【はまって、はまって】バックナンバー 2002年  江崎リエ(えざき りえ) 2003年2001年はこちら



編み物とカメラ  2002.01

編み物

 久々に編み物をした。子供が突然、「おかあさん、縄みたいな模様って編める?」と言うので、「あれならカンタン」と言ったら、帽子を編んでくれという。帽子なら2玉もあれば編めるので、毛糸代はせいぜい千円くらい。時間もそれほどかからないので、編んでやることにした。

 編み始めると、独特の毛糸の感触と編み上がった部分の重さが心地よい。できあがりを楽しみにされるのもそれなりにうれしくて、数日で編み上げた。丸い帽子のてっぺんにポンポンをつけてほしいというので、それも作る。ハサミで毛先を切りそろえながら、丸い玉を作っていくのも楽しい。

 久しぶりに編んでいるうちに、「私は編み物が好きだ」と再認識した。子供が小さいうちはいろいろなものを編んだが、最近は目が疲れて肩が凝るので、「もう編み物はやめた」と思っていたのだけれど……。今度の正月休みには、何か自分の物を作ってみたいと思っている。

カメラ

 機械いじりが好きというわけではないが、なぜか子供のころからカメラは好きだった。昔、家には2眼レフがあって、それをのぞいて写真を撮る父の姿と、「触っちゃだめ」ともったいをつけられた思い出が、カメラを特別なものにしているのかもしれない。

 夫と一緒になってから、一眼レフ(ニコンFM2)を買った。シャッターの音がやたらに大きいカメラだが、使い込んだぶん撮りやすく、このカメラがいちばん自分が思ったように撮れる。ただし、これを持ち歩くには根性がいる。重いものを持つのが苦手な私には、なかなかこたえる重さなのだ。これにフラッシュと望遠レンズを持って行くと、撮るのは楽しいが帰りはクタクタだ。

 そのため、しばらくは弟のイオスを借りて使っていた。こちらは軽いし全自動なので、撮るのは簡単。それなりにいい写真が撮れるが、面白みに欠ける。そう思っているうちに「返して」と言われて、返してしまった。

 子供も大きくなったので、最近は写真を撮る機会のない生活が続いているが、ホームページを持つようになってからは、デジカメはおもしろそうと思っていた。そして2001年の私の誕生日、デジカメを手に入れた。富士フィルムのファインピクスA101(215万画素)。シャッターを押してから絵が映るまでにタイムラグがあるし、撮った絵を見るまで、明るさなどをきちんと確認できないので最初はいらいらしたが、「ふつうのカメラとは別のおもちゃ」と割り切ることにした。約200 グラムの手のひらサイズ。小型計量なのが気に入っている。しばらくはこれを持ち歩いて、ホームページにアップできそうなシーンを捜したいと思う。


フランス語  2002.02

 高1の時、ジャン・ジュネの「薔薇の奇跡」を読んで、この美しい文章をフランス語で読みたいと痛切に思った。ほかにもいくつかの理由があって、大学でフランス文学を専攻することになるのだが、私のフランス文学の原点はジュネだ。大学の講義で読んだボードレールの「悪の華」は期待通りに美しかったし、ヌーボー・ロマンの実験小説は、内容よりも文体を評価する私の好みに応えてくれた。

 大学を出てからはフランス語を話たり読んだりする機会はまったくなかったが、パソコン通信を始めた翌年の1990年にフランス好き(flancophilia)が集まるフォーラムをみつけ、そこで好きな小説の読書会を始めてからは1年に1〜2冊のペースで原書を読んでいる。それでも、好きな小説を自己流に読むだけで、フランス語を仕事にしようという気はまったくなかったし、できるとも思っていなかった。

 ところが昨年はフランス語の下訳、続いてフランス語脚本からのノベライズの仕事をさせてもらった。好きで細々と続けてきたことがこんな形になるなんて、十年前には想像もしなかったことだ。

