今月のエッセイ 2018年7月
   

江崎リエ【はまって、はまって】……「チューインガム業界は、もう既に高齢者をターゲットに」

東郷えりか【コウモリ通信】……「天国へ行く車の代わりに墓に納められたのではないか」

中埜有理【七月便り】……「サーシャはもっとダンベルワークを!」

野中邦子【ぐるぐるくん】……「あの江戸に帰りたい」

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はまってはまって

江崎リエ(2018.07.01更新)



歯科専用キシリトールガム





「記憶力を維持する」とうたったガム
何のためにガムを噛むのか?


   久しぶりにガムを買って噛んでみた。噛みながら外を歩いてみて気づいたのだが、昔は駅の構内や駅ビルの外廊下などに、捨てたガムが踏まれて黒くなった点々があったのが、そうした汚れがなくなっていた。ガムを噛む人が減ったのか、ガムが進化して、道にくっつかなくなったのだろうか。昔は専任の掃除人がいて、軍手をして、ヘラを持って剥がしていたのだが。

 噛む人が減ったのかどうか調べようと、日本チューインガム協会のホームページを見てみると、小売金額は2004年の1881億円がピークで、そこから下降が続き、2017年には1005億円まで落ちこんでいた。13年間で4割以上の減少だ。ガムが売れなくなった理由をインターネットで検索すると、「歯に悪そう」「ゴミを出したくない」というアンケート結果があった。「昔は気分転換や眠気覚ましに食べたが、今はスマホで気分転換をするので需要がなくなった」という分析もあった。確かに、気分転換や眠気覚ましなら、スマホの方が効果的だろう。外でちょっと食べたいお菓子としても、今はグミ、キャンディーなど、いろいろと美味しいものがあるし。

 しかし、健康志向の昨今、「噛む」ことの効用はいろいろなところで言われている。よく噛むと消化に良い、顎や骨の筋肉が発達する、脳の血液が増えて脳細胞が発達する、脳を活性化するのでボケ防止になる、ゆっくりよく噛んで食べると適量で満腹感が得られてダイエットに良い、などなど。私が歯の定期検診に行く歯医者でも、虫歯予防にキシリトールガムを噛むことを勧めている。「歯に悪そう」というイメージは、「甘いガムが歯に付くと虫歯になる」ということから来ているのだろうが、キシリトールガムは、逆に噛むことで虫歯菌を減らし、唾液を分泌させることで口内環境をよくすることができるそうだ。ただし、この効果はキシリトールが50%以上配合されていないと発揮されないそうなので、市販品を買うときは注意が必要だ。

 噛むこと、噛める状態の口にすることが、高齢者の健康維持に役立つ、介護予防や寝たきり防止につながるという研究結果も多数あり、介護施設で定期的な歯科検診を行っているところもある。「若い人・働く人の気分転換のお菓子」という位置付けでは、もうガムは売れないだろう。「虫歯予防」「脳細胞への刺激」「高齢者の介護予防」を打ち出せば、健康志向の強い高齢者に買ってもらえるかもしれない。そんなことを考えながらインターネットを見ていたら、「記憶力を維持する」という宣伝文句のガムあった。チューインガム業界は、もう既に高齢者をターゲットにしているのかもしれない。

(えざき りえ)











コウモリ通信

東郷えりか(2018.07.01更新)




『北斎漫画 3編』より




輪違い(七宝繋ぎ)文様




良渚文化の玉j








その215
 このところ文様の歴史に興味をもっている。葛飾北斎が『新形小紋帳』や『北斎漫画』で文様の手本を描いているのを知って、図書館から本を借りたり、中古の美術本を購入したりしてパラパラ眺めている。北斎は輸入顔料の「ベロ藍」を率先して使い、遠近法を学ぶなどして、西洋の技術を積極的に取り入れたことで知られる。そんな彼が輪違い、もしくは七宝繋ぎと呼ばれる文様らしきものの描き方を指南しているのだが、その方法を見て目が点になった。この文様は私のような文系人間から見ても、まずは正方形の内側に接する形で円を描き、正方形の四隅から、同じ半径で円を描いてゆくのが本来の描き方だと思うのだが、北斎は文様の花びらのような部分に注目し、そのパターンを反復するように教えているのだ。円の接線という発想がなかったのは間違いないし、4分の1ずつ円が重なっていることすら気づいていなかったのかもしれない。

