今月のエッセイ 2017年12月
   

江崎リエ【はまって、はまって】……「紅葉ベスト5を紹介します」

東郷えりか【コウモリ通信】……「明治維新が実際には革命であったことが実感できる」

中埜有理【七月便り】……「パディントンの腕に抱かれて……」

野中邦子【ぐるぐるくん】……「……痛そう」

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はまってはまって

江崎リエ(2017.12.03.更新)


醍醐寺弁天堂近くの紅葉



嵯峨野 厭離庵のお庭



金戒光明寺 紫雲の庭
京都の紅葉を楽しむ

宝厳院 獅子の形の岩とその上のモミジ
   久しぶりに京都の紅葉が見たくて、出かけてきました。東京にも紅葉の美しいところはたくさんありますが、京都の魅力は緑の苔と真っ赤なモミジの葉のコントラスト。そして、それが美しい日本庭園の中で見られることです。今回2泊3日で訪ねたお寺の紅葉ベスト5を紹介します。

 ナンバー1は嵐山の天龍寺の塔頭・宝厳院の獅子吼の庭です。ここは最初に来た時に、獅子に見える大きな岩とその上にかぶさるように葉を茂らせた真っ赤なモミジの美しさに息を飲んだところでした。その後、「あの夢のような瞬間をもう一度」と思って通っているのですが、最初に味わった目眩のするような美しさには出会っていません。それでも、ナンバー1にしたいと思います。ナンバー2は醍醐寺弁天堂近くの紅葉。初めて行ったお寺なので、その感動もあると思いますが、赤から黄色までのグラデーションがきれいなモミジの群生でした。ナンバー3は嵯峨野の二尊院近くの厭離庵のお庭です。秋の特別公開ということで、ここも初めて行きました。小さなお庭でしたが、嵯峨野らしい優美さがありました。ナンバー4は金戒光明寺の紫雲の庭のモミジ。白沙とスギゴケの庭園に赤いモミジが効いています。このお庭も特別公開で、初めて見ました。奥の池の周りのモミジも赤色が鮮やかでした。そして、ナンバー5は曼珠院近くの円光寺のお庭のモミジ。ここは池の周りを一周できるようになっていて、庭園に植えられたたくさんのモミジを様々な方向から眺められるのが気に入っています。
円光寺のお庭
 今年はちょうど見頃の時期に訪ねることができたので、あちこちで美しい紅葉を見ることができました。ドウダンツツジの赤も美しく、目の保養になった旅行でした。

(えざき りえ)











ぐるぐるくん

野中邦子(2017.12.03.更新)


クリスマスツリーきれい〜とか言ってたら




なかにあったのは放火現場



 今回のロンドン旅行でいちばん衝撃的だったのは、ピョートル・パヴレンスキーのアートとの出会いだった。

 地下鉄のスローンスクエア駅から、ファッションブティックがならぶおしゃれな遊歩道をたどっていくとクリスマス・デコレーションされた門、そしてその門を入ると、広々とした芝生の前庭に面してギリシャ古典期風の円柱を擁したファサード。そこがサーチ・ギャラリーである。  

 入場は無料。内部は飾りのない簡素な白い空間。外観のクラシックな印象を裏切る展示の数々。超過激! 見ようによっては悪趣味! 正気を疑う! 政治活動と芸術を結びつけた若いアーチストの作品が並んでいる。  

ピョートル・パヴレンスキ―はレニングラード生まれのロシア人芸術家で34歳。これまで論議を呼ぶパフォーマンスアートを繰り広げてきた。  

 2012年には『縫合』……過激な政治活動と音楽を融合させたロックバンドPussyRiotへの支援を表明するため、自分の唇を糸で縫い付けた。  

 2013年の『屠殺体』……まっぱの体に鉄条網を巻きつけて横たわる。  

 同じ年には全体主義に抗議して、赤の広場に全裸で坐りこみ、自分の睾丸を釘で石畳に打ちつけた。  

 2014年にはモスクワで、自分の耳たぶを切り落とした。  

 ……痛そう。

 今回、サーチ・ギャラリーで見たのは、そんな彼の最新作(?)である放火事件。KGBの流れをくむロシア国内諜報機関のドアに灯油をかけ、ライターで火をつけた。その現場写真と警察による調書が作品として展示されている。逮捕されるのは当然、そればかりか精神鑑定さえ受けている。鑑定結果は正常。