 私のヨガの師は、「ある日、量が質になる」と言う。これは長年ヨガをやっていても、いかにもヨガらしいポーズができるようにならない私のような生徒への、「繰り返し繰り返しやっていると、ある日すっと進歩しますよ」という励ましの言葉なのだが、語学や翻訳にも当てはまりそうだ。私はいろいろなことに手を出し、好きなことは細々と長く続けているが、最初の1、2年を過ぎると「進歩」を実感することはほとんどない。でも、この言葉を信じれば、10年続けて来た読書会のおかげで、今日のフランス語翻訳があると言えるのかもしれない。一緒に読んでくれたたくさんのフォーラム仲間に感謝しなくては。

P.S.というわけで、フランス語脚本からのノベライズ本「ヴィドック」ジャン=クリストフ・グランジェ脚本、角川文庫560円 ISBN4-04-289601-4)が出ました。映画も公開中です。


マッサージ  2002.03

 マッサージというものを初めて受けたのは約2年前のことだ。会社勤めをするようになって最初の1、2か月は、肩こりがひどく、異常に目が疲れた。慣れないコンピューターの画面のせいなのか、おおぜいの人間のいる中で仕事をすることに対する体の拒否反応なのか、ともかく目はしょぼしょぼ、肩はバリバリでつらかった。それで、「この肩をなんとかしたい」と、銀座にたくさんあるマッサージ院の一つに飛び込んだ。

 初めてのマッサージはなかなか気持ちがよかったが、1日で体は元の状態に戻ってしまう。最初のうちは週に2回ほど通っていたが、30分3000円という金額もなかなかつらいものがあった。それでも、体をこわしては元も子もないということで、この出費には目をつぶっていた。その後、家の近所で中国整体マッサージ1時間4000円というのをみつけ、ここに半年近く通った。そのうちに体が仕事に慣れたせいか、中国整体術の気のパワーのおかげか、それほどひどい肩こりはなくなった。

 しかし、体はすっかりマッサージの心地よさを覚えてしまったので、今ではちょっと疲れるとマッサージに行きたくなる。「ここでガマンすればバーゲンのセーターが買える」と思うのだが、固いコリをもみほぐしてもらう気持ちよさには抗えず、今は銀座の行きつけの店にたまに行っている。それでも、会社勤めも2年がたち、半年前からヨガも始めたので、そろそろマッサージも必要なくなりそうと思っていた。

 ところが、正月休みですっかり体のタガがゆるんだのか、1月の上旬に腰にズッキーンと痛みが走るという悲劇が……。ギックリ腰まではいかないが、前屈みになると鈍痛がある。そのまま重いものを持ち上げるとピシッと音がして動けなくなりそうないやな予感があり、さっそくいつもの店に助けを求めた。それから定期的に通っているおかげでひどくならずに今日まで来ているが、当分マッサージのお世話になりそうだ。暖かい春が来たら、体がもっと滑らかに動くようになるだろうと期待しているのだが……。

☆おまけの近況 2月22日は猫の日ということで、ペット・インストラクターを取材して、原稿を書きました(22日読売新聞朝刊に載ってます)。そこで見たオシキャットの優雅で可愛かったこと。一昨年、長年飼っていた猫を亡くしたので、もう家で動物は飼いたくないと思っているのですが、猫を撫で回すのは気持ちがいいですね。

 「ヴィドック」に続いて、今度は英語の映画のノベライズをしています。物語の背景を調べたり、脚本に書かれていない部分を想像しながら自分の言葉で書いていくのは楽しい作業です。


ほんとうに鳥が好き? 2002.04

 疑問符付きのタイトルにしたのは、自分でそう言い切れる自信がないからだ。見るのは好きだけど飼うのはどうかなあ、というところ。羽があるぶん、鳥かごの中で飼うと自由を奪っている感覚が強くて心が痛むかもしれない。

