【はまって、はまって】バックナンバー 2008年  江崎リエ(えざき りえ) 

2008年2007年2006年2005年2004年2003年2002年2001年はこちら







はまって、はまって

江崎リエ(2009.1.7更新)



がめ煮

 お正月にはずっと、お節料理を作って来た。私のお節は福岡生まれの祖母から教わったもの。それに東京育ちの母の何品かが加わり、お雑煮だけは夫の故郷の静岡風。子供が小さい時は、夫の母や私の父が遊びに来ていたので、はりきって料理の準備をしたものだ。だが今は息子と二人なので、今年は準備をやめようかと思った。だが、大晦日が近づくにつれて、心が騒ぐ。祖母にとって、節目の料理はちゃんと生きていることの証だったので、それを作らないでいると、なんとなく申し訳ないような気になるのだ。

 そこで、がめ煮とお雑煮だけは準備することにした。がめ煮とは、鶏肉と野菜の煮物。なんでもがめ繰り込んで(寄せ集めて)煮ることから、この名前があるという。東京では「筑前煮」と呼ばれる事も多いようだ。

 九州の、というか祖母の、料理のだしの基本は干し椎茸なので、がめ煮のだしも干し椎茸。ごぼう、人参、蓮根、筍の水煮、椎茸、里芋を乱切りにし、ちぎったこんにゃく、鶏のもも肉、レバー、鶏の金冠と一緒にざっと炒めて、だしを注ぐ。これに、酒、みりん、醤油を適当に入れて、あくを取りながら炊けば出来上がり。最後に、絹鞘の茹でたのを散らす。

 祖母は砂糖も入れていたが、私は甘いのは好きではないので、改良。たけのこと里芋は割愛することも多い。レバーは祖母が体にいいというので勝手にレシピに加えていたのかもしれない。金冠は卵になる前の黄身だけのこと。お腹のなかにある状態なので、臓物付きの小さな黄身があったりする。初めて見るとちょっと驚くかもしれないが、子供の頃に好きになったので、今も金冠は好物。昔は、がめ煮をことこと炊きながら他の料理をしたり年賀状を書いたりすると、年の瀬の平穏無事を感じて幸せな気分になったものだ。なにはともあれ、暖かい家で正月を迎えられるだけで幸せ、それに感謝しなさい、と祖母なら言うかもしれない。

 というわけで、今年もささやかだがお節料理を作った。考えてみると、夫が亡くなってから、夫が好きだった料理はほんとど作らなくなっていた。作って思い出すのが辛いと心のどこかで思っていたのかもしれない。だいぶいろいろなことが受け止められるようになったので、今年はもうすこしていねいに料理を作ろうかと思っている。
(えざき りえ)







はまって、はまって

江崎リエ(2009.2.5更新)



ホームレスは鏡かも

 私は生まれ育ったのが東京・新宿の近くなので、子供のころからたくさんのホームレスを見てきました。東京オリンピック前の新宿地下街には、屋根のあるねぐらを求める人達がそれぞれに居場所を決めて寝ていました。辛い戦中・戦後を経験し、まだ日本全体が貧しかったせいか、行き交う人達の視線も優しく、喜捨を求める傷痍軍人やホームレスには小銭を置く人も多かった気がします。十歳くらいのころ、物書きの父が新宿に散歩に行くのによく付いて行ったのですが、父には顔なじみのホームレスのおじさんたちが数人いたので、私には彼らが身近でした。

 東京オリンピックを機に地下街や建物もきれいになり、ホームレスもあちこちに移動しましたが、その間も閉店後の銀行の前など、人目につかずにひっそりと夜を過ごせる場所にいることは黙認する優しさがありました。
 ところが最近は、「汚い物がいちゃ迷惑」という感じで夜回りのガードマンがホームレスを敷地内から追い出すのを目にするようになりました。彼らも仕事、上から言われたら仕方がないことかもしれませんが、黙認とか塩梅とかいう要素が減っているのは、命じる人にも若いガードマンにも「貧しい、辛い」という経験がないからかもしれません。若いお嬢さんが、嫌悪感いっぱいの顔でホームレスから目を背けるのを見ると、こちらが目を背けたくなります。ホームレスに対する態度に、その人の人間性が顕れる気がします。