 この文様はインダス文明の土器などに紀元前3000年には描かれていた。ヨーロッパではアレクサンドロス大王の東方遠征後に広まり、2世紀ごろからローマ帝国の各地でモザイク模様に頻繁に用いられた。ジャワ更紗ではこのモチーフはカウンと呼ばれ、13世紀以降に取り入れられた古典的文様の一つだという。17-18世紀にインドなどから輸入され、彦根藩が所有していた古渡更紗にも「輪違手」が若干含まれている。北斎はこの輪違いらしき文様に「大イ紋高麗形」と書いているので、畳の縁につける白と黒の織物である高麗縁(こうらいべり)のつもりだったのかもしれない。円を重ねずにぴったり並べた大紋の高麗縁は、親王・大臣などに使用が限られていた。四つの円のあいだに菱形のような隙間ができ、それぞれの円の中心点を結べば正方形になるところが、輪違いに共通する模様だ。高麗時代12世紀の韓国の国宝、青磁透彫七宝文香炉には、見事な輪違いの透彫りがあるので、高麗縁にも輪違いのものがあったと思われる。『枕草子』には「高麗縁の筵青うこまやかに厚きが」と書かれており、918年に建国された高麗と平安貴族に深い関係があったことが窺える。日本ではほかに、花輪違の家紋など、中心に模様を加えることも多かった。有職文様(ゆうそくもんよう)の小葵文や、更紗のウンヤ手も、輪違いの崩れたものの可能性がある。ウンヤの意味は不明だが、よく見ると盤長結(ばんちょうむすび)のような模様が描き込まれているので、それを指していたかもしれない。

『北斎漫画』八編の序文には、「離婁の明公輸子の巧も規矩を以てせざれば方員を成事能はず」と、『孟子』の一節が引用されている。規(き)はぶんまわしと呼ばれたコンパス、矩(く)は定規のことで、これらがなければ方形も円も描けないという意味だ。孟子(紀元前372-289年)は戦国時代の人なので、中国ではこの時代にはコンパスを使って正円を描いていたことになる。

 いや、それどころではない。紀元前3400-2250年ごろ長江下流に栄えた良渚文化から副葬品として多数出土する璧とjという謎の玉器が、現代人から見ても完璧な幾何学工芸品なのだ。壁(へき、bi)は直径20センチ前後の特大五円玉のような形状をしている。j(そう、cong)のほうは高さがまちまちの四角柱で、中央に円筒状の穴が貫通しており、強いて言えば、サランラップの箱の両端をくりぬいたようなものだ。どちらも工業製品を見慣れたわれわれの目にはさほど特異な形状には感じられない。しかし、新石器時代にあったはずの良渚文化で、直線、直角、平行線どころか正円、同心円、円柱といった幾何学の知識を必要とする精巧な製品が、軟玉(ネフライト)とはいえ、硬い石から製造されていたことにはただ驚かされる。jは長いものでは47センチ以上にもなり、その中心に上下からドリルで穴をうまく貫通させる作業は、現在の電動工具でも簡単ではないだろう。

 私が璧とjを知ったのは数年前の『100のモノが語る世界の歴史』の本と大英博物館展の図録の仕事からだったが、用途不明の翡翠の玉器ということで、頭のなかに宙ぶらりんの状態で収まっていた。一般には、戦国時代の書とされる『周礼』に、璧とjがそれぞれ天と地を表わすと書かれたことを根拠に、祭器として説明される。だが、実用性のない祭器をつくるために、新石器時代の人がこんな高度な技術を生みだすだろうか? 中国古代史の専門家からは、『馬・車輪・言語』に毒されているとして一笑に付されるに違いないが、結論から言うと、円盤状の璧は車輪そのものか轂(ハブ)の補強材で、円筒状にくりぬかれたjは軸受、つまり車軸を回転させるためのベアリング・ブロックだったのではないかと推測している。これらは当初、ステップのワゴン葬墓のように、天国へ行く車の代わりに墓に納められたのではないか。硬い素材による完璧な円や円筒への異様なまでのこだわりは、車輪と軸受の製造以外に思いつかない。

 一つのヒントは、良渚文化を代表する装飾にある。人面の神が獣にまたがる姿を表わしたものだ。おそらくより古い形態では、神は大きな被り物をしたギョロ目の人物だが、jに刻まれ様式化されたものは、正円の左右にわずかに線を引いた切れ長の目に、頭部には二本のバンドをはめ、巻き毛の顎髭のような枠に下部を囲まれている。少し時代が下った三星堆遺跡から出土した仮面や人物像をどことなく思わせる濃い顔だ。獣もやはり正円のびっくり眼で、その周囲には幾重にも細かい同心円や渦、線が描かれている。この「神」は西方から馬に乗ってやってきた印欧語を話す民族だったとは考えられないだろうか? 高度な技術や武器・道具をもち、おそらくは硬く丈夫な素材を求めて馬で途方もない距離を一気に移動してきた少数の異民族だ。彼らが翡翠を扱う紅山文化と遭遇し、現地民と良渚文化を築いたのではないのか? 在来民にとっては、幾何学の知識や製造技術を教え、大きな馬を操る彼らはまさに神だったのではなかろうか?