 子どもの頃にはジュウシマツを飼っていた。粟粒のえさと水を取り替えるのは私の役目だったが、かわいいというより、どんどん卵を産んで増えていくのが驚きだった。大雨に日に父の部屋にセキセイインコが飛び込んできたこともある。部屋に居ついたその鳥は、父の部屋で放し飼いになっていた。どこかで飼われていたらしく、よく訓練された利口な鳥で、かわいいと思ったが、私にはあまりなつかなかった。お祭りで売っているひよこも好きだったし、動物園にいけば鳥小屋の小鳥たちや、ペリカン、フラミンゴ、クジャクを眺めるのも好きだったし、新宿御苑のカラスだって艶やかな黒い羽がきれいだと思う子どもだったので、基本的には鳥が好きなのだと思う。花鳥画も好きだし、きれいな色と優雅な容姿が魅力的なので、刺しゅうの図案でも鳥を刺すことが多い。最近知ったオートマタの中にも、「鳥かごの中で歌う小鳥」というのがあった。小鳥は当時の貴婦人達にとっても魅力的だったらしい。

 「鳥っていいなあ」という気持ちが強くなったのは8年前にオーストラリアの友人を訪ねて、向こうの大きくてカラフルな鳥たちを沢山見てからだ。メルボルン郊外のユーカリの林の中を飛ぶ華やかな色の鳥たちは、ほんとうにきれいだった。しかし、実際に飼うとなると躊躇するものがある。鳥は空を飛んでこそきれいと思う気持ちあるからかもしれない。

もう少し時間をかけて、ペットショップで鳥を見るとか、アジアの観光地のレイン・フォレストを訪ねて飛び交う小鳥たちを眺めるとか、鳥体験を重ねて疑問符の答えを出したいと思う。

近況報告/1年以上自分のはまったものを書き続けていると、毎日やっていることはそれらの繰り返しが多いですね。鎌倉に行きたいと思いながら石神井公園で花見をし、会社の仕事と翻訳の合間に刺しゅうをしたり芝居を見たりしています。週1回はヨガに行っています。3月に息子が高校を卒業し、1年間アメリカに行くことになりました。これで子育ては一区切りと思って、私は妙にほっとしています。 広告の仕事では、ノミ・マダニ駆除薬フロントラインの広告で獣医さんの話を聞いたり(3月20日読売朝刊)、母子手帳の副読本を作っている母子衛生協会の広告で理事をインタビューしたり(3月27日読売夕刊)と、最近はインタビューが多くなってます。


コーヒ-の香り  2002.05

 さて、そろそろ私のはまっているものも品切れかと思った矢先、中学時代から今日まで、毎日ほとんど欠かさずさず飲んでいるものについて書いていないことに気づいた。それはコーヒー。

 そもそもは父のコーヒー好きに始まる。家で仕事をしていた父は、毎日書斎の続きの応接間の椅子に座り、コーヒーミルで豆を挽き、ポット型の電気湯沸かし器で湯を沸かして、コーヒーを入れていた。中学時代から、私は父と一緒にその部屋でコーヒーを飲むようになり、なんとなく話をするようになった。その時に飲んだコーヒーの味をおいしいと思ったのか、大人扱いされるのがうれしかったのか、以来私はずっとコーヒーを飲み続けている。

 コーヒーに魅力を感じるもう一つの理由は、喫茶店だ。文士だった父は、家から二駅の新宿の街に散歩に出るのが日課で、子供のころ私も時々ついて行った。その時よく休憩による喫茶店の、賑やかで人の声に溢れ、湯気とコーヒーの香りが漂う雰囲気が好きだった。 高校に入って電車で通学するようになると、帰り道の渋谷や新宿の喫茶店によって友達と議論したりジャズ喫茶の暗がりに丸まって男友達とコーヒーを飲むようなことがごく自然に楽しみになった。二十歳で夫と住み始めた時、彼がコーヒー好きだったことも手伝って、私たちは毎日豆を挽きコーヒーを入れて二人で飲むようになり、その習慣が今でも続いている。

 私がコーヒー好きになったのは、近くに紅茶のおいしさを教えてくれる人がいなかったこと、その頃はコーヒーに比べておいしい紅茶を飲ませるような店がなかったこともあるが、紅茶よりコーヒーのほうが大人っぽい飲み物に感じられて、生意気な高校生の心を掴んだのだろう。ずっとたばこを吸っていたので、そのせいで苦みの強いコーヒーのほうがよりおいしく感じられたのかもしれない。

