今月のエッセイ 2019年7月
   

江崎リエ【はまって、はまって】……「5年読まなかった本は」

東郷えりか【コウモリ通信】……「白黒写真でも写真家ごとに色合いの違いがでた」

中埜有理【七月便り】……「トッピングを選んでいったら、こんな量になった」

野中邦子【ぐるぐるくん】……「観戦キャリア・グランドスラムを達成」

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ぐるぐるくん

野中邦子(2019.07.13更新)

全仏オープン会場で

テレビの取材を受けるラファ・ガールズ

ナダルと2ショット、撮影は私

このイアノス書店で財布をなくしたことに気づく


一文無しで冷や汗


有名な〈キュー〉の番号札

 6月号の更新をお休みして申し訳ありませんでした。6週間にわたってヨーロッパの4か国4都市を旅行してきました(パリ、アテネ+ギリシャの田舎+エーゲ海の島2つ、ベルリン、ロンドン)。  

 ところで、牧人舎についてお知らせがあります。2009年に代表の鈴木主税が亡くなってからはや10年。一時は30人ほどもいた同人たちも独立して仕事をするようになり、会社を継いだ野中もそろそろ引退世代にさしかかります。これを機に会社を仕舞うことに決め、今年末をめどに幕引きします。それにともなって、当ホームページも終了したいと思います。これまでお世話になった関係者の皆様に心からお礼を申し上げます。いちおう10月までは更新するつもりですので、どうぞよろしく。  

 さて、今回の旅行ですが、例によってテニスのグランドスラムの観戦が中心で、始めはパリの全仏オープン、締めはロンドン・ウィンブルドン選手権でした。これで、全豪、全仏、全英、全米と観戦キャリア・グランドスラムを達成しました、やったね!  

 全仏オープンでは会場のロランギャロスが改修され、新しいスタジアムがきれいでセンスよく、設備も改良されていて楽しかった。なにより、ナダルの12回目の優勝を見届けられて大満足でした。  

世界遺産の岩山の修道院、メテオラにて
 パリのあとギリシャのアテネに移動。そもそも、こんなに長期の旅行になった原因というのが、中学高校の同期会が企画したギリシャ旅行の日程がちょうど全仏のあとだったからです。フランス在住で、ギリシャに別荘をもっている学友が案内係をかって出てくれて、なんと13人が参加しました(そのうち1人はパートナー同伴で総勢14人)。アテネで合流し、ギリシャ本土をバスで回り、ペロポネソス半島に渡って学友の別荘へご招待を受け、アテネ空港で解散。それが6月19日。  

 今年はウィンブルドンへ行くと決めていたので、開幕の7月1日までおよそ2週間。いったん日本に帰るのも無駄なので、せっかくギリシャに行くのだから、行ったことがないエーゲ海の島へも行ってみたい、というので1週間はミコノスとサントリーニへ。島はたくさんあって、どこにしようか考えたんだけど、最低3日は滞在したいと思って、初めてのエーゲ海でもあるし、定番ともいうべきこの2島に決めた。ロンドンまでの1週間は、前から行きたい、というか行くべきだと思っていたベルリンに滞在することにした。  

 テニス観戦と、同級生との修学旅行的グループ旅行、島でのバカンス、現代史のおさらい、そしてまたテニス観戦という日程になった。これで6週間、一か月半。  

 いっしょに行く人もさまざま。パリではおなじみのナダル・ファンと同行し、毎年、この時期のパリでしか会えないテニス友達と旧交を温めた。10年来、ナダルめあてで全仏に通っているのに一度も生のナダルをそばで見たことがないというマダムを練習コートに引っ張っていって、ナダルとのツーショット写真を撮ってあげた。ミッション完了。もちろん12度目の優勝は最高にうれしい。  

 アテネでは初日に財布をなくす(たぶん地下鉄か駅ですられた)というショックな出来事があったが、被害は現金とクレジットカード(すぐ止めた)と運転免許証だけ(だけ?)だったので、まあよしとする。と思っていたら、帰国後に「大変だったわね〜! 大丈夫?」と心配されることが多く、あれ、そんなおおごとだったのか、と思い直した。というか、お金を取られることくらいたいしたことではないと思っているらしい自分の図太さを改めて思い知る。とくにグループ旅行の場合、あまり落ち込んでいたら雰囲気を悪くしちゃうからね。  

 しかし、さすが英語教育の充実した高校同級の面々、みんな流暢に英語を話し、外国人相手に臆さず接するのには感心しました。最後まで、みんなよく食べ、よく飲み、好奇心旺盛で、タフな面々でした。  