 そんなことを考えていたら、経済危機とたくさんのホームレス予備軍出現のニュース。ホームレスも失業者も組織が動いて対策を立てなければ解決は難しいでしょうが、私たち一人ひとりが、ホームレスを「明日は我が身」と想像できる状況は、他人を思いやる心を育てるのに役立ちそうです。とは言っても、いつの時代も「そういうことは自分には関係ない」と思っている教育エリートや金持ちはいるわけですが。

お知らせ
2月6日にウィル・スミス主演の映画「7つの贈り物」(2月21日よりロードショー)をノベライズした本が出ます。本屋で見かけたら手にとってみてください。社会問題も含んだラブストーリーです。
(えざき りえ)







はまって、はまって

江崎リエ(2009.3.9更新)



中年男性の行儀

若者の行儀が悪いのは親の責任と言われますが、中年男性の行儀の悪さはだれの責任だろうかと、ときどき考えます。と言うのも、最近困ったおじさんたちを見かけることが多いから。これは、私が毎日通勤電車に乗り、ビジネス街で仕事をしているからだと思いますが、中年女性の少ないエリアにいると、中年男性の困ったぶりが目立ちます。

たとえば通勤電車で、入り口から奥へ入ろうとするのを通せんぼしているのは、たいていは40歳以上のおじさんです。自分の居場所はここと決めたら動かないし、奥に入りたいそぶりの人は目に入らないようです。人間関係が複雑な会社内では気配りをしているのでしょうが、外では周りを見ないのかもしれません。

歩いていて、突然前の人の歩みがのろくなってぶつかりそうになることも増えてきました。これは携帯のせい。中年男性がビジネスの話を携帯でしている場合、話が重要なところに来ると足がゆっくりになるのでしょう。それなのに、ぶつかりそうになった私をにらむのはやめてほしいものです。電車が何かの事故で遅れたときに、駅員に食ってかかる中年男性も目立ちます。遅れに怒るのはいいけれど、末端の駅員を感情的に責めるのはお門違いです。

だいたい、中年男性は家では妻に甘やかされ、会社では若くて優秀な女性社員にサポートしてもらっていて、直接の批判にさらされることは少ないのでしょう。「自分はこれではいけない」と反省するチャンスはほとんどないのかもしれません。テレビで「ずうずうしいおばさん」を茶化した番組をやっていたように、「困ったおじさん」を茶化す番組をやれば教育効果があると思いますが、決定権のある制作者と年代がかぶるせいか、私はこういう番組を見たことはありません。昔は飲み屋のママさんなどが、飲みに来た中年男を教育していましたが、こういう機会も最近は減っているようです。

こうして考えると、中年以上の男性の行儀が悪いのはその家族のせい、と言えるかもしれません。なぜなら、頭の固い男性の態度や行動に注文を付けたときに、聞く耳を持ちそうなのは家族の言葉くらいでしょうから。とくに娘の苦言は効きそうです。若い女性には、中年以上の男性の教育に力を入れてほしいものです。
(えざき りえ)





はまって、はまって

江崎リエ(2009.4.9更新)



満開のチューリップとは?

赤いチューリップをもらったので、それを花瓶に挿しながら、「子供のころはチューリップが嫌いだったな」と思った。小学校に入ると花壇にチューリップが並び、お絵描きの時間に、赤、白、黄色のチューリップの絵を描く。そのころから、画一的で凡庸な花だと思っていた気がする。

チューリップっていいなと思ったのは、たぶん、写真家・メイプルソープの一輪のチューリップの写真を見たのが最初だ。ろくろっ首のように伸びた茎が造形的な写真だった。

大人になって、たまに切り花のチューリップを飾るようになって、この茎がなかなかの曲者だということがわかった。売られている時は行儀よく真っすぐになっているのだが、花瓶に活けてしばらくすると、チューリップは茎を自由気ままに曲げるし、花が下向きに落ちるので、美しく活けるのがむずかしい。

昔は凡庸だと思っていたが、最近のチューリップのバリエーションは多く、色も豊富だ。絞りのように多色の色が入った花弁や、縁に細かいレース飾りが付いた花弁のものもあり、花びらの先が尖ったもの、丸いもの、花弁の数が多いものなど、「え、これもチューリップなの?」と思うような華やかな姿のものがある。これだけ園芸品種が増えたということは、人気のある花なのだろう。こういう変わったものを花屋で見ると、ちょっと買ってみたくなる。