豆を挽く時に漂う香り、ドリップペーパーの中に粉を入れお湯を挿した時の粉のふくらみ、そこで漂う香り、カップに注いだ時の黒々とした色と香りなど、入れてから飲むまでの過程もちょっと楽しい。強煎りの豆で苦みが強く、濃いブラックコーヒーが私の好みだ。この文章を書いていて、今年は初心に返っておいしいコーヒーの入れ方を研究してみようか、という気になった。

近況:やりかけていたノベライズは出版社の都合で中止になり、今は英語小説の翻訳に取り組んでいます。16歳の男の子が主人公のちょっと泣かせる話です。


どんどん派手になる靴下型ストッキング 2002.06

 先週、銀座のデパートの地下に行って靴下型ストッキングをいくつか買って来ました。薄手の黒に銀のハート、ラベンダーに同色のハートが散ったもの、黒のクロスにドット、黒のアーガイル、黒のレース風花模様。最後のやつはかなり大柄でちょっと冒険だったのですが、模様がとてもきれいだったので買ってしまいました。新しいのを買うたびに、だんだん派手な柄に手を出していく自分が怖いような楽しいような……。

 この楽しみを見つけたのは、会社に通うようになってからです。私は仕事着はほとんどパンツスーツなので、ストッキングが見えるのはすそ周りだけ。そこで夏は靴下型のストッキングをはいていたのですが、店に行くとほんとうにカラフルで綺麗な模様のものが並んでいます。会社の女性たちはスカート姿も多いのですが、ストッキングは色とりどり、模様もいろいろ。二十年前なら堅気の女性は敬遠したようなものも堂々とはきこなしていて、なかなかステキです。そこで、ずっと無地のものをはいていた私も、「ちらっとしか見えないし、お手頃価格で楽しそうだし、せっかくこんなにたくさん色柄が並んでいるのだから」と、おとなしめのものから手を出し始めたのが、はまるきっかけ。変わった模様は自分で眺めても楽しいし、根が人と違ったものが好きなせいか、ついつい変わった色や柄を選んでエスカレートしてしまいます。もっとも実際にはいて見ると、網系は親指やかかとが破れやすいし、ラメ系はごわごわとはき心地が悪いし、レース系はたるみやすい(ソックタッチなどを使うといいのかも)と、いろいろ弊害もあるのですが。でも、新しいのをはいて、それが綺麗に見えると一日いい気分。店を見ているだけでも楽しいので、いいものを見つけたなと思っています。

近況最近続けてトルコ政府観光局の仕事をしました。5月22日読売新聞夕刊の5段、31日読売新聞夕刊の8段です。ガイドブックを読みまくって書いたので、「イスタンブールに行きたい」熱が高まっています。でも、それより前に、2年後のパリを目標に貯金しないと。先週はずっと見たかったピナ・バウシュ振りつけのダンスを見てきました。演目は「緑の大地」。オリジナリティがあって、美しくて、ちょっとコミカルで、久々に「よかったー」と溜め息をついて帰って来ました。ワールドカップも始まるし、6月はいろいろ忙しそうです。


もうひとつ、サングラスを  2002.07

 夏は、帽子好きの私にはうれしい季節。出かけるたびに、服と帽子を合わせるのが楽しみだ。ところが会社に通 っていると、朝の通勤と昼の外出にはいいけれど、帰り電車の中では帽子がじゃまになる。かと言って、布製の畳める帽子はエレガントではないし、スーツには合わないので被りたくない。というわけで、ここ2年はサングラスを愛用している。たいした化粧もしていないので、紫外線は浴び放題だし、日焼けむらも気になるが、気軽で大人っぽい感じが好きなのだ。私の年齢で「大人っぽい」というのもおかいしいのだけれど、映画で見たアヌーク・エーメのサングラス姿にあこがれて最初のサングラスを買った高校時代からずっと、私にとってのサングラスはちょっと大人っぽい小道具だった。

 私は物持ちがいいので、今持っている最古の(化石みたいだけど)サングラスは大学1年の時に母が買ってくれたもの。これはデザインが気に入って愛用しているのだけれど、大降りなのでちょっと流行遅れの感じがする。もう一つは旅行用に度を入れたサングラス。こちらはデザインが今ひとつ気に入らず、知らない土地に行って案内板などを見る必要が多いときだけに使っている。あとは何年かに一度、安物を買っては壊したり無くしたりを繰り返していた。