 これが芸術かといわれたら、なんともいいがたい。でも、本人が芸術だというのなら芸術にちがいない。

 そもそも私は、痛いのとか汚いのとか流血とか暴力が大の苦手である。そういうものは目にしたくない。でも、こうして目の前につきつけられると、芸術とは醜いものだという主張にうなずかざるをえない。受け入れられるかどうかはともかく、これが現実だということに目をつぶってはいられないね。いやあ、あの苛烈さは美醜という概念を越えて、人を動揺させる。びっくりして、感動した。

 美しい緑の芝生と白い大理石の円柱という外観を裏切る展示物。もとは個人コレクションだったが、現在は国立の美術館になっている。イギリスという国の懐の深さを思い知る。

 ところで、アクティヴィスト・アーティストの勇気に感動しながらも、その一方で、サヴォイ・ホテルでアフタヌーン・ティーを喫し、シンプソンズでローストビーフを食べるというスノッブの極みにも足を踏みいれてしまったのには忸怩たる思いがあるが、まあ、じっさいのところ、「人間は矛盾でできている」(『囀る鳥は羽ばたかない』より)のである。

(のなか くにこ)







コウモリ通信

東郷えりか(2017.12.03.更新)





上田城址公園





『赤松小三郎ともう一つの明治維新
──テロに葬られた立憲主義の夢』
関 良基著、作品社


その208
上田の三領主の紋

 だいぶ以前のことだが、高校の夏休みの宿題で娘が親戚に聞き取り調査をしたことがあった。そのとき、私の祖父が子供のころ父親に連れられて上田の旧藩主にご挨拶に伺っていたという話を聞いた。私の知る限り祖父は型通りの礼儀作法を重んじるタイプではなかったので、何やら意外な気がして、その話は印象深く残った。明治末期か大正初めのことだろうか。

 そんなこともあり、このたびその旧藩主のご子孫から、上田で松平忠固に関する講演会があるので、その折にでもお会いしましょうという旨のお電話を頂戴したときは、心踊る気分になった。誰でも参加可能の講演会ではあったが、会場となった藤井松平家の菩提寺である願成寺へ向かいながら、藩主を片隅から眺めるしかなかったであろう祖先のことを考え、私も同じくらい緊張した。

 日本が近代化に向かい始めた明治時代は、こうした封建時代の身分制度がなくなり、しがらみがなくなった輝かしい時代のように錯覚しがちだが、現実には版籍奉還という名目で各大名の所領が一気に取りあげられ、武士階級は士族という名ばかりの存在になり、その一方で明治維新の功労者や財閥の当主は大名や貴族と並んで華族になり、かつての大名屋敷跡を買いあげた時代でもあった。幕末の江戸の地図と明治の地図を見くらべれば、明治維新が実際には革命であったことが実感できる。

「それは人間を〈生まれつきの上位者〉と結びつけていた雑多な封建的絆を容赦なく断ち切り、そのあとに残された人と人の結びつきと言えば、むきだしの私利追求、すなわち無情な〈現金支払い〉しかない」というのは、ブルジョワ社会について述べた『共産主義者宣言』(1848年)の一節で、昨年刊行されたトリストラム・ハントの『エンゲルス──マルクスに将軍と呼ばれた男』(筑摩書房)に引用されていたため、四苦八苦しながら訳したものだ。藩主が〈生まれつきの上位者〉であるかはさておき、それまで数百年にわたって築かれていた主従関係が崩れ、明治維新を境に多額の資本をもつ人が事実上の支配者となり、人と人の関係がただの〈現金支払いの結びつき〉、つまり義理も人情もなく、ひたすら経済関係になったことが、この政変の本質だったのではないのか、とこの本を訳しながらよく思った。ブルジョワ階級は、「あらゆる国の民を、滅亡したくなければ、ブルジョワ的生産様式を採用せざるをえない状況に追いやる。人びとはブルジョワ階級が文明と呼ぶものを自分らのなかに導入させられる。すなわち、彼らもまたブルジョワにならざるをえない」。私は訳者あとがきに、これは明治の日本を念頭に書かれたかと思うほどだと書いた。同宣言には、資本主義が生みだす「消費財の安い価格は重砲であり、万里の長城をもなし崩しにし、頑なに外国人を嫌う未開人たちをも降伏させる」ともあった。

