今月のエッセイ 2018年6月
   

江崎リエ【はまって、はまって】……「輪切りにしてオリーブオイルで炒めてしょうゆをかけるだけで」

東郷えりか【コウモリ通信】……「初期の車輪にはスポークすらなかった」

中埜有理【七月便り】……「ロランギャロスのラウンジで出る軽食はとてもおしゃれ」

野中邦子【ぐるぐるくん】……「Anthony Bordain が死んだ? 」

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コウモリ通信

東郷えりか(2018.06.09更新)




『馬・車輪・言語: 文明は
どこで誕生したのか』
D. W. アンソニー著、筑摩書房




その214
 いまとなってはどの本だったのか思いだせないが、2009年の「コウモリ通信」を読み返してみると、仕事でリーディングした多数の英語の原書のどれかに、老子の「無用の用」が言及されていて、原詩を調べたことがあった。「三十輻共一轂。当其無、有車之用」と始まるものだ。このときはもちろん、無についてあれこれ考える老子の哲学に感服したのだが、それとともに私の記憶に深く残ったのは、輻(スポーク)も轂(ハブ)も馴染みのない漢字であるだけでなく、訳そうにも該当する日本語が思いつかないことだった。それぞれ「や」と「こしき」と読み、強いて言えばこれが日本語の訳語なのだが、実際には「や」は細長い形状から、「矢」のようなものという意味だったかもしれない。「こしき」は、同じ音で鹿児島の甑島にも使われる字があり、これは円形で中心に穴が空いた米を蒸すための土器だった。初めて車輪を見た飛鳥時代の人たちが連想したのは、この調理用具だった可能性はないだろうか。

 こんな経験がきっかけで車輪の歴史に興味をもったことから、あれこれ検索するうちに何度も拾い読みすることになったのが、アンソニー・W・デイヴィッドの『The Horse, the Wheel, and Language』(2007年)だった。その後、『100のモノが語る世界の歴史』の仕事でウルのスタンダードの鮮明な写真を見て、初期の車輪にはスポークすらなかったことに気づき、一つの技術が生まれる背景にどれだけの歴史が存在したのかを思い知らされた。

 一連の仕事がひと段落した2015年にとうとう原書を手に入れ、一気に読んだあげくに、折しも開催されていた「大英博物館展」の内覧会のあと、いま思えば能天気にこの本の翻訳企画を大英の仕事の編集者にもちかけたのだった。以来、紆余曲折を経てこのたびようやく邦訳版が完成した。邦題はそのままずばり、『馬・車輪・言語』となったが、「文明はどこで誕生したか」という副題が本書の内容を凝縮している。

 言語学と考古学という二つのまるで異なる分野の架け橋をつくることと、ロシア、ウクライナ、東欧という、長らく壁の向こうで馴染みのなかった地域の歴史と地理を概説することを目的とした本なので、著者は平易な文章を心がけ、専門用語を噛み砕いて説明している。だからこそ、私のような門外漢でも訳せると錯覚したのだが、いつものように調べた訳語をノートに書きつける程度では埒が明かず、途中でキリル文字や妙なアクセントだらけの東欧の文字の表記とともに、固有名詞をエクセルに入れ直す羽目になった。著者はアメリカ人なので、ロシア語などで書かれた論文から、これらの地名や文化名を一つひとつ拾っていた苦労は並大抵のものではなかったろう。そのためか、原書はスペル間違いも散見され、私は余計に悩まされることになった。

 本書について述べたいことはいくらでもあるが、まずは馴染みの薄い比較言語学に関連したことを書きたい。学生時代に言語学のほんのさわりだけ習ったことがあるが、当時の私にはチンプンカンプンでどうも興味がもてなかった。その後、『日本語のルーツは古代朝鮮語だった』(朴炳植著、HBJ出版局)という本を読んだことがあったが、いかんせん基礎知識がないため、いつか検証してみたいと思いつつ、半分ほど理解して終わった。したがって、私にとっては本書が事実上、初めて本腰を入れて読んだ言語学の本ということで、正直言えば、過去200年にわたって言語学者たちが築いてきた功績について理解するのが精一杯だった。