ところで、そもそもチューリップが満開という時の花の形は、あのおちょぼ口の姿なのだろうか。花ならば、花びらが開いてめしべとおしべが見えるようになった時が満開だと思うのだが、がーっと口を開けたチューリップは散り際なのだろうか、そっと触れても花びらがはらはらと落ちてしまうことが多い。私はこの大きく口を開いたチューリップが好きだ。生を謳歌しているエネルギーを感じる。それに、チューリップらしからぬ意外性。結局、凡庸から脱した姿が好きなのかもしれない。
(えざき りえ)







はまって、はまって

江崎リエ(2009.5.8更新)



好きな服を着る自由

私の母はおしゃれな人だった。私が子供の頃、母はミシンを踏んできれいなワンピースをたくさん作ってくれた。今考えれば、生地は安い木綿なのだが、私は得意気に母が作った服を着ていた。母は自分のブラウスなども作っていて、それはなかなか大胆なアブストラクトな柄が多く、それらが出来上がるのを見るのも楽しみだった。

今考えれば、母のおしゃれは戦時中に女学生だった反動かもしれない。服を手作りしていたのは貧乏だったからかもしれない。だが、当時の私はそんなことには何も気づかず、洋服を着替えるのが好きな女の子になり、高校時代には流行の服が着たくてしょうがなかった。でも、人と同じ格好はイヤという偏屈な子で、自分で服を作ったりしていた。

自分で稼ぐようになってからは、もっと自由にファッションが楽しめるようになった。だが、「欲しい服が高くて買えない」というジレンマは続き、それと同時に「人と同じ格好はしたくない」「買える値段では欲しい服がなかなかない」という悩みも解消されていない。まあ、それでも、年を取るにつれてだんだんに自分に似合う服がわかってくるし、ここなら間違いないというブランドもできて、それなりに楽しいファッション ライフを送ってきた。

夫が亡くなってからは、「気に入った服を着て見せて、ほめられる」という楽しみが一つ減ったので、服を買う熱意は薄れたが、そのぶん、ブライスという人形の服を作って遊んでいる。

ファッションが自分の気分や生き方に与える影響は大きく、自分を見る人へのメッセージとしても、その役割は大きいと思う。そう考えると、私が人生の最後まで失いたくない自由は、好きな服を好きな時に着て外出する自由のような気がする。人生の最後に、画一的な服を着ることを強制されるような施設に入れられないように策を講じておかなくては、と本気で思っている。
(えざき りえ)







はまって、はまって

江崎リエ(2009.6.2更新)


これはPAULのフルート・アンシェンヌ(273円)を二つに切ったもの。半分で長さ約30cm、横幅は5pくらい






チェダーチーズの薄切りとイタリアのハムをはさみました


フランス風サンドイッチ

 最近、フランス風サンドイッチに凝っている。これはフランスパンを縦割りにして適当に何かを挟むもので、食パンのサンドイッチとは全然違う食感。バゲットよりもずっと細くて歯ごたえのあるフランスパンを使うのが私の好みだ。中身はカマンベールチーズに生ハムとか、チェダーチーズにボンレスハムとか、ピクルスの薄切りにバテとか、スモークサーモンにルッコラとか。まあ、何でもいいのだが、あまりいろいろ詰めないで、ワインを飲みながらかぶりつくのが美味しいと思う。パンが固いのであごが疲れるが、それもまた味わいがあっていい。

 私は昔から黒っぽくて固めのフランスパンや黒パンが好きなので、このサンドイッチはお気に入りの一つだったし、パリで食べてその美味しさを再認識した。それでも、家ではめったに作らなかったのは、細いパンが手にはいらなかったから。ところが、5月の連休に3日続けてフランス語学校で食べる機会があり、「やっぱり美味しい。家で作ろう」と思い立った。

 探してみたら、このサンドイッチ向きの細いフランスパンを売っているパン屋があったので、いつも買うよりはずっと高いチーズとハムを買って味見し、その美味しさにはまったというわけ。ブリーやカマンベールはカロリーが高いし、フランスパンも一本くらい食べてしまうので、心配なのは体重の増加だが、「飽きるまで、しばらくは食べ続けよう」と思っていた。でも、もう4週間近くなるのに飽きる気配がないので、「もしかしたらずっと飽きないかも」と思っている。ランチ時にはこのサンドイッチを作って売っているフランスパンの店も多いので、食べたことのない人は一度試してみて。

(えざき りえ)







はまって、はまって

江崎リエ(2009.7.3更新)