 手間暇かかるjは早くに廃れたが、璧は漢代まではつくりつづけられ、その一つは宮崎県串間市で出土した。璧の形状はのちに青銅鏡や硬貨に受け継がれたとも考えられている。ハブが四角く、車軸に固定されていたと思われる円盤状車輪もヨーロッパで出土しているので、永楽通宝のような四角い穴開き硬貨も、五円玉も、じつは璧の遠い子孫なのかもしれない。
(とうごう えりか)







ぐるぐるくん

野中邦子(2018.07.01更新)






 この初夏、コクーン歌舞伎を観にいったのは、ふだん女形の七之助が立役を演るというので興味を引かれたからだった。演目の「切られの与三」も、玄冶店(げんやだな)の場は有名だが、ちゃんと見たことがなかった。  

 与三郎の執着は「江戸」にある。放蕩で江戸を追放され、どんどん落ちぶれながらも、「あの江戸に帰りたい」一心で、全身に刀傷を残すはめになりながらも生きながらえる。  

 芝居の感想はさておき(おくのか!)、面白かったのは、もうひとつの芝居とのシンクロニシティである。まったく意図したわけではないが、そのちょっと前に井上ひさしの『たいこどんどん』を観ていた。落語家の柳家喬太郎が主人公の「たいこもち」を演じる。これも放蕩者の若旦那と2人で江戸を放逐され、東北地方を転々として苦渋をなめながら、いつか江戸に帰ろうとする話である。一種のバディものだが、2人の関係はとても良好とはいえない。そもそも金だけを介在した上下関係だからね。  

 井上ひさしというと、軽妙でユーモラスというイメージがあるが(ないか?)、こまつ座の芝居を観るようになって思った。じつは、ものすごく暗くて、陰湿な人だったのではなかろうか。『たいこどんどん』でも、江戸者をいびる東北人の根暗さ、ずるさがいやというほど描かれ、もしかして同族嫌悪か、と思わされた。いびられる江戸者のほうも、浅はかで不誠実で、まったく愛すべき存在ではない。ようやく手に入れた路銀を賭けですってしまったり、借金のかたに相棒を強制労働の鉱山に売りとばしたりする。あげくのはてに、たいこもちはヤクザにつかまって脚を切られるはめになる。ぜんぜん笑えない。  

 『切られの与三』のほうは、与三郎に相棒はいない。蝙蝠安(こうもりやす)がバディといえなくもないが、利用しあうだけの関係だ。むしろ、人生の節目のたびに遭遇する「お富」が幻のバディといえるかもしれない。運命の相手のように見えて、めぐりあうたびにお富は別の男のものになっているという皮肉。  

 『たいこどんどん』と『切られの与三』に共通するのは、人間の関係性なんてもろいものだというシニカルな思想である。井上ひさしが「お富さん」の筋書を参考にしたのかもしれない。芝居の幕切れのシチェーションがまたそっくり。以下ネタばれですが、さんざんな目にあって、苦労の末にようやく舞い戻った懐かしの江戸。ところが、そのときすでに江戸幕府は瓦解し、江戸は東京になっていた。あの「江戸」はもうどこにもない。  

 希望をすべて潰されてそれでもたくましく生きていく庶民、という感じで幕はおりたのだが、いや、なんというか、惨憺たる庶民の暮らしってことで、安倍政権に蹂躙される昨今の日本国民の姿をつきつけられた思いである。

(のなか くにこ)








七月便り


中埜有理(2018.07.01更新)










NHKの朝ドラ「半分、青い」は漫画家が主人公です。作品が描けなくなり、仕事を辞めて結婚するという仲間が「スケジュール帳が真っ白」なのがつらいという。デートや遊びの余裕がない生活がいやだというのですね。それにたいして、主人公は「真っ白だとうれしい、一日中マンガを描いていられる」と答えていました。

 私もこの主人公に同感です。一日家にいられるのがすごくうれしい。まあ、一日中仕事をしているわけではないけど。

 高齢者の暮らしで「きょうよう」と「きょういく」が大事だとよくいわれます。「今日、用がある」「今日、行くところがある」ということらしい。

 まだ現役で仕事をしているから、「家にいたい」と思うのかもしれない。自分の家であることも大事。これが親の家だったら、家にいたいなんて思わないでしょうね。

 とはいえ、そういう引きこもり体質だからこそ、なにかのお誘いがあったら、スケジュールが許すかぎり断わらないというのがマイ・ルール。出かけるのも好きなのです。

 母の三回忌で久しぶりに兄弟姉妹が集まった。法事、墓参りのあと、いつもの中華料理屋で精進落としの会食。前期高齢者の集団になりかかっている一族のなかで、お孫ちゃんの存在が場をなごませてくれます。

 表参道のフレンチ・レストラン〈ランス・ヤナギダテ〉で、テニス観戦好きの友人とランチ。全仏のプレイヤーズ・タオルを現地購入して持ちかえったお礼ということで、ごちそうしていただきました。カニ肉のゼリー寄せとか鴨のコンフィ、とてもおいしい。エビで鯛を釣るという感じがなきにしもあらず。

 テニス・ファン3人でテニス界の今後を検討したところ、結論は――  
サーシャはもっとダンベルワークを!(筋肉増量)  
ジョコはこれ以上戻らない(モチベーションの欠如か、ちょっとショック!)  
ニシコリは「とりあえず」応援すべし(日本人だろ)
 
――ということになりました。

(なかの ゆうり)




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