 そして今年。最近の寒さが嘘のようなぎらぎらと暑かった五月に、デパートで一目惚れして新しいサングラスを買った。小降りでデザインが絶妙、濃いブルーの透け感も美しく、とても気に入っている。店員に聞くと眼鏡店に持っていけば度も入れられるというので、近くのメガネ店に行ったのだが、レンズを度付きに変えるためにはフレームの角度を微妙に変える必要があると言う。それで印象が変わってしまうのが嫌で、度を入れるのはあきらめた。デザイン重視のデパートの売り場のものはレンズを変えにくいそうで、度を入れるのなら先にフレームだけ選ぶように勧められたが、店で眺めても気に入ったものを見つけることができなかった。

 最近は格安なメガネも多く、服に合わせてフレームの色を変えるなど、メガネの楽しみも広がりそうだ。しばらくはまめにメガネ屋をのぞいて、もうひとつだけ、度の入ったお気に入りをサングラスを手に入れたいと思っている。

近況:7月7日発売の婦人公論「体の調子を整える成分」のタイアップ記事広告5Pの原稿を書きました。女性ホルモンと似た働きをもつイソフラボン、関節を滑らかに動かすグルコサミンなど、最近の私の体によさそうなものばかり解説したので、ついでに飲んでみようかなと思っています。今年も梅干しを漬けました。


能の世界 2002.08

 能が特別好きと言うわけではない。たた、能の世界は常に私の身近にあった。子供のころに同居していた祖母が謡(うたい:能楽の歌の部分)を習っていて、毎日おさらいをしていた。私は言葉の意味もわからず、節回しも辛気臭いと思ってはいたが、謡を聞くのが嫌いではなかった。祖母は何か始めると凝るタイプで、それこそ三六五日、毎日朝夕一時間くらいは練習していたような気がする。祖母の発表会に行くと、謡だけでなく仕舞い(装束や鳴り物なしで、謡だけが付く舞)もあり、子供心に、端正な世界だと感じていた。謡を合唱する舞台の上も観客席も、華やいだ年配の女性たちのきらびやかな着物の世界で、その色とりどりの渦に魅了されたというのが、一番正確な言い方かもしれない。

 高校時代に、行き付けの図書館で偶然「謡曲全集」のようなものを見つけて、初めていくつものストーリーをちゃんと読んだ。それまで私が目にしていた祖母の謡の教本は和紙にひも綴じ、墨書きの続け字で、祖母の助けなしには読めなかった。図書館で初めて活字で読んで謡の内容を知り、たいていのストーリーが、この世に恨みを残して死んだ人間の亡霊が現れて恨みを語り、僧侶がその話を聞いてやって慰め成仏させる展開になっていることを知った。そんなこともはっきりわからずにぼーっと聞いていたのだから、当時は能が好きとか嫌いとかいう範疇にはいなかったのだろう。

 そのころから今日までプロの能を見る機会が何度かあったが、これも祖母がチケットをもらったとか、夫の友人が能の会の事務局の仕事をするようになって勧められたとかで、自分から積極的に「これを見たい」と考えて見に行ったものではなかった。それでも、独特の舞台の流れ、動きと静けさなどが何となく気に入り、誘われる機会があれば見に行っていた。祖母は宝生流だったが、他の流派のものも見るようになってなんとなくその違いもわかり、演者の好き嫌いもできるようになり、薪能など屋外でやる能の美しさも知った。

 相変わらず、わざわざチケットを取ってまで見ようとは思わないが、一年に一度くらい、ふと「能もいいなあ」と思う。それが決まって真夏のがんがんに暑い時なのが不思議だ。あの舞台の涼やかな静けさを思い出して、秋を待つ気持ちが能への連想につながるのかもしれない。

近況:長編小説の翻訳を終え、ちょっとほっとしています。ケーブルテレビでツール・ド・フランスが見られることがわかり、ここ1週間ほどは毎日見てます。土用の丑の日に梅干しを干しました。今年はかびが出たし、重石が足りなかったせいかしわしわが少なく失敗作です。息子が高校を卒業してお弁当がなくなったので、おいしい梅干しを漬けようという動機付けが弱かったのが敗因かも。