入り口近くにあった彫刻


ブラ子も連れていきました


この椅子に座ってのんびり


目の前の風景はこんな感じ
風に吹かれて、屋外彫刻を眺める

八重のクレマチス
 先週の土曜日(6月27日)に、静岡県三島にある「ヴァンジ彫刻庭園美術館」に行ってきた。入り口をくぐると目の前に芝生が広がり、そのあちこちにイタリアの彫刻家、ジュリア−ノ・ヴァンジ(1931ー)の作品が点在している。庭園の中央にはコンクリート仕上げの美術館があり、照明を落とした室内の作品は、スポット照明で浮かび上がるようになっている。

 この庭園はヴァンジの作品の展示を目的として設計され、展示作品の設置場所、スポットの当て方なども作家の意志に基づいているそうだ。「生きているときに個人美術館を作ってもらえると、そういう楽しみもあるのね」と思いながら、眺めて回るのもなかなかおもしろかった。屋外彫刻の良さは遠慮無く触れるところにもあり、石肌を撫でていると、だんだんに彫刻に愛着が湧いてくる。

 自然の起伏を生かした庭園にはクレマチスの花が植えられ、パラソル付に椅子に座って、景色と彫刻が楽しめるようになっている。人が少なかったので、芝生の中央の椅子に座って風に吹かれていると、彫刻の声が聞こえてくるような気がしてきた。目をつぶると、聞き慣れない鳥の声も耳に入り、のんびりとしていい気分。これでビールでもあると大満足だが、それはちょっとガマン。外にカフェが併設されているので、そこまではがまんして、彫刻との対話を楽しんできた。

ホームページはこちら

――――――――――

ちょっとお知らせ
新しいノベライズ本ができました。
ニコラス・ケイジ主演の映画「ノウイング」を小説にしたものです。
本屋に行ったら眺めてみてください。

(えざき りえ)







はまって、はまって

江崎リエ(2009.8.3更新)

あなたの睡眠時間は何時間?

 寝苦しい夜が増えて、雑誌などに快眠グッズが紹介されています。枕やシーツは冷やしても、クーラーをつけっぱなしで寝ると調子が悪くなるという人が多いようです。そんな記事を読んでいたら、日本人の睡眠時間に関する記事を見つけました。日本人の平均睡眠時間、何時間だと思いますか?

 ウォルト・ディズニー・スタジオ・ホーム・エンターテイメントが世界17カ国で調査したところ、日本人の実際の睡眠時間は平均6.4時間だそうです。私はだいたい1時半くらいに寝て、朝7時半に起きるので、約6時間。ヨガを始めてからは寝付きも寝起きもとてもいいので、6時間睡眠はベストコンディションです。長く寝るとたいていイヤな夢を見て起きるし、体もなんとなく寝すぎて痛い感じ。しかし、この調査によると平均睡眠時間は6.4時間で、自分の睡眠に満足しているのは50%なのだそうです。寝足りないと感じている人が半分なのですね。

 もう一つ別の調査では、日本人11万人の睡眠時間を調べたところ、7時間(6,5時間〜7,4時間)の人の死亡率が最も低かったそうです。死亡率が高くても、たくさん寝る幸せを味わうか、寝ないぶん別の楽しみを味わったほうがいいと思う人もいるかもしれませんが。

 こうした統計調査を見ると一瞬納得したような気になりますが、眠りは時間だけではなくて、どんな眠り方かにもよるし、その人の満足度にもよるので、「7時間が死亡率が低い」と言われても、すぐに信用する気にはなりません。でもこの時期、皆さんにはそれぞれの時間、快眠してほしいと思います。

 最後に、ちょっとおもしろかったこと。ディズニーの調査は「眠りの森の美女特別バージョン」のDVD発売を記念したものだそうで「キスで目覚めたことがあるか?」という質問項目がありました。イエスは、日本人18%、トップのアルゼンチンは87%だそうです。日本人、意外と少ないのですね。

ディズニー 
死亡率 
(えざき りえ)







はまって、はまって

江崎リエ(2009.9.3更新)

