今月のエッセイ 2018年10月
   

江崎リエ【はまって、はまって】……「学校でカッパのバッジを買って」

東郷えりか【コウモリ通信】……「オルメカ族のトウモロコシ頭かと思うほど頭が細長かった」

中埜有理【七月便り】……「建物そのものがなんだかシュール」

野中邦子【ぐるぐるくん】……「ジュリー夫婦の部屋がまさにクイーンズっぽく」

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コウモリ通信

東郷えりか(2018.10.03更新)




新入りのおチビさん




昔つい買ってしまったダッバ


最近つい買ってしまった
遮光器土偶と馬型埴輪


その218
 昨秋からつづいていた怒涛の日々をなんとか乗り越えた気がする。数カ月ほど失業していた折、別件でお電話をいただいた編集者に、「仕事ないですかね、暇なんですけど」と言ってみたところ、ちょうどリーディングの仕事があるからと頂戴したのが、先日終えたばかりの本の仕事だった。企画会議はすんなり通ったのだが、完全原稿がまだでておらず、待っているあいだに状況が一変して別の本2冊が先に刊行されることになったため、発売予定の遅いこの仕事が後回しとなった。このように、自分の予定がまったく立たず、繁閑の差があまりにもあるのが、出版翻訳の苦しいところだ。年始にはこの本の最終原稿がPDFファイルで届いていたのだが、本腰を入れて取り組めるようになったのは5月以降だった。綱渡りも3本目となるとさすがに注意散漫になり、気力も衰え、なかなか思うように進まなかった。

 しかも、今回は性選択という進化生物学の本で、前2冊とは分野もまるで異なり、参考文献を何冊か読んで付け焼刃の勉強はしたものの、細かい用語の使い分けなどはさっぱりわからない。学術用語は、学会ごとに、研究者ごとに勝手に訳語をつくってきたせいなのか、同じ現象でも分野が変わると用語もころころ変わるのでじつに厄介だ。生物を専攻した娘が翻訳書の誤訳を指摘するのをしょっちゅう耳にしていたので、この本は原稿段階から読んでもらうつもりだった。ところが、とうの娘が8月に出産をし、睡眠不足と慣れない育児と、自分自身の仕事で手一杯のため、とくに問題の多い箇所だけは引用元の論文から読んでももらったが、それ以上は頼めなかった。そこで、同じく生物好きで、少なくとも通勤時間は原稿読みに使えそうな娘の夫に、ない時間をひねりだして読んでいただいた。まあ、その分、私も週に3回は沐浴や子守を手伝い、ダッバというインド製ステンレスの弁当箱にあり合わせの昼食を詰めて通っている。まあ、餅は餅屋、適材適所ということで、私は子守と、湯女(余計なサービスなしの)と、ダッバ・ワラ(弁当運び人)を兼業し、利用できる伝は活用することにした。初校前の荒削りの訳文に婿殿は面食らったようで、怪しい箇所をあちこち見つけてくれた。そもそも言葉の定義づくりが本職とかで、見ているところがじつに細かい。生物でsupernaturalを超常的と訳すのは違和感があるとか、触角葉とすべきところを触覚葉にしていた漢字の間違いまで、いろいろ指摘された。

 校正者や編集者からもゲラで多数の鋭い指摘を受けた。翻訳中に不明な点を深く調べてしまうと、そのことに気を取られて文脈を見誤ることがある。私が左右非対称のシオマネキの説明の続きと思い込み、人間が柄付きブラシで背中を擦るようなイメージと誤解していた箇所では、超多忙な編集者がそのブラシの絵を描き、「このような生物が思い浮かばないです」と、丁寧に間違いを指摘し、本来、著者が意図したはずの全身が左右非対称の生物である海綿の絵まで添えてくださった。自分の勘違いにようやく気づいたとき、その絵を見て笑いが込み上げてきたのは言うまでもない。働き詰めだったこの1年間に老眼も確実に進行した。イタリックで書かれた学名は2カ所もスペルを間違えていたし、tailとtrailを読み間違えていたのだ。「モルフォチョウは尾をひらひらさせて」と訳したところ、「尾があるんですよね? 念のために」と、ゲラに書かれたのには参った。慌ててモルフォチョウを画検索してみたが、尾状突起もない。蝶に尾はないよなあ、と頭をかきつつ、原文をよく見たらtrail、つまり小道沿いにひらひらと飛んでいたのであり、またもや苦笑せざるをえなかった。こうした支援体制があってこそ仕事がつづけられてきたのだと、感謝することしきりだった。