Cone of cotton candyの謎   2002.09

子供の頃から綿あめが好きだった。食べれば甘いだけのたわいのない味だし、舌は赤く、手はべたべたになる。決しておいしいものではないのだが、あのふわふわの形とうっすらとしたピンク色は、子供の私にはとっても魅力的だった。ごーっと音をする機械の横で、おじさんがざらめを入れると、ふわふわとした綿あめができ、それが割りばしに絡め取られる様子を見るのも楽しい。だから、綿あめを買うときはできあがって袋に入ったものではなくて、ふわふわに大きくふくらんだ出来たての、ちょっと温かい綿あめがいい。子供が小さいときは、お祭りに行ったときに一緒に買って食べたりもしていたが、子供が大きくなってからは、綿あめは欲しいけれど買わないも ののひとつだった。

そんな私が最近翻訳した米国の小説に出てきたのが、Cone of cotton candyだ。縁日の後の情景として、「地面にポテトチップスの空き袋とcone of cotton candyが落ちている」と書かれているのだが、このconeというのは何? というのが私の疑問だった。コーンと言われて私が連想したのは、アイスクリームのコーンだ。米国の綿あめは棒に巻かれているのではなくて、アイスクリームのコーンのようなものの上に乗っているのだろうか?

 私の英語教師にこの疑問をぶつけてみると、綿あめを食べたことがないから知らない、などと頼りにならないことを言う。 この謎が解けたのは、夫と一緒に出かけたニューヨークヤンキースのスタジアムでだった。先週、私たちは思い立ってニューヨークに行った。夫は『月刊メジャーリーグベースボール』に大リーグ英語のコラムを書いているので、ニューヨークへ行くのならヤンキースタジアムを見なくてはと言うので、出かけたのだ。そこで売られている綿あめは、けっこう毒々しいブルーで、ビニールの袋に入って売られていたが、小さい子供だけでなく若い女性もけっこう買っている。私の二つ前の席の高校生らしい女の子二人組もその綿あめを買って、二人でむしりながら食べていた。一見、棒についたふつうの綿あめに見えたのだが、綿あめがなくなるにつれてコーンの謎が明らかになっていった。棒と見えたのは紙の筒で、しかも先端に行くに従って太くなっている。つまり、長さ20センチ、上部が直径3センチほどの逆円錐形になっていて、そのまわりに綿あめが巻き付いているのだ。ああ、コーンってこういうことだったんだ、と深く納得。この大発見の記念に水色の綿あめを食べようと思ったのだが、私たちの席はスタジアムのほとんど最後列の高みにあり、その後、綿あめ売りのお姉さんはやって来なかったのだった。

近況:6泊8日でニューヨークに行って来ました。ヤンキース戦を2回、1Aの試合を1回見て、ジャズバーを巡って帰って来ました。行く先々でいろいろな人と話をし、いろいろな人を眺めて楽しんできました。もう一週間くらいいて、夜毎の外出を 楽しみたかったのですが。


ヘアスタイル 2002.10

 美容院が好きだ。いや、美容院は好きではないが、髪を整えてもらった後の満足感が好きだ。ヘアスタイルが決まっていると、人生が充実しているような気分になる。

 逆を言えば、髪型が決まらなかった時はなにもかもがうまくいかないような気がする。それなのに、朝シャンはしないし、ドライヤーは嫌いだし、夜髪を洗った後にきちんと乾かさないまま寝てしまうことも多いので、朝ひどい寝癖がついていたりする。会社の乾燥した空気の中で仕事をしているうちに、毛先がはねてひどい髪になっていることもある。だから、美容院ではいつも、「ブローしないで、そのまま乾かしても決まるヘアスタイルにしてね」とお願いしている。そのうえ白髪。最近ずいぶんと量が増えたので定期的に染めている。

 というわけで、美容院にはお金がかかる。必要に迫られて行く回数も増えているし、大きな仕事が終わって、最初に何か楽しいことをしようと考える時はまず、「美容院に行こう」と思う。ちょっとぜいたくだけど、手っ取り早くいい気分が味わえるから。

