今月のエッセイ 2018年2月
   

江崎リエ【はまって、はまって】……「ガスの火を見ながらコトコトと時間をかけて煮込む料理」

東郷えりか【コウモリ通信】……「彼らは椿に日本の美を感じていた」

中埜有理【七月便り】……「建物はクラシックで雰囲気はあるのだが、床がぎしぎしと鳴ったり」

野中邦子【ぐるぐるくん】……「チャトウィンで有名になったモレスキンの手帳」

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ぐるぐるくん

野中邦子(2018.02.04更新)


City Basement Books の看板




地下への入口




店内




Collected Works Bookshopの看板




The Paperback の店内




モレスキンのノート


アーケード内にあるCollected Worksの外観

 メルボルンでカフェ・カルチャーが盛んだということは最近知られてきているが、カフェのあるところ書店もにぎわうというのが通説ではないだろうか。

 今回の滞在では風邪を引いたりしたこともあって市内散策に時間が取れなかったのだが、市内中央部の書店を少しだけ覗いてみた。紀伊國屋のような大型新刊書店は見にいかれず、今回は古書店だけ3軒である。

 まず、フリンダーズSt.にある地下の店、その名もCity Basement Books 入口は目立たず、地下へ降りる階段の左右の壁には紙を切り抜いた蝶々がたくさん貼り付けてある。店内は書棚がぎっしりと立ち並び、ジャンル別に本が並んでいる。SFの棚が充実しているように見えた。(SFには詳しくないのでよくわからない)

時節柄(テニス全豪オープンの時期)、テニス関連書の棚を眺め、写真の入った古いテニス本があったので、それを購入。そしたら、レジにいた女性店主が、テニス関連本は「あっちにもあるわよ」と教えてくれた。ゴンザレスがモデルになった教則本などがあり、興味深かったが、それはパスし、他の1冊を加えて2冊購入。

 もう1軒は、ガラス天井が美しいことで知られるCathedral Arcade の2階(1st floor)にあるCollected Works. ここは中央のスペースを開け、書棚は周囲の壁に沿ってしつらえられていて、集会所のような雰囲気がある。たんに本を売るだけではなく、人とのつながりを重視した感じ。こういう雰囲気は去年の11月に訪れたロンドンのLibreria bookshopにも共通する。在庫の数は少ないが、オーナーの好みによって本をそろえ、読書という行動をさらに広い思想や政治活動へと発展させる。

 3軒目はやや北寄りのBurk St.にあるThe Paperback Books ここは通りに面した一階の店で、ここも書棚がぎっしりと並んでいる。日本の古書店に似た感じだ。チャトウィンで有名になったモレスキンの手帳が雑然と並んでいた。

The Paperback Books外観
 この店の前には物乞いのおじさんが坐りこんでいたのだが、通りがかった女性がアルミフォイルに包んだサンドイッチをあげていて、おじさんはそれを食べていた。日常の風景なのだろうか。物乞いの人が掲げているボードにはよくgood people who had a bad luck ということが書いてある。たまたま運がなかった、というふうに考えられるほうが生きやすいと思う。なんでもかんでも「自己責任」で片づける社会は冷たい。

(のなか くにこ)







はまってはまって

江崎リエ(2018.02.04更新)



ガスコンロの青い火が好き



こんな暖炉が欲しいな
火を見る楽しみ


   最近料理をしていて、「私は火を見るのが好きだ」と思う。そんな認識を持ったのは、息子夫婦が借りている家でIH調理器を体験したからだ。ちゃんと火力はあるのだが、丸い平面がじわーっと赤くなるだけで、見ていてなんとも心許ない。私は新しいものが好きなので、初めて使うIH調理器を面白がっていたのだが、そのうち、ガスの火がボワっと燃え上がる音と、青白い火が恋しくなった。ボタンの押し方で弱火や強火を調節するのではなく、自分の指の回し加減で火の大きさを調節するガスコンロの方が、いかにも火を扱っているという感じがして楽しい。

 思えば子供の頃、自分でマッチを擦ってガスコンロに火が点けられるのが誇らしかった。マッチを擦る音、ボワっという音がして思いがけず大きくなる赤い炎、独特の硫黄の匂い、その全てが特別の出来事だった。大人になってタバコを吸うようになった理由の一つも、マッチの火の魅力だったかもしれない。マッチはいつの間にか淘汰されてジッポなどの雰囲気のあるライターを使うようになり、その後は100円ライターになったが、火は私の身近にあった。禁煙してからだいぶ経つので、料理以外の日常で火を見ることは激減した。昔はたまに見かけたご近所の焚き火も、今はほとんど見ない。