 それでも外国語を専攻し、こうして日々、言葉と格闘している身としては、本書の記述には思い当たる節が多々あった。その一つはクレオール語だ。別々の言語が収束した結果生じた言語のことで、名詞が格変化せず、単数・複数の区別がなく、動詞は時制、性別、人称によって変化せず、副詞や形容詞を強調するために反復するなどの説明を訳しながら、タイ語や日本語はクレオール言語ではないのかとふと思った。タイ語では、時制はただ助動詞か副詞を加えて表わすし、「マークマーク」や「ローンローン」のように形容詞を重ねて程度を表わす方法はえらくシンプルで、なかなか英語を覚えたがらなかった娘が、タイ語は素直に学べた理由がそこにあった。子供にしてみれば、「いっぱいいっぱい」、「暑い暑い」と言っているのと同じで、親近感を覚えたのだろう。だが、逆に言えば、日本語でもそういう表現は可能だということだ。日本の地理的条件や歴史を考えると、氷河期以降、大陸から海を越えて渡ってきた人びとは最初から家族連れで移住してきたわけではないだろう。男性中心で構成された渡来人が、すでに日本列島にいた女性と家庭を築き、その過程で語彙は増え、文法は単純化された可能性がありそうだ。渡来人は数こそ少ないが、高度な技術をもち、何よりも筆記を日本に伝えたわけだから、その影響力は絶大であったはずだ。

 もう一つ、とくに印象に残ったのが、どういう状況で言語の交替が起こるかに関する考察だ。スコットランドの漁民が話していたゲール語が、戦後、漁業の衰退とともに急速に消えていったことが例として挙げられ、わかりやすくこう書かれていた。「廃れてゆく言語にまつわる否定的な評価は、孫子の代によって重要度の低いものへと分類され直しつづけ、しまいには誰もおじいちゃんのように話したくはなくなるのだ。言語の交替と過去のアイデンティティの蔑視は、密接に関連しているのである」

 最近、やや下火になったが、一時期、「美しい日本語」が大いに流行った。翻訳文はただでさえ固有名詞がカタカナ表記なので、できる限りカタカナ語ではなく日本語に置き換えろと、故鈴木主税先生に言われつづけたため、前述のように私は日々、「日本語の」訳語を探すことに悪戦苦闘している。でも、それは結局のところ、「配偶者選好性」のような漢語に行き着くことが多く、大和言葉はあまりにも語彙が足りない。近年の日本語礼賛ブームは、じつは日本人としてのアイデンティティが揺らいでいることへの危機感の裏返しなのであって、これは決して言語だけの問題ではない。

 近年は、英語の早期教育をめぐる問題でも意見が大きく分かれている。実際には文科省の教育制度への不満が大きいようだが、すべての日本人に外国語が必要なわけではないという主張は、国内で安泰した地位を享受している人の発想だ。本書によると、こうした「地元型戦略」の人は、「自分が育ってきた母語である言語で、必要なことはすべて賄えるので、彼らはその言語だけを話すようになりがちだ」という。大学教育を受けた北米人の大半がこのカテゴリーだそうだ。だが、この先の世代にも、高度成長期やバブル時代を謳歌してきたわれわれの世代と同じ機会が確保できるのだろうか。あいにく、明日の暮らしの保証もない私のようなフリーランスは、リスク「分散型戦略」で多くの外国語を学ばざるをえない。言語というものにたいするこのような視点が得られることも、本書の大きな魅力の一つだ。ぜひご一読を。
(とうごう えりか)







ぐるぐるくん

野中邦子(2018.06.09更新)

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 6月8日の夜、ツイッターのタイムラインに流れてきた情報に目を疑った。
 Anthony Bordain が死んだ?

 病気という話は聞いていない。ふと不穏な予感がする。ドラッグのオーバードースか、という思いが一瞬、頭に浮かんだ。  
 あるいは自殺か……自分の頭に向けて銃でもぶっ放したか。ヘミングウェイみたいに。  

 しばらくたって、情報が少しずつ出てきた。テレビ番組撮影のためにフランスのストラスブールに滞在中のホテルで亡くなっていた。連絡が取れないことを不審に思った友人のシェフが部屋を訪ねて発見したという。首を吊っていた。彼らしくない死に方だが。   