 自分ではまだ若いつもりでも、体は確実に衰えてきている。それを実感したのが娘の出産当日だった。出産時に悲劇に見舞われた親戚、友人が何人かいるし、私自身も恐ろしい思いをしたので、出産時にはかならず付き添うと伝えてあった。破水したという電話で叩き起こされると、寝ぼけ眼で家を飛びだした。ところが路面とのあいだの最後の段差を忘れていたため、思いっきり転び、学生時代のゲレンデ以来、久々の顔面制動をするはめになった。痛む顔を押さえつつ、夜更けに坂道を駆け下りる姿を見ている人がいたならば、『やまんばのにしき』にでてくる山をゴーッと駆け下りる山姥かと思っただろう。おかげで、初孫とは、青あざに擦り傷というひどい顔で対面するはめになった。余談ながら、瀬川康男が描いた山姥の錦は亀甲繋ぎ文の錦だった!

 娘は低体重児でシワシワのヨーダそっくりの顔で生まれたが、孫娘もかろうじて2500gのラインを超えた程度の小さい赤ん坊で、オルメカ族のトウモロコシ頭かと思うほど頭が細長かった。ふっくらツヤツヤした赤ちゃんモデルとは程遠い姿に、誰に似たんだろうねえ、とお互いを探り合った。あぐらをかいた鼻だけは間違いなく娘似で、「よりよって、鼻が似るとは」と娘が嘆いていた。「自分の顔は、ある意味で自分のものだが、実際には両親や祖父母、曽祖父母など代々受け継がれてきた特徴のコラージュからなるものだ。悩みの種の、あるいはお気に入りの唇や目も、自分だけのものではなく、祖先の特徴なのだ」と、『馬・車輪・言語』で著者アンソニーは語る。泣いて目元を真っ赤にするときは、「遮光器土偶」などと呼ばれているらしい。ひどくぐずる子ではないが、うまく寝つけないときは抱っこで子守唄や童謡がやはりいちばん効く。数十年ぶりに歌おうと思ったが、どれも歌詞はうろ覚えになっていた。適当にごまかして歌うと、おチビさんがまだ焦点のよく定まらない目で、眉間にシワを寄せ、お父さんそっくりの表情で「本当にそう?」と言わんばかりにこちらを見る。ゲラで散々、やれ、日本語として不自然だとか、同じ助詞が連続しているとか、漢字が間違っているなどと指摘された挙句に、子守唄までチェックされるのは情けない。

 しかし、これから言語を習得する重要な時期に、間違った歌詞を教えるのはいかがなものかと思い直し、子守唄&童謡の歌詞アンチョコをつくった。娘のときは手抜きだったので、今回は「裏の松山蝉が鳴く」、「花は何の花、つんつん椿、水は天からもらい水」といった歌詞の五木の子守唄と、民謡だが「こきりこの唄」も加えた。こちらも「向かいの山に鳴くヒヨドリは、鳴いては下がり、鳴いては上がり」という歌詞があるらしく、YouTubeで見てみたら、ヤマドリの尾を、古墳時代の冠の飾りのように綾藺笠につけて、こきりこささらを打ち鳴らすささら踊りが素敵だった。

 ただでさえ時間がない私に子守業の追加は痛手だが、そこから新たに学ぶことも、思わぬ発見もあるだろう。進化論の一つに「おばあさん仮説」もあるそうだし、幼児が言語を習得する過程は、昔から私の関心事の一つだ。座り詰めで悪化しつつある腰がぎっくり腰にならない程度に、うまく両立させたい。
(とうごう えりか)







ぐるぐるくん

野中邦子(2018.10.03更新)


パリのジュリア



 第二次大戦後のアメリカ社会に家庭でできる本格的なフランス料理を広めたジュリア・チャイルド……アメリカでは知らない人がないくらいの有名人です。訳書の参考で、映画『ジュリー&ジュリア』を見ていたら、思いだした。日本にもいましたね。料理研究家の草分けといわれた故・江上トミさん。