 エーゲ海の島のバカンスは同業の友人が来てくれて、アテネ空港で合流。島というのは閉鎖的な空間なので、1人でいると寂しさが募るものです。だから、友達が来てくれてほんとによかった。1人だったらたぶん引きこもっていたと思う。ビーチで泳いだり、船から海に飛び込んだり、バカンスを満喫しました。

 パリへ移動する友人とアテネ空港で別れてベルリンは完全な1人旅。現代史を知るのにベルリンは欠かせません。ヒトラーや第二次大戦関連の翻訳が多かった鈴木主税さんなら、きっと興味深く、面白いと思っただろうな、と。

ベルリンの高架下にある〈作家書店〉
 美術館や書店めぐりで充実した日程をこなしたけど、1人だったのでレストランには行かず、あまりおいしいものは食べなかった。

 そして最終目的地のロンドンへ。アテネでクレジットカードをなくしたせいもあって、ロンドンではデビットカードが大活躍。ところが、ほとんど使わないと思っていたので限度額を月額3万円という少額にしておいたため、最終日までに限度額に達してしまい、あとは1枚残ったVISAカードでしのぐことになった。ウィンブルドンのチケットはキュー(列)に並べば安く手に入るのだが(1日だけ並びました)、その体力も気力もないわれわれはお金で解決するしかなく、チケット代がお高い。しかも、日を追うごとに高くなり、対戦がフェデラーとナダルなんてことになったら天井知らず。というわけで(それだけではないが)第一週だけで帰国の途についた。でも、ナダルの試合は全部見て、しかも負けなかったから、ここでもミッション・コンプリートなのだった。

 旅行中、訪ねた場所、見たもの、思うところは多々あったので、それらについても来月、書けたら(書く気になったら)いいな。

(のなか くにこ)







はまってはまって

江崎リエ(2019.07.13更新)







とりあえず、英語の本を処分しよう


   狭いマンションに住んでいるので、持っている本を減らしたいと思っている。好きな本は手元に置いておきたいとも思い、孫ができたので孫に読ませたい本も置いておこうと思い、読んでない本は読んでから処分しようと思っていると、結局捨てる本がなくなる。坂上忍がタンスの肥やしになっている着物を売るように進めるCMに「5年間着なかったら、もう着ないって! ◯◯に電話して売っちゃいなよ」(言葉は正確ではないけれど)というCMがある。このCMを聞いていると、「確かにそうだな、読もうと思っていて5年読まなかった本はバザーに出すか捨てよう」という気分になる。しかし、「読んでみたらすばらしい本かもしれない、お金を出して買ったのに、読まずに手放すのも悔しい」という気分にもなる。物事の決定は早い方だが、本の処分に関しては優柔不断なのだ。  

 そこで最近決めたのが、とりあえず英語の本を処分することだ。私が英語の本を読む時には辞書が不可欠だが、苦労して辞書を引いてもオリジナルの文体を楽しみたいと思って英語の本を多読していた時期があり、当時は面白そうと思った本はとりあえず買って家に置いていた。そんな本が本箱にちらほらとある。本当は読んでから処分したいのだが、今は辞書を引いて英語の本を読む気力はない。そこで、翻訳書を図書館から借りてきて、それを読んだら英語の本を処分することに決めた。  

 その第1冊目がSteven Millhauserの「Martin Dressler」だ。買ったのは2000年前後だろう。なぜこの本を買ったのか、理由は全く覚えていない。表紙にピューリッツァー賞受賞作と書いてあるので、それに引かれたのかもしれない。借りてきたのは「マーティン・ドレスラーの夢」(スティーヴン・ミルハウザー 柴田元幸訳)だ。ストーリーよりも細部の描写が面白く、魅力的な本だったが、この細部の描写を、辞書を引きながら味わうのは大変だった(もしくは途中で放り出した)だろうと思うので、翻訳を読むことにして正解だった。次は何を読んで処分するか、今は本棚を物色中だ。

(えざき りえ)











コウモリ通信

東郷えりか(2019.07.13更新)




『写真集 尾張徳川家の幕末維新』




「コロジオン伯爵がパンチ・センセイにアルバムを贈呈」と書かれた戯画
(『The Japan Punch』2より)