田舎風パテ

 フレンチビストロなどで、前菜に出て来るパテ・ド・カンパーニュ、別名田舎風パテが好物です。テリーヌみたいなものなんだけれど、こちらのほうが野趣があります。
 テリーヌとパテ、どう違うのか調べてみました。パテは、ひき肉などに味付けしてオーブンで焼いた料理のこと。料理名だそうです。テリーヌは、テリーヌ型という長方形の型があって、この型で焼いたものを言うのだそうです。そうすると、パテ・ド・カンパーニュも、テリーヌの一種なのですね。
 なぜ、野趣があると思ったのでしょうか。その訳は材料にありそうです。田舎風パテの主な材料は、鶏肉のひき肉、豚肉のひき肉、鶏のレバー、そしてにんにくやブランデー、ポルト酒などのお酒、様々な調味料です。たぶん私が野趣を感じるのはレバーが入るからでしょう。
 さて、この田舎風パテ、好きな時に食べるのがなかなか難しいのです。フレンチビストロでは前菜ですから、ちゃんと夕食を食べる気で行かないとありつけません。早めの時間にワインと田舎風パテ一品をつまみにするという選択肢もありますが、会社の仕事が終わるのが七時近いので、それもなかなか難しい。日本では七時はディナータイムの真っ最中なので。
 デパートで買うという手もあります。どこでも一切れ500円くらい。ちょっと高いと思いますが、最近のケーキは500円近くするので、ケーキを買う気分でたまに買います。ですが、好みの味の店をみつけるのがなかなかたいへん。売っている店も少ないし、レバーが入るせいか、嫌な臭みを感じることもあります。今一番のお気に入りは、トロワグロの真空パックです。
 そこで一度自分で作ってみました。我が家にある小さなテリーヌ型は長さ15センチ、幅10センチと小ぶりです。そこにネットで調べた材料を混ぜて詰め、お湯を張ったオーブンで蒸し焼きにしました。これはもう、絶品でした。自分の好みに合わせて調味料を加減するので、私好みのほんとうにおいしいパテができました。
 でも作ったのは一度きりです。なぜかというと作るのと保存が大変だから。どのレシピにもフードプロセッサーを使えと書いてあるのですが、うちにはフードプロセッサーがないので、私は包丁で材料を刻みました。これはこれで、ごろっとした感じで味はいいのです。でも、作るのは大変。それに、それほど保存がききません。いくら好きと言っても、毎日食べると飽きてきます。「とってもおいしくできたのに、レバーが入っているから、いつまで持つかしら」と思いつつ食べていたのですが、だんだん味が落ちてくる気がしました。
 というわけで、田舎風パテ、おいしく食べられる店、売っている店を探すのが、最近の楽しみです。
(えざき りえ)







はまって、はまって

江崎リエ(2009.10.3更新)



針と糸が、改善の手始めかも?

 最近はまっているものの一つがお裁縫。ちくちくと手縫いで人形の服を縫っている。縫うたびに、針と糸を持つことが、子どもの頃からずっと続いている一番長い趣味かもしれないと思う。前にここに「子どものころは母がミシンで服を縫ってくれた」と書いたことがあるが、あれがたぶん、針と糸好きの原体験だ。一枚の平らな布が、切られて縫われることでステキな物に変身するのを、子どもの私はすごいと思ったのだろう。もうその記憶はないけれど。

 中学3年のときに、一人でワンピースを縫った。ひどい出来だったのに、家族皆が「すごい」と褒めてくれた。それに驚いたのを今でも覚えている。褒められたのを覚えているのではなく、「え、こんな出来なのに、こんなに褒めてくれるの?」と驚いたのを覚えているのだ。家族にしたら出来映えは問題ではなく、がんばって作り上げたことを賞賛してくれたのだろうが、反抗期真最中だった私は、たぶんそこに家族愛を感じつつも面映ゆかったので、その時の記憶が鮮明なのだと思う。

 その後は、自分の服を作り、刺繍にはまり、子どもの服を作ってきたが、会社勤めをするようになって、針を持つ機会はなくなっていた。それがたまたま、頭でっかちで個性的なブライス人形と出会って、その子の服作りを楽しむようになった。作り始めると針と糸を持つのは楽しい。服のデザインを考えるのも楽しい。だが、それと同時に、こんなに長くやっているのに技術的に進歩していない自分を感じる。指先に針を刺して、痛い思いをしながら思う。ああ、昔もよく指に針を刺していたな、指先で玉になった血の色をきれいと思って見とれたな、と。テーブルの上の糸玉を床に落として思う。ああ、昔もよく落として、隅に転がった糸玉がほこりだらけになっていたな、と。

 こんなことを繰り返して、ちょっと考えた。もっと上手になろうという意識をもって、作業の手順を見直すといいのかもしれない。そんなふうに考えて何かを改善したことはないので、やってみるとおもしろいかも、と思っている。
(えざき りえ)