 アンソニー・ボーデインの出世作となった『キッチン・コンフィデンシャル』を翻訳したのは2000年(刊行は2001年、新潮社)なので、もう18年も前のことになる。料理業界の裏話を遠慮なしに暴き、はぐれ者のシェフやコックの生態を描いた。当時、腐りかけた魚をごまかしてランチに出すレストランの話にニューヨークっ子は慄然としたらしい。  

 この本がベストセラーとなり、世界各地の料理を食べてまわる続編の『クックズ・ツアー』も好評を博した。その後、出版の世界からテレビ界へと転身し、フードネットワークで『クックズ・ツアー』のテレビ版、トラベル・チャンネルで『アンソニー・ボーデインのノー・リザベーション』に出演し、エミー賞をもらったりもしている。それからCNNに移って『パーツ・アンノウン』という番組をもち、これは11シーズンも続いていたところだった。  
 オバマ大統領がベトナムを訪問したときは、町の安食堂のテーブルに差し向かいで坐り、壜ビールを飲んでいるシーンが世界に流された。  

 インテリ家庭に育ち、大学をドロップアウトして料理人の道に進み、ドラッグの沼に落ち込んだり、そこから抜けだしたりという波乱の一生は『キッチン・コンフィデンシャル』に生き生きと描かれている。  

 印象的なのは、子供時代に両親につれられてフランス旅行をしたとき、ハンバーガーとケチャップしか食べようとしなかった男の子が初めて生牡蠣を食べたときのエピソードである。食べることの官能的な歓びが伝わってくる。その海岸を再訪したときのエピソードが『クックズ・ツアー』にある。「思い出のビーチへ」という章には、亡き両親への思い、失われた子供時代への懐旧の念があふれている。一流の書き手だと思わざるをえなかった。
 体にタトゥーを入れ、格闘技に熱中し、ロックスターのラモーンズの大ファンと公言して「こわもて」の不良シェフを気取っているボーデインの内側に傷つきやすい繊細な感受性があることがうかがわれる。  

 あるとき、彼はジョークのつもりで何かの記事で読んだ話をもちだす。
 「ドラッグをやめられる人間は4人にひとりだ」
 そのとき、タクシーに乗っていたのは4人。
 「わかった。このなかでドラッグと縁が切れる人間がいるとしたら、それは俺だ。こいつらに引きずられて落ちていくつもりはない……どれだけ親しかったとしても関係ない。俺は生き残る。俺がそのひとりになる」  
 私はやった。彼らはしなかった。
 そのことを後ろめたいとは思わない。

 そういってドラッグの泥沼から抜けだす強さをもっていたボーデインがこのような結末を迎えるとは、とても残念だし、悲しい。
 料理は日々、その瞬間に消えていくものだが、料理をする人びとの活気にあふれた生活と、食べることの恍惚について書いた彼の本はずっと残るだろう。どうか安らかに。

(のなか くにこ)







はまってはまって

江崎リエ(2018.06.09更新)



アイスプラント





イエローパプリカ
いつの間にか色々な野菜が


   スーパーに行くと、昔は見かけなかった新しい野菜が色々と目につく。「昔」がいつかという問題もあるけれど、子供が小さかった30年前以降としておこう。その頃は食べたこともなくて、一番よく食べているのはスッキーニだ。輪切りにしてオリーブオイルで炒めてしょうゆをかけるだけで、美味しく食べられるし、冷蔵庫の中で放っておいても、なかなかしなびないのがいい。日本に入ってきたのは1980年くらいで、アメリカから輸入されてじわじわと広まったらしい。もう一つ、よく食べるようになったのはアボカドだ。これは古くからあったと思うが、スーパーでゴロゴロ売られるようになったのは、90年代ではないだろうか。私が食べ始めたのは、ここ5、6年だ。

 スーパーに行って目につくのは、赤、黄色、オレンジ色のパプリカだ。出てきた当時は「ピーマンの色違いでしょ」くらいの認識で、ピーマンと形も似ていたのだが、最近は大きくて肉厚になり、ドーンとした存在感がある。最近は料理番組等でもよく使われている。私はピーマンもそれほど料理に使わないので、パプリカを買ったこともほとんどなかったが、最近は彩りに時々使っている。食べてみると、ピーマンほどクセがない。こちらは日本に入ってきたのは1990年以降だという。