その226

 少し前のことになるが、『写真集 尾張徳川家の幕末維新:徳川林政史研究所所蔵写真』(吉川弘文館)という大型写真集を図書館から借りてみた。尾張藩主であった徳川慶勝が幕末から写真術にのめり込み、みずから撮影した大量の貴重な写真が残されていることを知ったのは、『葵の残葉』(奥山景布子著、文藝春秋)という小説を読んだからだった。当初の私の目的は慶勝の異母弟である桑名藩主の松平定敬について知ることだったので、写真集はついでに借りてみたようなものだ。ところが、じつに驚くべき発見が多々あって、それについてはいろいろ調べてからいずれ書くつもりだが、もう一つ写真集の巻末に「翻刻史料 徳川慶勝の写真研究書」という地味な、ただし非常に貴重な史料があったので、それについて今回は書いてみたい。

 初めに断わっておくと、私は自分で写真を現像したこともなく、まして幕末や明治初期に撮影された古写真の技術については若干の説明を読んだに過ぎず、以下は私が理解した限りのことだ。当時主流だった方法は、ガラス板にコロジオン溶液を塗ってから、硝酸銀液に浸けて感光性をもたせ、これがまだ濡れているうちに写真を撮影するため、湿板技法と呼ばれる。慶勝の自筆の研究記録には、当然ながらまず「コロヽシヲン 合薬如左」としてこの溶液のつくり方が記されている。「ヨシウム 四文目、アーテル 十六ヲンス、アルコール 十六ヲンス、シキイトカツウン 二匁七分二厘」といった調子だ。アーテルはエーテルだろうと想像がついても、ヨシウムやシキイトカツウンはなんだろう。少しあとのページに「貼紙」の単語表があり、「jojum イオヂウム」、「Schiet katoen シキートカツウン」などと書かれているので、ヨシウムはjodium、つまりヨウ素で、シキイトカツウンはschietkatoen綿布らしいことが、グーグル翻訳等からわかった。

 興味深いのは、慶勝がこう書いていることだ。「是迄ヨシウム曽達ヲ用ヱ。蘭名ノ方蘭字ソータニテ、三伯書ハホツタースト認誤也、ホツタースヨシウムハ無益。ホツタースハ草木ノ灰 曽達ハ海草也」。ちんぷんかんぷんで読み飛ばしたくなる部分だが、『この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた』(ダートネル著、河出書房新社)を訳した際にアルカリのつくり方を知識としては学んだので、草木ノ灰、海草の文字から、ホツタースはカリ、曽達はソーダだろうと見当がついた。実際、ネット上で湿板技法について調べると、コロジオン溶液にはヨウ化カリウムが使われているので、慶勝はここでヨウ化ナトリウムではなく、ヨウ化カリウムを用いるべしと言いたかったのかもしれない。

 コロジオン溶液にはさらに「カトミーム フロミーム」つまり臭化カドミウムなども手順どおりに混ぜなければならず、「先アーテルアルコールヲ交テ一両日ヲキ、フラントカツウンヲ入ヘシ、忽消散、一両日過ヨシウムヲ入ヘシ、六十時ノ間閉口ス」といった具合に、完全に混ざるまで手間暇かかるものだったが、ネットで調べたところ、出来上がった溶液は透き通ったレモンイエロー色になるらしい。  横浜開港後まもなく来日し、多くの写真を残したフェリーチェ・ベアトは、親友の画家ワーグマンの漫画雑誌『ジャパン・パンチ』のなかに「コロジオン伯爵」というキャラクターで登場する。彼もまたこの面倒な手順を踏んで、せっせとこの溶液を調合していたのだろうか。

 慶勝の研究書は、硝酸銀にガラス板を浸けるための容器の図や、「画ヲ鏝(こて)ニテ温ム」と書かれた何やら可愛らしい図などもあり、徳川御三家筆頭の当主が、こんなことを熱心に本格的にやっていたというのは意外だった。安政の大獄で隠居謹慎を命じられていたあいだに研鑽を積んだのだそうだ。水戸の徳川斉昭の甥に当たる慶勝は、かなり強硬な攘夷論者だったが、西洋の技術の解明に取り組んだ一面もあったわけで、そこから学んだものは大きかっただろう。

