか、私がエルゴを使っていると、何をかかえているのかと怪訝な顔で通りすがりに覗き込む人がときおりいる。

 網のトンガや、アフリカ風の布を巻きつけるベビーラップと呼ばれる抱っこ紐はスリングに分類され、エルゴに代表されるようなバックルでカチッと留めるキャリーとは区別されるらしい。最近、新聞で読んだ子連れ出勤の記事では、お母さんたちが二人ともスリングで赤ちゃんを抱っこしながら仕事をしていた。これらは、アンジェリーナ・ジョリーなど欧米のセレブが使って普及したらしい。

 こんなことをくだくだと書いたのは、ひとえにスリングという言葉をどう訳すべきか悩んだからだ。子育て世代には「スリングでしょう」と言われそうだが、一般の日本人には人類最古の道具がスリングと言われても、なんのことやらさっぱりになる。結局、前述の「抱っこ・おんぶ紐」という読みづらい言葉に、スリングとルビを振る、冴えない対応しか思いつかなった。カタカナ語の氾濫を食い止めるために、一翻訳者ができることは限られている。
(とうごう えりか)







ぐるぐるくん

野中邦子(2019.03.01更新)




 活版印刷の時代を知っている身としては、初校ゲラが真っ赤になるのは非常に申し訳なく、身の置きどころがない。

 活版印刷というのは、簡単に言えば、一文字ずつハンコのようになった凸版の活字をブロックのように組み、隙間を埋めて、1ページを作りあげて版にするやり方だ。ページが組みあがるとそれを金属で鋳造して版にする。ちなみに、この版を新たに作ることを重版という。活字を拾う、活字を組む、下駄をはかせる、などはすべて活版印刷から来ている。ちなみに下駄をはかせるとは、該当する文字が活字になかったとき、とりあえず「〓」を入れておいて、新しく作るなり、どこかから調達するなり、その活字が手に入るまで仮に置いておくこと。下駄の歯型に似ていることから来ている(ワードでも下駄の入力で〓に変換された!)

 活字を組むのは相当な労力である。赤字が多いと組み直しになることもあり、あまり直しが多いと追加料金を請求される。私が出版社でアルバイトをするようになって、はじめてお遣いに行った印刷所が、いまも忘れない、水道橋の共立社だった。本に入れる「投げ込み」というチラシの印刷を頼むというお遣いだったが、私はそれを印刷するところを見せてもらった。小さなプレス機でその場で印刷してくれた。もうひとつ思い出話をすれば、その出版社でアルバイト中に、初校の赤字が多すぎて追加料金を請求された例を目の前で見た。小説だったけどね。「推敲は原稿段階でしてください」と、下っ端の私ですら思った。

  とにかく、そんなわけで赤字が多いのはとても恐縮なのだが、ふと気が付いた。いまは本の印刷もオンデマンドになっていて、初校の赤字もタイピングで直せるのだ! そりゃ、直しは面倒とはいえ、活字を組むのにくらべたら格段に楽だ。そういえば、編集者のなかにも「とりあえず初校を出します」なんて気軽にいう人もいた。

 完璧とはいわないまでも、「自分にできることはやりきった」と思える原稿でさえ、編集と校閲の目を通すと赤字だらけになる。すべて自分の至らなさのせいなので、身もだえするような恥ずかしさと申し訳なさと雀の涙ほどのプライドが傷ついた痛みも耐えるしかない。直してもらったほうが、かならずや良いものになるのだから。

 今回も苦労してようやく初校を終えたら、入れ替わりにもう再校が出ている。これも活版印刷の時代にはなかったスピードだ。今回、ほぼ一か月間、自主缶詰状態でどこにも出かけずに仕事をした。運動不足に加え、ストレスでチョコレートを食べ過ぎ、結果として体重がリバウンド……悲しい。

 かなりつらかったが、そのさなかにふと思った。これは一種の特権である、と。自分のやりたい仕事ができる。しかも、今回のそれは昔愛読した作品の改訳だ。尊敬する前訳者の仕事を引き継いで、世の中に必要とされる、価値のある本を世に送りだす(売れるかどうかはさておき)。そんな本の奥付に自分の名前が訳者として印刷される。最高の特権であり、これ以上の幸せはない。

 フランソワーズ・ジロー著『ピカソとの日々』3月末に白水社より発売予定。どうぞよろしく。

(のなか くにこ)








七月便り


中埜有理(2019.03.01更新)



 新宿高野の地下にパフェの店があるんですよ。ついつい立ち寄っちゃいます。これはベリーのパフェ。隣の隣の席で若い男性の2人連れがうれしそうにパフェを食べていたのが印象的だった。

 右上は代々木八幡のベーグル屋テコナベーグルワークスで買ってきた「もちもち」ベーグル。歯医者さんが代々木八幡なので3か月おきにベーグルを買って食べる。袋に入れてくれないのでエコバッグ必携。明治の板チョコはパッケージに惹かれて買ってきた。猫と迷路。可愛い絵葉書は友達がポーランドから送ってくれたもの。もらうとうれしいので、私も外国へ行ったらなるべく出そう。

 ある日の朝食、胚芽パンのトーストにゆで卵とチーズとホウレンソウのソテー。リンゴとコーヒー。私はバターが大好きなので、トーストにバターは欠かせない。

 

 甘夏も好きで、生協のお兄さんに甘夏をお勧めされたけど、その前にすでに注文してました。キャベツとリンゴと蛸のサラダに甘夏とゆで卵。黄色がきれい。

 うちの近所に大成食品という麺工場があって、月に一度、麺の日というのがある。ここの半生麺がもちもちですごくおいしい。だいたいラーメンと焼きそばとパスタを買ってきて、あまったら冷凍しておく。キャベツと揚げ玉と少しの豚肉で焼きそば。これもわがやの定番メニュー。この写真はイカと海老が入っているから海鮮塩焼きそばだな。

 ハンバーグやミートローフが好きでよく作る。このサンドイッチは、中身が見えないけど、ゆで卵入りのミートローフとキャベツが挟んである。牛乳も好きです。

 

   友達の誕生祝いのため、銀座でランチ。ランチのあと文明堂のカフェで苺パフェを食べる。文明堂なので、苺の下にはカステラが入っている。こうして見ると、甘いものをすごく食べてるな〜!

 誕生日の友人に贈ったブーケ。可愛いのじゃなく、大人っぽくして、と注文したんだけどな。

 猫あつめをゆるゆると再開した。ポケモンは中断したまま。このエッセイに書くネタがあまりないので、申し訳ない。せめて「ごめん寝」

(なかの ゆうり)




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