 上田藩主の松平忠固は、日米和親条約、日米修好条約の二度の条約締結時に、老中として強力に開国を推し進めた人だ。1840年のアヘン戦争に危機感を抱いた松代藩の佐久間象山が1842年に書いた「海防に関する藩主宛上書」を早期に目にする機会は、上田と松代の関係から考えて充分にあったに違いない。忠固は姫路城主の酒井家から藤井松平家に養子に入った人で、開国せざるをえない世界情勢であれば、それを逆手にとって貿易で利益を得て財政を立て直そうとする商才もあった。そんな彼が周囲の反対を押し切って開国を主張し、その衝撃を緩和するために開港を限定的、漸進的に進め、アヘンは禁輸するなど、諸々の対策を講じたはずであることは不自然なほど知られていない。封建時代の日本の開国には、電気も水道もなかった部族社会に突然、ソーラー発電とスマホが入るような混乱があったはずだ。産業革命を経た欧米諸国で量産された武器や弾薬、軍艦は、戊辰戦争で多くの人命を奪っただけでなく、それらを競って購入し、大枚をはたいた諸藩や徳川政権の財政も狂わせた。維新後、大名たちは華族となって特権を維持したものの、いち早くブルジョワになった資本家に借金をし、財産を処分して手にした一時金を、投資に使うすべを知らないまま浪費して、いつの間にか身ぐるみ剥がれていったのだろう。

 地元の明倫会主催の今回の講演会では、忠固の末裔の方々だけでなく、上田高校のOBとして『赤松小三郎ともう一つの明治維新』(作品社)を執筆された関良基氏や郷土史家の尾崎行也氏、貨幣史の研究から忠固に注目し脚本化なさった本野敦彦氏のお話も伺うことができた。忠固に関する史料は上田にもご子孫のもとにもわずかしか残されていないようだが、この祖先の実像を美化することなく、見極めたいという玄孫の浦辺信子さんの言葉には共感するものがあった。忠固が条約の締結を急いだ理由が、イギリス艦隊が来襲する前により穏当な交渉相手であるハリスと、日本に有利な条件で最恵国条約を結ぶことにあり、当初の関税率は20%であったのに、下関戦争の敗戦によって一律5%に減らされた、という関氏のご指摘は鋭かった。

 講演会の前には上田市立博物館で開催されていた赤松小三郎企画展を覗き、上田城址にある戊辰戦争碑のかすれた文字に目を凝らし、上田市図書館や、うちの祖先の菩提寺だったという宗吽寺の墓地にも立ち寄った。私のこうした調査は考えてみれば、明治以降の日本では葬り去られた江戸時代までの、金銭上の損得とは違う次元の絆としがらみを探るものでもある。先祖探しを最初に始めた娘は、歴史にはその後ちっとも興味を示さないが、近刊の絵本『じょやのかね』(福音館書店)には、地域のまとめ役であり、時計代わりでもあった寺の役割を見直す意味も込めていた、と私は思っている。
(とうごう えりか)








七月便り


中埜有理(2017.12.03.更新)