 ライターやタバコの火、焚き火の火を見る機会も減り、家庭でも IH調理器が普及していくとしたら、今の子供達はどこで火を見るのだろうか。小学校の理科の実験、課外学習、屋外バーベキューだろうか。薪をくべる暖炉が人気だったり、アロマテラピーやレストランのテーブルのムード作りにロウソクの火が使われていたりするので、「火を見ることが好き」という人間の感性は変わっていないのかもしれない。しかし、今の子供達が大人になる頃には、火は眺めて楽しいものではなく、火事ややけどに結び付けられた恐ろしいものになっているかもしれない。

 そうならないように、小さい子に「火」の楽しさを教えたい。そんなことを思いながら、今、牛筋の煮込みを作っている。鍋に湯を入れ、牛筋を入れて弱火でひたすら煮込んで柔らかくする。最近は時短料理で電子レンジを使うのが流行りだが、私はガスの火を見ながらコトコトと時間をかけて煮込む料理が好きだ。そのうち、「ガスの火は危ないからIHにして」と言われないように、ぼけずにガスの火を使い続けたいと思っている。

(えざき りえ)











コウモリ通信

東郷えりか(2018.02.04更新)





ポートワイン





ジュール・ロバン・コニャック


大木になった椿
その210
出島の「カピタン部屋」のダイニング

  海外から仲間が一時帰国するのに合わせてほぼ例年、和食の飲み屋やレストランで学生時代のサークルの同期会を開いているのだが、今年は私の勝手なお願いで銀座のポルトガル料理屋にしてもらった。お目当てはポートワインとマデイラワイン。先月の「コウモリ通信」にも書いた幕末のオランダ商人の本に、こうしたワインの話が度々でてくるからだ。それをただカタカナして済ませてしまうのは簡単だ。でも、「イギリス人たちは食事と一緒に飲んだ大量のポートワインの影響がまだ抜けていない」などと訳していると、幕末の日本まで船で運んできたワインがどんなものであったか、つい気になる。ポルトガル・ワイン専門店に気軽に行ければよいのだが、そんな気持ちの余裕もなく、昔の仲間の好意に甘えることにした。どちらも飲み放題プランには含まれておらず、今回は私だけこの甘いワインをアプリティフに飲ませてもらった。初めて食べるポルトガル料理は、魚介類たっぷりで素晴らしくおいしく、その他のワインやビールも飲み過ぎたので、食後のマデイラは諦めたが、ほんの一杯でも飲んでみると、居留地で酔っ払った外国人たちのことがより身近に感じられるから不思議だ。

 ワインにはまるで詳しくないが、大阪日本ポルトガル協会によれば、ポルトガルのワインの歴史は紀元前5世紀にフェニキア人によって始まり、マデイラワインは17世紀から、ポートは18世紀には登場し、スペインのシェリー酒と並んで、世界3大酒精強化ワイン、つまりアルコール度を高めたワインとして知られているそうだ。ウィキペディアによると日本に最初にもたらされたワインはポートワインらしい。

 この本はおもに横浜について書かれているのだが、1章だけ開国前の長崎の出島について割かれた章がある。一昨年に佐賀と長崎に旅行した際、夕方に駆け足ではあったが出島跡も見学したので、およその雰囲気はわかったが、水門や一番船船頭部屋、涼所などがどう再現されていたかは記憶にない。著者のオランダ商人デ・コーニンは、1851年に若い船長として出島に3カ月間滞在したことがあった。上陸した初日、家具一つない部屋で呆然としていたところへ、買弁が歓迎の意を込めてMoscovisch gebakなるお菓子を届けてくれた。これはマデイラケーキらしいが、オランダ語で検索するとやや異なるものがでてくる。そこへ通詞の吉雄作之烝と目付がやってきたため、携帯用フラスクに詰めたコニャックを分け合い、ちょっとした宴会を開いた。「二人の紳士が菓子数切れを食べ、コニャック数杯を飲み干したところで、作之烝は──まずは〈ジュール・ロバン・コニャック〉の名前を手帳に書き込んだあと──知り合えてよかったと述べ、それから暇乞いをした」。想像するとなんともおかしい。