 ジュリアは政府機関に勤める夫のヨーロッパ駐在について行ってパリでフランス料理に目覚め、コルドンブルーで学び、料理書を出版してベストセラーになったあと、テレビの料理番組に出て、その気取らないながらも上品なキャラクターで人気を博します。

 江上の場合も、軍に勤務する夫の赴任地のパリへおもむき、そこでコルドンブルー料理学校に入学して料理を学びます。そんな経緯もジュリアと似ています。

 しかし、年代でいうと江上が1899年生まれ、コルドンブルーで学んだのは1927年。

 ジュリアは1912年生まれ、コルドンブルー入学は1948年。江上トミさんのほうが早いのですね。

 テレビに出演し、ユニークな個性で人気が出たところとか、上品な身のこなしや言葉遣いなど、江上トミとジュリア・チャイルドには共通性が見られます。

 私の世代だと、料理研究家といえば、江上トミさんのほかに土井勝さん、帝国ホテルの村上信夫さんなんかが印象的です。そのあと、料理の鉄人がはやって、陳さんとか道場さんとか、でもそのころ、私自身はすでに主婦で、日々、家族のために料理をしていたからあまり参考にはしなかった。

 ちなみに映画『麗しのサブリナ』で主人公のサブリナ(オードリー・ヘップバーン)がパリで通うのもコルドンブルーでした。

 『ジュリー&ジュリア』は、ジュリア・チャイルドの生涯とニューヨークに住むブロガー、ジュリーの生活を並行して描いた映画です。若いジュリーは夫とともにクイーンズに住んでいて、ものかきになりたいという野心を抱きながら、政府機関で働いている。ジュリアの料理書を手本にして、一年間で全レシピを作りブログにアップするというプロジェクトを考え、実行する。それが当たって、めでたく本を出版し、ものかきデビューを果たすという物語です。

 ジュリアのパリ時代、本を出版するまでの苦労、現代っ子ジュリーの料理との格闘ぶりがユーモラスに、また皮肉をこめて描かれる。ジュリーは卵が苦手で、ほとんど食べたことがないというのもアメリカらしい。アメリカでは卵や鶏肉が細菌まみれだということで、生食はほとんどしないんですよね。ジュリーはポーチドエッグを作って、はじめて卵を口にします。こういうところは日本人でよかったと思うね。

 このあいだニューヨークへ行ったときに訪ねたノグチ美術館はクイーンズ地区にあります。『ジュリア&ジュリー』に出てくるジュリー夫婦の部屋がまさにクイーンズっぽく(ピザ屋の2階)、マンハッタンへの地下鉄やその高架線の駅など、「ああこれ、これ」という感じ。

 ジュリアとジュリー、どちらも理解あるチャーミングな配偶者に恵まれて、最後にはサクセスを手に入れてよかったね、というストーリー。

 私のいまの仕事との関連性といえば、書店の風景が出てくるところです。ジュリアはパリの書店〈シェイクスピア&カンパニー〉の店先で、「英語で書かれたフランス料理の本はないの?」と訊ね、店員は「ありません」と答える。

 ジュリーのほうは友人のライターに取材をさせてといわれOKしたところ、予想に反して、「みじめな30代」みたいな扱いをされて、落ち込みます。その本のポスターが貼ってあるのが〈ストランド書店〉の店先。ということで、2軒の書店が出てきます。

 まあ、それだけなんだけどね……最近はamazonプライムですぐに映画を見ることができるようになり、とても便利です。

(のなか くにこ)







はまってはまって

江崎リエ(2018.10.03更新)



今年東京都が復刻した河童のバッジ(右)

10月1日は都民の日


   「10月1日は都民の日」と言うと、「そうそう、河童のバッジ」「毎年家族と上野動物園に行った」という反応と、「なにそれ?」「そんなの、あるの?」という反応が返って来る。前半の反応する人は東京都民、年齢もそれなりにいっている。後半の反応は、東京都民ではないか、東京都民だけど私立の小中高校に行っていたか、その上若いかだと思う。  

 台風24号が東京に猛威を振るった9月30日、「明日まで台風の影響が出そうだけれど、明日は都民の日で学校が休みだから、学生は通学しなくよくて、よかったね」と言ったら、「そんなの、あったね。でも、今でも学校は休みなのかな?」と言われて、ちょっと調べてみた。  