 子供の頃は美容院が嫌いだった。固くて多い髪で、おかっぱにしていたが似合っていると思ったことがなかった。二十代は様々なヘアスタイルを試し、お金がなかったのでカットモデル(美容院の見習いさんが無料でカットしてくれる)もずいぶんやったが、どこでカットしてもらっても、自分のヘアスタイルに満足できるのは最初の一週間くらいだった。「どこかに私をもっと素敵に見せてくれる美容院があるかもしれない」と考えて、あちこちの美容院にでかけた。それも、最初は気に入っても二度目は気に入らない、お気に入りの美容師が遠くに行ってしまう、などの繰り返しだった。だから、毎週髪を整えられる女優やタレントって、なんていい仕事だろうと思っていた。私はお金にはあまり執着がないが、その当時、四十代になったら月一回は美容院に行ける生活がしたい、と真剣に考えていた。

 今はお気に入りの美容院もあるし、行きたい時に行くこともできる(月一回は行かないけどね)。自分に似あうヘアスタイルもわかっているし、行けばそれなりの満足感も味わえる。それでも、「もっと別の、私に似合う髪型を見つけてくれる美容院があるかもしれない」という思いは消えない。きっと、みんな同じようなことを考えているから、たくさん美容院があってもやっていけるし、どんどん新しい美容院ができるのだろう。ということは、これは見果てぬ夢なのか。 と、美容院の予約時間を待ちながらこんなことを考えた。とりあえず、お気に入りの美容院と美容師さんがいることをありがたいと思わなくてはね。ここをみつけるのだって、けっこう苦労したのだから。

近況:春からずっとやっていた『ぼくの夢、パパの愛』(ブラッド・バーークレイ著 角川ブックプラス)が出版されました。これだけ長い小説を全部一人で訳したのは初めての経験だったので、しみじみうれしく思っています。『ぼくの夢、パパの愛』は、16歳の男の子が主人公。息子とだぶって、けっこうじんと来ました。今、Nick Hornby のabout a boy を読んでいます。ヒュー・グラント主演で映画になっているそうですが、こちらは12歳の男の子と36歳のクールな独身男との交流物語。こちらも子供のほうに感情移入してしまいます。


タティングレース  2002.11

 タティングレースというのをご存じだろうか。ふつうのレース編みはかぎ針を使ってレース糸を編んでいくが、これはかぎ針の代わりにシャトルという舟型の道具を使う。芯となる一本のレース糸を指にかけ、この糸にシャトルをくぐらせてに結び目を作っていく結び編みだ。欧米の手芸雑誌などではときどき見かけるが、日本ではあまりなじみのない編み方だと思っていた。ところが今、日本でもこのレース編みがひそかなブームだという。そのことを教えてくれたのは、パソコン通信の手芸フォーラムの仲間で、毎年開催される展示会で、実際にこのレース編みをやって見せてくれた。

 手の動きが早くてどうやって結び編みをしていくのか一見しただけではわからないのだが、優雅な手の動き、鼈甲模様の長さ6cm、幅2cmほどの舟形のシャトルの物珍しさ、「こんな風にできるのよ」と見せてくれたレース編みの、ちょっと代わった編み模様に興味を引かれ、自分でもやってみることにした。

 さっそく、シャトルと英文のハウツー本、レース糸を揃え、写真通りにやってみるが、なかなかうまくいかない。数時間で結び編みの初歩はマスターしたが、ピコットと呼ばれる飾りの輪の大きさが揃わないし、連続編みの繋ぎが難しくて、何度やっても本の通りにはならない。実は練習を始めて3日目なのだが、まだハウツー本の第3段階を越えられるにいる。慣れない編み方なので肩は凝るし、目も疲れる。慣れると力の抜き方がわかってくるので楽になるのだが、本を片手にああでもないこうでもないと考えながら編み進んでいくので、あっという間に時間が立って、気が付くと肩が凝り凝り、ということになる。でも、新しい編み方を解明していくのは楽しく、当分は遊べそうだ。