「1782年創業のこの会社は今日でもコニャックを製造している」という英訳者の註を読み、私がネット検索したのは言うまでもない。作之烝もただの飲兵衛ではなく、仕事熱心だったのだと考えたい。当時と同じものかどうかはわからないが、ヤフオクにそれと思しきものがいくつか出品されていたので、木箱入りの、いかにも舶来品風のコニャックをつい購入してみた。無事に本になった暁に封を開けようと、こちらはまだ手を付けていない。

 ジュール・ロバンが幕末にどれだけ輸入されていたかはわからないが、1862年9月13日付の『ジャパン・ヘラルド』紙に掲載された別のオランダ商人ヘフトの広告では、ドルフィン号で到着したばかりの「ジュール・ロバン社コニャックの積み荷」が、砂糖やボローニャ・ソーセージなどともに宣伝されていた。ついでながら、同じ紙面に10月1日・2日に開催予定の競馬の予告があるほか、乗客欄には、ランスフィールド号で上海から到着したイギリス公使館のロバートソンとサトウの名前がある。この船は薩摩藩が買って壬戌丸となった。

 一読者として本書を読んだときには、調べたかった情報を手っ取り早く知ることに重きを置いてしまうので、こうした些細な事柄は読み飛ばしていた。とくにネット上で、知りたいキーワードを検索して、該当ページの前後だけを拾い読みした場合には、こうした「味わい」は得られない。本書には歴史的な「新事実」がかなり含まれており、史料としての価値がかなりあると思われる。だが、それ以外の、ページの端々に書かれていたちょっとした描写にも、別の意味の発見がある。幕末に来日した多くの外国人は、江戸湾に近づくにつれて見えてくる富士山の圧倒的な美しさに言及しているが、デ・コーニンも例外ではない。9月初旬に彼が来日した際に、すでに冠雪があったのかどうか定かではないが、彼の見事な描写は、冬に東南アジア方面から早朝に成田に着く便で帰国した際に、日本列島の上にそびえる富士山を見たときの感動を思いだす。いつか長い航海のあとに、海上から眺めてみたいものだ。

 やはり多くの外国人が書いているのは、日本の冬の野山に咲く椿だ。私には垣根のイメージしかなく、身近過ぎて意識に上らない花だったが、17世紀にケンペルが紹介して以来、東洋の神秘と結びついてきたのか、「椿姫」のオペラが上演されたばかりだったのか、彼らは椿に日本の美を感じていた。近所の公園に珍しく大木があったので、「椿が咲き乱れる森」はこんな感じだろうかと想像してみた。本は読み方しだいで、いかようにも楽しめる。
(とうごう えりか)








七月便り


中埜有理(2018.02.03更新)




 オーストラリアはもともとイギリス連邦の傘下にあった。流刑地だったことでも知られている。そのため、イギリス文化の名残はいまもあちこちに見られる。

 今回宿泊したホテル・ウィンザーも歴史的な建築物で、市内を一巡する観光向けのトラム「シティ・サークル」でもこのホテルについての解説があるくらい、有名なスポットなのだった。セレブが宿泊したことでも知られ、イギリス王室御用達でもある。一階のバーは「クリケッターズ・バー」といい、クリケットのラケットが飾ってあったりする。クリケットはテニスよりも歴史が古いイギリス発祥のスポーツだ。

 

  建物はクラシックで雰囲気はあるのだが、床がぎしぎしと鳴ったり、風呂の排水に時間がかかったりと、近代的な便利さには欠ける。

 とはいえ、ここの食堂のアフタヌーンティーはガイドブックにも載るくらい有名で、試しに予約しようとしたら満席で、時間が選べず、じっさいに行ってみたらほんとに食堂がお客でいっぱいで驚いた。しかも、これがお安くない。ロンドンでも感じたけど、アフタヌーンティーって、ちょっとした食事以上にお高いもんなのね。

 

  カフェは朝からオープンしていて、朝食を食べにくる人でにぎわう。お勧めはスモークサーモン、アボカド、エッグベネディクトなど。朝だけオープンして、昼から夜まで閉めてしまう店もある。フレンチトーストやパンケーキも人気だった。オーソドックスなスクランブルエッグと焼きトマトにトースト。朝食がおいしいのもイギリス文化の影響かな。

 テニス全豪オープンの時期なので、街中のいたるところにパブリック・ビューイング用のスペースができている。これはコリンズ・スクエアにあった大型テレビとチェアのスペース。この時期のメルボルンはテニス一色でお客も多いけど、ほかの時期は大丈夫なのかなと心配になってしまうくらい。



(なかの ゆうり)




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