 好奇心が強いので、新しい野菜を見ると試してみたくなる。かいわれ大根の隣にあったブロッコリースプラウトとか、八百屋のおじさんに勧められたアイスプラントとか。ブロッコリースプラウトはクセがないので、彩りにいいけれど、特に美味しいとも思えなかった。アイスプラントは、葉の表面に塩の結晶が付いていて、シャキシャキしてサラダにいいと勧められたのだが、それほど魅力的な味ではなかった。

 新しい野菜は、概ね何かの栄養価が突出して高いようだ。最近、珍しい野菜を目にする機会が増えたのは流通が進歩したからだろうが、スーパーに並んだ新野菜が買い物客に受け入れられるためには、「栄養がある、おいしい」などの商品の魅力と、その魅力や調理法を伝える広告や口コミの力が必要だろう。これからどんな野菜がスーパーに現れ、どん野菜が消えていくのだろうか。そんなことを考えながら、毎日その日の食材を買いに行くのが、私の今の楽しみの一つだ。

(えざき りえ)












七月便り


中埜有理(2018.06.09更新)




 全仏オープンを観にパリへ行ってきました。パリで食べたもの。

 雨に降られて、目の前にあったレバノン料理の店に駆けこんだ。メゼ7種。ちょっとスパイシーすぎた。

 ホテルのすぐそばにあるバー/ブラッスリ〈41〉(フォーティワン)。

 チーズハンバーガーを食べた。チーズがモツァレッラというところがおフランスならでは。

 



 翌日は、大手スーパーマーケットのカルフールで寿司を買ってホテルの部屋食。ゆで卵のサラダとカットフルーツ。

 いちばん上の赤茶色がロランギャロスを指す。下の白い標識はメトロのポルトドートゥイウユを示している。

 全仏ロランギャロスのラウンジで出る軽食はとてもおしゃれ。おしゃれすぎて、見ただけでは味が想像できない。食べてみて初めて好き嫌いがわかる。油断しているとパクチー味だったりして(私はパクチーが苦手)。飲み放題のシャンパンはモエ・エ・シャンドン。奥にあるのは毎日出る無料の新聞『ル・コティディアン』



 これもホテルに近いブラッスリー。鏡の上に白い文字で書かれた「今日のメニュー」がいかにもフランス的な雰囲気。

 その店〈ボージョレ・ドートゥイユ〉で食べたのは、seabassのラタトゥイユ添え、seabassとはスズキのことらしい。身のやわらかな白身魚だった。

 デザートはタルトタタンを2人でシェア。添えられていたのは生クリームではなく、クロッテッドクリーム。

 

 テニス選手がよく行くというイタリアン・レストランへ。シャンゼリゼに近く、メトロのフランクラン・ルーズベルト駅のそば。

 ピザ・マルガリータとグリーンサラダ。海の幸のスパゲッティも食べたのだが(トマトソースがとてもおいしかった)食欲に負けて写真を撮り忘れた。

 デザートはアフォガード。めっちゃ大きくて、生クリームがたっぷり。となりのテーブルには、女子テニス世界ナンバーワンのシモーナ・ハレプがチームといっしょに来ていた。

 

 欧州在住のテニス友達とも合流して総勢6人で会食。ホテルとロランギャロス会場のあいだにあるレストラン〈murat〉で。これまでの2軒よりはちょっと高級。テーブルクロスがちゃんとした布製。

 生ハムとメロン。1人遅れてきたため、この時点は5人だったので、ちゃんと人数分、5切れある。

 春巻きも5本。

 

 フランスといえば、欠かせないのがフレンチフライ。サイドディッシュで注文。

 この日は別のスーパーでサンドイッチ(ツナ)とシーザーサラダを買ってきて部屋食。オニオンスープは日本から持参したもの。オレンジとリンゴはホテルからのサービス。シーザーサラダはドレッシングもフォークもついていて便利。仕切りのあるプラスチック容器にグリーンとゆで卵とチキンと固焼きパンが別々に入っている。ドレッシングはチューブ入り。

 ホテルの朝食。ほとんど毎日同じメニューで食べていた。グレープフルーツジュース、バゲット、クロワッサン、バター、ハムとチーズ、ゆで卵(ない日もあった)、フルーツ・コンポートとヨーグルト、コーヒー。ただのバゲットにバターを塗って食べるのがとてもおいしい。



(なかの ゆうり)




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