 せっかくやり始めたので、ついでこの編み方の歴史も調べてみた。タティングレースの起源は文字よりも古く、人々が交信の符号として結んだものが発展したという説もあるそうだ。流行したのは18世紀から19世紀にかけて。貴婦人たちの優雅な趣味として、アイルランドやイギリスを始め欧州各地で盛んになり、フランスのルーブル美術館にはルイ15世の王女マダムルイーズが使ったゴールドシャトルをはじめ豪華なシャトルが展示されているそうだ。日本には、明治時代のはじめにミッションスクールの宣教師が伝え、大正から昭和にかけて一大ブームを巻き起こしたという。そして今、日本でもタティングレースの本が何冊も出版されているし、手芸材料展ではこの編み方のミニ講習会も行われている。シャトルも、きれいな花の絵が描かれていたり、繊細な銀細工の飾りが付いているものもあって、女性の心をつかみそうだ。

 偶然に出会った編み方だが、一通り覚えて編めるようになるまで、もうしばらく楽しんでみようと思っている。

近況:最近は仕事でインタビューをすることが多いですね。先日はペットの薬の広告のため川原亜矢子さんと愛犬を取材。味の素の広告では新商品の開発者を取材しました。今評判の本「海馬」の著者・池谷裕二さんもインタビューしました。いろいろな人と会って話を聞けるのは、私の仕事の楽しみです。

シャトルがどんなものかはこちらへどうぞ 。


手帳  2002.12

 手帳を使い始めて何年になるだろうか。大学を出てからしばらくは持っていなかったような気がするので、80年代に入ってから使うようになったのだろう。時期は覚えていないが、使い始めたのは父が毎年自分のところに送られてくるものをくれたのがきっかけだ。 それは潮出版社の文化手帳で、縦14、5センチ、横9センチ、見開き片面左側に月曜から始まる一週間が並び、右側は3ミリ方眼の入ったメモのページになっている。

 私はこの手帳に取材や会議の予定、歯医者の予約やプライベートな約束、子供の学校行事、夫の飲み会の予定などをすべて書き込み、メモページには取材先の住所や電話番号をはじめ、メモする必要のあるものすべてを書き込んでいた。巻末には、作家、評論家などの人名簿、大学、出版社、美術館などの住所録、世界地図、日本地図、東京の交通図や地下鉄路線図、度量衡換算表、郵便料金表、満年齢早見表などの資料がついていて、これも原稿を書く時や調べ物の際にすぐに参照できるので、役に立っていた。この手帳は、毎年同じデザインの手ざわりのいいごけ茶の表紙で、手に持った時の感触も好きだった。

 そして、毎年恒例の年末行事が、必要事項を新しい手帳へ書き写すことだった。なにせ、その年の重要事項はすべて手帳にメモされているので、電話番号や銀行の振り込み先、HPアドレスなど、翌年も必要と思われるものは、住所録やコンピュータのデータベース、新しい手帳へと書き写す必要があるのだ。毎年12月半ば過ぎにこの作業を始めると、「ああ、今年も終わっていくなあ」としみじみした気持ちになったものだ。ところが昨年の暮れは様子が違った。昨年の5月に父が亡くなり、毎年送られて来た手帳が来なくなったのだ。なるべく同じ形の手帳を手に入れようと手帳売り場を巡るうちに、私は父の不在を深く感じた。そこで、全く新しい気持ちで次の一年を始めようと決心して、これまでとはイメージの違う深みのある赤い手帳を買った。月曜から始まる片面1週間という形式は同じだが、巻末の資料はほとんどなくて不自由だ。それでも、赤い手帳を手に取る度に「新しい1年」を意識した自分を思い出した。

 それから約1年。つい最近、来年用に鮮やかな水色の手帳を買った。来年は青空のようにすかっと、そしてできるだけシンプルに生きたいと思いながら。暮れにはまた、静かにこの手帳への書き写 し作業をするだろう。

近況:ここ3か月は翻訳をやっていないので、またやりたくなっています。最近読んで面 白かった本はWhite Oleander. 主人公の心情に合わせて語られる風景描写が魅力的でした。広告の仕事では、最近はモンブランのウォッチ(読売新聞30日夕刊)、アルマーニのレザー製品など、ファッションものの広告を書いています。