 10月1日・都民の日は1952年に東京都が制定した記念日の一つ。東京都立および都内各区町村立の小中高校は休みになる。また都内にある一部の国立や私立学校も休校となる。しかし、2002年の学校週休5日制以降は、休みにしないで平常通り授業をやる学校も増えているそうだ。ということは、今の子供達が通っている学校が休みになるかどうかは、運(学校の方針)次第かな。ネットには他にも、公立の学校が休みになる県民の日として、6月15日千葉県民の日、10月28日群馬県民の日、11月13日茨城県民の日、11月14日埼玉県民の日、11月20日山梨県民の日、が載っていた。

 私が子供の頃は都民の日というと、「わーい、学校が休みだ」と思ってうれしかったのと、学校でカッパのバッジを買ってそれを服につけていくと、東京都の施設が入場無料だったので、家族みんなで出かけるのが楽しみな日だった。そして、子供が喜びそうな都営の施設といえば上野動物園が筆頭だったので、私を含め、友達の多くが上野動物園に行っていた。

 さて、改めて考えてみると、河童のバッジはどういう仕組みだったのだろうか。学校に申し込んで河童のバッジを買い、服に付けて行ったのは覚えているが、子供が一人付けていれば家族全員が無料だったのか、バッジの金額は寄付で、都民の日の入場料自体が無料だったのかは覚えていない。

 これもネットで調べてみると、カッパのバッジは1956年から1997年まで販売されていた。これは都営施設の入場無料の目印となったそうだ。私は学校に申し込んで買っていたが、1度に1つしかもらった記憶がないので、親がどうしていたかは覚えていない。そして、都民の日とカッパのバッジがすぐに結びつく人は30代以降と言えそうだ。

 現在は、都営の博物館、美術館、庭園などは入場無料。上野動物園、多摩動物公園、葛西臨海水族館もこの中に入っています。六義園、清澄庭園、神代植物公園など、子供よりも年配の人たちが楽しめそうな無料庭園も多いけれど、それも高齢社会に合っているかもしれない。台風明けで晴天の10月1日、東京の無料施設で楽しい時間を過ごす人が多いといいなと思う。

(えざき りえ)












七月便り


中埜有理(2018.10.03更新)




 先月のニューヨークにつづき、またイサムノグチ展です。今度は初台のオペラシティにある画廊。夕方から行ったので、オペラシティの建物そのものがなんだかシュールです。  

 山手通りを渡る歩道橋。その途中で見上げた高層ビル。黄昏の秋の空が美しい。

 ホールの真ん中に人が立っていてびっくり。イギリスのアーチスト、アントニー・ゴームリーの作品です。

 

 東京オペラシティのアートギャラリー、初めて行きました。こんな立派なギャラリーがあったのね。

 ニューヨークのクイーンズにあったノグチ美術館は倉庫のような感じで、庭もあり、扉も開かれていて、窓も大きく、風通しがいい感じだったのですが、こちらは対照的に窓がなく、完全な閉鎖空間。どちらかといえば、ノグチの作品は広々とした空間のほうが似合います。

 ただ、中国滞在時に描いた墨によるデッサンは閉鎖的な空間によくマッチしていて、官能性がきわだっていました。

 この展覧会でも、いくつかの作品は撮影可になっていて、今回アップした写真はすべてそれらです。デッサンは撮影不可でした。

 アカリ・シリーズは灯が入っていて、ユーモラスな形体が心なごませます。ファンタスティックです。こんな照明器具だけ集めた部屋があったら楽しいでしょうね。マンション住まいじゃ無理だけど。リスをかたどった作品とか、ノグチは意外に可愛いものが好きだったのでしょうか。

 



 大きな石の作品ももちろん魅力的。ニューヨークで見たときにエロいなと感じた石の肌理は東京で見るとそうでもない。どういう心理的動きなのかな。

 ショップではカタログが売り切れていました。人気なのね。岡本太郎とノグチの2人展もあるようだし、藤田嗣治の大回顧展もやっているし、もしかしたら越境のアーチストが流行なのでしょうか?

(なかの ゆうり)




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