 ロンドンといえば、赤い二階建てバス。ふつうに走っている路線バスがこれです。今回は乗る機会がなかったけど、おしゃれやな〜。11月のロンドンには珍しく青空。今回は少々のにわか雨には逢ったものの、あまり雨には降られず、それほど寒くもなく、青空も見れてラッキーだった。日頃のおこないがよいせいでしょうか。テント式の丸い建物がO2アリーナ。そういえば、9月に行ったチェコのエキシビ大会もプラハO2だったので、今年は2度O2へ行ったことになる。ロンドンのほうがプラハのよりずっと大きい。スタジアムの前の広場に、映画『パディントン2』のキャンペーンで、パディントンといっしょに写真が撮れるコーナーができていた。ブリ子がちゃっかりパディントンの腕に抱かれて……パンといっしょに食べられそう。

 

 O2アリーナはロンドン西部のテムズ川沿いにある。中心部からはかなり離れていて、シティ、たとえばストランドなどへの行き来にはボートを使った。チャージできるオイスターカードがあるのでとても便利。ストランドへ行くのにエンバンクメントで下車、じゃなくて下船か。テムズ川南岸の遊歩道は空が広くて、雰囲気がいい。対岸から見るセントポール大聖堂の丸屋根がきらきらと輝いている。シェイクスピアのグローブ座。昔は橋がなくて、渡し船で川を越えたそうだ。芝居のある日は屋根の上に旗をあげて知らせたとか。ボートの窓から川沿いの名所を眺めるのもよい。タワーブリッジがユニオンジャック越しに見える。船はだいたいすいていて座れるので休憩にうってつけ。

 

 夜のストランド。もうクリスマスのイルミネーションが始まっている。通りごとに違うデザインのイルミネーションで、それぞれきれいだった。コヴェントガーデンのクリスマスツリー。コヴェントガーデンのマーケットもクリスマスの買い物に来る人たちや観光客でにぎわっていた。ローストビーフの店はコヴェントガーデンに近いストランドにある。昔まだ30代のころにロンドンへ来たときは、気がひけて高級レストランには入りにくかったものだけど、いまではすっかり神経が太くなった。ショディッチのマーケット。古着や手作りのアクセサリー、Tシャツやバッグなどを売っている。石鹸屋さんの屋台の陰からワンコが覗いていたりした。



 大型書店のフォイルズ(Foyles)もクリスマス商戦まっただなか。新宿紀伊國屋みたいな感じだった。もう一軒の老舗書店、スタンフォーズ(Stanfords)も雰囲気のある建物だった。ここに写真はないけど、もう一軒、ピカデリーのハッチャーズ(Hatchards)にも行った。この書店の地下はbiographyの棚が充実していて、いつ行っても面白い。アンディ・マリーの母親ジュディさんの本もあった。ジュディさんは私たちと同じホテルに泊まっていて、朝食レストランで毎日顔を合わせていたのでした。ナダルの本はなかったな。ワゴンで肉を運んできて、目の前で切ってサーブしてくれるローストビーフが売り物のシンプソンズ。いかにも接待という感じの日本人ビジネスマングループが来ていた。内装は重厚、接客も親切だった。ネットで予約できるのは便利ね〜。



 サヴォイホテルのアフタヌーンティーにも行ってきた。現地在住の人にはバカ高いホテルのアフタヌーンティーなんて行くのはむだといわれたこともあるけど、まあ、なにごとも経験つーことで。サンドイッチ4種とスコーン2種、クロッテッドクリームとジャム付、プチケーキ、紅茶はサヴォイブレンドのアフタヌーンティー飲み放題。ピアノ生演奏もあって優雅な雰囲気だった。ホテルの前でドアマンに記念写真を撮ってもらったりして、完全にツーリストモードだった。ボンドストリートに近いウォーレス・ギャラリーは古典期の名画を展示しているが、中庭にガラス天井の明るいレストランがある。雰囲気がよくて、メニューもヘルシーさが売りなので、なかなか人気だそうだ。ロンドン在住の姪が予約してくれたので、姪一家と待ち合わせてランチをいっしょに。いろどりがきれいでモダンな料理だった。ストランドの路上で見かけたこの黄色いのは……ぴかちゅうのような気がする。

(なかの ゆうり)




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