 湿板技法では撮影後のガラス板はネガとなる。ベアトなどはもっぱらそれを鶏卵紙に何枚も焼いていたが、ガラス板そのものの裏面を黒くすると、銀を含んだ感光部分が白くなってポジ画像に見えるので、それをそのままオリジナル一枚だけの写真として鑑賞するアンブロタイプもある。単純に裏に黒い布を敷くこともあったようだが、慶勝は「右ヲ(没食酸二合〆)陽画ニ用レハ黒色ヲナス」と書いているので、裏面を黒く塗っていた。没食子インクのつくり方も、前述のダートネルの書で学んだが、このインクは幕末の日本でも知られていたのだろう。いくつかの材料の調合リストを書いて、出来上がりの色が「黄ニシテアメ色」や、「薄紫色」、「白色ニテ不宜」などとも記している。白黒写真でも写真家ごとに色合いの違いがでたのだ。

 慶勝のこの研究書にこれほど興味をもったのは、尾崎行也氏の「幕末期上田藩士の西洋受容──写真術を中心に」(『信濃』第50巻第9号)を読んだためだった。上田藩の大野木左門は尾張の阿部柳仙という人物から手ほどきを受けたのち、日本最初の商業写真家と言われる鵜飼玉川とも書簡のやりとりで、「ハイボウ」は「炭酸曹達より炭酸一トアトムを減候品」などと、意味不明な説明を受けたりしていた。慶勝は「ハイボヲ」について「次亜硫酸曹達液ノ代ニ用ヒテ宜」と書いているので、次亜硫酸ナトリウム(sodium hyposulfite、Na2S2O4)の代わりの薬品と考えていたようだ。実際には、英語の名称からわかるようにこれが本来「ハイポ」と呼ばれるべき薬品で、漂白剤などに使われるものだが、写真の定着剤として使われるチオ硫酸ナトリウム(Na2S2O3)になぜか「ハイポ」の呼称が「定着」してしまったらしい。こちらは酸素原子が一つ少ないので、鵜飼玉川はそれを説明したつもりだったのだろうか。写真業界のこの混乱が、幕末に始まったものであることがわかりじつにおもしろい。

 裏面を黒くする以前のガラス板の画像はネガであるだけでなく左右が反転しており、そのまま裏面を黒くすると逆版に見える。しかしガラス板なので、厚みで多少画像がぼやけたとしても単純に裏側を表と見なせばよいらしい。慶勝が撮影した初期の写真なども、着物の合わせや刀の位置は間違っていない。しかし、大野木は玉川に、女子は撮影時に襟を反対に合わせれば済むが、男子の場合、脇差しを逆には差せないと言わんばかりに、「然りとて画之裏よりゑの具をさし候事」は難しく、どう対処すればよいのかと質問している。画像はヘリニスなりエルニスなりでコーティングすれば問題がなかったと思われ、慶勝はその「陽像薬」の成分をアルコール、コハク、石脳油とする。こうして双方を読み比べると、ちょうどロゼッタストーンの解読のように、何かしら見えてくる。ぜひ写真の専門家に初期の写真術を読み解いてもらいたいものだ。
(とうごう えりか)










七月便り


中埜有理(2019.07.13更新)



 パリでの楽しみは、年に一度ここでしか会えないテニス友達と久しぶりの逢瀬を楽しめること。今年もロランギャロス近くのレストランでごはんを食べながらおしゃべり。楽しいひととき。写真奥からレタスのサラダ、フレンチフライ、カラマリ・フリット(イカのフリッター)、春巻き、ビーフタルタル。

 パリのビールは定番の〈1664〉。

 全仏会場のラウンジで供される料理はおしゃれすぎて、味の予想がつかない。この写真はケーキではなく、トマトの中にツナサラダのようなものが詰めてある。

 

 ギリシャで美味しかったのはフレッシュジュース。オレンジジュースがすごくおいしい。これはミックスジュース。

 ギリシャの名産品、フェタチーズのフライ。フェタは山羊のチーズです。

 ギリシャ風サラダ。トマト、キュウリ、オリーブなどのサラダにフェタチーズをのせたもの。旅行中なんども食べることになった。

 

   ギリシャ・ヨーグルト。グラノーラを混ぜ、蜂蜜をかけ、新鮮なフルーツをのせ、とトッピングを増やしていったら、こんな量になった。

 ガンバス(海老)の塩焼き、レモンがオレンジ並みに大きい。

 ギリシャのビールは〈アルファ〉。

 

   ベルリンでおいしかったもの、スイカとプレッツェル。ちゃんとしたレストランへ行かなかったことがばればれ、

 ロンドンは相変わらず日本食ブームだが、ネタが肉系のこの握り寿司はいまいちかな。

 ウィンブルドン会場で食べたフィッシュ&チップス。大きくて1人ではとても食べきれない。



(なかの ゆうり)




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